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2017年2月12日 (日)

第86回直木賞『蒲田行進曲』『機雷』の受賞作単行本部数

第86回(昭和56年/1981年・下半期)直木賞

受賞作●つかこうへい『蒲田行進曲』(角川書店刊)
29万(受賞約1年で)→?
受賞作●光岡明『機雷』(講談社刊)
10万

 昭和57年/1982年は、1月も7月も芥川賞が該当なし。まる1年間、直木賞だけが活性化した年でした。

 いや、活性化した、と言っちゃいましたが、この年は「出版不振だ」「低迷の時代だ」と悲観の論調が跋扈していた時期にあたり、テレビに出ている人の本か、映画・テレビなどとのミックス戦略がないと売れやしない、ともさんざん言われていた時代。残念ながらその潮流に歯止めをかけたり、あるいは追い風に乗って躍進するような存在に、直木賞がなったわけではありません。

 まず、7月に決まった第87回(昭和57年/1982年・上半期)の受賞作は、深田祐介さんのぶ厚くて長い『炎熱商人』と、さらっと上品で、盛り上がりに欠ける村松友視さんの中篇「時代屋の女房」の二作品です。

 深田さんと村松さん、ともに「ベストセラー」と呼ばれる著作をお持ちの方で、もちろん受賞作そのものも、売れ行きはそこそこ行った雰囲気はあります。しかし、具体的な数字が、いまいちわかりません。

 深田祐介さんの最初の「ベストセラー」、『新西洋事情』(昭和50年/1975年)は北洋社という、なかなかのマイナーどころから出たものが、10万部は軽く超えたらしく、『新西洋~』もさることながら、大宅賞の販促パワーってすごいんだね、などとも言われました。

 その後、直木賞を経て、次にベストセラーと呼ばれることになった『スチュワーデス物語』(昭和58年/1983年)は、こちらは完全にテレビドラマのおかげ(というか、相乗効果?)で、海音寺潮五郎さんあたりがあきれ果てそうな展開ではあったんですが、やっぱり10万部超えを伝える記事があります。

「番組をヒットさせるには出版社新聞社などと提携し、相乗作用を狙えばさらに効果的なことは明らか。単行本の場合、テレビの原作となると、売れゆきが十倍単位で違ってくるから、出版社もかねてから積極的にテレビ化を働きかけたりしてはいたのだが、最近は特にそれが目立つ――。(引用者中略)典型的な成功例は「スチュワーデス物語」(TBS、59年3月終了)。(引用者中略)結果は、テレビドラマは平均20%の視聴率を稼ぎ、原作「スチュワーデス物語」(新潮社)は13万部を売った。」(『読売新聞』昭和59年/1984年8月10日夕刊「テレビToday(16) 出版とのドッキング」より ―署名:山田史生記者)

 『新西洋~』と『スチュワーデス~』に挟まれた『炎熱商人』については、まだ部数の記録を目にできていません。『文藝春秋七十年史』の「単行本の年間ベスト5」では、昭和57年/1982年ベスト5の筆頭に書かれているので、10万部以上は行ったものと思います。ただ、いわば「そこそこ」でもあります。

 村松さんのベストセラー歴のほうは、「時代屋の女房」のまえに『私、プロレスの味方です』(昭和55年/1980年)があり、あとに『アブサン物語』(平成7年/1995年)があるっていう構図で、『アブサン~』が話題のときには、

(引用者注:『アブサン物語』は)発売後およそ二か月で十万部に達し、同氏の直木賞受賞作「時代屋の女房」(八二年)以来の大ヒット作になりつつある。」(『読売新聞』平成8年/1996年2月24日夕刊「「アブサン物語」松村友視著」より)

 とも書かれました。村松さん自身が、自分は「売れない作家」だと自嘲して書いているのを信じれば、たしかに、ほかにそれほど売れた本はなさそうです。

 『時代屋の女房』は、すぐに映画化されたし、角川だし、ずいぶんと売れたものとは思います。だけど、たとえば年間ベストセラーリストなどには姿を見せません。少なくとも単行本の段階での売れ行きは、10万部から15万部に届いていればいいところ、といった様子で、立派なベストセラーではありますが、直木賞史のなかでも、当時の売れ行き良好な文芸書のなかでも、飛び抜けてどうということはない埋ずもれたベストセラーです。

           ○

 その半年前、昭和57年/1982年1月の第86回(昭和56年/1981年・下半期)は、ごぞんじ・つかこうへいさんの『蒲田行進曲』と、ごぞんじでない人も多そうな光岡明さん『機雷』、二作の受賞でした。

 さほど派手な売り上げの動きを見せなかったこの年の直木賞でも、ひとり気を吐いてベストセラー上位に残ったのが『蒲田行進曲』で、とりあえずウソっぱちだらけだと言われる当時のつかさんのエッセイの類でも、本が売れて金が入って、どうのこうの、という話題がそこかしこに出てきます。どのくらい売れたかはさておき、売れたことは間違いないようです。

 全国各地の書店で売れ筋トップ5に入ったか入らなかったか(あるいはトップ1になったかならなかったか)、という集計から割り出される出版ニュース社の「全国ベスト・セラーズ調査」では、この年、『蒲田~』が第21位。東販(トーハン)の一部署として出発した全国出版協会・出版科学研究所の調査では、この年の上半期分で、総合15位、フィクション分野の4位にランクインしています。直木賞受賞作のなかでは、かなり健闘した数字です。

 出版科学研究所の『出版月報』2月号は、直木賞が発表されて間もなくの号ですけど、ここで『蒲田~』は30万部、光岡明『機雷』は10万部に達した、と報告されています。

 しかし『蒲田~』の場合は、昭和56年/1981年11月の単行本刊行でありながら、翌年、直木賞が決まって半年ほどたった昭和57年/1982年8月にはもう文庫化されて、両者が併売されるという、「受賞で単行本がどれだけ売れたか」の効果のはかりづらい販売戦略がとられた作品で、30万部と謳われてから以降、どの程度のびたのか、よくわかりません。

 独自に売れ行きを調査していたらしい『新文化』では、この年のベストセラーとして『蒲田行進曲』を29万部と紹介(昭和57年/1982年12月30日号)しています。エントリー冒頭の部数推移では、そちらの数字を採りました。

 まあ、ふつうは文庫のほうが売れますから、そこから単行本が増刷を繰り返すことは想像しづらく、直後の映画の大ヒットとともに伸びたのは文庫のほう、と見るのが自然です。『ダカーポ』平成18年/2006年7月19日号の、累計売上部数ランキングに書かれた、『蒲田~』の113万部、というのは(ほかにランキングされている受賞作と同様)文庫が大半を占めているんだろうと思います。……と、ここら辺は推測ばっかりですみません。

 むしろ、『機雷』がほんとに10万部に到達したのかよ! っていうほうが驚きというか、直木賞の底ヂカラを見せつけられた気がします。「直木賞受賞作」のオビがつけば、よっぽど重くて、まじめそうなものでも、だいたい10万部は行ってしまう……みたいな伝説が続いているというのも、馬鹿にしたものじゃありません(だれも馬鹿にしていない、っつうの)。

 『機雷』をはじめ、『炎熱商人』も『時代屋の女房』も『黒パン俘虜記』も『私生活』も、当時ですら「文芸書は売れない」と言われていたなかで軒並み10万部にまで手が届いていた(推測含む)。と考えると、直木賞って、やっぱり不思議です。これだけコンスタントに受賞作を(そこそこな)ベストセラーに押し上げているのに、ほとんどその時代を代表したり、新しい時代を切り開くような存在にはなれない直木賞が、まったく不思議です。

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