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2016年10月30日 (日)

第57回直木賞『追いつめる』の単行本(ノベルス)部数

第57回(昭和42年/1967年・上半期)直木賞

受賞作●生島治郎『追いつめる』(光文社/カッパ・ノベルス)
(受賞後)10万部→12万(受賞3か月で)→?

※ちなみに……

第54回(昭和40年/1965年・下半期)直木賞

候補作●生島治郎『黄土の奔流』(光文社/カッパ・ノベルス)
(初版)3万5,000部?→4万(発売後約9か月で)→?

 先週、第110回(平成5年/1993年・下半期)のハナシに『新宿鮫 無間人形』が出てきたので、ちょっと時間をさかのぼって、今日は『追いつめる』のことにします。

 創業70年を超える、いちおうエンタメ小説界では有力どころの出版社、光文社の歴史のなかで、いまだにたったひとつの直木賞受賞作。〈光文社のベストセラー〉といえば、まず話題に挙がるのは、〈カッパ・ブックス以下その軍団〉のことだと思いますけど、たった一作の直木賞が、その軍団のなかから選ばれたもの、というのは、きっと光文社にとっても本望でしょう(なのか?)。

 本望かどうかは別として、とりあえず〈カッパ〉の話題では、刊行部数の件がメインなディッシュです。新海均さんに『カッパ・ブックスの時代』(平成25年/2013年7月・河出書房新社/河出ブックス)という、読んでいるだけでテンションの上がる超絶な良書がありますが、そこでも主要なタイトルには、だいたい部数が併記されています。

 ここに、90年代カッパ・ノベルスのベストセラーとして出てくるのが、大沢さんの〈新宿鮫〉シリーズです。第1弾から『氷舞 新宿鮫VI』までのことが、部数とともに紹介されています。最も多いのが、第1弾『新宿鮫』の46万2,000部で、他もおおむね40万部前後、ということらしいのに、6作中唯一、他社の単行本をノベルスにした直木賞受賞作『無間人形』だけ、ガクッと下がって27万9,000部。……それでも、読売版と同じレベルで売れているのは、さすが新宿鮫ブランド、というかカッパ・ノベルスブランドの底力でしょう。

 ひょっとして直木賞の『追いつめる』のことも、部数を挙げながら触れてくれているのではないか、と期待してページをめくったんですが、そう甘くはありませんでした。ええ、ええ、そりゃあ直木賞なんて、〈カッパ〉に比べたら売れないコンテンツの一種ですからね。仕方ないですよ。生島治郎さんは、こんなかたちで取り上げられているだけです。

「「カッパ・ノベルス」の分野では(引用者注:松本)清張が看板だった六〇年代だが、人気作家の作品も次々出版された。(引用者中略)さらには大岡昇平、水上勉、石原慎太郎、司馬遼太郎、立原正秋、大藪春彦、山田風太郎、五木寛之、梶山季之、生島治郎などなど多彩な顔ぶれで名品が次々と生まれていった。」(『カッパ・ブックスの時代』「第4章 一九六〇年代後半の絶頂期へ」より)

 他の資料を当たってみることにします。

 生島さんの単行本デビューは、講談社の『傷痕の街』(昭和39年/1964年3月)です。生島さんの『星になれる 浪漫疾風録第二部』(平成6年/1994年9月・講談社刊)は、その処女作刊行の頃から始まる自伝的な小説で、主人公の名前は〈越路玄一郎〉ですが、だいたいディテールは当時そのままを映しているものと思われます。

 『死者だけが血を流す』(昭和40年/1965年・講談社刊)につづいて3作目の書下ろしを、カッパ・ノベルスから出すことになった場面も、冒頭まもなく、描かれています。

(引用者注:光文社のカッパ・ノベルスは)新書判ではあるが、ベストセラーが次々と出ていて、出版界の注目の的であった。越路はこの光文社から、はじめて、三万五千という初版部数を約束されていた。

それは越路にとって、眼もくらむような大部数であった。自分の読者が三万以上もいるなどと、とても想像できなかったが、光文社は売ってくれると約束している。

(引用者中略)

