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2016年3月 6日 (日)

椎名桜子は言った、「直木賞とか、もらいたくないわけではなく、考えてないです」。(平成1年/1989年3月)

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(←書影は昭和63年/1988年3月・マガジンハウス刊 椎名桜子・著『家族輪舞曲(ロンド)』)


 1980年代にはいろんなものが流行りました。「タレントに小説書かせて、みんなで盛り上がっちゃおうぜ」なんてのも、そのひとつです。文学の衰退だあ、いや文学絶滅の危機だあ、などと、批判する連中を中心に大勢でキャッキャとはしゃぎ合いました。いま見ると、ほんと楽しそうです。

 そのブームの、最終進化形とも、最高到達点とも称されるのが、昭和62年/1987年から昭和63年/1988年にかけての椎名桜子なのだ。……などとも言われる、アノ椎名さんが、今日の主役です。

 そう、そう、いたよね。「名前・椎名桜子。職業・作家。ただいま処女作執筆中。」ってやつでしょ。あの宣伝、強烈だったもんなあ、すごく印象に残っているよ。……と、ワタクシもさらっと、ほざきたいんですよ。昔そんなアホなコピーがあったんだよねー、と笑い飛ばしたいんですよ。

 でも、待ってください。たとえば、直木賞にはいろいろ面白い逸話があるけど、じっさいに調べてみたら、どうも語り手たちの、あやふやな思い出(あるいは思い込み)によって事実がねじ曲げられ、曲解された話だったらしいぞ、みたいな案件に、これまでワタクシも、何度かぶち当たってきました。それを考えたとき、おのれのテキトーな記憶だけを根拠に、他人を嘲笑する気には、どうしてもなれません。

 たしかに椎名さんは、処女作を出すまえから「作家」と紹介されていました。しかも、多くの人の記憶に残っている、ってことは、ずいぶんとたくさん宣伝されたんでしょう。それなら「作家。ただいま処女作執筆中。」っていう有名なコピーだって、いつ、どの雑誌に載ったのかくらい、簡単に見つかりそうなもんですよね。と軽く考えて、けっこう調べてみたんですよ、マガジンハウスの雑誌。

 ところがです。全然、見当りません。

 当時の雑誌でぞくぞく見つかるのは、「処女作執筆中、をネタにしたライターたちの文章」ばっかです。

「担当の編集者は、

「昨年(引用者注:昭和62年/1987年)の春に草稿を読んだとき、スターの素質を感じました」

と語る。すぐさま「作家」として売り出すことを決め、七回も書き直させた。その後、同社(引用者注:マガジンハウス)のファッション誌「アンアン」でモデル兼ライターとしてコラムを担当させ、おまけに、そのコラムの著者肩書に、まだ本も出していないうちから、「作家・処女作執筆中」とやる念の入れよう。」(『週刊朝日』昭和63年/1988年5月6日号「小悪魔的少女を描いた自伝小説が売れる 椎名桜子は元アンアンモデルの令嬢」より)

 本を出すまえの昭和62年/1987年、椎名さんは『an・an』で「知りたがり日記」っていう連載コラムを担当しました。7月10日号~10月2日号までの全12回。見てみましたよ、『週刊朝日』を信じて。だけど、一回も「処女作執筆中」なんて書かれちゃいません。書いてあるのは「しいな・さくらこ」「作家。」「成城大学文芸学部在学中。」「処女小説『家族輪舞曲』の映画化が予定されている。」という文章と、椎名さんの生年月日(あるいは年齢)、近況程度のものです。

「作者の椎名桜子は、本が出る前にすでに作家として有名人していた。「作家、処女作執筆中」という、林真理子氏が仰天した肩書でマガジンハウスのあちこちの媒体に登場。」(『サンデー毎日』昭和63年/1988年7月3日号「サンデーらいぶらりぃ 常識を越境する「若さ」と「軽さ」がウケる 現代ベストセラーの周辺」より 評者:石村博子)

 「あちこち」と言っています。たしかに、マガジンハウスの雑誌、『an・an』『平凡パンチ』『ターザン』『Brutus』に次々と椎名さんは登場しますが、それはだいたい、昭和63年/1988年3月の処女作発売以後のことです。もう本が出ちゃっているわけですから、当たり前ですが、そんなところに「処女作執筆中」なんて書いてありません。

「肩書は作家、ただし目下「処女作執筆中」というのが、版元の謳い文句だった。」(『日経ビジネス』平成1年/1989年1月2日号「若者ロジー 大宣伝 椎名桜子」より 署名:(M))

