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2017年2月の4件の記事

2017年2月26日 (日)

第84回直木賞『元首の謀叛』の受賞作単行本部数

第84回(昭和55年/1980年・下半期)直木賞

受賞作●中村正䡄『元首の謀叛』(文藝春秋刊)
受賞後9万部→15万部前後?

 第85回(昭和56年/1981年・上半期)、青島幸男さんの例が、芸能人・タレントによる文学賞受賞の象徴的事件だった、っていうのは疑いないと思います。

 当然、これは突然起きたことじゃなくて、前ふりというか、前史があるわけですけど、大きな流れをひとつ言うなら、「文学専門じゃない人たちが、文学の世界に入り込んできた!」みたいな、いかにもマスコミ人種の好みそうな解釈が、1970年代には、流行っていました。「芸能人による文学賞受賞」もその一種、と見ていいんでしょう。

 第84回(昭和55年/1980年・下半期)は、直木賞と芥川賞で受賞者がひとりずつ。ともに、作家専業でもなければ、ずっと文学をやってきた人でもありません。

 ……ってことで、「文学賞をとるのは、そこに人生を賭けて生きてきたような、怨念まみれの暗いブンガク青年」といった、その当時ですら「いったい何十年前のイメージだよ!」とわんさかツッコみが入っていたであろうステレオタイプな感覚が、まだ生きていて、

(引用者注:授賞パーティーでは)「作家いちずに刻苦勉励の時代はもう終わった」との声も会場には流れていた。」(『読売新聞』昭和56年/1981年2月16日夕刊「第八十四回芥川、直木賞 家族連れ、にぎやかな贈呈式」より)

 という微笑ましい(?)記事が、堂々と発表されていた、そんな時代です。

 直木賞のほうは、日本航空調達部長の中村正䡄さん。文学的経歴は大学時代の同人誌活動ぐらいまでしかなく、以降はそれとは無縁の社会生活を送り、ほんのひまつぶしに書いた長篇小説が、運よくコネをたどって文春から刊行されると、無名の新人の小説としては、かなり評判がよくて増刷をかさね、直木賞を受賞するまでに、すでに5刷か6刷か、そのあたりまで行っていたらしいです。

 具体的な部数については、言及している文献があんまりないんですが、『出版月報』昭和56年/1981年2月号に、こうありました。

「直木賞の「元首の謀叛」も受賞後9万部発行され この賞では最近にない良い売れ行きです。」(『出版月報』昭和56年/1981年2月号「出版傾向Q&A」より)

 「良い売れ行き」だったことで知られている宮尾登美子『一絃の琴』が第80回、ちょうど2年前です。第83回の向田邦子さんの『思い出トランプ』は、受賞時に単行本になってなかったので除くとして、この間の受賞作が、そこまで良い売れ行きでなかったことがわかります。

 それはそれとしても、『元首の謀叛』は、昭和56年/1981年年間ベストセラーのフィクション部門で、東販調べ15位、日販調べ17位。とけっこうな健闘をみせました。

 決してベストセラー作家、売れっ子作家にならず、それどころか職業作家にもなり切らなかった中村さんの、おそらく唯一のベストセラー、という大変正統派な直木賞受賞作となったわけですが、最終的に年間売れ行きランキングでは、吉行理恵『小さな貴婦人』の後塵を拝しているところから見て、部数は12、13万部~15万部ぐらいだっただろうと、推測します。

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2017年2月19日 (日)

第85回直木賞『人間万事塞翁が丙午』の受賞作単行本部数

第85回(昭和56年/1981年・上半期)直木賞

受賞作●青島幸男『人間万事塞翁が丙午』(新潮社刊)
受賞前1万7,000部→103万2,000(受賞約半年で)117万

※ちなみに……

第85回(昭和56年/1981年・上半期)芥川賞

受賞作●吉行理恵「小さな貴婦人」収録『小さな貴婦人』(新潮社刊)
22万2,000

 テレビから映画から歌の作詞から、活躍のフィールドは幅広く、とにかくあまりに有名人すぎて、軽く国会議員にまでなってしまった、いわば平成27年/2015年夏当時の又吉直樹とは比べもんにならないぐらいの人気を誇っていた芸能人が、はじめて小説を発表、それがいきなり直木賞受賞だぜ! ……というのに、けっきょく100万部程度しか売れなかった、悲しき受賞作、『人間万事塞翁が丙午』です。

