« 2016年7月 | トップページ | 2016年9月 »

2016年8月の4件の記事

2016年8月28日 (日)

第74回直木賞『復讐するは我にあり』の単行本部数

第74回(昭和50年/1975年・下半期)直木賞

受賞作●佐木隆三『復讐するは我にあり』(講談社刊)上・下巻
43万7,000

※ちなみに……

第58回(昭和42年/1967年・下半期)芥川賞、第59回(昭和43年/1968年・上半期)直木賞

候補作●佐木隆三「奇蹟の市」「大将とわたし」収録『大将とわたし』(講談社刊)
初版3,000(重版はナシ)

第68回(昭和47年/1972年・下半期)芥川賞

受賞作●山本道子 「ベティさんの庭」収録『ベティさんの庭』(新潮社刊)
12万3,500

第70回(昭和48年/1973年・下半期)芥川賞

受賞作●森敦「月山」収録『月山』(河出書房新社刊)
31万

 直木賞(の受賞作)の売り上げエピソードには、芥川賞では絶対にあり得ない大きな問題が、ひとつ存在します。

 と、そこまで大げさなことでもないんですが、直木賞だけに発生し得る(困った)現象……。上巻と下巻2冊まとめてひとつの作品、みたいな例がたまに発生することです。多くは「上下巻合わせて××部」などと言及されたりします。

 いわゆる「複数巻」の、直木賞の歴史は、戦前に第2回(昭和10年/1935年・下半期)の鷲尾雨工『吉野朝太平記』の一例があったんですが、40年のブランクが空き、第74回(昭和50年/1975年・下半期)に佐木隆三『復讐するは我にあり』が出現。これもまた受賞しちゃったもんですから、おや、巻を分けると直木賞では有利なのか!?……などと、まことしやかに囁かれたそうで、その後を含めて見ても、これまで「複数巻」全18作が候補に挙がったうちで、受賞したのは5作品。たしかに、一冊本に比べたら確率は高いかもしれません。

 それで今日は、「複数巻」直木賞のなかで、よく売れた部類に入る佐木さんのおハナシです。

 佐木さんは受賞の前、一度、直木賞の候補になったことがありました。第59回(昭和43年/1968年・上半期)の「大将とわたし」です。掲載されたのは『群像』。ってことで芥川賞に回ってもよさそうな流れでしたが、この期、『群像』では新人賞を受賞して大評判だった大庭みな子さんの「三匹の蟹」があり、事前から芥川賞の大本命とも言われて、それに比べたら佐木作品はやっぱ直木賞向きだよねえ、ということで直木賞候補に挙げられた……とかいう、真偽不明な逸話も残っています。

 ともかく、当時の佐木さんは、中間小説誌から、書きませんかと誘いは来るけど、どうも自分はそっちの人間じゃないと思って断っていた、という「純文芸作家」時代。基本、出す本も売れやしなかったそうです。

「処女出版の『ジャンケンポン協定』(一九六五年・晶文社刊)の初版から二千五百部で、その後に出す本も三千部から四千部どまり、十数冊のうち増刷になったのは、一冊もなかった。」(『潮』昭和54年/1979年8月号 佐木隆三「原作者」より)

 その「増刷にならなかった」なかに、第58回芥川賞候補「奇蹟の市」も収録した、直木賞候補「大将とわたし」を表題とする短篇集があります。

(引用者注:昭和43年/1968年)七月末には講談社から『大将とわたし』が初版三千部の箱入りで刊行され、(引用者中略)

この本は初版止まりで、あまり書評に取り上げられなかった。いわゆる純文学で、三千部は上出来だと編集者にいわれ、「好きなことを好きなように書く」との思い込みを、改める気にはならない。」(『図書』平成11年/1999年3月号 佐木隆三「もう一つの青春(二十四)」より)

 同じく候補になった阿部牧郎さんや筒井康隆さんといっしょに、キャアキャア遊んで盛り上がったりして、しかしその後も「永久初版作家」な物書き人生を送って約8年。綿密な取材に時間をかけ、取材費や生活費に困ると、初版の印税分を講談社から前借りし、その金額100万円に達したといいます。しかし、じっさいその半分は、当時の文芸第一出版部長の杉山博さんと、佐木さん担当の出版部・渡辺勝夫さんがポケットマネーで捻出したものだった、とあとで聞かされたそうです。