「女性誌『an・an』(マガジンハウス)で大々的に売り出した肩書が「作家・処女作執筆中」。」(『週刊テーミス』平成2年/1990年4月4日号「椎名桜子を育てた六塔智美(モダンタイムス社長)独占インタビュー」より)

 「謳い文句」だの「大々的に売り出した肩書」だのと、ライター陣、機嫌よく紹介してくれているんですが、でもマガジンハウスが「処女作執筆中」を売り文句にした形跡、どこにあるっていうんですか! まったく見つからないんですよ。まじで教えてください。

 「処女作を執筆中」の表現が、椎名さんのプロフィールのなかで使われた例で、確実なのは、ひとつだけです。『an・an』昭和62年/1987年5月22日号の「きもの大好き!」というグラビアページに、和服を愛する女性のひとりとして登場。ほかに島崎夏美(モデル)、松本伊代(歌手)、安野ともこ(プランナー)、桐島かれん(モデル)、高樹沙耶(女優)、野口佳香(スタイリスト)、戸川京子(タレント)(←以上、カッコ内の肩書は『an・an』誌上の表記)とともに、ひとり1ページずつ割かれ、インタビューつきで、着物姿を披露しました。その一行プロフィールに、こうあります。

「しいなさくらこ。作家。成城大学在学中。現在、17歳の女の子の目を通して現代の家族像を描いた処女作を執筆中。」

 現物を見ればわかると思いますが、この小さな活字のプロフィール原稿が「大々的な売り出し」だったとしたら、かなりの拍子抜けです。これよりあと、たとえばマガジンハウスが自社の雑誌で、「処女作執筆中」をキャッチコピーに広告を展開した、なんちゅうこともありません。

 たしかに椎名さんの紹介のされ方は、大々的でした。

 見た目の美しい女子大生がいる。まだ本を一冊も出していないうちから、肩書に「作家」と付けてコラムを書かせる。出版されたあかつきには、大林宣彦監督、三浦百恵脚本で、映画化もされる予定、という派手なカマシをふっかけて、マガジンハウス以外の雑誌にも、何度か取り上げてもらう。これは「モダンタイムス」という事務所の社長、六塔智美さんが、所属する椎名さんを「作家」として売り出そうと、いろいろ活動して、ちょうどマガジンハウスが昭和63年/1988年1月から、単行本事業に本格的に乗り出そうとしていたところにうまくハマり、メディア露出に成功したらしい。……といった経緯は、マガジンハウスも六塔さんも、あるいは椎名さん自身も、インタビューなどで、おおむね認めています。

 昭和62年/1987年春の段階で、椎名さんの原稿を読んだマガジンハウスが、出版化の予定を立てたらしいです。じゃあ新人作家として売り出さなきゃね、となるわけですが、ここで出版社と事務所が協力して(まだ一冊も本を出していないけど)「作家」として世間に紹介し、いろいろメディアに登場させる。そうやって盛り上がったあとで、デビュー作を発売する。そんなやり方も、既存の宣伝手法とちがっていて面白いじゃないですか。というのが、マガジンハウス副社長の甘糟章さん、六塔さん、椎名さんの言い分でした。まあワタクシも面白いと思います。

 しかし、宣伝するにあたって「処女作執筆中」というのを売りにしたわけじゃありません。椎名さんは説明しています。

「インタビュー記事で、ゲラに目を通してなかった話なんですけど、肩書のところで作家・処女作執筆中と書かれまして、本が出る前にいろんな人から揶揄されたという……。」(『サンデー毎日』平成1年/1989年3月19日号「連載対談 文珍の美女美男丸かじり」より)

 一回だけそういう記事が出てしまった、というニュアンスです。「〈処女作執筆中〉で売り出した」ことは、実質、否定しました。

 ええと、じゃあ、どうして「名前・椎名桜子。職業・作家。現在、処女作執筆中。」みたいな捏造コピーが誕生し、ここまで脈々と語り継がれてきたんだろう。

 と考えてみると、やはり世のなかには、「作家」幻想に取り憑かれた人たちがたくさんいたから、なんでしょう。たぶん。一作も小説を完成させていないのに「作家」だなんておかしい、という幻想は、まだ純情なほうだと思います。一作だってまだ甘い、きちんと手続きを踏んで、いくつも小説を発表して、いっぱしの人に認められて、ようやく「作家」と名乗れるのだ。みたいに「作家」の肩書に対して、異常にあこがれや執着をもっている人たちの存在もありました。

