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2017年7月 2日 (日)

『航路』…創刊17年目でまさかの直木賞候補を送り出した大阪同人誌の雄。

『航路』

●刊行期間:昭和35年/1960年8月~平成5年/1993年12月?(33年)~

●直木賞との主な関わり

  • 松代達生(候補1回 第77回:昭和52年/1977年上半期)

 『文芸首都』という、聞いただけで震え上がりそうな、同人誌史に燦然と輝くメジャーな雑誌があります。

 まあだいたい、通俗的なものは傲然と拒絶される(かのような)融通のきかない雑誌でもあったらしく、直木賞なんて中途半端な存在は、あまりにその剣幕が怖くて近寄れもしなかった、……という感じの歴史なんですけど、なにしろ『文芸首都』は大所帯でもあり、ここで生まれる同人たちの交流も多種多彩なものがあって、そのなかから、さまざまな別の同人誌の誕生が促されます。

 『文芸首都』大阪支部で、世話人のような立場にあった兼重一さんや、大阪近辺に住む同人たちによって、毎月例会が開かれ、そのなかで創刊されることになったのが『航路』です。

 『航路』といえば、それはもう、創刊3年でひとりの芥川賞受賞者、田辺聖子さんを生み出して大賑わい、しかしそれでも解散することなく、橋本哲二さんや里見裕子さん、上田美穂さん、石上喜一さんなどの有力な書き手を擁し、30年以上刊行されつづけました。相当立派な同人誌です。

 田辺さんによれば、仲間内での批評のし合いは面白く、刺激的だったと言いますが、原稿書け書けという編集担当者からの声は、かなり厳しいものがあったそうです。

「私は(引用者注:『文芸首都』の)ほかに二つの同人雑誌に入っている。「大阪文学」と「航路」である。そのどちらも期日と編集者が峻厳だったおかげで、ほとんど私は恐喝されながらしぶるペンをみずから叱咤してやっと掲載し得たのだった。」(『文芸首都』昭和39年/1964年4月号 田辺聖子「芥川賞前後」より)

 それで第7号にようやく掲載されることになった「感傷旅行」は、同人のあいだでの評判はそれほどよくなく、けっこう自信のあった田辺さんとしては、ちょっと残念に思っていたところ、突然のようにアレがやってきて、しかも候補入りで終わりかと思っていたら、受賞までしちゃったものですから、本人もまわりもびっくりの大混乱。

 ほーら言ったじゃないの、あんたたち文学オンチの節穴には、私の作品の素晴らしさなんて、わかるわけないのよ、オーッホホホ、もういっしょになんてやってられないわ、と田辺さんが、そういうイヤな性格の持ち主ではなかったことから、『航路』の歴史はそこで途切れず、田辺さんも長く同人に名を連ねたまま、号数を積み重ねていきます。

 全国で何百と出て、新陳代謝の激しい同人誌界のなかで、直木賞や芥川賞の候補に挙がるのは、ひんぱんに起こることでもありません。このまま『航路』も、営々とそれぞれ同人の試みをつづけていって、最終的に「田辺聖子を生み出した雑誌」としてのみ記憶されることになるのか、という雰囲気が漂うなか、いや、そんな雰囲気は漂ってはいなかったでしょうけど、驚きの展開が待っていました。

 創刊から同人のひとりとして参加してきた松代達生さんが、もうほとんど同人誌の作品を候補に残すこともなくなっていた第77回(昭和52年/1977年・上半期)直木賞で、候補に選ばれてしまいます。

           ○

 松代さんは、モノの本によれば田辺さんの「感傷旅行」とも縁のある人で、

「『感傷旅行』は百枚のところ少しはしょって九十九枚にした。これは「航路」へ載せた。百枚や、というと、えらい大作やな、といわれるので削ったのだ。「航路」七号の編集後記に編集人の松代達生氏が書いている。

「田辺の作品は〆切後届けられ、大いにあわてた」

編集者泣かせは昔も今も変らぬらしい。」(田辺聖子・著『楽天少女通ります 私の履歴書』「第三章 大阪弁でサガンを」より)

 どうやら「峻厳」な編集者というのは、松代さんのことだったかもしれません。

 創刊当初、ほんとに松代さんは、精力的にこの雑誌に小説を書き、「夢の中の女」(創刊号)、「輪切りのレモン」(2号)、「夜の終り」(3号)、「夢の中の風景」(4号)と続けたんですが、その後、10数年のあいだが空いて、久しぶりに発表したのが185枚に及ぶ「飛べない天使」(30号)です。

 多忙だったと思われるなか、昭和51年/1976年12月刊行の『航路』30号にそれを書き、また同年末に締め切りの第44回文學界新人賞に「子殺し」を応募、そちらは受賞作なしでしたが佳作2編のうちのひとつに選ばれ、『文學界』に掲載されました。

 いきなり出てきた有力新人だったことに間違いはなく、「飛べない天使」は直木賞の候補に選ばれて何の文句もない小説ではあったんですが、そもそも作品のボリュームからしても、185枚というのは直木賞で戦うには、あまりに厳しすぎます。

 やはり短めの作品でも、他のメンバーと同じ土俵に立てるのは、過去に候補になったことがあるとか、すでに職業作家として(あるいはエッセイストとして)いくばくかの実績があるとか、そういう人だと思いますし、さんざん直木賞っていうのは、そういう賞だよねと、選考委員のあいだでも、あるいは周りで見ているだけの野次馬にも、共通の認識が育っていたはずなのに、ここで松代さんの作品を候補に残す文藝春秋編集者の、空気読めない感が、正直いって、ワタクシは好きです。

 芥川賞ならともかくも、そりゃあ、これで直木賞は無理ですよね、という言葉しか見つからないんですが、

「ところで航路30号所載の松代達生氏の「飛べない天使」が第77回直木賞の候補となり、受賞には至りませんでしたが、同人誌よりの直木賞候補ということで注目されたようです。なお、このたび文藝春秋より「飛べない天使」は別掲のように発行されましたのでお知らせしておきます。」(『航路』31号[昭和52年/1977年12月]「編集後記」より ―署名:平井清裕)

 ということで、「子殺し」と合わせて単行本になったのは、直木賞の候補になった落選した同人誌作品のなかでは、かなり幸運な扱いを受けた、と言っていいでしょう。これはこれで、世に知られていない小説を、もう少し多くの人に紹介する、という直木賞の役割のひとつは果たされたわけです。

 そして『航路』が生んだ二大スター(と勝手にワタクシが呼んでいる)田辺さんと松代さんが、田辺さんが選考委員になったことで、はからずも、ともに直木賞との縁を結び、ほとんど直木賞ファミリーの一員と言ってもいい(のか?)存在に落ち着いたのは、もはや驚きの展開を通り越して、ハッピーなことです。

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