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2017年5月21日 (日)

第48回直木賞「江分利満氏の優雅な生活」の受賞作単行本部数

第48回(昭和37年/1962年・下半期)直木賞

受賞作●山口瞳『江分利満氏の優雅な生活』(文藝春秋新社刊)
初版(受賞後)7万部?

※ちなみに……

第28回(昭和27年/1952年・下半期)芥川賞

受賞作●五味康祐「喪神」収録『秘剣』(新潮社/小説文庫)
10万5,000

第32回(昭和29年/1954年・下半期)芥川賞

受賞作●小島信夫「アメリカン・スクール」収録『アメリカン・スクール』(みすず書房刊)
(受賞前)3,000部→(受賞後・新書判に)2万

第37回(昭和32年/1957年・上半期)芥川賞

受賞作●菊村到「硫黄島」収録『硫黄島』(文藝春秋新社刊)
約4万

第43回(昭和35年/1960年・上半期)芥川賞

受賞作●北杜夫「夜と霧の隅で」収録『夜と霧の隅で』(新潮社刊)
4万5,000

第44回(昭和35年/1960年・下半期)芥川賞

受賞作●三浦哲郎「忍ぶ川」収録『忍ぶ川』(新潮社刊)
3万8,000(発売約1か月で)約7万(発売約半年で)12万2,500

 直木賞・芥川賞といっても、オレたちの時代はそんなに売れなかった。……っていうのが、先人たちによくある回想テンプレです。いまでも、売れ行きの悪い受賞作というのは存在するので、どこまで時代のせいなのか、はっきりしませんが、たしかに昭和50年代よりまえは、5万部も10万部も売れた受賞作をさがすほうが、難しいです。

 戦前はちょっと比較しづらいのでおいておきます。戦後、10万部を超えた受賞作として、まず最初に名前が上がるのが第28回(昭和27年/1952年・下半期)、直木賞の立野信之『叛乱』11万5,000部でしょう。「直木賞だから」そんなに売れたのかといえば、かなり疑問符がつきますが、受賞の効果も多少はあった、と見られています。

 この回、芥川賞のほうは二作授賞。どちらも本になるまで時間がかかります。1月に決定した後、のちのベストセラー作家松本清張さんの『戦国権謀』(「或る『小倉日記』伝」収録)は10月の刊行。清張さんの研究本はゴマンとありますが、これなど、まず売れたとは聞きません。いっぽう五味康祐さんの『秘剣』(「喪神」収録)となると、さらに遅く、発売は2年以上たった昭和30年/1955年7月でした。

 しかしこれが功を奏したか(いや、偶然にも)、発売当初はともかく、しばらくしたのち軽装版ブーム&剣豪小説ブームの代表とも目されるほどに、当たってしまい、

「五月に出た「新剣豪伝」(引用者注:中山義秀・著)(新潮社小説文庫)を皮切りに、下半期はいわゆる“剣豪小説ばやり”が起り、雑誌でも毎月必ず数篇が載るという盛況となった。五味康祐「秘剣」「柳生連也斎」(新潮社小説文庫)がチャンピオンぶりを示す売れ行き(引用者後略)(『日本読書新聞』昭和33年/1958年12月12日号「複雑な“活況” 書籍界一年の動き」より)

 この記事によると、『秘剣』は10万部、『柳生連也斎』8万部、中山義秀さんの『新剣豪伝』が5万部だったそうです。『新潮社八十年図書総目録』(昭和51年/1976年10月)にも、『秘剣』は昭和30年/1955月7月発売から昭和33年/1958年4月までに10万5,000部を記録、とあって、ほとんど芥川賞とは関係ないかもしれませんが、とりあえず受賞作収録本の10万部超えをなしとげました。

 いっぽうで、オレは売れなかったよ回想の急先鋒が、以前にも紹介した安岡章太郎さん(第29回芥川賞)や吉行淳之介さん(第31回芥川賞)です。同じ時代の受賞者といってもいい小島信夫さん(第32回芥川賞)もまた、このグループのお仲間のようです。

