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2016年8月21日 (日)

第11回直木賞「小指」の単行本部数

第11回(昭和15年/1940年・上半期)直木賞

受賞作●堤千代「小指」収録『小指』(新潮社刊)
5万4,000

 ほんとは、直木賞が始まって10年ぐらいの、要するに戦前の作品の部数を、もっと調べたいんです。だけど、予想どおり(……いや、予想するまでもなく)なかなかの難問で、いまいちよくわかりません。

 いま見ても、戦前の受賞作のなかに、これは売れただろうなあ、と思えるようなものは見当たりません。売れなきゃ記録に残らず、スルーされるのが、本の部数については定石のようですから、軽くあきらめつつも、前に進みたいと思います。

 戦前の受賞作について、「賞」モノ古書の世界で有名な龍生書林の大場啓志さんが、このように解説してくれています。10年ほど前の文章です。

「古書界で蒐集家の多いのは、どちらかと言うと芥川賞よりも直木賞のように見える。特に近年この傾向が顕著の様な気がするが、読んで面白いから、というのがもっぱら蒐集家の弁だが、それ以上に初版元帯付での集め難さから、手にした時より大きな喜びを得ることが出来るからであろう。

(引用者中略)

しかし、戦前の受賞本は、帯云々よりも初版本そのものが少なく、まして美本となると捜すにもかなりの努力を要する。」(『ユリイカ』平成16年/2004年8月号 大場啓志「「賞物」古書談義」より)

 おおむね、賞モノ蒐集では、初版かどうかとか、帯の有無とかが中心テーマになるらしく、直木賞をとりまく世界のなかでも、まあ、次元がちがいすぎます。ここを追いかけても、いま以上に人生が破綻するだけなので、足を踏み出すのに躊躇しますが、大場さんのこのエッセイを読むと、「当時売れたっぽい」作品がどれだったのか、何となく垣間見えます。

 全六巻で完結した鷲尾雨工さんの『吉野朝太平記』、受賞は第二巻が出た段階でしたけど、第四巻刊行のときには「普及版」が出て、また六巻完結のときには、改めて再版されました。全体として、そこそこは売れた部類に入るんでしょう。

 井伏鱒二さんは、昭和14年/1939年刊行の『多甚古村』がとにかくよく売れたらしいんですが、これと同じ版元の河出書房から出していた『ジョン万次郎漂流記』も、重版がかかっていたようです。しかし、特筆するほどに売れた、という話は見かけません。

 橘外男さんの『ナリン殿下への回想』は、昭和13年/1938年8月2日に受賞が決まり、当時の新聞広告によると、8月19日に単行本が発売。そして「發賣忽三刷! 只今四刷再版中!」(『朝日新聞』昭和13年/1938年8月25日 春秋社広告)……ということなんですが、大場さんの文には「翌一四年四刷まで刊行。」とあります。だいたい全部で1万~2万部程度、と考えるのが妥当なんじゃないでしょうか。

 ただ、版を重ねた、と資料にあっても、鵜呑みにしていいとは限らない、と教えてくれるのも、大場さんの文章です。たとえば、村上元三さんの『上総風土記』は、ずいぶんと版を重ねたそうですが、

「戦前の直木賞受賞の稀覯本に、第一二回、村上元三『上総風土記』(昭和一六年、新小説社)がある。平成一二年、市場に八版の帯付が出て驚いた。この本は雑誌『大衆文学』(引用者注:『大衆文芸』のこと?)に一三版出来の広告文が出ているものの、重版すら滅多に見る事のない、まして初版本は過去に一度扱う事が出来ただけの珍本である。」(同「「賞物」古書談義」より)

 部数は相当に少なかったと推測されます。

 なんだかんだと言いましても、重版数や世評、その他の資料を加味して、戦前の直木賞受賞作のなかで、当時いちばん売れたのは何か。を指すとすれば、これは、堤千代さんが新潮社から出した『小指』で、ほぼ間違いないと思います。