 と、こういうことを言うと、またオカシなことほざいてやがる、と引かれるんでしょうが、でも、あれほど知名度のある人が、これほど知名度のある直木賞をとった、と考えれば、あと2倍は売れていても不思議じゃありません。

 今週もどうせ言いたくなるはずなので、先に言っておきます。やはりここは、直木賞というものが持つ悲しさに、胸が痛くなります。

 100万部を突破すれば、そりゃあ、まわりが盛り上がるのは道理でしょう。これが芥川賞なら、確実に「時代を画した」「賞の歴史を動かした」と絶叫する人が現われ、歴代の売上げでは何位だの、何年ぶりに記録を更新しただの、芥川賞と聞くだけで目をランランとさせる、そのくせ自分が芥川賞偏愛者であることに無自覚な人びとが、懲りもせず、熱ーく後世まで語り継いでいきます。

 それに比べて直木賞は……、と愚痴しか出てきませんから、ここらでやめておきますけど、とにかく直木賞の受賞作が単行本で100万部を超える、なんて前代未聞の大事件。その後、浅田次郎さんの『鉄道員』に抜かれるまで、ただ一作のミリオン達成作品、だったんですが、いったい『人間万事~』が直木賞の歴史を変えるような受賞だと伝承されているか、といえば疑問です。

 青島幸男さんのことは、何度かうちのブログでも取り上げてしまったので、新しいハナシをするつもりもありません。やはり、「芸能人が小説を書き、それに文学賞を与えて、たくさん本が売れる」、それが成功した事例、として知られています。

 ワタクシも、青島さんへの授賞が直木賞の歴史とか日本の小説界を変えた! とはまったく思いませんけど、しかし、ここには明らかに、当時の直木賞らしさが見えています。うん、これこそが直木賞だよね、と思わせるものが、この特異なはずの授賞にも、はっきり現われています。

 たとえば芸能人の小説、のなかには、〈芸能人の小説〉ということが読者の購買意欲をそそる類いのものがあります。以前、「芸能人と直木賞」のテーマで取り上げた何人かの作品は、それ系統と言っていいでしょうし、そこに「その人の露出度の高さ」とか「内容が刺激的」とか「読者の評判」とかが加わって、何万部、何十万部の売り上げにつながり、ベストセラーリストに登場するものが、(全部ではなく)一部にある。これはよくわかります。

 青島さんの『人間万事~』は、歴然たる芸能人の小説です。だけど残念ながら、それだけでベストセラーになるほどの評判作ではありませんでした。

 部数の推移を追ってみます。「四月単行本として刊行されたが、今一歩売れ行きが伸びず、直木賞決定時の七月までに再版分合わせて一万七千部だったという」(『創』昭和57年/1982年11月号 真下利夫「ベストセラー商法の道具と化した文学賞」)。しかしここから、直木賞でドカーンと売れ行きが伸び、ひと月足らずで10万部突破(『出版月報』8月号)、翌月には40万部(同9月号)、さらに翌月には倍増の80万部(同10月号)と、ベストセラー街道の波に乗ります。

 昭和56年/1981年、上半期の文芸書で圧倒的に売れた田中康夫『なんとなく、クリスタル』100万部を、年内のうちに抜いて103万2,000部(『新文化』昭和56年/1981年12月31日号)。

 翌昭和57年/1982年、まだまだ売れ行きの足がつづき、その年だけの部数でいっても19万3,000部。と、新潮社の単行本ベスト5にランクインし(『創』昭和62年/1987年10月号「新潮社VS文藝春秋 出版社の比較研究」)、受賞から約1年、その効果も落ち着いた昭和57年/1982年9月までに117万部、という記録を残しました(『新潮社一〇〇年』平成17年/2005年11月)。

 受賞前には1万部~2万部程度。何もなければそれで終わっていたような小説です(ちなみに最近でいえば、『蜜蜂と遠雷』の受賞前は7万部だったといいます)。こういうものを、賞の力で、もっと大勢の人の目の届くところに押し出してあげる。……っていうのが、だいたい直木賞が果たしてきた役割のひとつです。

 その意味では、芸能人の小説だったとしても、他の回とあまり変わるところはありませんでした。

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2017年2月12日 (日)

