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2017年5月の4件の記事

2017年5月28日 (日)

第129回直木賞『4TEEN』『星々の舟』の受賞作単行本部数

第129回(平成15年/2003年・上半期)直木賞

受賞作●石田衣良『4TEEN フォーティーン』(新潮社刊)
受賞前2万9,000部→13万9,000
受賞作●村山由佳『星々の舟』(文藝春秋刊)
14万

※ちなみに……

第128回(平成14年/2002年・下半期)芥川賞

受賞作●大道珠貴「しょっぱいドライブ」収録『しょっぱいドライブ』(文藝春秋刊)
7万3,000

第129回(平成15年/2003年・上半期)芥川賞

受賞作●吉村萬壱「ハリガネムシ」収録『ハリガネムシ』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)5万部→5万5,000

 そろそろ、部数に関するテーマも終わりが見えてきました。

 まだ取り上げていない受賞作がいくつかありますが、いずれも特徴的な性格が薄く、いわゆる「そこそこの話題と、そこそこの売上げ」という、直木賞のスタンダードを体現した、平均的な作品と言っていいと思います。

 ……と前置きしてからの『4TEEN』と『星々の舟』。ということで、うわー、いかにも直木賞の平均っぽいよなー、という感がハンパありません。手がたいと言いますか、昔ながらのフォーマットと言いますか、第128回の『半落ち』騒動を受けて、また第129回の注目候補『重力ピエロ』をさしおいて、この二作に賞を与えてしまったことで、直木賞に漂う閉塞感が決定的になったとも言われる、重要な受賞作です。

 まあ、「そこそこ」な感じが好きじゃなきゃ直木賞ファンなんてやっていられません。どちらの小説も、低調でないうえに突き抜けもしない、バツグンのそこそこ感に満ちた、直木賞らしい受賞作だと思いますけど、世のなかには、こういうものより多くの人に喜ばれる小説があります。

 この年、平成15年/2003年は年初から、例の『半落ち』が好調な売れ行きをキープ。『出版月報』の記事を追ってみると、「このミス」パワーの力もあったんでしょう、1月15日現在17万5,000部、直木賞に落ちて、なんだかんだと騒がしくなるなか、2月には22万5,000部、3月27万5,000部と、ボン、ボンと大量増刷がかかり、その後も継続して売れて、年内には33万部到達、というところまで上昇します。

 第128回、直木賞はけっきょく授賞作を出せず、芥川賞のほうはどうにか1作、作品を選んだんですが、受賞したらかなりの売れ行きが見込めたはずの、最も注目された島本理生さんではなく、大道珠貴さんの「しょっぱいドライブ」だったものですから、大したお祭りにはなりません。

 『しょっぱいドライブ』は、受賞後に単行本が発売され、だいたい1~2か月で7万部程度まで行き、そのあたりで落ち着きました。

 芥川賞で7万部。というのは、多くもなければ少ないとも言えないし、ネタにしようにも注目点が見つけづらい数字ですから、ワタクシもとくに言いたいことはありません。しかし、この回は、受賞作は大したことないのに、(島本さんが候補になったおかげか)まわりだけが騒がしい、いつまでこんなことやっているんだ日本人! 的な記事が、数多く書かれた回でもあります。さすがは芥川賞、そんなことですら話題になってしまう恐ろしいヤツ。それから10数年たっても、べつに状況に変化がないところを見れば、確実に今後もこういうことが繰り返されるに違いないという、ある意味、伝統的な芥川賞スタイルだったのかもしれません。

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2017年5月21日 (日)

第48回直木賞「江分利満氏の優雅な生活」の受賞作単行本部数

第48回(昭和37年/1962年・下半期)直木賞

受賞作●山口瞳『江分利満氏の優雅な生活』(文藝春秋新社刊)
初版(受賞後)7万部?