 こうして完成までこぎつけた書き下ろしの『復讐するは我にあり』は、だいたい800枚程度の量となり、上下巻の2巻で出ます。定価は1冊790円、ということなので、印税を10%とすると100万円返すには、上下巻合わせて1万3000部弱は刊行しなければならない計算です。それまでの「3000~4000部作家」にとっては、かなり高いハードルだったはずですが、昭和50年/1975年11月刊行の段階では、なぜかすでに編集者界隈では話題となるくらい注目されていて、まさかの(……?)売れ行き好調。

 昭和51年/1976年1月に直木賞が決まると、売れ行きが加速しまして、文芸書のみならず出版全体のくくりでも「ベストセラー」の一冊(いや、二冊)として認知されることになりました。はっきり言って、当時の直木賞作品としては、かなり珍しいことでした。

 それで佐木さん、一挙に貧乏生活から脱出して、ほっと胸をなでおろした……というのはいいとして、じっさいの部数なんですが、講談社の社史『物語 講談社の100年』によると、

「佐木隆三の書き下ろし『復讐するは我にあり 上・下』は、実際の連続殺人事件を材にとった作品で、直木賞を受賞、二冊で四三万七〇〇〇部を発行した。」(平成22年/2010年1月・講談社刊『物語 講談社の100年 第四巻 拡大(昭和30年~40年代)』より)

 とのことです。

 その後に講談社文庫に(これも上下の二巻本として)入り、映画化でもう一度話題となったりして、おそらく文庫の上下巻だけでミリオン(100万部)は突破した模様です。これが「複数巻」部数のマジックといいますか、現実は、上下巻いっしょに買った人の比重がいちばん大きいはずなので、実質はその半分ちょっと……単行本で20万~25万程度、文庫本で55万~60万程度、と考えるのが適切でしょうけど、それにしたって、直木賞受賞作のなかでも、相当な実績です。とくに昭和50年までの直木賞を見たとき、トップクラスに値する売れ行きでした。

 「複数巻」直木賞にかぎって言えば、単行本の発行部数では、第152回(平成26年/2014年・下半期)の西加奈子『サラバ!』が登場するまで、おそらく第1位の座をキープしていた、と見て間違いないでしょう。

続きを読む "第74回直木賞『復讐するは我にあり』の単行本部数"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月21日 (日)

第11回直木賞「小指」の単行本部数

第11回(昭和15年/1940年・上半期)直木賞

受賞作●堤千代「小指」収録『小指』(新潮社刊)
5万4,000

 ほんとは、直木賞が始まって10年ぐらいの、要するに戦前の作品の部数を、もっと調べたいんです。だけど、予想どおり(……いや、予想するまでもなく)なかなかの難問で、いまいちよくわかりません。

 いま見ても、戦前の受賞作のなかに、これは売れただろうなあ、と思えるようなものは見当たりません。売れなきゃ記録に残らず、スルーされるのが、本の部数については定石のようですから、軽くあきらめつつも、前に進みたいと思います。

 戦前の受賞作について、「賞」モノ古書の世界で有名な龍生書林の大場啓志さんが、このように解説してくれています。10年ほど前の文章です。

「古書界で蒐集家の多いのは、どちらかと言うと芥川賞よりも直木賞のように見える。特に近年この傾向が顕著の様な気がするが、読んで面白いから、というのがもっぱら蒐集家の弁だが、それ以上に初版元帯付での集め難さから、手にした時より大きな喜びを得ることが出来るからであろう。

(引用者中略)

しかし、戦前の受賞本は、帯云々よりも初版本そのものが少なく、まして美本となると捜すにもかなりの努力を要する。」(『ユリイカ』平成16年/2004年8月号 大場啓志「「賞物」古書談義」より)

 おおむね、賞モノ蒐集では、初版かどうかとか、帯の有無とかが中心テーマになるらしく、直木賞をとりまく世界のなかでも、まあ、次元がちがいすぎます。ここを追いかけても、いま以上に人生が破綻するだけなので、足を踏み出すのに躊躇しますが、大場さんのこのエッセイを読むと、「当時売れたっぽい」作品がどれだったのか、何となく垣間見えます。

 全六巻で完結した鷲尾雨工さんの『吉野朝太平記』、受賞は第二巻が出た段階でしたけど、第四巻刊行のときには「普及版」が出て、また六巻完結のときには、改めて再版されました。全体として、そこそこは売れた部類に入るんでしょう。

 井伏鱒二さんは、昭和14年/1939年刊行の『多甚古村』がとにかくよく売れたらしいんですが、これと同じ版元の河出書房から出していた『ジョン万次郎漂流記』も、重版がかかっていたようです。しかし、特筆するほどに売れた、という話は見かけません。

