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2017年4月の5件の記事

2017年4月30日 (日)

第61回直木賞『戦いすんで日が暮れて』の受賞作単行本部数

第61回(昭和44年/1969年・上半期)直木賞

受賞作●佐藤愛子『戦いすんで日が暮れて』(講談社刊)
3万部弱(受賞後2か月で)→?

※ちなみに……

第61回(昭和44年/1969年・上半期)芥川賞

受賞作●庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(中央公論社刊)
30万(受賞後半年で)45万(受賞後1年で)64万(受賞後2年で)90万

 直木賞の、文学賞としての面白さは、数えきれないほどにあります。「昔と比べてモノが言えること」なんかも、そのひとつでしょう。

 「昔はよかった、でも今では……」とか、「昔は話題にもならなかった、でも今では……」とか。昔のことを引き合いに出したくなる欲求が人間に備わっていることは、私も実体験としてよくわかります。なにしろ、こういう場面では、とくに正確さは求められません。それっぽければ、「何かいいこと言った」感に包まれ、満足できてしまいます。こんなに面白いことはないし、直木賞のまわりには、こういうものが大量に渦巻いています。ハッピー・スポットです。

 ……といって、いまから紹介するハナシが芥川賞のこと、というのがまた、直木賞の悲しいところなんですが、芥川賞も、昔と比べて言及されることの多い代表選手です。とくに部数に関しては、芥川賞のほうこそ、ポツリポツリと文献に残されてきました。

 江崎誠致さんは、もと小山書店に勤務していた経緯もあり、「小説芥川賞」(『別冊文藝春秋』50号[昭和34年/1959年12月])のなかで、火野葦平さんの『糞尿譚』の部数を記しています。

「今から考えれば嘘のような話であるが、その火野葦平の「糞尿譚」が初版はわずか三千部である。しかもはじめは返品さえあった。まもなく従軍中に書かれた名著「麦と兵隊」が改造社から出版され、空前の売行きを見せてから、「糞尿譚」も何度か版を重ねた。といっても、たしか四版までだったと記憶している。

(引用者中略)

「太陽の季節」は別としても、今日芥川賞になりさえすれば、どんな地味なものでも一万部は下らないという。芥川賞に対する一般の関心が高まったことが、こんなところにもはっきりあらわれている。」(『別冊文藝春秋』50号[昭和34年/1959年12月]「小説芥川賞」より ―下線・太字の強調は引用者によるもの)

 これが、昭和34年/1959年上半期……第41回ごろの、江崎さんの観測です。第41回の芥川賞は斯波四郎さんの「山塔」で、文藝春秋新社が単行本にしましたが、まさに「地味」そのものと言っていい受賞作で、おそらくこれも初版1万部ぐらいは刷られたんじゃないかと思います。

 それから約10年後。今度は、夏堀正元さんが芥川賞の歴史を書かされる羽目になりまして、たぶん江崎さんの文章も参考にしたことでしょう。こんなふうに記録しました。

「この型破りの評判作「糞尿譚」も、初版はわずかに三千部だったということだ。そのうち、従軍中に火野が書いた「麦と兵隊」が改造社から出版されて、空前のベストセラーになってから、それにひきずられるようにして「糞尿譚」も売れたが、四版をかさねたにすぎなかった。その点、芥川賞作品は二万部はかたいといわれる現在とは、比較にならない。」(『文藝春秋臨時増刊 明治・大正・昭和 日本の作家100人』[昭和46年/1971年12月]「ドキュメント芥川賞」より ―下線・太字の強調は引用者によるもの)

 江崎さんのころより増えて、2万部になっています。

 昭和45年/1970年下半期……ちょうど前週のエントリーで触れた古井由吉さん(第64回)や古山高麗雄・吉田知子(第63回)ごろのハナシです。そこから40年~50年たって、いまでは芥川賞受賞作の初版が5万部平均になったのは、増えたといえるのかどうなのか、よくわかりませんが、江崎さんや夏堀さんには、直木賞作品の部数状況も書き残しておいてほしかったなあ、と心から悔やまれます。

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2017年4月23日 (日)

第63回直木賞『軍旗はためく下に』の受賞作単行本部数

第63回(昭和45年/1970年・上半期)直木賞

受賞作●結城昌治『軍旗はためく下に』(中央公論社刊)
5万(受賞後2か月で)→?