※ちなみに……

第28回(昭和27年/1952年・下半期)芥川賞

受賞作●五味康祐「喪神」収録『秘剣』(新潮社/小説文庫)
10万5,000

第32回(昭和29年/1954年・下半期)芥川賞

受賞作●小島信夫「アメリカン・スクール」収録『アメリカン・スクール』(みすず書房刊)
(受賞前)3,000部→(受賞後・新書判に)2万

第37回(昭和32年/1957年・上半期)芥川賞

受賞作●菊村到「硫黄島」収録『硫黄島』(文藝春秋新社刊)
約4万

第43回(昭和35年/1960年・上半期)芥川賞

受賞作●北杜夫「夜と霧の隅で」収録『夜と霧の隅で』(新潮社刊)
4万5,000

第44回(昭和35年/1960年・下半期)芥川賞

受賞作●三浦哲郎「忍ぶ川」収録『忍ぶ川』(新潮社刊)
3万8,000(発売約1か月で)約7万(発売約半年で)12万2,500

 直木賞・芥川賞といっても、オレたちの時代はそんなに売れなかった。……っていうのが、先人たちによくある回想テンプレです。いまでも、売れ行きの悪い受賞作というのは存在するので、どこまで時代のせいなのか、はっきりしませんが、たしかに昭和50年代よりまえは、5万部も10万部も売れた受賞作をさがすほうが、難しいです。

 戦前はちょっと比較しづらいのでおいておきます。戦後、10万部を超えた受賞作として、まず最初に名前が上がるのが第28回(昭和27年/1952年・下半期)、直木賞の立野信之『叛乱』11万5,000部でしょう。「直木賞だから」そんなに売れたのかといえば、かなり疑問符がつきますが、受賞の効果も多少はあった、と見られています。

 この回、芥川賞のほうは二作授賞。どちらも本になるまで時間がかかります。1月に決定した後、のちのベストセラー作家松本清張さんの『戦国権謀』(「或る『小倉日記』伝」収録)は10月の刊行。清張さんの研究本はゴマンとありますが、これなど、まず売れたとは聞きません。いっぽう五味康祐さんの『秘剣』(「喪神」収録)となると、さらに遅く、発売は2年以上たった昭和30年/1955年7月でした。

 しかしこれが功を奏したか(いや、偶然にも)、発売当初はともかく、しばらくしたのち軽装版ブーム&剣豪小説ブームの代表とも目されるほどに、当たってしまい、

「五月に出た「新剣豪伝」(引用者注:中山義秀・著)(新潮社小説文庫)を皮切りに、下半期はいわゆる“剣豪小説ばやり”が起り、雑誌でも毎月必ず数篇が載るという盛況となった。五味康祐「秘剣」「柳生連也斎」(新潮社小説文庫)がチャンピオンぶりを示す売れ行き(引用者後略)(『日本読書新聞』昭和33年/1958年12月12日号「複雑な“活況” 書籍界一年の動き」より)

 この記事によると、『秘剣』は10万部、『柳生連也斎』8万部、中山義秀さんの『新剣豪伝』が5万部だったそうです。『新潮社八十年図書総目録』(昭和51年/1976年10月)にも、『秘剣』は昭和30年/1955月7月発売から昭和33年/1958年4月までに10万5,000部を記録、とあって、ほとんど芥川賞とは関係ないかもしれませんが、とりあえず受賞作収録本の10万部超えをなしとげました。

 いっぽうで、オレは売れなかったよ回想の急先鋒が、以前にも紹介した安岡章太郎さん(第29回芥川賞)や吉行淳之介さん(第31回芥川賞)です。同じ時代の受賞者といってもいい小島信夫さん(第32回芥川賞)もまた、このグループのお仲間のようです。

「受賞前に三千部だけ刷っていた『アメリカン・スクール』は、受賞後、新書判で二万部ほど出したが、ほとんど返ってきて出版社がつぶれそうになった。芥川賞をもらったからといって、パッとするものではなかった」(平成8年/1996年2月・産経新聞ニュースサービス刊『戦後史開封3』所収「芥川賞・直木賞」より)

 芥川賞をもらって、パッとしない人もいるでしょう。パッとした人も、いたでしょう。当時に特有のことじゃなく、その後もずっと続いたし、いまだってそうかもしれません。……などと普通のことを言い出しても、話が進まないので、先に向かいます。

