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2017年6月11日 (日)

『作家』…芥川賞よりも直木賞に愛された、と言っていい同人誌。

『作家』

●刊行期間:昭和23年/1948年1月~平成4年/1992年1月(44年)

●直木賞との主な関わり

  • 八匠衆一(候補1回 第34回:昭和30年/1955年下半期)
  • 熊王徳平(候補1回 第36回:昭和31年/1956年下半期)
  • 桑原恭子(候補1回 第51回:昭和39年/1964年上半期)
  • 藤井重夫(受賞 第53回:昭和40年/1965年上半期)
  • 豊田穣(候補2回+受賞 第58回:昭和42年/1967年下半期~第64回:昭和45年/1970年下半期)
  • 津木林洋(候補1回 第92回:昭和59年/1984年下半期)

 もちろん、と言いましょうか、同人誌に載った作品が、そのまま直木賞を受賞したケースは、それほど多くはありません。

 そのなかで、とくに大衆文芸を標榜したりもせず、いたって正統派な文芸同人誌っぽいナリをしながら、第53回(昭和40年/1965年上半期)と第64回(昭和45年/1970年下半期)、そこに載った小説が二度も直木賞に選ばれてしまうという、そうとう稀有な道を歩んだのが、小谷剛さんたちの始めた『作家』です。

 『作家』の人たちといえば、梅崎春生との確執でおなじみ・八匠衆一さんもいるし、私の大好きな熊王徳平さんや藤井重夫さんもいる。ということで、一介の直木賞ファンとしても親近感のわく雑誌です。おそらく、まじめに文学に向き合っていた(はずの)同人や会員の人にとっては迷惑なハナシかもしれません。仕方ありません。

 しかし、ひょっとするとこの雑誌は、芥川賞よりも直木賞に愛されたんじゃないか。と思えるのも事実で、候補にあがった数々の『作家』掲載作を読んでも、どうしてこれらが芥川賞のほうじゃなく直木賞に回されたのか、皆目わからず、たとえば『作家』からはじめて直木賞の候補に残ったのが八匠さんの「未決囚」ですが、最終選考の場では、

「毛頭遊び気はないし或る一社会を確実に書いている。しかし直木賞へ持って来るものではないだろう。」(『オール讀物』昭和31年/1956年4月号 吉川英治の選評より)

 だとか、

「いくらうまい作品でも、こういう陰気な材料は直木賞のものではない」(同号 村上元三の選評より)

 などと言われています。

 たしかに、こういう感想をもつのが自然でしょう。だけども、本人や選考委員の希望や意向とは関係なく、直木賞の候補にしようと決めたヤカラが、何人かいたから候補になったわけで、直木賞の色を決めていくのは、選考委員より彼ら下読みの予選委員(編集者たち)でもあります。やがて、『作家』からひとりしか受賞者を生むことができなかった芥川賞を超えて、直木賞が二人の受賞者を擁することになるのも、八匠さんの落選例にめげず、何度も同誌から候補を拾い上げた、予選の人たちの考えやら好みのおかげです。

 ともかく、直木賞でも芥川賞でも、けっこう多くの作品が候補に選出された雑誌ですから、逸話や裏話もたくさん残っています。小谷剛さんの『『作家』・芥川賞・おんな――戦後文化史の傍証』(昭和56年/1981年11月・中日新聞本社刊)には、小谷さん自身の芥川賞受賞前後のあれこれが、かなり詳しく書かれた楽しいエッセイですけど、雑誌代表としての顔ももつ小谷さんですから、直木賞が関わりはじめたあとの、貴重な証言も書かれています。

「私の「四天王」が芥川賞候補になったから、掲載誌を何冊か送れと、文芸春秋社から通知があったのは、合同公演の立稽古がはじまったころであった。

それ以後に『作家』から芥川賞や直木賞の候補作がえらばれた例でみると、何月号を何冊送ってほしいという通知はあっても、誰のどういう作品が、何賞の候補になったとはあきらかにされない。同じ号にいくつか載っている作品のうち、たぶんこの人の作品が芥川賞の、もしくは直木賞の候補になったのだろうと見当をつけるだけであって、正式に新聞発表があるまではわからない。けれど私のときは、「四天王」とはっきり示されていた。」(『『作家』・芥川賞・おんな』「演劇と受賞」より)