※ちなみに……

第62回(昭和44年/1969年・下半期)芥川賞

受賞作●清岡卓行「アカシヤの大連」収録『アカシヤの大連』(講談社刊)
17万5,000

第64回(昭和45年/1970年・下半期)芥川賞

受賞作●古井由吉「杳子」収録『杳子・妻隠』(河出書房新社刊)
21万

第66回(昭和46年/1971年・下半期)芥川賞

受賞作●東峰夫「オキナワの少年」収録『オキナワの少年』(文藝春秋刊)
約7万

 なかなか部数にまつわるネタもなくなってきました。今日は、昭和40年代後半ごろ、1970年前後の受賞作を、サラッとさらってみたいと思います。

 いまからだいたい50年ぐらい前に当たりますが、このあたりはもう、荒涼・閑散としていると言いますか、部数の不明な受賞作ばかりです。

 ベストセラー作家として(も)知られるようになった渡辺淳一さんは、そのころ(第63回 昭和45年/1970年・上半期)の受賞者です。本が売れ出したのは直木賞をとってしばらくしてからなのかと思っていましたが、意外にすぐに売れっ子になったらしく、直木賞をとった昭和45年/1970年には、早くもベストセラーリストに名前が挙がっています。

 しかし、売れたのは受賞前から準備していたという書き下ろし『花埋み』(昭和45年/1970年8月・河出書房新社刊)。受賞作(を収録した)『光と影』(昭和45年/1970年10月・文藝春秋刊)も、さすがに売れなかったわけじゃないと思いますが、どの程度の好調ぶりだったのかはわかりません。

 『出版年鑑』に書かれた『花埋み』についての解説を見ますと、

直木賞受賞作品の出版である。9月期からベストメンバーとなり、下半期から'71年はじめにかけて好調な成績である。芥川賞とともに直木賞もまた受賞によって作品の価値を一挙に高め、その出版は売れるというところにも権威があるようだ。」(昭和46年/1971年5月・出版ニュース社刊『出版年鑑1971年版』より ―下線太字は引用者によるもの)

 と、かなりのウソッパチが書いてあって、ついズッコケてしまいますけど、このぐらいのゆるい見方が、直木賞には合っているのかもしれません。「直木賞をとったその小説じゃなきゃ、絶対買いたくない」という感覚のほうがズレている、と言われれば、そうかもなあと思ってしまいます。

 ところで「芥川賞ととも直木賞もまた」という表現が出てきました。このころは、売れる文学賞といえば筆頭は芥川賞、みたいなイメージがあったことは、どうやら言わずもがなで、この年も清岡卓行さんの『アカシヤの大連』がよく売れたそうです。おそらく年内だけでも10万部近くは記録したんじゃないかと推定され、最終的に17万5,000部まで行ったと伝えられています。

 じっさい、直木賞の渡辺さんは、『出版年鑑』と同じところが発行している『出版ニュース』のほうでも、芥川賞の清岡さんとセットでのくくり。

「相変らず芥川、直木受賞作品は売れる。『アカシヤの大連』『花埋み』がそれである。」(『出版ニュース』昭和46年/1971年1月中・下旬号「1970年度全国ベスト・セラーズ調査」より)

 ううむ、ここで(おそらく)誰もツッコまなかったところが、直木賞のもつフトコロの深さ、もしくはゆるい部分なのかもしれません。『光と影』の細かい数字は、残念ながら不明です。

 何だかんだで芥川賞作品はよく売れる。というのは、昭和43年/1968年の『三匹の蟹』、昭和44年/1969年『赤頭巾ちゃん気をつけて』、昭和45年/1970年『アカシヤの大連』ときての、昭和46年/1971年『杳子・妻隠』。……と、ここらあたりの良好なセールスが培った風評だと思われます。しかし、やはりすべてがそんなに売れたわけじゃありません。

 ベストセラーに対する「売れなかったほう受賞作」もいくつもあり、そのことをずっと持ちネタにしているのが、おそらく吉田知子さんです。

 「持ちネタ」というほど、たくさん披露されているわけじゃありませんでしたね、すみません。ほんとうに吉田さんの本は売れたことがないのだと思いますけど、第63回(昭和45年/1970年・上半期)の『無明長夜』(新潮社刊)は、史上二番目に売れなかった芥川賞受賞作だと編集者から聞かされた、とのことです。