第86回直木賞『蒲田行進曲』『機雷』の受賞作単行本部数

第86回(昭和56年/1981年・下半期)直木賞

受賞作●つかこうへい『蒲田行進曲』(角川書店刊)
29万(受賞約1年で)→?
受賞作●光岡明『機雷』(講談社刊)
10万

 昭和57年/1982年は、1月も7月も芥川賞が該当なし。まる1年間、直木賞だけが活性化した年でした。

 いや、活性化した、と言っちゃいましたが、この年は「出版不振だ」「低迷の時代だ」と悲観の論調が跋扈していた時期にあたり、テレビに出ている人の本か、映画・テレビなどとのミックス戦略がないと売れやしない、ともさんざん言われていた時代。残念ながらその潮流に歯止めをかけたり、あるいは追い風に乗って躍進するような存在に、直木賞がなったわけではありません。

 まず、7月に決まった第87回(昭和57年/1982年・上半期)の受賞作は、深田祐介さんのぶ厚くて長い『炎熱商人』と、さらっと上品で、盛り上がりに欠ける村松友視さんの中篇「時代屋の女房」の二作品です。

 深田さんと村松さん、ともに「ベストセラー」と呼ばれる著作をお持ちの方で、もちろん受賞作そのものも、売れ行きはそこそこ行った雰囲気はあります。しかし、具体的な数字が、いまいちわかりません。

 深田祐介さんの最初の「ベストセラー」、『新西洋事情』(昭和50年/1975年)は北洋社という、なかなかのマイナーどころから出たものが、10万部は軽く超えたらしく、『新西洋~』もさることながら、大宅賞の販促パワーってすごいんだね、などとも言われました。

 その後、直木賞を経て、次にベストセラーと呼ばれることになった『スチュワーデス物語』(昭和58年/1983年)は、こちらは完全にテレビドラマのおかげ(というか、相乗効果?)で、海音寺潮五郎さんあたりがあきれ果てそうな展開ではあったんですが、やっぱり10万部超えを伝える記事があります。

「番組をヒットさせるには出版社新聞社などと提携し、相乗作用を狙えばさらに効果的なことは明らか。単行本の場合、テレビの原作となると、売れゆきが十倍単位で違ってくるから、出版社もかねてから積極的にテレビ化を働きかけたりしてはいたのだが、最近は特にそれが目立つ――。(引用者中略)典型的な成功例は「スチュワーデス物語」(TBS、59年3月終了)。(引用者中略)結果は、テレビドラマは平均20%の視聴率を稼ぎ、原作「スチュワーデス物語」(新潮社)は13万部を売った。」(『読売新聞』昭和59年/1984年8月10日夕刊「テレビToday(16) 出版とのドッキング」より ―署名:山田史生記者)

 『新西洋~』と『スチュワーデス~』に挟まれた『炎熱商人』については、まだ部数の記録を目にできていません。『文藝春秋七十年史』の「単行本の年間ベスト5」では、昭和57年/1982年ベスト5の筆頭に書かれているので、10万部以上は行ったものと思います。ただ、いわば「そこそこ」でもあります。

 村松さんのベストセラー歴のほうは、「時代屋の女房」のまえに『私、プロレスの味方です』(昭和55年/1980年)があり、あとに『アブサン物語』(平成7年/1995年)があるっていう構図です。『アブサン~』が話題のときには、

(引用者注:『アブサン物語』は)発売後およそ二か月で十万部に達し、同氏の直木賞受賞作「時代屋の女房」(八二年)以来の大ヒット作になりつつある。」(『読売新聞』平成8年/1996年2月24日夕刊「「アブサン物語」松村友視著」より)

 とも書かれました。村松さん自身が、自分は「売れない作家」だと自嘲して書いているのを信じれば、たしかに、ほかにそれほど売れた本はなさそうです。

 『時代屋の女房』は、すぐに映画化されたし、角川だし、ずいぶんと売れたものとは思います。だけど、たとえば年間ベストセラーリストなどには姿を見せません。少なくとも単行本の段階での売れ行きは、10万部から15万部に届いていればいいところ、といった様子で、立派なベストセラーではありますが、直木賞史のなかでも、当時の売れ行き良好な文芸書のなかでも、飛び抜けてどうということはない埋ずもれたベストセラーです。

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2017年2月 5日 (日)

第89回直木賞『黒パン俘虜記』の受賞作単行本部数

第89回(昭和58年/1983年・上半期)直木賞

受賞作●胡桃沢耕史『黒パン俘虜記』(文藝春秋刊)
13万9,000

※ちなみに……

第88回(昭和57年/1982年・下半期)芥川賞

受賞作●唐十郎『佐川君からの手紙』(河出書房新社刊)
23万(受賞半月で)37万
受賞作●加藤幸子「夢の壁」収録『夢の壁』(新潮社刊)
8万(受賞1か月で)→?

