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2017年3月19日 (日)

第78回芥川賞「螢川」「榧の木祭り」、第79回「九月の空」の受賞作単行本部数

第78回(昭和52年/1977年・下半期)芥川賞

受賞作●宮本輝「螢川」収録『螢川』(筑摩書房刊)
初版(受賞後)10万部→23万4,500
受賞作●高城修三「榧の木祭り」収録『榧の木祭り』(新潮社刊)
6万(受賞1か月で)8万

第79回(昭和53年/1978年・上半期)芥川賞

受賞作●高橋三千綱「九月の空」収録『九月の空』(河出書房新社刊)
24万

 昭和50年代と今とで、おそらく文芸出版もいろいろ変わりました。変わらないことがあるとしたら、文芸書に対する悲観論が、わんさか書かれている、ってことかもしれません。

 直木賞(と芥川賞)と出版概況、みたいな文章ばかり見ていると、とにかくまず「最近の文芸は不振だ!」という認識(思い込み?)が前提になっています。うんざりします。

 ということで、不振だ不振だ言われていた昭和50年代ですけど、前週からのつづきで、時間を巻き戻していきます。第80回(昭和53年/1978年・下半期)、直木賞は2作の受賞作が出ましたが、芥川賞はなし、です。

 そのうち、宮尾登美子さん『一絃の琴』が最終的に32万部と、それまでの直木賞の水準から考えれば大ベストセラーとなったことは、以前に取り上げました。同時に受賞した有明夏夫さんの『大浪花諸人往来』のほうは、角川書店のイメージに似合わず(?)衝撃度のうすい小説だったので、売り上げ面では、ほぼ話題にならず。部数はよくわかりません。

 では、ほかの文芸書を含めて、この頃の一般的な部数水準はどのくらいと見られていたのか。ということだけでも確認しておこうと、『朝日新聞』学芸部のじゃじゃ馬こと、百目鬼恭三郎さんの見解を引いておきたいと思います。

「普通でしたら、本というのは三万部も出れば上出来だというのが以前までの常識です。十万以上となれば、みんなが読んでいるからとか、評判だからという要素がほとんどではないでしょうか。」(『日販通信』昭和53年/1978年1月号 昭和52年/1977年出版回顧の座談会より)

 それと、それよりちょっとあとの文献ですが、『週刊読書人』の植田康夫さんによる概説も、ついでに。

(引用者注:ノンフィクションの)刺激剤として大きな役割を果たしたのは、昭和四十五年に設定された大宅壮一ノンフィクション賞である。この賞は、芥川・直木賞が以前と比べて、本の売れ行きという点では力を弱めているのに対し、大きな力を持ってきている。」(昭和57年/1982年9月・東京書店刊 植田康夫・著『出版界コンフィデンシャルPARTI』「第II章 現代出版の諸相 [1]ベストセラー&ロングセラー」より)

 これが昭和55年/1980年(第82回~第83回ごろ)に書かれた文章です。「芥川・直木賞が以前と比べて、本の売れ行きという点では力を弱めている」という、もう現在のわれわれにとってはおなじみの、とにかく感覚値オンリーによる直木賞・芥川賞観が、すでに堂々と開陳されていて、つい微笑みを誘います。

 「以前」というのがいつの時代を指しているのかを明確にしない、……っつうところも、またおなじみのアレすぎてアレなんですけど、ほんとうに両賞(とくに直木賞)が、売れ行きの点で力を弱めていたとは、とうてい考えられません。

 全史を見渡したとき、昭和55年/1980年より「以前」に、これらの賞の受賞作の売り上げが、おしなべて好調だったピークは、どう見たって、昭和51年/1976年~昭和53年/1978年にありました。

 さすがに、それから1~2年しかたっていない段階で、「以前と比べて力を弱めている」と言うのは、大げさ以外の何モノでもありません。また、じっさい、その後に受賞作の部数が落ち込んだかというと、そんな気配もないんですよね。直&芥が大っキライで、これらを馬鹿にしたい人たちにとっては、残念な事実でしょうが。

 要するに、昭和40年代まで、微妙に上下しながら、徐々に部数が増えてきていたのが(もちろんこれは、両賞の受賞作に特有のことではなく、文芸出版全体の動きに乗ったもの)、昭和50年代に入って、いきなりドーンと力を増して以降、そのラインがいまのいままで、ずーっと続いてきている。と見るのが、もっとも適切なんだと思います。