 昭和30年代、よく売れたものとして判明している受賞作を挙げていくと、芥川賞では『太陽の季節』(昭和30年/1955年下半期)22万5,000部、『硫黄島』(昭和32年/1957年上半期)4万部、『裸の王様』(昭和32年/1957年下半期)6万5,000部、『死者の奢り』(昭和33年/1958年上半期)7万部、『夜と霧の隅で』(昭和35年/1960年上半期)4万5,000部、『忍ぶ川』(昭和35年/1960年下半期)12万2,500部……といった按配。直木賞となると、ぐっと少なくなって、『花のれん』(昭和33年/1958年上半期)10万部、『落ちる』(昭和33年/1958年下半期)3万部、『雁の寺』(昭和36年/1961年上半期)9万部と、このぐらいしか、いまのところワタクシは知りません。

 こないだ引用した江崎誠致さんの文に、芥川賞受賞作は1万部刷られる、という説が載っていました。それと合わせて考えてみると、3万部いったらかなりのもので、5万部ともなれば話題のヒット作、10万部なんて、たまにしか生まれない破格のベストセラー。といった様相です。

 ところで、吉原敦子さんに『あの本にもう一度 ベストセラーとその著者たち』(平成8年/1996年7月・文藝春秋刊)という本があります。昭和22年/1947年『ノンちゃん雲に乗る』から昭和53年/1978年『日本人の脳』まで、23作の「ベストセラー」の、それぞれの著者へのインタビューをまとめたものですが、そこで取り上げられた直木賞受賞作が2つあります。佐木隆三さんの『復讐するは我にあり』と、もうひとつが山口瞳さんの『江分利満氏の優雅な生活』という、昭和30年代の作品でした。

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2017年5月14日 (日)

第16回直木賞「強情いちご」「寛容」の受賞作単行本部数

第16回(昭和17年/1942年・下半期)直木賞

受賞作●田岡典夫「強情いちご」収録『小説 武辺土佐物語』(大日本雄弁会講談社刊)
初版(受賞前)1万
受賞作●神崎武雄「寛容」収録『寛容』(大川屋書店刊)
初版(受賞後)1万

※ちなみに……

第3回(昭和11年/1936年・上半期)芥川賞

受賞作●鶴田知也「コシャマイン記」収録『コシャマイン記』(改造社刊)
初版(受賞後)約1,900

第9回(昭和14年/1939年・上半期)芥川賞

受賞作●長谷健「あさくさの子供」収録『あさくさの子供』(改造社刊)
初版(受賞後)約2,900

第14回(昭和16年/1941年・下半期)芥川賞

受賞作●芝木好子「青果の市」収録『青果の市』(文藝春秋社刊)
初版(受賞後)5,000

第19回(昭和19年/1944年・上半期)芥川賞

受賞作●小尾十三「登攀」収録『雑巾先生』(満洲文藝春秋社刊)
初版(受賞後)5,000部→1万

第20回(昭和19年/1944年・下半期)芥川賞

受賞作●清水基吉「雁立」収録『雁立』(鎌倉文庫刊)
約1万

第29回(昭和28年/1953年・上半期)芥川賞

受賞作●安岡章太郎「悪い仲間」「陰気な愉しみ」収録『悪い仲間』(文藝春秋新社刊)
初版(受賞後)3,000

 戦前、第20回までの直木賞は、久米正雄さんによれば「道楽的に」決められていた、とのことです。言うよねー、って感じではありますが、道楽で文学賞を決めちゃいけない理由なんて何もありません。むしろ、直木賞は道楽的ぐらいなのが、ちょうどいいのかもしれません。

 で、戦前の受賞作は、ほとんど部数がわからない、とさんざん愚痴ってきたとおりです。ただ、まったくわからないのもナンなので、おおよその見当をつけるために、芥川賞のほうを少し見てみることにします。

 『改造社出版関係資料』(平成22年/2010年2月・慶応義塾図書館改造社資料刊行委員会・編、雄松堂出版刊)というものがあります。このなかに、新刊を各取次に何部ずつ配本したのか記された資料があり、当時の部数水準を知るためには、かなり有益なものです。