 たとえば、ええ、林真理子さんとかですね。

           ○

 昭和62年/1987年、椎名さんが『an・an』に登場したころ、この雑誌にただひとり連載エッセイのコーナーをもっていた人がいます。われらが林真理子さんです。

 と同時に、林さんは『週刊文春』にも毎週エッセイを書いていました。こちらのエッセイは、もちろん当時もたくさんの人に愛読されていて、翌年には1年分をまとめて単行本になり、やがて文庫になる。いまだって、ちょっと林さんが『週刊文春』で触れれば話題がワーッと広がる、というぐらいの波及力・破壊力を維持しているのは、ごぞんじのとおりです。さすが、モンスター級のエッセイストです。

 「作家・処女作執筆中」。このコピーが(じっさいには、このとおりの表現でなかったにもかかわらず)世に普及し、各雑誌のライターが拝借し、「作家」幻想をもつ人たちのあいだで笑い合い、語り継がれ、そしていまでも生き残っているのは、もう確実に林さんの力によるもの、と見て問題ないでしょう。

 昭和62年/1987年11月、『週刊文春』にこんな文章を書きました。

「ある出版社が全メディアあげて可愛い女子大生を売り出そうとしているそうだ。グラビアでにっこり微笑む彼女の、写真の横にある文章を読んで、私は飛びあがるほど驚いた。

「作家(原文傍点)。ただいま処女作執筆中」

こういう若いお嬢さんに、なにも(引用者注:作家になることに伴う)苦悩をあたえなくてもと思う。本屋さんにも行けなくなるし、村上さんの本を読めなくなるよ、ホント。」(『週刊文春』昭和62年/1987年11月12日号「林真理子の 今夜も思い出し笑い 155 読書週間」より ―昭和63年/1988年5月・文藝春秋刊『こんなはずでは……』に収録)

 林さんは、あえて具体的な社名・誌名・掲載月号・氏名を避けたうえで、「全メディアあげて」などと大げさな表現を使っています。あとで、それは事実とちがうと苦情がきても、えっ、わたし、椎名さんのことだなんて一言もいっていませんけど、と言い逃れができるリスク管理にすぐれた表現ですね。しかしこのエッセイ、とくに出版界隈で暮らす人たちのハートにグッときたらしく、先に引用した『サンデー毎日』の記事もそうですが、その他、ほかの雑誌の「椎名桜子紹介記事」でも、肩書きに驚いた、という林さんの件が何度も触れられました。

 当時、山田詠美さんも、椎名桜子売り出し作戦のことを語りましたが、やっぱり林エッセイに言及しています。

「処女作執筆中の作家って知ってる? 林真理子さんが週刊文春の中でお怒りになってたけど、私は怒るというより、恥ずかしさで顔が真っ赤になっちゃった。マガジンハウスでは、女子大生を必死になって売り出そうとしているそーだ。作家、○○○子、処女作執筆中っての。あー、恥ずかしい。」(『思想の科学』昭和63年/1988年2月号 山田詠美「くにとのつきあいかた 近頃の困りもの(5)」より)

 うーむ、この書き方からしたら、「処女作執筆中」って表現、『an・an』での1回以外にもあったのかなあ。と思うんですけど、山田さんがきちんと原本に当たってエッセイを書く人なのかどうか、わからないので、信用するまでにはいたりません。

 それで、2、3年がたちます。どうやら椎名桜子、CMばっかり出て、小説書いていくつもりはほとんどなさそうだ、となりまして、林さん、もう一度、超絶人気エッセイのなかで「処女作執筆中」を蒸し返すのでした。

「「やっぱり男の椎名桜子も出てこなかった」

「ハンサムな男の子を使ってやるかと思ったけどね」

若い女の子の悪口を言うと、すぐに嫉妬してとか言われるから、みな陰ではあれだけ言って、表では口をぬぐっている。が、やはりあれは奇怪な出来ごととして、出版史上に記録されるだろう。芸能プロダクションと、新参の出版社が手を組んで、スターをつくり出そうとした。そこまではいい。書く前から処女作執筆中の作家として、大々的に売り出すのもいい。しかし処女作と次作を書いただけで、後はCMだけというのは、やはりみっともない。(引用者中略)

本当のことを言えば、人間、どんな肩書を使ったっていいんだ。だけどその肩書のために、一生懸命仕事をしなくっちゃ、ふさわしくなるよう努力しない人間は、いつまでたっても肩書が宙ぶらりんのままだ。」(平成4年/1992年7月・文藝春秋刊 林真理子・著『おとなの事情』「女の肩書」より)

