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2016年5月15日 (日)

柏原芳恵は言われた、「直木賞受賞作家をめざしている!?」。(昭和61年/1986年2月)

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(←書影は昭和59年/1984年10月・白泉社刊 柏原芳恵・文・絵『夢だいて 心の絵日記』)


 1980年代、出版界の主役といえば、これはもう明らかに芸能人でした。タレント本がベストセラーの上位を飾るようになった、タレント本ばっかり売れて文芸書が売れなくなった、それどころかタレントの書いた小説が、文学賞をにぎわせるほどに席巻しだしたじゃないか、世も末だ、キーッ。と叫び声を上げるふりして意外とみんな楽しんでいた80年代。

 もちろん、直木賞もその熱狂の影響を受けないわけがありません。というか、いかにもその騒動の中心にあるかのように引っ張り出されて、ケバケバしいスポットライトを浴びながら、いろいろなかたちでオモチャにされ、世の隅々まで浸透していきました。

 時に80年代の芸能界は、アイドルの黄金時代だ。と言われることもあるそうです。そりゃ「文芸」だって、このにぎわいと無縁なはずがありませんよね。代表的なところで、「小説の創作」の分野では松本伊代さん、「小説の評論・批評(というか紹介)」の分野では小泉今日子さん、という両巨頭が大きな波を生み出した。というのがどうも定説のようです。

 松本さんについては、「私はまだ読んでないんですけど」のおチャメ発言のほうばかり、神格化されている感があり、それはそれで楽しいんですけど、それから多少の年月を経て、いい大人になった90年代に、これはほんとに自分が書いたとの触れ込みで、等身大・同年代の女性を主人公にして書いた処女小説『マリアージュ――もう若くないから』(平成3年/1991年4月・扶桑社刊)が、いっとき話題になりました。

「伊代のおすすめは、本と同時に発売されるアルバムを合わせて聴くこと。

社長業をこなすだけあって商売も上手?」(『週刊文春』平成2年/1990年12月27日号「Tea Time 小説家デビュー 松本伊代」より)

 とか言われながら、文芸方面からの反響はほぼなかったんですが、でも、当時専修大学文学部教授の畑有三さんに「現代ギャルと松本伊代の小説」(『専修国文』50号・平成4年/1992年1月)という一篇を書こうと思わせた、そのくらいには、意義ある出版だったと思います。

 まあ、タレントの小説といったら、ゴーストライターが書いた(あるいは、多くの部分に編集者やライターの手が入っている)、ということになっています。これをまともに「小説」として評論することに、どんな意味があるんだ? みたいな(固定観念の)壁が、当然そこに立ちはだかります。

 畑さんも、やはりそこには悩んだらしいです。そして「タレント小説」を評するときには、従来とは異なる視点が必要なのではないか、と言っています。

(引用者注:松本『マリアージュ もう若くないから』は)純粋に作家が一人で書いて、第二段階として原稿がそのままの形で印刷物になる、といういわゆる近代芸術としての小説の条件を充たしていないところがあるかもしれない。しかし、十代の半ばから歌手・女優・タレントとして自己形成をしてきた著者にとっては、作品を創り出すとは、個人の才能が孤独に開花して行くことではなく、企画に携わった人がそれぞれ自己の役割を果たす中で総合的にまとめ上げられて行くことだと、自然に受けとめられるところがあるのではなかろうか。

そうすると、現代では小説を書くことが、ある選ばれた才能の所有者にのみ可能な、世界との特別な交流のあり方を意味するだけではなく、平凡な日常生活者であっても、その人の内面に言葉による〈表現〉を希求する生の要請がわずかでもあるかぎりは、その要請の核を大切に育てていくことによって小説の創り手になることが可能になってくるという、そのような時代に今はなってきているのだと考えてもよいのではないか。」(『専修国文』50号・平成4年/1992年1月 畑有三「現代ギャルと松本伊代の小説」より)

 まったく、ワタクシも、一人の人間がうんうん苦しみ悩みながら書き進めて完成させたものしか「小説(文芸、でもいいですけど)」とは呼ばない、みたいな考え方には反対です。むしろ、どうだっていいと思います。

 だけど、アレです。畑さんが評した90年代はもちろんのこと、いまだって絶対に、(合作、といった形態は別として)作家といったら一人で文章を書くもの、いろんな人の手が入った小説を、文学賞の対象にするなんてトンデモない、というのが一般的な認識のはずです。平成17年/2005年の本屋大賞で、一次投票の多かった『電車男』が、最終ノミネートから外されたのなど、その一例でしょうし、「小説」というものに対して抱かれている感覚や感情は、おおむね、意外と保守的なもんだと思います。