 橘外男さんの『ナリン殿下への回想』は、昭和13年/1938年8月2日に受賞が決まり、当時の新聞広告によると、8月19日に単行本が発売。そして「發賣忽三刷! 只今四刷再版中!」(『朝日新聞』昭和13年/1938年8月25日 春秋社広告)……ということなんですが、大場さんの文には「翌一四年四刷まで刊行。」とあります。だいたい全部で1万~2万部程度、と考えるのが妥当なんじゃないでしょうか。

 ただ、版を重ねた、と資料にあっても、鵜呑みにしていいとは限らない、と教えてくれるのも、大場さんの文章です。たとえば、村上元三さんの『上総風土記』は、ずいぶんと版を重ねたそうですが、

「戦前の直木賞受賞の稀覯本に、第一二回、村上元三『上総風土記』(昭和一六年、新小説社)がある。平成一二年、市場に八版の帯付が出て驚いた。この本は雑誌『大衆文学』(引用者注:『大衆文芸』のこと?)に一三版出来の広告文が出ているものの、重版すら滅多に見る事のない、まして初版本は過去に一度扱う事が出来ただけの珍本である。」(同「「賞物」古書談義」より)

 部数は相当に少なかったと推測されます。

 なんだかんだと言いましても、重版数や世評、その他の資料を加味して、戦前の直木賞受賞作のなかで、当時いちばん売れたのは何か。を指すとすれば、これは、堤千代さんが新潮社から出した『小指』で、ほぼ間違いないと思います。

続きを読む "第11回直木賞「小指」の単行本部数"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月14日 (日)

第91回直木賞『恋文』『てんのじ村』、第93回直木賞『演歌の虫』と第94回直木賞『魚河岸ものがたり』『最終便に間に合えば』の単行本部数

第91回(昭和59年/1984年・上半期)直木賞

受賞作●連城三紀彦『恋文』(新潮社刊)
24万(受賞約半年で)31万3,500
受賞作●難波利三『てんのじ村』(実業之日本社刊)
10万部前後(受賞約半年で)

第93回(昭和60年/1985年・上半期)直木賞

受賞作●山口洋子「演歌の虫」「老梅」収録『演歌の虫』(文藝春秋刊)
初版1万5,000部→12万5,000(受賞後半月で)24万5,000

第94回(昭和60年/1985年・下半期)直木賞

受賞作●森田誠吾『魚河岸ものがたり』(新潮社刊)
初版7,000部→受賞後重版+5万部→12万(受賞約1年で)
受賞作●林真理子「最終便に間に合えば」「京都まで」収録『最終便に間に合えば』(文藝春秋刊)
初版1万5,000部→14万(受賞後1か月で)27万

※ちなみに……

第92回(昭和59年/1984年・下半期)芥川賞

受賞作●木崎さと子「青桐」収録『青桐』(文藝春秋刊)
14万5,000

第94回(昭和60年/1985年・下半期)芥川賞

受賞作●米谷ふみ子「過越しの祭」収録『過越しの祭』(新潮社刊)
12万

 直木賞の受賞作は、だいたい受賞後10万部、というのが売れ行きのひとつの目安になる、と言われているらしいです。たとえば、本屋大賞あたりだと、ノミネートの段階で、10万部近く(いや、それ以上に)売れている小説がずらずらと、だらだらと何作も並んだりしますけど、その意味でも、本屋大賞の売れ行きは、直木賞をかるがると抜いているわけですね。かるがるすぎて、比べるのも失礼なくらいです。

 それで直木賞ですが、「10万部」ラインというのは、べつにここ数年で言われはじめた水準じゃなく、ずいぶん前から固定化している。というのがナゾなところで、本屋大賞があろうがなかろうが、「出版不況」と言われようが言われまいが、10万部を大きく超えれば「売れた」ことになり、10万部を下回れば「伸び悩み」「大して売れなかった」ことになる、というだいたい同じ攻防を、30~40年、つづけています。

 さすが、まわりの状況の変化に動じない、といいますか。結局、社会を変えるほどのパワーがない賞、といいますか。……でも、受賞作を売ることを第一目的としてやっているわけじゃないので、それはそれでいいと思います。

 で、今週もまた、『出版月報』のハナシです。昭和60年/1985年ごろ、つまり約30年前の同誌に、当時、直木賞・芥川賞受賞作ってどれくらい売れると思われていたかが記録されています。

 この時代は、直木賞でいうと、「芸能旋風」が吹き荒れて、直木賞が芥川賞の売り上げを安定して上まわるようになってから、数年がたったころ。芥川賞でいうと、純文芸全体が売り上げで苦戦しはじめたのに加え、受賞作なしが断続して、いよいよ勢いが止まったかと心配・不安視されるようになったころです。