 改造社から出た芥川賞受賞作の単行本は、戦前、3冊ありました。上記の資料「4.改造社の経営にかかわる内部資料」-「新刊配本帳」を見てみますと、初版の配本総数は、次のようになっています。

  •  第1回受賞 石川達三『蒼氓』(昭和10年/1935年10月19日) 2,440
  •  第3回受賞 鶴田知也『コシャマイン記』(昭和11年/1936年10月20日) 1,890
  •  第9回受賞 長谷健『あさくさの子供』(昭和15年/1940年1月19日) 2,900

 ちなみに、新小説社から出した第1回直木賞受賞作本(のひとつ)川口松太郎『明治一代女』(昭和11年/1936年3月)は、初版2,000部を刷ったそうです。改造社の資料を見ると、他の、とくに文学賞とは関係ない文芸書でも、1,500部~3,000部ぐらいのものをよく見かけます。まず2,000部前後というのが、だいたいスタンダードだったんでしょう。

 当時の芥川賞では、受賞してはじめて本になる、というケースがほとんどでしたが、そのなかで異例中の異例、単行本が受賞対象になってしまった尾崎一雄さんの『暢気眼鏡』も、受賞後あわててつくった再版普及版は、だいたい3,000部から始めたようです(受賞対象となった昭和12年/1937年4月の初版は500部だった、とのこと)。

 戦前、21冊刊行された芥川賞受賞作本のうち、文藝春秋社4冊を上まわって、5冊の版元となったのが小山書店です。その社長、小山久二郎さんの回想に、こうあります。

「その後(引用者注:『糞尿譚』と『あらがね』の好調な売れ行き後)、同人雑誌などにも注意を向けるようになり、芥川賞の候補作なども注意ぶかく観察し、宇野浩二の力なども借りて、その後に芥川賞になったほとんどの作品は、小山書店から出たもののうちからという様になった。この為、新人作家たちは小山書店を熱心に注目するようになった。私が注目した新人の作品は、処女出版であっても、少なくとも三千部は必ず売れるような出版社にのし上った。」(昭和57年/1982年12月・六興出版刊 小山久二郎・著『ひとつの時代――小山書店私史――』より)

 受賞作がどれくらい売れたかは書いてありませんが、3,000部というのが、けっこう誇れる数字だったことは読み取れます。そういえば、こないだ引用した江崎誠致さんの「小説芥川賞」にも、『糞尿譚』(昭和13年/1938年3月・小山書店刊)の初版は3,000部だった、って書いてありましたね。

 第12回(昭和15年/1940年・下半期)の櫻田常久さん以降、勧進元の文藝春秋社が、いよいよ受賞作の単行本化に乗り出し、芥川賞の世界における小山書店の天下(?)は早くも終わってしまうのですが、そのころの部数について証言しているのが、第14回「青果の市」で受賞した芝木好子さんです。当時としては多い部数だろう、と断りながらも、初版は5,000部だったはず、と書いています(『週刊読書人』昭和39年/1964年3月9日号「はじめての本」)。

 3,000部から5,000部に若干アップした、と言えるのか。実数はけっきょく不明なので、やっぱり3,000部前後で推移した、と見るべきか。細かいハナシすぎて、どうでもいいような気もするんですが、とりあえずこの段階で、芥川賞の初版は5,000部、というのが現実的な線になった、と言っておいてもいいと思います。

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2017年5月 7日 (日)

第56回直木賞『蒼ざめた馬を見よ』の受賞作単行本部数

第56回(昭和41年/1966年・下半期)直木賞

受賞作●五木寛之 「蒼ざめた馬を見よ」収録『蒼ざめた馬を見よ』(文藝春秋刊)
3万3,000(受賞後1年で)20万6,000(受賞後6年で)→?

※ちなみに……

第56回(昭和41年/1966年・下半期)芥川賞

受賞作●丸山健二「夏の流れ」収録『夏の流れ』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)8,000部→?

