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2016年3月27日 (日)

野村沙知代は言われた、「逮捕される前に「直木賞候補になりたい」と話していましたよ」。(平成14年/2002年3月)

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(←書影は平成20年/2008年5月・文藝春秋刊 野村沙知代・著『老疼の雫』)


 平成13年/2001年、平成14年/2002年ごろ、野村沙知代さんの言うことなすことが(というのはオーバーですけど)話題になっていました。そして当時、ありがたいことに、直木賞のことまで口にしてくれています。そんなところにまで出現する「直木賞」、ほんとにしぶといやつですよね。

 そもそも野村さん自身、小さいころから書くことが好きだったんだそうです。

 ……などと聞くと、ウソつけ、それも虚言のひとつだろ、と反射的に攻撃する人もいそうですけど、ウソかまことか、定かじゃないながらも、野村さんは3か月をかけて一篇の原稿を書き上げます。昭和59年/1984年のことです。

 御年52歳。どうして突然、物を書こうと思ったんだろう。というと、ご本人の説明によれば、縁は夫の克也さんのもたらしたものだった、といいます。

 『潮』昭和59年/1984年11月号のために、克也さんは、ノンフィクション作家の佐山和夫さんと対談のお仕事をしました。佐山さんは、その年に「史上最高の投手はだれか」を応募して、第3回潮賞[ノンフィクション部門]を受賞したばかりの人です。この対談に沙知代さんも同席したおかげで、潮賞なる公募の賞のことを知るところとなり、じゃあ私も夫を素材にして書いてみるか、と一念発起。

「「私にだって、できるわよ。やって、やれないことは、ないんじゃないの?」

いまから思えば、大げさでなく、天をも畏れぬ思いあがりでした。この、「私にだって……」というのは、私の悪いクセです。」(野村沙知代・著『きのう雨降り 今日は曇り あした晴れるか』「四十初惑から六十の手習いへ――あとがきにかえて――」より)

 「思いあがり」と謙遜していますが、これまで書き溜めてきた日記やらメモ類やらをもとにして、みごとに書き上げてしまいます。これを翌年昭和60年/1985年、第4回潮賞に応募したところが、とくに選考委員の柳田邦男さんから推奨され、受賞に次ぐ「特別賞」に選ばれることになりました。

 克也さんは、そりゃもう当然、よく知られた有名人でしたけど、沙知代さんはまだ全然、それに比べれば陰に隠れた存在。だったはずなのに、『潮』が賞を与えてしまったせいで、あの猛女モンスターを目覚めさせてしまったのだ! ……というのが『週刊実話』の解釈です。

 たくさん書かれた「野村沙知代バッシング記事」のひとつなんですけど、こちらは野村さんが脱税容疑で逮捕された平成13年/2001年12月のころのものです。

「沙知代容疑者が、サッチーとして社会進出するきっかけとなったのは、実は学会(引用者注:創価学会)の外郭企業である潮出版社が設けているノンフィクション賞を受賞したことが契機だった。

「サッチーが書いた『明日晴れたら』という本が以前に『潮賞』という賞を受賞したんです。これを契機に彼女は苦難を乗り越える強い女というイメージでテレビなどに進出することになった」(マスコミ関係者)

いわば、創価学会がサッチーという希代の猛女の社会的デビューを“後押し”したともいえるのだ。」(『週刊実話』平成13年/2001年12月27日号「脱税逮捕!野村沙知代容疑者を“猛女”にした創価学会の「罪」」より)

 受賞作の『きのう雨降り~』そのものは、野球人・野村克也の、ものの考え方、行動原理から私生活までを、身近な妻の目から紹介して語る、という意味では貴重な手記であって、それが賞をとって公刊されたことは、よかったと思います。沙知代さんにとっても、ほかの人では絶対に得られない素材(=素顔の野村克也)がそばにあったことが、こうしたかたちで活き、そのなかで活動しているあいだは、(じっさいに付き合いのあるまわりの人たち以外には)さほど波風も起こらず済みました。

 ところが、その後、克也さんが平成2年/1990年にヤクルトの監督に就任し、しっかりと実績を上げてリーグ優勝、それから連覇も果たして、日本シリーズで勝利……と「デキる監督」として注目されていきますと、同時に、それを裏で支える女帝、参謀、総帥がいるんですよ、と沙知代さんのほうにもスポットが当たるようになっていきます。しかも、なにしろキャラクターが強烈だし、賛否をまきおこす発言もどんどんしてくれるし、話題の起爆剤にぴったんこ、っていうんで、テレビ、ラジオ、スポーツ紙、雑誌などに重宝されるようになりました。「慎みなく、デカい顔して、若者や世間をぶった斬る、身近にいるとうっとうしいけど、遠目で見る分にはおもしろいオバサン」役に、すっぽりとハマったかっこうです。

 と、そんなことは、直木賞と関係がありません。すみません。さっさと、直木賞のハナシが出てくるところまで進めます。

 平成8年/1996年には衆議院選挙に出て落選。平成11年/1999年に、いわゆる「サッチー&ミッチー騒動」で芸能界隈を大いに盛り上げ、平成13年/2001年には脱税容疑で逮捕。と、もう何が何だかよくわからないムチャクチャな展開になったときに、出てきたのが「小説執筆」のおハナシでした。

