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2016年6月12日 (日)

第45回直木賞「雁の寺」と第34回芥川賞「太陽の季節」の単行本部数

第45回(昭和36年/1961年上半期)直木賞

受賞作●水上勉「雁の寺」収録『雁の寺』(文藝春秋新社)
9万

※ちなみに……

第42回(昭和34年/1959年下半期)直木賞

候補作●水上勉『霧と影』(河出書房新社刊)
初版3万部→(一か月ほどで売り切れ)

第34回(昭和30年/1955年下半期)芥川賞

受賞作●石原慎太郎「太陽の季節」収録『太陽の季節』(新潮社刊)
22万5,000(約1年間で)

 世間には、ベストセラーのことを紹介・案内した本がいろいろあります。文学賞にまつわるエピソードもいろいろ出てきて、楽しいものが多いんですが、結局、芥川賞の話ばかり見せつけられることになるので、いつしか「ベストセラー解説本」嫌いになった直木賞ファンは、多いと思います(ワタクシだけか?)。

 ベストセラーのことを語らせたら第一人者、塩澤実信さんの『昭和ベストセラー世相史』は、戦後のことだけじゃなく、直木賞・芥川賞が始まった昭和10年/1935年代のことも載っている貴重な本ですが、ここで紹介される、当時よく売れた本など見ると、ほんと直木賞系って、芥川賞系に完全に負けています。

芥川賞系(受賞または候補になった)の作家

■昭和11年/1936年 北条民雄『いのちの初夜』創元社。

■昭和13年/1938年 火野葦平『麦と兵隊』改造社(100万部以上)、『土と兵隊』同。石川達三『結婚の生態』新潮社(十数万部)。

■昭和14年/1939年 火野葦平『花と兵隊』改造社、高見順『故旧忘れ得べき』新潮社/昭和名作選集。

■昭和15年/1940年 高見順『如何なる星の下に』新潮社。

直木賞系(同)の作家

■昭和17年/1942年~昭和20年/1945年 岩田豊雄『海軍』、獅子文六『おばあさん』、富田常雄『姿三四郎』(※富田はまだ候補になったことはなかったが戦後に受賞)。

 とにかく、「たくさん売れる・よく売れる作家」を見出すことにかけては、芥川賞っつうのは第1回(昭和10年/1935年上半期)からバツグンな力を発揮しやがりまして、当時直木賞なんてほんとにやっていたの? というぐらいに勢いに差があった。……ように見えます。

 その後も芥川賞は、井上靖さんや松本清張さんなど、受賞して間もないうちに売れる本が書けちゃう優等作家を生み出しますが、直木賞関連でベストセラー作家といえば、長いあいだ、選考委員の吉川英治さんひとりくらいなもの。「あのさあ、直木賞の選考委員ってのは、自分が抜かされたくないから、売れそうな作家はわざと選ばないようにしているんじゃないの?」などと蔭口が叩かれ……たとしてもおかしくない状況でした。

 昭和26年/1951年、『三等重役』の連載が始まろうとしていた源氏鶏太さんに、ギリギリで授賞したおかげで、ようやく「ベストセラー作家が輩出しない直木賞」の汚名を払拭。遅ればせながら芥川賞の背中を追いかけはじめたんですけど、すぐに、一気に引き離れる事態が勃発してしまいます。

 言わずと知れた、石原慎太郎『太陽の季節』の登場です。

「芥川賞、直木賞が、文壇内の話題から、社会的トピックスとなり、受賞作品がベストセラーの動きを示すようになったのは、この頃からであった。

(引用者中略)

『太陽の季節』は、出版企業を“文学性”から“商業性”へ目覚めさせる画期的な役割をはたしたわけである。一年間に二十七万部のベストセラーとなった。」(昭和63年/1988年10月・第三文明社刊 塩澤実信・著『昭和ベストセラー世相史』より)

 塩澤さんはついうっかりと「芥川賞、直木賞が」と筆を滑らせてしまっています。でも当時、直木賞に、芥川賞と並んで語ってもらえるほどのパワーはなかったと思います。

 ところで、この『太陽の季節』27万部、という数字ですが、どのくらいスゴかったのか。前後の年のベストセラーと比較すると、

■昭和30年/1955年 佐藤弘人『はだか随筆』(中央経済社)…60万部(1年あまりで)

■昭和32年/1957年 原田康子『挽歌』(東都書房)…67万部(1年間で)

 あるいは、同じような「新人の受賞作」ジャンルでいえば、

■昭和32年/1957年 深沢七郎『楢山節考』(中央公論社)…30万部近く

 となっています。部数からすれば、『太陽の季節』って、大したことはありません。

 しかし何しろ、石原慎太郎という人物の、見た目、プラス若さによるインパクトが絶大。ということに加えて、時代背景からしても、大正期に勃発した「大衆・マスの時代」からより一層、広がりをもった文化の大衆化の始まりと、ちょうど重なりました。

