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2016年2月28日 (日)

山口洋子は言われた、「程度の低いこんな作品が、直木賞の候補作になるのがおかしい」。(昭和59年/1984年8月)

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(←書影は昭和60年/1985年3月・文藝春秋刊 山口洋子・著『演歌の虫』)


 「直木賞と芸能人」……と言われてピンとこない人でも、「直木賞と芸能モノ小説」と聞けば、ああ、とうなずいてくれるでしょう。うなずいてほしいです。

 直木賞の受賞作には、いわゆる芸能モノ小説の系譜、ってやつがあって、しょっぱなの「鶴八鶴次郎」から始まり、『花のれん』「團十郎切腹事件」『巷談本牧亭』「鬼の詩」『蒲田行進曲』『てんのじ村』『漂泊者のアリア』『長崎ぶらぶら節』とかが続きます。長部さんの津軽もの二篇やら、『一絃の琴』やらも、そうかもしれません。

 最近じゃ、『漂砂のうたう』あたりに、ほんのりソレ系の香りが入っていましたが、どうも時代遅れなのか、あまり芸能モノが直木賞を受賞することはなくなっちゃいました。でも当然、ああ、とうなずく人が多い(?)くらいですから、「直木賞と芸能モノ小説」程度のテーマであれば、すでに誰かが解説・研究を書いていると思います。なので、そこは、ざっくり端折ります。

 で、「芸能モノ直木賞」といって、忘れちゃならないのが「演歌の虫」ですよね。これを書いた山口洋子さん自身、若いころからずーっと、芸能界隈のそばで暮らしてきた人です。いまさら言うまでもありません。

 女優への道は、二年でさっさと終えましたが、その後は、銀座のクラブなんちゅう、人びとの憧れなのか、軽蔑・差別される対象なのか、よくわからない業界でのっしのっしと大活躍。芸能人、プロ野球選手ほか、訪れたセレブは数えきれません。その間、昭和43年/1968年には、ちょこっとだけテレビの司会者に抜擢されたりと、山口さんの美貌と才覚が一般に知れ渡るチャンスもあったんですが、すぐにクラブに舞い戻り、しかし(なぜだか)歌謡曲・演歌の作詞をはじめ、いくつかのヒット曲に恵まれるうち、女と男の色恋に関するエッセイやら、プロ野球の観戦記やらを書くという、ほかに追随できる人など誰もいない、独特の山口洋子街道を突き進みます。

 作家への夢も、ずっと抱いていたそうです。近藤啓太郎さんに勧められたのがきっかけで小説を書くようになり、冨士真奈美さんみたいに「美しい女性がちょっとエロティックな小説を書いてまっせ、ダンナ、どうっすか」の謳い文句でおなじみ『小説宝石』に、場所を提供されて、処女作「情人」を発表。

 山口さんは近藤さんを、「人生の師、小説の師」と仰ぎました。小説を書いては鴨川の近藤邸を訪ね、さまざま指導・添削を受けたりします。なかで、近藤さんから言われた印象ぶかい言葉があるそうです。

「思えば酒場も一人、作詞も一人、孤立無援で寄るべき大樹の陰ももたない私が、はじめて心から人に甘えさせてもらえたのは、近藤先生ただお一人である。」

(引用者中略)

「小説をはじめたとき、

「おまえ、かく以上は本当のことを思った通りかけ。それが世の中に受けいれられなかったら、他人に迷惑をかけるからすぐさまやめちまえ」といわれた。

私のなかにずしりと根を張った、重い一言である。」(昭和60年/1985年7月・文藝春秋刊『百人の男』所収「近藤啓太郎」より ―初出;『夕刊フジ』連載「これぞ!! 100人の男」)

 じっさいに山口さん、他人に迷惑をかけかねない小説を、けっこう書きます。

 新進・新人作家ではありましたが、とにかく山口さんは、すでに有名人の一角にいて、顔も広い人でした。しかし、世間的には、最初ははっきりいってイロモノ扱いだった、と言うしかありません。同じイロモノ扱い(扱われ)三人娘のひとりだった林真理子さんは、わたしの受けたバッシングもたいがいだったけど、山口さんのほうがもっとエゲツなかった、などと言っています。