 昭和60年/1985年1月、直木賞は受賞作がなく、芥川賞では一作、木崎さと子さんの「青桐」というシブーいやつが選ばれました。その直後に書かれた記事です。

「最近の(引用者注:直木賞・芥川賞の)受賞作品が売れる相場は、直木賞で10万部、芥川賞で7万部くらいと言われているが、果たして今回はどこまで?」(『出版月報』昭和60年/1985年1月号「クリップclip 木崎さと子」より)

 だいたい直木賞10万部、芥川賞7万部。……ははあ、いまとほとんど変わりませんよね。

 ちなみに結果はどうだったかというと、直木賞受賞作がなかった、という面も大きかったと思いますけど、『青桐』は「相場」の約2倍、14万5,000部まで行きました。芥川賞のことは、大して興味もないので、どうだっていいんですが、まあ、そんなものか。としか言いようがない、じゅうぶんに立派な部数でしょう。

 この前後、直木賞を見てみますと、こちらも「相場」の2倍、20万部超えを果たす作品が続出しています。第91回の連城三紀彦『恋文』、第93回の山口洋子『演歌の虫』、第94回の林真理子『最終便に間に合えば』です。

 なかでも、最もわかりやすいのが、山口さんの例だと思います。大ヒット曲をもつ作詞家、あるいはプロ野球界になじみが深く、スポーツ紙にもたびたび登場していた人です。カンペキなまでに「芸能」分野の人扱いをされ、「なんだよ、あいかわらず直木賞は、芸能=テレビ・スポーツ紙・週刊誌界隈からの盛り上がりで本を売るのかよ」というパターンにハマり、よく売れました。いちおう、年内に公称40万部を超え、当時でも直木賞作品としては近年にないほどの売れ行きだった、と言われています。

 他の2作も、「直木賞」の力だけで売れたわけじゃなさそうです。『恋文』は、表題作が昭和59年/1984年9月にいちはやくテレビドラマ化され、7月の受賞から数か月、好調を維持できた、部数が伸びたのはそのおかげだ。と言われていますし、『最終便に間に合えば』は、これは言うまでもなく、林真理子さんの、みんなから弄ばれる例の愛すべきパーソナリティ。すでに受賞前から有名人だったのが、そのまま売り上げに反映されたかっこうです。

 いずれにせよ、直木賞が売れるには、テレビとか芸能人とか、それ系の助けが不可欠ですよね。という、凡庸なところに落ち着くんですが、それでも世間を驚かすほど一挙に売れたりしません。そこが、「どこかいつも、いま一歩感」に包まれた直木賞っぽくて、カワユいです。

続きを読む "第91回直木賞『恋文』『てんのじ村』、第93回直木賞『演歌の虫』と第94回直木賞『魚河岸ものがたり』『最終便に間に合えば』の単行本部数"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月 7日 (日)

第99回直木賞『凍れる瞳』『遠い海から来たCOO』と第100回直木賞『熟れてゆく夏』『東京新大橋雨中図』の単行本部数

第99回(昭和63年/1988年・上半期)直木賞

受賞作●西木正明「凍れる瞳」「端島の女」収録『凍れる瞳』(文藝春秋刊)
受賞後重版+5万部程度→8万(受賞半年で)
受賞作●景山民夫『遠い海から来たCOO』(角川書店刊)
受賞後重版+5万部程度→24万(受賞半年で)40万(受賞1年で)→?

第100回(昭和63年/1988年・下半期)直木賞

受賞作●藤堂志津子「熟れてゆく夏」収録『熟れてゆく夏』(文藝春秋刊)
初版8,000部→受賞後重版+5万部→24万(受賞1年で)
受賞作●杉本章子『東京新大橋雨中図』(新人物往来社刊)
受賞後重版+4万部→10万5,000(受賞1年で)

※ちなみに……

第99回(昭和63年/1988年・上半期)芥川賞

受賞作●新井満「尋ね人の時間」収録『尋ね人の時間』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)10万部程度→15万

第100回(昭和63年/1988年・下半期)芥川賞

受賞作●南木佳士「ダイヤモンドダスト」収録『ダイヤモンドダスト』(文藝春秋刊)
初版(受賞後)7万部→20万
受賞作●李良枝「由熙」収録『由熙』(講談社刊)
初版(受賞後)5万部→13万7,000

 直木賞と芥川賞は、出版業界のお祭り、なんだそうです。半年に1度の、通常の回でさえ、そうなんですから、キリのいい記念回となれば、よけいにお祭り感が高まるのが自然です。