「受賞前に三千部だけ刷っていた『アメリカン・スクール』は、受賞後、新書判で二万部ほど出したが、ほとんど返ってきて出版社がつぶれそうになった。芥川賞をもらったからといって、パッとするものではなかった」(平成8年/1996年2月・産経新聞ニュースサービス刊『戦後史開封3』所収「芥川賞・直木賞」より)

 芥川賞をもらって、パッとしない人もいるでしょう。パッとした人も、いたでしょう。当時に特有のことじゃなく、その後もずっと続いたし、いまだってそうかもしれません。……などと普通のことを言い出しても、話が進まないので、先に向かいます。

 昭和30年代、よく売れたものとして判明している受賞作を挙げていくと、芥川賞では『太陽の季節』(昭和30年/1955年下半期)22万5,000部、『硫黄島』(昭和32年/1957年上半期)4万部、『裸の王様』(昭和32年/1957年下半期)6万5,000部、『死者の奢り』(昭和33年/1958年上半期)7万部、『夜と霧の隅で』(昭和35年/1960年上半期)4万5,000部、『忍ぶ川』(昭和35年/1960年下半期)12万2,500部……といった按配。直木賞となると、ぐっと少なくなって、『花のれん』(昭和33年/1958年上半期)10万部、『落ちる』(昭和33年/1958年下半期)3万部、『雁の寺』(昭和36年/1961年上半期)9万部と、このぐらいしか、いまのところワタクシは知りません。

 こないだ引用した江崎誠致さんの文に、芥川賞受賞作は1万部刷られる、という説が載っていました。それと合わせて考えてみると、3万部いったらかなりのもので、5万部ともなれば話題のヒット作、10万部なんて、たまにしか生まれない破格のベストセラー。といった様相です。

 ところで、吉原敦子さんに『あの本にもう一度 ベストセラーとその著者たち』(平成8年/1996年7月・文藝春秋刊)という本があります。昭和22年/1947年『ノンちゃん雲に乗る』から昭和53年/1978年『日本人の脳』まで、23作の「ベストセラー」の、それぞれの著者へのインタビューをまとめたものですが、そこで取り上げられた直木賞受賞作が2つあります。佐木隆三さんの『復讐するは我にあり』と、もうひとつが山口瞳さんの『江分利満氏の優雅な生活』という、昭和30年代の作品でした。

           ○

 「ベストセラー」というからには、『江分利満氏の~』も相当売れたらしいです。吉原さんの本には「発行部数は各種単行本、文庫本等を合算したものです。一部推計を含みます。」と断り書きがあるんですが、この直木賞作は「四三万部」と書かれています。

 単行本が出た昭和38年/1963年当時、ほかの受賞作よりも売れたことはたしかなようです。何度か増刷された記録も見えますし、刊行直後に、とりあえず「ベストセラー」扱いされています。

 しかし、「四三万部」とはいっても、おそらくほとんどは新潮文庫版の売上げだろう、と推測できるわけで、単行本の段階でどれくらい売れたのか、いまいちよくわかりません。

 と思っていましたら、山口さんの奥さんの回想に、こんな表現が出てきました。

「瞳さんが初めて出した『江分利満……』は、たしか初版が七万部だったと思います。瞳さんとしてはそれが少々不満だったようです。長年編集者をしていた勘で、初版十万部はかたいと言っていました。しかし、たとえ初版七万部にしてもその印税となると、サラリーマン時代の収入とは比較にならないぐらい高額な収入になります。」(平成19年/2007年6月・小学館刊 山口治子・著、中島茂信・聞き書き『瞳さんと』より)

 えっ? まじですか。

 当時の水準から見て、たとえば初版が7,000部で、初版1万部はかたいと言っていた、と10分の1の数字なら納得できるんですけど、ナ、ナ、ナナ万部。そんなことがあり得るものでしょうか。

 絶対にあり得ない、と断定できないかぎり、ひとまず受け入れるしかありません。もしも、直木賞受賞作が初版7万部で発売されたのなら、明らかにそれまでの直木賞史上、ダントツの大部数です。これまでの出版史料のデータがすべてひっくり返るかもしれません(……って、そんな大げさなことでもないか)。

 人の思い出や記憶は、大切なものです。しかし、それに頼り切らなければ、受賞作の部数ひとつわからない、昭和30年代当時の直木賞というのも、なかなかツラいものがあります。

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