 直木賞の第60回は、昭和43年/1968年・下半期です。ようやくこのごろは、一般的な芥川賞偏重主義も薄れてきて、直木賞のほうも注目されるようになってきた、なんて言われはじめた時代です。

 ワタクシから見れば、「どこがだ!」とツッコミたくなるほど、当時の文献で、直木賞に言及されたものはまだまだ少なかったと思うんですが、それまでが、よっぽどヒドかったんでしょう。50年まえの直木賞ファンたちの、せつない境遇が悲しすぎます。

 とりあえず当時、芥川賞作品はだいたい2万部から、ということを夏堀正元さんが明らかにしていましたが、直木賞がそれを上まわっていた、という話は見えません。第71回(昭和49年/1974年・上半期)の藤本義一さんが、自分の受賞作が3万部行った! ということで驚いていたくらいなので、やはり直木賞のほうも、順当に売れて2~3万部見当だったんでしょう。

 直木賞史に燦然と輝くインパクトをもって登場した五木寛之さんが、「蒼ざめた馬を見よ」で受賞したのは第56回(昭和41年/1966年・下半期)。ちょうどそんな時代です。

 受賞からわずか5年で「圧倒的五木寛之ブームを解剖する」(『週刊現代』昭和46年/1971年10月14日号)なんちゅう記事が書かれるくらいに、本が売れた人ですが、同記事によれば昭和46年/1971年での売上部数は、『ゴキブリの歌』15万部、『朱鷺の墓』(空笛の章、風花の章あわせて)18万3,000部、『対論』(野坂昭如・共著)15万部、従来の作品の再版・重版分が約82万部。まあ、ものすごいです。

 それでは、直木賞の受賞作はどのくらいだったのか。……といったことは、以前もうちのブログで取り上げたことがあります。でもワタクシも、すっかり忘れてしまったので、改めて思い出してみます。

 植田康夫さんが調べて、『新評』昭和48年/1973年8月号「白夜のエンターティナー 五木寛之ズームイン」に書き残しておいてくれた数字です。

 昭和42年/1967年4月刊行の『蒼ざめた馬を見よ』は、昭和42年/1967年:3万3,000部、昭和43年/1968年:2万7,000部、昭和44年/1969年:3万4,000部、昭和45年/1970年:4万1,000部、昭和46年/1971年:3万1,000部、昭和47年/1972年:4万部、約6年の合計が20万6,000部。

 この受賞作はその後、昭和47年/1972年10月に『五木寛之作品集1』に収められ(この本もまた相当売れたらしいです)、昭和49年/1974年7月に文春文庫となりますので、さすがに単行本の増刷ペースは落ちたんじゃないかと思いますが、ロングセラー作家を標榜する五木さんの売れ方は、こういうデータからも実証できる、と植田さんはまとめています。

「それにしても、四十二年から四十七年の六年間で約二〇万部という数字は、一年間の平均増刷部数が三三〇〇〇部ということである。これでは、ベストセラーとはいえない。

ちなみに、五木の本で年間ベストセラーに入ったのは、『にっぽん三銃士』と『青春の門』自立篇だけである。だから、五木はむしろ、ベストセラー作家というより、ロングセラー作家と呼んだ方がよい。」(『新評』昭和48年/1973年8月号より)

 ひょっとしたら、受賞作が3万部ぐらい売れた、というのは当時でも珍しくなかったかもしれません。

 しかし、そのくらいの部数で毎年増刷をつづけたうえに、『さらばモスクワ愚連隊』(講談社版、同時期までに20万1,000部)、『青年は荒野をめざす』(文藝春秋版、昭和47年/1972年上半期までで32万1,000部)、『風に吹かれて』(読売新聞社版、同時期までに19万1,000部)など、じわじわ売れて10万、20万を超すような本も、ボロボロ出す。直木賞の受賞で光が当たったのは間違いないのに、直木賞作品だけが特別に売れたわけじゃない(売れなかったわけでもない)、となると、これは直木賞の力というより、五木さんのパワーと見るしかありません。

 受賞直後から、新世代の旗手だ、新しいエンタメ文学の幕開きだ、とテレビから雑誌から、さんざん五木さんを取り上げてにぎわったのに、直木賞の力、そんな程度だったのか。ほんと、だいじょうぶかよ!? と50年前のことを心配しても始まりません。せつなさを感じながら、先に進みたいと思います。

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