 さすがに戦前には、何千(もしくは何百)といった単位の受賞作はあったはずですし、よほどの少部数でないかぎり史上二番目に食い込むのは難しいと思いますが、ひょっとしてすべての受賞作の部数を調べあげた編集者が、吉田さんのまわりに、いなかったともかぎりません。そういった調査結果が、内輪のおしゃべりに使われるだけでなく、少しでも公になることを、ただ願うばかりです。

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2017年4月16日 (日)

第130回直木賞『号泣する準備はできていた』『後巷説百物語』の受賞作単行本部数

第130回(平成15年/2003年・下半期)直木賞

受賞作●江國香織『号泣する準備はできていた』(新潮社刊)
初版5万部→受賞後+10万部→32万
受賞作●京極夏彦『後巷説百物語』(角川書店刊)
初版7万~10万部→14万

※ちなみに……

第130回(平成15年/2003年・下半期)芥川賞

受賞作●金原ひとみ『蛇にピアス』(集英社刊)
初版7,000部→受賞後+5万部→53万1,500
受賞作●綿矢りさ『蹴りたい背中』(河出書房新社刊)
受賞前10万部以上→35万(受賞後半月で)127万

第1回(平成16年/2004年度)本屋大賞

受賞作●小川洋子『博士の愛した数式』(新潮社刊)
初版1万部→受賞前約10万部→35万(受賞後約8か月で)50万

 先日は、直木賞をしのぐ一年の一度のお祭りがありました。なので今年も、直木賞をしのぐ(……って何かくどい)本屋大賞のネタで、一週分、埋めたいと思います。

 本屋大賞がはじまったのは平成16年/2004年です。奇しくもこの年、直木賞は、けっこうな中堅どころが取りましたねよかったですね、っていういつもどおりの「お茶濁し」的な授賞だったので、世間一般にとくに波風は立たなかったんですが、芥川賞のほうが大変な賑わいとなり、受賞作の売り上げが大爆発した年に当たります。

 とくにブレイクしたのが、金原ひとみさんの『蛇のピアス』『蛇にピアス』でした。

 「すばる文学賞受賞作」という、売れそうなのかどうなのか、よくわからない話題性を加味しての初版7,000部。というスタートだったものが、芥川賞を受賞して注文が殺到。集英社の担当者も「あれっ、芥川賞作品ってどのくらい刷ればいいんだっけ」と相当戸惑ったと思うんですけど、すぐに5万部を増刷し、約1か月の2月中旬には計35万部、3月中旬に50万部突破。と急激な伸びをみせます。

 で、もうひとりの受賞者、綿矢りささんほうですが、すでに平成13年/2001年から翌年にかけて、デビュー作の文藝賞受賞作『インストール』(平成13年/2001年11月刊)がいきなり売れてしまい、直木賞の『あかね空』『肩ごしの恋人』と並んで、20万部を突破してしまった、という立派なベストセラー作家。2作目の『蹴りたい背中』もまた、発売直後から、新人の文芸書としては異例なほどに好調な売り上げをみせ、受賞するまでに10万部を軽く超えていた、とも言います。

 ここから芥川賞を経て増刷が加速し、1月中には35万部、2月中には倍増の78万8,000部、3月中旬に100万部を突破して、「『限りなく~』以来の快挙だ!」と、芥川賞売れ行きマニアたちを喜ばせ、5月中旬までに112万部弱、7月中旬までに126万部、そして最終的に現在伝えられている単行本での売り上げ127万部、というところまで行きました。明らかに「人は見た目がナントヤラ」っていう感じでしょうが、文学賞は売れるぞ伝説にまたひとつ新たな薪をくべた尊い現象だったと思います。

 いつまでも芥川賞のハナシをしていても仕方ないので、直木賞に移りたいんですけど、この年の4月、本を売るために始まった本屋大賞が、話題をかっさらっていきました。

「『数式』(引用者注:『博士の愛した数式』)は昨年中に読売文学賞を、今年になって「全国書店員が選んだいちばん! 売りたい本 本屋大賞」(通称、本屋大賞)を受賞し、直後に増刷を重ねるなど賞の影響も少なくない。とりわけ本屋大賞は、現場の書店員たちが選ぶ賞というだけあって、多くの書店には印刷物ではない手書きのPOP(書棚広告)が飾られ、「何を読んだらよいか分からない」層の心を温かく揺さぶった。『ブラフマン』(引用者注:『ブラフマンの埋葬』)もあやかるべく本来のオビ(腰巻き)に「祝!本屋大賞」のオビを重ね、異例の二枚オビにしたくらいだ。」(『産経新聞』平成16年/2004年6月28日「ベストセラーを斬る 『博士の愛した数式』『ブラフマンの埋葬』」より ―署名:稲垣真澄)