『黄土の奔流』も日活が買ってくれ、裕次郎の主演でという話になった。それだけで大いに話題になり、『黄土の奔流』はベストセラー入りを果した。」(『星になれる 浪漫疾風録第二部』「星になれるか」より)

 『黄土の奔流』は名作です。どんどん売れても不思議じゃありません。いったいどこまで部数が増えたんでしょう。当時の新聞広告を見てみますと、カッパの場合、売れているものは「○○万部」と併記のうえ、ちょくちょく宣伝されるのが特徴らしいんですが、『黄土の奔流』はあまり、そういうところに出てきません。

 昭和40年/1965年9月の初版から約9か月後、昭和41年/1966年6月8日付の『朝日新聞』に、カッパの広告があり、ずらずらと大衆文学系の小説が載っているところに、『黄土の奔流』も入っていました。他には10万部超えのタイトルもあるなかで、『黄土の奔流』のわきに記された部数は、4万部。……掲載された28冊中、最も下のビリッケツな部数でした。

           ○

 まあ、『黄土』は、おそらくその後に驚異的な売り上げを伸ばしたんでしょうから、話を先に進めます。カッパ・ノベルスから出た2作目の生島作品『追いつめる』が、あっと驚きの直木賞受賞にいたったのは、昭和42年/1967年7月のことです。

 大々的な広告展開で大量に売り、読み終えたらゴミのように捨てられる、無駄づかい資本主義の申し子みたいなカッパ・ノベルスが、昔ながらの石アタマ軍団こと、直木賞の選考委員から認められるわけないじゃん。と、普通なら思います。生島さんのまわりでも、まず受賞は無理だろうと思われていたらしいです。

「マイナス材料が次から次へと耳に入ってきた。文藝春秋のある編集者からはあきらめた方がいいですとも言われた。

まず、『追いつめる』は光文社のカッパ・ノベルスから出ているが、このシリーズで候補になった作品はあっても受賞したことはない。

どだい、ミステリで、しかもハードボイルド作品が受賞したケースはない。

おまけに、挿絵がついているのがまずいと、その編集者は言うのだった。」(『星になれる 浪漫疾風録第二部』「モンスターの尻尾」より)

 と、直木賞名物、〈勝手な下馬評を言って楽しんでいるまわりの人〉が暗躍。「あきらめた方がいい」だとか、意外と文藝春秋の人って無責任なこと言うんだなあ、と思いますが、いや、落ちたときにつらいから候補者に過度な期待をさせないようにしよう、という文春の人の心あたたかい配慮だったかもしれません。

 結果、第57回(昭和42年/1967年・上半期)は『追いつめる』が受賞と決定。何といってもカッパ・ノベルス初の直木賞、ということで、さすがにこのときは、『黄土の奔流』のときよりも数多く、新聞広告が打たれたみたいです。

 8月29日付の『読売新聞』では、「〈カッパ・ノベルス〉3大ベストセラー」として、松本清張『黒の様式』、佐賀潜『代議士逮捕』とともに、『追いつめる』が堂々登場。10月2日付の広告では、『黒の様式』9万部を抑えて、『追いつめる』10万部、との表示も見えます。

 10月27日付『朝日』には、「カッパ・ノベルス《松本清張の集団》860万部突破」の全面広告が載りましたが、その下のほうで『追いつめる』も顔を見せました。12万部、だったそうです。

 しかし、その後、12月4日付『朝日』でも部数は「12万部」で動きがなく、いったいどこまで伸びたのやら。昭和44年/1969年7月28日に、カッパの本7,000万部突破という広告が出て、そこに歴代ベスト100冊が並べられましたが、そこに『追いつめる』の名前はありませんでした。このとき100位の『初歩・自動車工学』が19万部だといいますから、まあ、10万部のなかばで止まってしまったのかもしれません。

 直木賞って、ほんと、そこそこの売り上げで終わっちゃうんだなあ。10万部を超えたらしいので、当時の直木賞としては好成績だったことは間違いないですけど、威勢のいいベストセラー集団カッパのなかに混じると、そのショボさ、余計に目立ちます。

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