 ○○はいい、○○なのもいい、と言っています。じゃあ、てっきり「肩書が宙ぶらりんのままでもいい」と続けるのかと思ったら、そこは許せないらしいんですね。

 寛容なのか不寛容なのか、よくわかりませんけど、この話題が出版史上に記録されるにあたり、「処女作執筆中」の部分をピックアップした林さんの功績が多大なことは、たしかだと思います。林さんの力量をまざまざと見せつけた一件でした。

 それはそれとして、ここは直木賞専門ブログです。直木賞のハナシをします。

 けっきょく椎名桜子の売り出しは、みごとに大成功をおさめ、ほぼタレント本扱いの勢いで、鳴り物入りの処女作『家族輪舞曲』は売れに売れます。部数は、さまざまな説が乱れ飛びましたが、初版2万部、最終的に公称30万部前後、実売10万部前後、といったところらしいです。

 そして日本には、売れるとすぐに、文学賞、とくに直木賞(やもうひとつの賞)に結びつけようとする、美しい(短絡的、ともいう)文化がありまして、先にも紹介した桂文珍さんとの対談記事に、直木賞の話題が出てきます。

文珍 (引用者中略)小説を書いていると、やっぱり直木賞とか芥川賞とか……。

椎名 別に関係ないですね。

文珍 もらいたくはないということですか?

椎名 いや、もらいたくはないというか、考えてないです。

文珍 でも、励みになるじゃないですか。出版社も、帯に「受賞作品」とか「受賞第一回目書き下ろし」とか、書きたがるでしょう。

椎名 出版社はすごく喜ぶと思います。でも、あんまりごたいそうなことは言いたくないんですが、書いているときは自分の血とか肉とかをそぎ落として書いているような思いがありますから、もうそれだけで消化しちゃっている。そのあとのことは、売れればラッキーだし、売れなくてもそれはそれでいいことなんですよね。(前掲『サンデー毎日』「連載対談 文珍の美女美男丸かじり」より)

 まあ、ふつうのことを言っています。

 椎名さんという人は、本を出すまえから自分は叩かれていた、っていう自覚があったし、そういうことはけっこう気になる、と正直に語っていたし、でもいくら最初に騒がれても駄目ならすぐに淘汰されていく、と割り切っていたし、メディアに出ることは事務所の強い意向であって本人は乗り気ではなかった、という第三者の証言もある。で、椎名さん自身のいうとおり、じっさいに淘汰されて、作家としては残らなかったわけですから、べつに糞ミソに批判するほどのものじゃないと思います。「作家」幻想のある人たちにとっては、いまだに壊したくない楽しかった思い出、なのかもしれないですけど。

 最初は、「本を出すまえから作家といって売り出す手法」の違和感を表現するのに最適だと思った人が、コピー風に「作家、処女作執筆中」と言ったものが、あまりに楽しくて、秀逸で笑えたため、このフレーズに魅了される人が急増。いつ、どのメディアに、どのように出たものなのか、わからないまま、いかにもそうやって宣伝されたかのような錯覚を生み、何となくの記憶でどんどん拡散されちゃって、もはや立派な都市伝説、ってところでしょう。いっぽう直木賞も、たとえば、ニッパチ対策でつくられたなどという、だれひとり出典を示すことのできないインチキエピソードが、デカい顔してまかり通っています。

 椎名桜子と直木賞。その意味では、似ているのかもしれません。どちらも大多数の人にとっては、何となくのイメージだけを根拠に笑ってりゃよくて、いちいち調べてまでは語るに値しないもの、ってことなんでしょう。……うん、まあたしかに。

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コメント

ヨーグルトのCM(ヨープレイト)について調べていて、たまたま「椎名桜子は言われた…」の記事にアタった通りすがりです。
「現在処女作執筆中」というプロフィールを、たしかに見た記憶があります。
マガジンハウスの『鳩よ!』だったと思います。
何号だったかまでは、さすがにおぼえていません。1989年とか1990年とか91とか。
この雑誌が創刊したころのどれかで見た記憶があるのですが、『鳩よ!』でなかったら、『クリーク』だったかもしれません。でも、たしかに見たことがあります。

投稿: 通りすがり | 2016年6月 9日 (木) 17時07分

通りすがりさん、

じっさいに目にされた方からの目撃情報、待ち望んでおりました。
貴重な情報を書き込んでいただき、ありがとうございます。

『鳩よ!』を含めて、
処女作が出版されるまえの月号(1987年-88年3月ごろまで)を中心にチェックしたもので、
1989年以降の雑誌は、調査対象から除外しておりました。

ちょっと時間がかかるかもしれませんが、『鳩よ!』『クリーク』をあらためて
調べてみたいと思います。

投稿: P.L.B. | 2016年6月 9日 (木) 22時00分

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