 平成13年/2001年8月に発売された、芥川賞受賞者・小川洋子さんの『博士の愛した数式』は初版1万部からスタートしたそうです。じわじわと部数を増やしていき、明けて1月に本屋大賞ノミネート10作に入ってから、本を売るために働いている書店員たちがまたせっせと売ってくれたおかげで、4月までに約10万部。

 そして、本屋大賞を受賞してから、一段二段とギアが入って、4月下旬までに14万2,000部、5月下旬までに17万9,000部、6月に24万部、7月に29万部、8月に32万部と増やし、年内には35万部まで達した、と言われています。

 この成績をみて本屋大賞の力を確信した書店員や出版社の人たちが、さらに本を売るために準備したうえで第2回にのぞむようになって、歴史を重ねていき……というその出発点に、『博士の愛した数式』というそこそこ売れていた本が選ばれたことが、結果として本屋大賞の繁栄につながったのですから、本屋さんたちの投票も馬鹿にはできません。

 ここで馬鹿にできないことがもうひとつあります。直木賞の存在です。

 今年の本屋大賞が決まって以来の、関連ニュースを見るにつけ、ほんとみんな直木賞のことを語るのが好きなんだなー、と同好の人間としてニヤニヤしちゃいますが、浜本茂さんの「打倒・直木賞!」の大ギャグはさておいても、とにかく平成14年/2002年に始まった段階から、直木賞以上だ、直木賞を超えている、とさんざん言われたのが、本屋大賞です。

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2017年4月 9日 (日)

第67回直木賞『斬(ざん)』の受賞作単行本(だいたいの)部数

第67回(昭和47年/1972年・上半期)直木賞

受賞作●綱淵謙錠『斬(ざん)』(河出書房新社刊)
13万部前後→?

 直木賞も芥川賞も、とりあえずは「なんちゃって新人賞」ですので、これをとった人が、のちに数々のベストセラーを生み出していくかどうかが、販売面ではメインの題目です。受賞作そのものが売れるかどうかは、長らく、さしたる注目点じゃありませんでした。

 この様相を一変させたのが、昭和51年/1976年の『限りなく透明に近いブルー』だった。ってわけですけど、注目点じゃなかったとはいえ、じゃあそれ以前は、どのくらいの販売力があったのかは、やはり興味があります

 昭和50年代前半より以前については、歴代の芥川賞受賞作が何部(何万部)売り上げてきたのか、系統的に調査された形跡はなく、実態がほとんどわかりません。言わずもがなですけど、直木賞の記録なんか、さらに乏しくて、どうにも悲しみが抑えきれません。

 で、その空隙を多少は埋めてくれるのが、東販・日販の年間(または上半期)ベストセラー一覧、かなあと思います。

 歴史の古い出版ニュース社のベストセラー一覧に比べて、なにしろ、取次のそれは、格段に部数の多寡が反映されている、と言われているらしく、たとえばフィクション部門のおよそトップ20を並べたリストのなかから、「Aは、Bよりも上だが、Cよりは下」という感じで、Aの部数が不明でも、BとCがわかれば、だいたいの水準はつかめる仕組みになっています(だいたい、しかわかりませんけど)。

 そこで昭和51年/1976年のベストセラー、佐木隆三『復讐するは我にあり』(上)(下)(第74回受賞)からさかのぼってみますと、まずこのリストに登場するのが、一年前の第72回受賞、半村良さんの『雨やどり 新宿馬鹿物語一』(「雨やどり」所収)となります。

 半村さんの場合、その前後から半村さん自身が「売れっ子作家」扱いされていました。

「いま森村誠一、半村良氏は増刷をふくめて二十万部は下らず、西村寿行氏も平均十五万部というシュアなバッティングを誇る。」(『サンデー毎日』昭和53年/1978年3月19日号「森村誠一・半村良・西村寿行 人呼んで文壇三村時代」より)

 なんちゅう記事も見えるくらいですので、10万部、20万部の作品もざらにあったことでしょう。そういうのに埋没して、じゃあ『雨やどり』がどのくらい売れたのかは、よくわかりません。