 同人誌側に、正式な案内が事前に来ていたわけではなかったんですね。と、べつに誰の得にも損にもならない、こういう詳しい経緯を淡々と書き留めておいてくれるのが、同人誌の素晴らしさ(……小谷さんの場合は単行本ですけど)。たとえば藤井重夫さんも、昭和40年/1965年10月号に寄せた「『虹』始末記」で、「虹」が直木賞か芥川賞のどちらかの予選を通過した、と知らせる小谷さんからのハガキが、6月15日付消印で17日に届き、日本文学振興会からは6月19日付消印の速達で、20日に通知が来た、うんぬんと正確な事実関係を、史料がわりに残してくれました。

 まあ、そういう単なる記録で終わらせないのが、さすが藤井さんの直球の生真面目さで、

「四十九歳半になって、いまさら直木賞候補にならされ、候補だけで見送りになったとしたら、ずいぶん恥ずかしいおもいをすることだろうと、あえて「直木賞候補」を、知らぬ顔の半兵衛で通そうとするのだが、直木賞候補になったことを、おトボケしようとすることじたいが、すでにそれを意識していることであって、受賞までの一ヵ月間、考えてみると、おかしなことだらけだった。」(『作家』昭和40年/1965年10月号「『虹』始末記」より ―下線太字部は原文では傍点)

 と正直な心境を吐露しながら、おのれの自負から、一部のバカな同人にあきれ返った話など、ぐんぐんエンジンを回転させていく藤井さんの、オソロシさを堪能できる一文となっています。

           ○

 とはいえ、何といっても『作家』と直木賞とのあいだに培われた特異性は、豊田穣さんの『長良川』が受賞したことに尽きる、と言っても過言ではありません。

 いや、過言かもしれませんが、営々と同人誌に書き継がれた連作が、途中芥川賞の候補になったりしながら受賞を逃し、これが同人誌の発行元・作家社で一冊にまとめられて直木賞の予選を通過する、というほとんどアクロバチックと言うほかない展開を経て、

「直木賞の作品ではないと思うが、この作者の実力はもうわかっている。直木賞作家としてふさわしい、という点で、授賞に同意した。」(『オール讀物』昭和46年/1971年4月号 村上元三の選評より)

 との理由で賛意が寄せられたのは、直木賞のフトコロの深さと言おうか、ムチャクチャな授賞姿勢が功を奏した名場面に違いありません。他に何十、何百とあった同人誌のなかで、『作家』一誌に発表した作品が一度、二度と直木賞の候補になって、最後は作者の実力はもうわかっている、と言われて同人誌発の単行本に賞が与えられるという、ほとんど商業誌で活躍する職業作家のような扱いを受けたのは、はっきりいって、豊田さんと『作家』ぐらいのものです。

 その後、直木賞のなかで、同人誌の位置づけも徐々に変わっていき、33年前を最後に、候補作はすべて商業誌か商業出版の文芸書から選ばれるようになりました。いまのところ「最後の」同人誌からの直木賞候補作は、昭和59年/1984年下半期の津木林洋さん「贋マリア伝」。これが『作家』の掲載作だというのも、偶然なんでしょうけど、こういうところからも『作家』と直木賞、両者の相性のよさ(?)がよくわかります。

 昭和31年/1956年、まだそれほど両者の接近が見られなかったころに、小谷剛さんは、こんな文章を書いていました。

「たしかに、「作家」は、多くの同人雑誌と違って、かなり書店で売れているし、また売れることを、私も念願においている。が、それはあくまで、「作家」が同人雑誌として売れることを(そういう世の中を)望んでいるのであって、売るために、同人雑誌本来の在りかたまでをも枉げようとは、ゆめ思っていない。」(『作家』昭和31年/1956年12月号 小谷剛「「作家」百号」より ―下線太字部は原文では傍点)

 売れることをひとつの大きな目標としながら、しかし決して商業主義じゃないよ、あくまで真剣な文学的営みだよ、とする主宰者の理念が、直木賞のどっちつかずな文学観と、たまたまマッチしたのかもしれません。

 と、そういうテキトーな感想はどうでもいいとしても、直木賞史を彩った文芸同人誌の筆頭、と見るにふさわしい、不思議と直木賞に縁のあった雑誌だということは、たしかです。

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