 「沙知代さんの知人」という方がマスコミに明かします。平成13年/2001年の逮捕前、沙知代さんは「直木賞候補になりたい」と言っていましたよと。

「「逮捕される直前、これから何をしたいか聞くと『直木賞候補になりたい』と話していた。最近は自宅で、これまでの自分の人生をモデルにした小説を書いているらしい」と、沙知代被告をよく知る知人。」(『中日新聞』平成14年/2002年3月19日夕刊「沙知代被告「甘えあった」 2億円脱税認める」より)

 いいんじゃないでしょうか。もとより書くことが好きだった、と言っていた方です。この段階で小説に挑戦する、というのはある意味自然な流れかもしれません。どんどん書いちゃってください、小説。

 しかし、ほんとにすごいですよね、「直木賞」というワードの軽さ。こういう場面で何げなく、大勢から注目を浴びる沙知代さんのような人とセットで、あっさりさっくり、触れてもらえる直木賞。一見エラそうで、権威だ権威だと言われて、遠い存在のように扱われている一面は、確かにあるんですけど、でもタレントの脱税容疑初公判の記事で、「小説執筆」と来たら即「直木賞」だよね、と結びつけられることにも何の違和感もない、おなじみ感、敷居の低さ。

 どうしてそこで「直木賞候補」なのか、理由は明かされていません。明かされないままに、この知人による噂話は、他のライター心もくすぐったらしく、別に週刊誌記事が誘発されることになります。ニュースバリューの高い方のおかげで、いろんなメディアで名前を触れてもらえる、この身軽さが、「直木賞」の文学賞としての魅力だと思います。

           ○

 沙知代さんのおかげで引っ張り出された直木賞バナシは、スポーツ各紙、あるいは『週刊女性』平成14年/2002年5月28日号にも載りました。

 ここで、芸能レポーターの鬼澤慶一さんは、こんな人の書いた小説なんて誰が相手にするんですか、と論理的によくわからないコメントをしたりしています。

「何をいっても勝手ですが、虚言癖があることがハッキリした今、そんな人間の書いた本なんて誰が読むんですか。これまで何冊か本を出してますが、はたしてそれが売れているのか? それでも本気で直木賞を狙っているなんて思っているのなら、お笑いの世界ですよ。落ちた偶像が今さら何をやっても、誰も相手にしないでしょう」(『週刊女性』平成14年/2002年5月28日号「有罪判決で「芸能界引退」 でも「自伝執筆で狙うは直木賞」」より)

 いや。そんなことないんじゃないですか。むしろ虚言癖があったほうが、小説を書く才が華ひらくかもしれませんし。だいたい、これまで出した本(しかも、どれも小説じゃない本)の売れ行きで、直木賞をどうこう言うのは、おかしいですよ。仮に落ちた偶像、だったとしたって、そういう人のチャレンジした小説こそ、受け止められるような存在であってほしいですよ、直木賞には。

 それで沙知代さんは、拘留されているあいだに拘置所で小説を書いた。ということらしいんですが、小説そのものはもっと前から書き出していたらしく、6篇の短篇集にする予定で、すでに「老愁記」という仮タイトルのもと、5篇まで書き上げたところで逮捕されたのだそうです(『スポーツ報知』平成14年/2002年3月20日の記事より)。

 「逮捕されて有罪判決」というところまでで、猛烈なる「サッチーをくそみそに叩こうぜフィーバー」は終息。その後、けっきょく小説のハナシはどうなったのか、まったく表沙汰にならないまま、時が流れていきます。しかし、これまたうれしいことに沙知代さん自身は、その間もずっと「直木賞」のことを忘れずにいてくれました。平成16年/2004年4月の絵本『NORA~野良たちの選択~』(東邦出版刊)の出版記念パーティーの折りには、

「沙知代さんは「秋に向けて老いた女性の物語を書いているの。夢は直木賞にノミネートされること」と話した。」(『スポーツニッポン』平成16年/2004年4月14日「「夢は直木賞」サッチー絵本出版」より)

 と、以前と変わらずに、「直木賞の候補になりたい」(直木賞をとりたい、ではない)という夢を披露。今度は記者会見でのご自身による発言ですから、その意味では直木賞との結びつきは進歩(?)しているのかもしれません。2年前に話題にあがった「老愁記(仮題)」を思わせる内容の、小説執筆が引き続いて行われていることを、「直木賞」の言葉とともに、記者たちに話しました。

 そして、これまた克也さんのお仕事がらみで、文藝春秋の編集者に直接、原稿をみせる機会を引き寄せます。編集担当の木俣さんによれば、「私、人生の最終目標に直木賞をとりたいの」といってアプローチしてきた、という沙知代さんさすがの千両役者ぶり。こうして、存在が確認されてからおよそ6~7年を経て、長篇『老疼の雫』が陽の目をみることになりました。

 セールスポイントは「拘置所のなかで書かれたこと」。しかも巻頭にはいきなり本人による「まえがき」と、『本の話』でのインタビューを抜粋した「著者自身による解説インタビュー」が配置されるという、文芸書ではなかなか見かけないモノモノしい構えなんですが、主人公は、大企業「東京電設」特別顧問の夫を亡くしたばかりの妻、都々子で、みえみえの「自伝小説」といったものじゃありません。

 さすがにまだ一冊目。「タレントによる小説」のオーラを全身に漂わせていることですし、これが直木賞候補になる、ってハナシには無理があります。でも、これだけ話題の人物が、「直木賞候補になりたい」という夢をまわりに言いながら、記事になる。そして一冊の小説刊行にまでこぎつけて、宣伝材料(?)に「直木賞」の文字が使われる。これだけでも、直木賞の、ハンパない社会への浸透度がわかるってもんなので、やはり沙知代さんには、感謝したいです。

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