 いまのところ手もとにリストのあるのが日販調べのフィクション部門ベストセラー、なので、それをもとに眺めてみます。

 『雨やどり』は、昭和50年/1975年上半期の12位にランクインしました(年間ではトップ20圏外)。前後の作品を挙げると、7位・清水一行『動脈列島』、8位・フォーサイス『戦争の犬たち』、9位・小峰元『ソクラテス最期の弁明』、10位・渡辺淳一『野わけ』、11位・五木寛之『青春の門』(全6冊)、13位・曾野綾子『いま日は海に』、14位・アダムス『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』、15位・斎藤栄『徒然草殺人事件』、16位・吉野せい『洟をたらした神』、17位・古井由吉『櫛の火』……だそうです。

 このあたりの部数について、わかる方がいれば教えてほしいなあ、と思うんですが、7位の『動脈列島』(前年昭和49年/1974年12月刊)はカッパ軍団の一冊でもあり、また好調に売り上げたことから、新聞広告に部数表記が見えます。3月7日付で「11万部」、9月5日付で「16万部突破」とのことです(ともに『読売新聞』)。

 広告宣伝の水増し分や、まだ上半期だけの成績であること、15位に付けている同じカッパの『徒然草殺人事件』が、広告上では部数で煽ったりされていないこと、などなど勘案して、『雨やどり』はこのときで5万部~7万部、最終的に10万部まで行ったかどうかは、微妙な線だと思います。

 となれば、同時に受賞した井出孫六さん『アトラス伝説』とか、芥川賞のほうの2作、阪田寛夫さん『土の器』、日野啓三さん『あの夕陽』がどのくらいの部数に達したか、闇のなかに埋められて当然でしょう。ざっくりとした想像で、初版が3,000~5,000部、受賞したことで2万~3万部、という感じだったんじゃないか、……とこれは、その一回前の藤本義一さん『鬼の詩』(初版が5,000部、1か月で3万部も売れたという本人の証言)などを見ての、あくまで想像でしかなく、けっきょくは闇のなかです。

 さらに前の受賞作はと、日販ベストセラー(フィクション部門)をたどっていくと、芥川賞受賞作がポツリポツリと目につきます。

 昭和49年/1974年の年間13位・森敦『月山』(周辺の順位のものを3つずつ挙げると、10位・渡辺淳一『氷紋』、11位・松本清張『告訴せず』、12位・小峰元『ピタゴラス豆畑に死す』、14位・新田次郎『アラスカ物語』、15位・城山三郎『落日燃ゆ』、16位・森村誠一『悪夢の設計者』)。

 昭和48年/1973年の上半期で10位・郷静子『れくいえむ』、13位・山本道子『ベティさんの庭』(ともに年間では20位圏外。上半期の他のランクイン作品は、7位・『司馬遼太郎全集 国盗り物語』(上)(下)、8位・角川書店刊『日本の民話』(第一回配本)、9位・山崎豊子『華麗なる一族』(上)(中)(下)、11位・大藪春彦『獣たちの墓標』、12位・水上勉『風を見た人』(上)(中)(下)、14位・日本テレビ放送網刊『冬物語』、15位・三浦綾子『残像』、16位・古山高麗雄『小さな市街図』)。

 なあんだ、直木賞の受賞作は、もうこれ以前は出てこないのか、と失望していたところ、昭和47年/1972年のベストセラーに意外な(?)やつが出てきます。

 綱淵謙錠さんの『斬(ざん)』です。

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2017年4月 2日 (日)

第120回直木賞『理由』、第121回『柔らかな頬』『王妃の離婚』の受賞作単行本部数

第120回(平成10年/1998年・下半期)直木賞

受賞作●宮部みゆき『理由』(朝日新聞社刊)
22万5,000(受賞前まで)35万(受賞直後)45万(受賞約半年で)→?

第121回(平成11年/1999年・上半期)直木賞

受賞作●桐野夏生『柔らかな頬』(講談社刊)
18万(受賞半月で)39万
受賞作●佐藤賢一『王妃の離婚』(集英社刊)
11万2,000(受賞半月で)18万2,000部部→?

※ちなみに……

第120回(平成10年/1998年・下半期)芥川賞

受賞作●平野啓一郎『日蝕』(新潮社刊)
35万(受賞約1か月で)43万部?