 べつに保守的なのがいいとか悪いとか、言いたいわけじゃないんです。いい悪いではなく、そういうもんだよなあ、と思うだけです。

 それで「保守的」といえばやっぱり直木賞ですが(……)、その選ばれ方、選ばれる対象、あるいは選んでいる人たちの「文学賞観」、どれをとっても保守的で、もう「保守的な文学現象のトップランナー」として、いまも元気にひた走っています。でも、それは賞を運営したり選んでいる直木賞そのものだけが、保守的なんじゃありません。それをまわりから見て、直木賞に対して何らかの印象を持ち、ああだこうだ言っている我々もまた、負けず劣らず保守的なんじゃないのかあ、と感じます。

 ……と、ようやく、今日取り上げようと思っていた芸能人のことに進めます。80年代アイドルのひとり、柏原芳恵さん。けっきょく小説の本は出さず、絵を描いたりものをつくったり写真撮ったりとビジュアルな方面で創作熱を追求していくことになりますが、その路線への萌芽をのぞかせていた80年代中盤に、(おそらく雑誌記者によって勝手に)直木賞なんかと結びつけられてしまいました。

           ○

 柏原さんは、文章を書くことが昔から好きだった、と言っています。芸能界デビューしたあとも、ノートに詩やら童話のカケラのようなものを、つらつら書きつづっていたそうです。

 文章だけにかぎりません。絵もたくさん描いていた、とも言われ、小さい頃からの夢は、童話作家になることだった、なんてハナシもあります。

「よしえは小学校1年生からお習字を習っていたので、字を書くことが好きです。

(引用者中略)

字を書くことが好きだから、ノートにその日のでき事とか、詩を書いたりするの。」(昭和57年/1982年6月・ワニブックス/青春ベストセラーズ 柏原よしえ・著『もうすぐ夏物語 恋時計のささやき』より)

 この表現からすると、柏原さんの関心は、ストーリー性のあるもの、というより、文字や言葉を書くそのことに、強く傾いています。2年後、書き溜めてきた文章と絵をはじめてまとめた本『夢だいて 心の絵日記』(昭和59年/1984年10月・白泉社刊)を刊行しますが、そちらも、物語としてまとまっているのは「俺と姫。只今、同棲中。」という4ページの一篇のみで、中心は、自作の絵に詩のようなつぶやきのような、手書きの文章がついたものになっています。

 それはそれでいいんですけど、昭和61年/1986年、『平凡』で近況を紹介されるときには、手書きから離れてワープロ打ちに挑戦している風景が撮られました。もちろん、ここでは柏原さんは、小説を書いているとか、まとまった物語を書いているなどとは、ひとこともコメントしていません。何を書いているかといえば、基本的に、手書きの時代と同じです。

「私、むかしから物を書いたりするの大好きだったでしょう。だから今は(引用者注:ワープロを)持ち歩いて、お仕事のあい間とか、暇ができた時に打つようにしてるの。

その日あったことや感じたこと、みーんな書きつづっておいて、将来それをまとめて本を出すつもり。何とか賞とか受賞しちゃったりしてねっ。」(『平凡』昭和61年/1986年2月号「柏原芳恵 今、夢中、ヒマがあればワープロとニラメッコ」より)

 いやーカワイイですよね。ほのぼのしちゃいますよね。……という感じのこの記事に、担当ライターのつけたコピーが、コレなんです。

「直木賞受賞作家めざし!? ガンバってまーす。」(同)

 ね。保守的でしょ?

 ワープロでその日に感じたことなどを書いている。まとまったら本にしたい。賞とかとっちゃったりして。えへっ。……という話を聞いて、なぜか、直木賞受賞作家をめざしている姿を連想してしまう。ここが保守的な……というか、「いかにもな」「ありがちな」、直木賞の使い方です。そして「!?」をつけることで、(えへっ)感を醸し出す。これって、もうほとんど、じっさいの直木賞のことなんてどうでもいい記事です。でありながら、確実に、「世間のなかの直木賞」が表現されています。

 ここで、このようなかたちで「直木賞」の文字が出てくる。時代から考えても妥当なのかもしれません。

 中山千夏さんの直木賞候補(昭和54年/1979年下半期)以降、芸能人が小説を書いて直木賞の候補になる、という現象が広ーく世間に伝わっていたころです。青島幸男さんが直木賞をとって、その本が100万部に達する(昭和56年/1981年上半期)、つかこうへいさんも受賞して(昭和57年/1982年上半期)、その受賞作が映画化されて大ヒット(昭和57年/1982年10月公開)、山口洋子さん受賞によるマスコミ総盛上がり(昭和60年/1985年上半期)、などなどを経験したんですから。「本を書く(書こうとしている)→直木賞をめざしている」、という発想が、芸能記事の定型となったとして、何も不思議じゃありません。自然なかたちです。

 そして、80年代にかぎったハナシじゃなく、いまにいたるまで、じっさいの直木賞のことなんてどうでもいい記事が、次々と生まれてきています。いまスポーツ紙にこういう記事が載っていたって、すんなりと読めてしまいます。それは、直木賞のことを見る人間たちの感覚が保守的だからだと思いますし、いい悪いじゃなく、それも立派な確固たる「直木賞像」です。

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