 第100回は、1989年1月に決まりました。このころ世間一般的には、お祭りムードなんてとんでもないよ、という感じでバタバタしていたというのに、1月5日、昭和64年に候補作が発表され、1月12日、平成元年に受賞が決まる。という、世間の動きとはちょっとズレたところで、粛々と事業をこなす、空気読めない両賞の性格が、遺憾なく発揮されてしまいます。さすがです。

 27年前ではありますけど、もうだいたいこのころには、いまと同じような風景、いまと同じような難クセがつけられていました。

「年2回、両賞の選考のとき、会場の東京・築地の料亭の報道用の控室は、新聞・テレビ・週刊誌の取材陣で、あふれかえる。タレントや他の分野の人気者が候補になっていると、テレビ・カメラの数がふえ、にぎやかさはいや増す。

(引用者中略)

しかし、それが文学の本質とは別の現象になっていることへの批判もでてきた。受賞者の人気がタレントなみになって、文芸界全体に芸能化といった印象がでてきたこと、受賞作の水準が低下してきたことだ。(『朝日新聞』平成1年/1989年1月11日「100回迎える芥川・直木賞 華やかさの裏、質懸念の声も」より ―署名:由里幸子記者)

 引用したこの記事には、「芥川・直木賞」とタイトルがついています。しかし、ほぼ、芥川賞の変遷・変質しか語っていない、たいへん胸の痛くなる内容に仕上がっていまして、この点は、いまとはちがうところかもしれません(そう信じたいです)。

 ともかく、第100回の記念回です。別名「長くやってきたことしか能がない文学賞」です。ひとつ前の第99回(昭和63年/1988年・上半期)では直木賞・芥川賞あわせて受賞者が3人、第100回では4人も受賞させての大盤ぶるまい。となりながら、本の売り上げという点では、残念ながら、話題の主役にはなれませんでした。

 昭和63年/1988年から平成1年/1989年にかけて、「売れる本」ニュースの主役の座には、村上春樹さんと吉本ばななさんの二人が君臨していたからです。

 そりゃ、50万、60万部は当たり前、次々に100万部に到達! とかいうハナシがわきにあったら、直木賞や芥川賞の売り上げなんて霞むに決まっているじゃないですか。

 部数の水準でいいますと、そのころ出た井狩春男さんの『ベストセラーの方程式』(平成2年/1990年9月・ブロンズ新社刊)の「芥川賞・直木賞を受賞すると、どのくらい売れるのか?」というページでは、こう紹介されています。

「数ある賞の中で、確実性が極めて高い、というか安定して売れるのが、芥川賞と直木賞である。

(引用者中略)

芥川賞か直木賞を受賞すると――

最低 20万部~30万部売れる!」(井狩春男『ベストセラーの方程式』より)

 いやいや。これは、出版界で生活する人が、出版界の活性化を期待するなかで、大げさに煽ってみせた文章でしかなく、事実に即してはいません。「最低20万部~30万部」とか、大ウソです。

 昭和末期から平成初期、直木賞・芥川賞は20万部いけば、まず成功といってよく、10万部でもまずまずの線。それを下回ることも、ざらにありました。当時の出版界の状況は、いまとずいぶんちがうのに、その点はなぜか、大して変わっていません。

 当時は、村上さんと吉本さんのおかげもあって、文芸書は好調に売れている、という観測があったらしく、『出版月報』(全国出版協会 出版科学研究所)でも、平成1年/1989年5月号で「文芸書好調は本物か」という特集が組まれています。ここに、直近20数年で20万部以上いった文芸書がリストアップされているんですが(直木賞・芥川賞でいえば、第75回芥川賞の村上龍『限りなく透明に近いブルー』以降)、その間、20万部以上といわれる直木賞受賞作が、どれだけあったでしょうか。

 『一絃の琴』『思い出トランプ』『人間万事塞翁が丙午』『蒲田行進曲』『恋文』『演歌の虫』『最終便に間に合えば』『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』『遠い海から来たCOO』、そして『熟れてゆく夏』。

 この間、受賞作は33作品ありました。そのうち10作。……というのは、高確率にはちがいないですけど、あとの23作は、20万部に達していななかったことになります。そういう状況を「最低20万部売れる」と表現したら、ふつうは、ウソつき呼ばわりされても、しかたないです。

続きを読む "第99回直木賞『凍れる瞳』『遠い海から来たCOO』と第100回直木賞『熟れてゆく夏』『東京新大橋雨中図』の単行本部数"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年7月 | トップページ | 2016年9月 »