 昭和51年/1976年に起きた『限りなく透明に近いブルー』ショック。売れるといってもたかが知れていた芥川賞の受賞作が、一挙に売れまくった現象として多くの人の記憶に刻まれた出来事です。

 じっさい、売り上げ部数の記録の世界でも、『限りなく~』以前か・以後か、がひとつの分岐点になっています。

 言い換えると、これ以前は、歴代の芥川賞受賞作が何部(何万部)売り上げてきたのか、系統的に調査された形跡がなく、実態がほとんどわかりません。当然、言わずもがなですけど、直木賞の記録はさらに乏しいです。

 ともかく昭和51年/1976年と昭和52年/1977年は、直木賞と芥川賞の受賞作が、1年程度のあいだに軒並み20万部ラインを突破してしまう、というそれ以前にはなかった盛り上がりをみせた2年間だったんですが、その後を見ていっても、1作や2作売れない受賞作が含まれているのがふつうで、受賞作すべてが好調だった期間は、なかなか見当たりません。

 「直木賞・芥川賞といえども話題性がなければ売れない」っていう格言(?)は、何か特定の時代性に依存したものじゃなく、いつだってそうです。まあ、当たり前のことを確認して、年表をたどっていきますと、次に受賞作が全作いい売れ行きを見せた時代は、村上龍さん以来の現役学生の受賞……をきっかけとした、平成11年/1999年の、第120回(平成10年/1998年・下半期)第121回(平成11年/1999年・上半期)かもしれません。

(そんなはずはない! という意見もあるでしょう、ぜひデータをもとにした反論を待っています)

 第119回の大衆文学←→純文学の文芸ビックバンが、騒ぎだけは威勢がよくてそれが売り上げには結びつかなかった。と以前、触れました。しかし、その興奮が残っていたおかげか、いちおう次の第120回は、話題性抜群の芥川賞受賞者が出たおかげで、売り上げへと跳ね返った様子です。

 茶髪にピアスの現役京大生、平野啓一郎さんの『日蝕』が、とにかく煽りに煽られて、調子にのった新潮社が、受賞から半月足らずで約17万部を増刷。そこから続伸して2月の段階で早くも35万部を超えたと言われましたが、残念ながら伸びを欠き、上半期のうちに40万部(平成12年/2000年4月の『出版指標・年報2000年版』では35万部のまま)。3年後の『スポーツ報知』では、

「99年の受賞作で、当時、現役京大生だった平野啓一郎の「日蝕」は43万部のベストセラーに。他の受賞者も受賞前に比べ「本の売り上げが1けた伸びる」(同(引用者注:純文学)関係者)とされる。」(『スポーツ報知』平成15年/2003年8月10日「文学賞からみる本の選び方」より ―署名:勝田成紀)

 と、昭和51年/1976年に起きた伝説の『限りなく~』130万部超えには、遠く及びませんでした。ただ、30万だか40万だかというのは、芥川賞にとっては相当売れた部類に入り、これはこれで、インパクトがあったというしかありません。

 いっぽうこの回の直木賞のほうも、単行本では『日蝕』と同じくらいの部数を叩き出します。この辺が、20数年前との違いかもしれません。

 宮部みゆきさんの『理由』は、平成10年/1998年6月に発行され、翌年の1月に直木賞受賞。のちに朝日文庫に入り、また新潮文庫になって相当部数を増やしたようで、単行本としてどのくらいまで行っていたのか、確実なことはわかりませんが、平成11年/1999年7月の段階で、『朝日新聞』が45万部だと紹介しています(平成11年/1999年7月10日「一からわかる芥川賞・直木賞」)。

 ほぼ『日蝕』と同格のヒット、という感じですけど、これを直木賞の力と見るのは、ちょっと躊躇してしまいます。

 というのも『理由』は、直木賞をとる前にすでにベストセラーになっていて、平成11年/1999年4月刊行の『出版指標・年報1999年版』が、受賞前の数字として挙げたのが「累計22.5万部」。直木賞受賞作でもそうは叩き出せないレベルの部数です。

 こんな売れ筋商品を、2倍にしか伸ばせなかったのが、直木賞のもつインパクト力の限界か。……という感じですけど、20万部も売れている作品に賞を与えるなんて、70年代の直木賞では考えられないことですから、そこにもまた、時代の変化が現われているんだろうな、と思います。

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