「この作品は、この年一月の第三十四回(昭和三十年度下半期)芥川賞を受けて、有名なバイロンの逸話のように、一夜にしてスター的名声を手にするという劇的事件を実現したもので、本書もまた夏ごろまでに二十二、三万部を出した(年末には二十五万)。“太陽族”とか“慎太郎刈り”とかいった流行語や風俗を生み、社会的にも大きな波紋を残したことは、今なお記憶に新たなところである。このころから文学賞のショー化、作家のスター化、作品の大衆商品化という一連の大衆社会状況がいちぢるしくなった。」(昭和40年/1965年9月・出版ニュース社刊 瀬沼茂樹・著『本の百年史――ベスト・セラーの今昔――』より)

 受賞数か月で一気に20万部以上。その間、映画も公開され、流行語にもなり、ワーキャーの人気が続いたのに、結局、本の売れ行きはそんなに伸びなかった、と言い換えてもいいです。まあじっさい、読んだってそこまで面白い小説じゃありません。

 記録より記憶に残る『太陽の季節』……といった面が強いんだと思います。

 ちなみに、新潮社の原簿を参照して小田切進さんが編纂した『新潮社八十年図書総目録』(昭和51年/1976年10月刊)によると、『太陽の季節』は、受賞から約1年後の昭和32年/1957年3月までで、22万5,000部、だったそうです。

           ○

 と、前段では、ワタクシの敬愛する瀬沼茂樹さんの『本の百年史』から引用しました。

 これは、『週刊読書人』昭和35年/1960年1月1日~昭和36年/1961年4月24日に連載された「ベストセラー繁昌記―三代出版文化史」に、加筆訂正をほどこしたうえで、刊行された本だそうです。昭和30年代までで終わっています。

 芥川賞は、昭和10年/1935年の創設から20年もかかってようやく、受賞作が、売れ行きの面で注目されるようになり、瀬沼さんのこの本に間に合ったかっこうです。しかし直木賞のほうは、そういう方面で光を浴びるのはもっと先なので、この本に直木賞のことはほとんど出てきません。

 出てこないんですけど、皆無じゃありません。

 初版で3万部を刷った『霧の影』が好調な売れ行きを示して直木賞候補にもなった水上勉さんのことが、昭和36年/1961年のところに出てきます。該当箇所の前段のところも、当時の小説界のことがよくわかると思われるので、そこから紹介しますと、こんな感じです。

「小説では、二、三年来、松本清張と井上靖が、出る本、出る本がベスト・セラーになった。(引用者中略)これに源氏鶏太を加え、俗に“ベストセラー三人男”といわれている。ちなみに、昭和三十五年度の文壇高額所得者番付では、戦後しばらくつづいた吉川英治に代り、松本清張が第一位を占め、源氏鶏太が二位、井上靖が七位となっている。

推理小説界で松本清張を追って、同じく社会派の水上勉の名がクローズアップされた。書下し長篇『霧と影』(昭和三十四年・河出書房新社)で推理小説界にデビューしたが、『雁の寺』で三十六年度上半期(第四十五回)直木賞をうけて、人気作家になり、そのムード調をもって、受賞作『雁の寺』(文芸春秋新社)が約九万部、『虚名の鎖』(カッパ・ノベルス)の約二十万部をはじめ、その後の“水上ブーム”の端緒をつくった。」(『本の百年史』より)

 ちなみにこの年は、岩田一男さんの『英語に強くなる本』(カッパ・ブックス)が100万部を超えたのだそうで、そういう流行モノに比べちゃうと、10万部も行ってない数字だと、たしかに見劣りします。しかも、昭和36年/1961年8月、同時期に出した二冊のうち、直木賞受賞作のほうが『虚名の鎖』の半分以下しか行かなかったとか、どうなっているんだ、おい! と思うのは、完全にこちらが直木賞びいきだからでしょう。

 水上さんは、直木賞をとるまえにすでに、超人気格の作家だった。というのは当時の選考委員も、選評とかに書いていましたが、山村正夫さんの文章も、それを裏付けています。

「水上氏の文名がいちやく上がったのは、(引用者注:『霧の影』を出した昭和34年/1959年ではなく)翌三十五年の四月に河出書房から「海の牙」を刊行して以来だった。(引用者中略)氏はこれによって、笹沢左保氏とともに第十四回日本探偵作家クラブ賞を受賞。この頃から超流行作家としての量産がはじまった。何しろ連載を七本、一日平均三十枚を書きとばし、多いときには月産千二百枚をこなしたというのだから、人間業とは思えぬほどのライティング・マシンぶりだったと言っていい。」(昭和53年/1978年8月・双葉社刊 山村正夫・著『続・推理文壇戦後史』より)

 こういう、ブームを起こせるほどの人気作家を取り込むことで、直木賞も、芥川賞に遅れながら「ベストセラー作家を生み出す機関」の道を着々と歩みだし、そのおかげで、このころから「直木賞」の文字がベストセラーリストを賑わす機会も増えていったみたいです。ほんとに、当時の推理小説ブームは、直木賞にとっても偉大なムーブメントだったんだなあ、と思います。

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