 昭和56年/1981年には『人間万事塞翁が丙午』『思い出トランプ』(ともに直木賞)『小さな貴婦人』(芥川賞)が大当たり、昭和55年/1980年は一年飛ばして、昭和54年/1979年は『一絃の琴』(直木賞)のヒット。そして昭和53年/1978年は、第78回と第79回、計6つある受賞作のうち、2つが「よく売れる文学賞」の波を引き継ぎました。

 それらが直木賞でないのは、つらいところなんですけど、「売れ線」の牙城を守った2つ、芥川賞の『螢川』(第78回)と『九月の空』(第79回)です。

           ○

 先に紹介した植田康夫さんは、昭和53年/1978年の文芸出版界について、こんな表現もしていました。

「女流の活躍(引用者注:有吉佐和子、山崎豊子、中沢けい、栗本薫、見延典子、永井路子、沢村貞子など)に比べ、あまりパッとしないのは男性作家の方である。純文学の方で、久しぶりの書き下ろしとして注目された安部公房『密会』(新潮社)も、書評の方では評判がよくなかったし、芥川賞受賞作品の宮本輝『螢川』(筑摩書房)、高城修三『榧の木祭り』(新潮社)も、二月にちょっとベストセラーに登場しただけで、持続的な売行きを示すには至らなかった。」(昭和57年/1982年9月・東京書店刊 植田康夫・著『出版界コンフィデンシャルPARTII』「第IV章 出版界と出版史スケッチ [3]出版現在史77~79年」より)

 パッとするとかしないとか、印象論に走りすぎて取り上げるのも憚れるんですけど、『榧の木祭り』はともかく、歴代受賞作の「売れたほう」に属する『螢川』を、こうやって雑に扱うのは、売れ行き動向の紹介文としては、ちょっといただけません。

 『榧の木祭り』のほうは、たしかに大ベストセラーにはなりませんでした。昭和53年/1978年2月の授賞式の段階で、6万部(『新文化』昭和53年/1978年2月16号)、その後は8万部まで到達した、という情報が残っています(昭和58年/1983年12月・講談社刊 中島梓・著『ベストセラーの構造』)。

 宮本さんの『螢川』は、どうやら初版10万部、という思いきったことを筑摩書房がかましたらしいです(『新文化』昭和53年/1978年2月16号)。しかし、けっこう売れつづけて日販調べのフィクション・ベストセラーでは、上半期4位、年間で12位にふみとどまり、中島さんの『ベストセラーの構造』では、21万部だったと紹介。最終的には、23万4,500部だと発表されています(平成8年/1996年1月1日・8日合併号『AERA』)。

 また、この年、7月に決まった第79回のほうは、直木賞・芥川賞あわせて4作授賞の、豪華(?)勢ぞろい。『出版指標年報1979年版』では、いずれも「動きが良かった」とされています。しかし悲しいことに、直木賞の津本陽『深重の海』や色川武大『離婚』が、どの程度売り上げたのかはわかりません。

 ちなみに、芥川賞の高橋揆一郎『伸予』も、部数は不明なんですが、文藝春秋が発表している、この年の自社ベストセラーベスト5には、『伸予』は4番目に記載されているので、まあ部数では『離婚』のほうが負けたものと推定できます。(この年の文春ベスト5は、永井路子『つわものの賦』、五木寛之『日ノ影村の一族』、松本清張『空の城』、高橋揆一郎『伸予』、桐島洋子『マザー・グースと三匹の子豚たち』)

 4作中、唯一正真正銘のベストセラーとして気を吐いたのが、高橋三千綱さんの『九月の空』です。この年の売れ行きとしては、『螢川』とほぼ同程度の線まで追いつき、20万部を突破。「売れる芥川賞受賞作」を出すことで知られている河出書房新社の面目躍如、といったところで、24万部の部数を記録しました。

 直木賞が売れなかったり、該当作なしのときには、きっちり芥川賞のほうがカバーしてくれる、何とも頼もしい兄貴をもって、直木賞は幸せモンですね。「賞の力は弱まってきた」なんちゅう、周囲からのお決まりフレーズを受け流し、直木賞・芥川賞なら当然売れる、というイメージはこうして保持されていきました。

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