 もちろん直木賞は、昭和50年代も、さまざまに注目されるマトでした。

 また何週かにわたって、売上げ部数を中心にしながら、この年代の直木賞のことを追ってみます。

 とりあえずこの年代、いまと何がいちばん違っていたか。……といって、直木賞も芥川賞も、どちらも「受賞なし」の結論を出すことにさほど抵抗感が見られず、平気な顔して当たり前のように、受賞作のない回を頻発させていた、ということでしょう。

 直木賞と芥川賞は、扱う対象候補や、ベースとなるメディア領域が違いますから、「受賞なし」の連発を、一概に同じ現象として語るのはおかしいんですが、このころは、どちらの賞も「無理してまで、受賞作を出さなくていいじゃん」という認識下にあったのは、間違いありません。

 第88回(昭和57年/1982年・下半期)は、直木賞は「なし」で、芥川賞だけ受賞作が出ました。

 直木賞のほうは、新人からベテランまで候補者7人。顔ぶれから見れば、誰がとってもよさそうなメンツで、いまなら、誰かには賞をあげていそうなものです。けっきょくその後、4人には直木賞を贈ることになり、残り3人には、直木賞をあげることができませんでしたが、その3人(落合恵子さん、岩川隆さん、森瑤子さん)とも、賞とは関係なく作家の仕事をつづけていって、かなりの業績をのこしました。いわゆる「一発屋」的に候補になった人は、ひとりもいません。

 いっぽうの芥川賞は、あんまり興味がないので無視し……したいところですけど、いまは部数のことをメインに書いているので、少し我慢。いちおう触れておきます。

 何といっても唐十郎さんの『佐川君からの手紙』は、売上げ関連で、芥川賞史に名をのこすことになった一作です。唐さんの有名人性もさることながら、辛気くさい文芸モノには食指が動かない人たちにも関心を抱かせてしまう、その作品内容が注目を浴びまして、ハイスピードで版を重ねます。

 芥川賞受賞作の基準は7万部だとか言われていたところ、ほんの一ト月ぐらいで、20万部を突破。これは第85回(昭和56年/1981年・上半期)の吉行理恵『小さな貴婦人』以来、1年半ぶりのことです(……いや、芥川賞の受賞作そのものが、『小さな貴婦人』以来出ていなかったので、この表現はちょっとアレですけど)。そのあとも順調に伸ばし、最終的には37万部まで行った、と言われています(『AERA』平成8年/1996年1月1日・8日合併号「芥川賞がつまらない」より)。

 そのかげに隠れたのが、加藤幸子さん『夢の壁』です。ワタクシにはこっちのほうが面白い小説だと思うんですが、まず「ベストセラー」として取り上げられることはありません。『新文化』昭和58年/1983年2月17日号によれば、贈呈式が開かれた2月14日までの約1か月で、四刷8万部。おそらく、そこら辺で落ち着いたものと思われます。

 じっさい、芥川賞としても『夢の壁』のほうが標準的な売上げで、そりゃあ、おおむね受賞作はそのくらいのもんでしょう。むしろ、『佐川君~』みたいに、インパクトが当たって20万・30万もいってしまう受賞作のほうが稀です。これまで生まれた全164冊ある「芥川賞受賞作」の単行本のうち、30万部を超えたのは、13冊しかないんですから。売れる売れる、といってもその程度です。

 よくよく見れば、「芥川賞の歴史のなかで、受賞作の発行部数が最も好調だったのが、たぶん昭和50年代ではないか」と推測できるその時代にあっても、やはり売れなかった受賞作は、いまと同じくらい売れませんでした。そして芥川賞ってものは、まず「この賞はスゲエ存在だ」と仮定して、そのスゴくなさを、なるべく激しい罵声で攻撃・批判したほうが明らかに面白いんですが、まあそもそも、ワタクシにはそんな熱意はありません。

 30年くらいまえの、昭和50年代後半の芥川賞でも、10万部に遠く届かない受賞作は、ふつうにあったんだな。と当たり前のことだけ言って、さっさと次に行きたいと思います。

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