           ○

 堤さんの実妹、大屋絹子さんに、『オフェリヤの薔薇』という追想記があります。

 これは、堤さんの生年月日を、明治44年/1911年9月20日だったと何げない感じで紹介していて、となると従来伝えられていた大正6年/1917年より生年が6年さかのぼり、直木賞受賞時は28歳だったことになる(つまり最年少受賞は堤さんではなかったことになる)、という恐ろしい(?)ことが記録された本です。でも今日は、そこには踏み込みません。

 以下に取り上げるのは、『小指』刊行のころの、楽しい楽しい(……)ハンコ捺しの回想です。

「紙の統制もきびしくなり、雑誌などの廃刊や、頁を減らす所も多く、新しい出版なども儘ならぬ中で、「小指」其の他数扁(原文ママ)をまとめて、単行本として出版する話が、新潮社から来て、千代は大喜び致しました。

新潮社は、当時でも有名な出版社でしたし千代が、牛込の矢来で生れた時、直ぐお隣りで親しくお附合いしていた事なども思い出されて、不思議な御縁でした。

(引用者中略)

かなりの部数が発行されて、印税というものを頂くために、一枚々々貼ってある収入印紙に千代の判を押さねばなりません。郵便切手のシートの様になっているものに、私や、お手伝さんや、本人の千代まで、一生県命(原文ママ)に判を押しました。

「吉川英治の宮本武蔵は、あまり出版部数が多くて、判こが擦り切れたのですって。」

などと話しつゝ、家族総出で判こ押しに精を出しました。何れ位出版したのでしょうか、その年の分の税金が、歌舞伎の千両役者と言われた人で、同じ牛込に住む俳優と同じ位の金額でした。」(平成3年/1991年5月・私家版 大屋絹子・著『オフェリヤの薔薇』より)

 戦前の直木賞受賞作の出版に関して、これほど景気のいい回想は、『小指』のほかは、まず見かけません。

 その新潮社と、「小指」&堤千代を結びつけたのは、このオレだ! と言っているのが新潮社の編集者だった和田芳恵さんです。思い出すままに書いた『ひとつの文壇史』では、堤さんから「どうしても、和田さんという人とは会いたくないの」とまで拒否られながら、その作品に惚れ込んで猛アタックしたハナシが回想されています。

「堤さんが、発作をおこすかもしれないとおそれて、私の催促の役を、出版部の長沼辰雄さんにゆずった。短編集の『小指』は、十万部近く出たと思う。そのあと、二、三冊は新潮社から刊行された。」(昭和42年/1967年7月・新潮社刊 和田芳恵・著『ひとつの文壇史』「堤千代の『小指』に賭ける」より)

 と、部数についての言及もあります。

 ただ、この項では、新潮文庫に『小指』を入れることになって、小島政二郎さんに解説を頼むことになり、「あとがき」をもらうことができた、うんぬんと書かれていて、えっ、『小指』が新潮文庫になっているの!? そんなもん、どこにあるんだ!? と後世の人びとを惑わせるエピソードも披露されているんですよね。相変らず、どこまで信用していいのかわからない人です。

 しかし、小田切進さんの名前で編纂された『新潮社八十年図書総目録』(昭和51年/1976年10月・新潮社刊)では、新潮社の原簿を根拠に、昭和11年/1936年~昭和30年/1955年に刊行された単行本のうち、5万部以上のものが紹介されていて、『小指』がかなり売れたことが明らかにされています。

「堤千代『小指』は(引用者注:昭和)十八年九月までに五万四千部に達する。」(『新潮社八十年図書総目録』より)

 だそうです。

 ちなみに、ワタクシの持っている『小指』は、初版ではなく、その「十八年九月」の21日に刊行された十五版で、奥付には「5000部」と書かれています。

 このあと10万部近くまで伸ばした可能性も、ゼロじゃないとは思いますけど、ふつうに考えて、和田さんの記憶より『図書総目録』のほうが正確性では勝っているでしょう。戦前の直木賞の(いちばんの)ベストセラーは、5万部余だった、と言っていいと思います。

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