「山口洋子さんとは、三十年前直木賞を一緒にノミネートされた仲である。山口さんと落合恵子さん、そして私の三人が続けて直木賞の候補になり、誰が一番最初に獲るか騒がれた。「新才女時代」と書かれたこともある。

その口調には軽い揶揄があったと思う。

(引用者中略)

私もさんざん嫌なめにあったが、山口洋子さんはもっと風あたりが強かったのではないだろうか。

「女給風情に何が書ける」

と面と向かって言われたこともあったと、何かに書かれていたのを読んだことがある。

(『週刊文春』平成26年/2014年10月2日号 林真理子「夜ふけのなわとび 作家の語学力」より)

 そうなんですよね。まえにもうちのブログに書きましたけど、山口さんの場合、「ヒット作続々の作詞家」じゃなく、「恋愛エッセイスト」としてでもなく、とにかく「クラブのママ」の側面が、当時いちばんイジくられやすい部分だったらしいんですよ。直木賞の候補に3度なって、そのあと受賞したあたりの、週刊誌の記事を見ていると、よく出てきます。

 この辺、人をコケにしたいときの王道な攻め口。なのかもしれませんが、たとえば「お笑い芸人の書いた小説なんか、読みたくもない」みたいな表現は、いまでも立派に通用する(みたいな)ので、とりあえずどうやって他人をバカにしていいか迷ったときは、人の職業のことを笑っておけば済むらしいです。

 しかも山口さんの場合、書く題材も題材でした。近藤さんから「本当のことを思った通りかけ」と言われたからなのか、この小説のモデルは誰それだ、とついウワサしたくなるような、現実との距離感がかなり近い小説を書いていきます。

 銀座のクラブのママ、プロ野球選手、スキャンダル、の三題噺のうえにさらに直木賞(落選)までのっかり、裏ドラがついて満貫。みたいな第91回(昭和59年/1984年上半期)のときなどが、その代表的なものでしょう。候補作は「弥次郎兵衛」。まあ、さんざん酷評する作家スジ・評論家スジのコメントが躍動しました。

「ある高名な作家は、

(引用者注:山口洋子の「弥次郎兵衛」は)週刊誌のスキャンダル記事をふくらましただけの小説だよ。だいたい、こんな作品が直木賞の候補作として上ってくること自体おかしい。作家としての目、新しい解釈があればともかく、程度の低い作品だね。(引用者中略)文学に対する姿勢が低いよ」

とコテンパンなのだ。

(引用者中略)

某文芸評論家など、彼女が聞いたら卒倒しかねないようなことを平気でいうのだ。

「読む気すら起りませんな。だいたい、あの人の作詞を見れば小説だってわかります。山口さんの詩は、いい加減な文句を並べただけですからね。猫がパソコンを叩いているようなもんですね。ま、ああいう小説は読みたい人が読めばいいんだけど、どうせ読むなら、もう少し深い楽しみを与えてくれるものを読んだほうがいい」

そして、返す刀で直木賞そのものも斬って捨てる。

「直木賞も最近では程度が低くなり、有名人に書かせた小説に賞をやって売ろうという魂胆が見えている。小説全体が低迷しているから、その中で何とかヒットを出そうとする戦略みたいなもんですな」」(『週刊新潮』昭和59年/1984年8月2日号「巨人「柳田選手」のスキャンダルを書いて直木賞落選した「姫」のママ」より)

 「高名な作家」は、まだ作品そのものを基準に語ろうとしているからいいです。だけど、この「某文芸評論家」。偉そうな口きいている割りには自分の実名を隠して、しかもさして中身のない、毒にも薬にもならない直木賞批判を繰り出すという、なんとまあ恥ずかしい人でしょうか。

 というのはさておき、この『週刊新潮』の記事、本文では山口さんを「銀座のクラブのママにして作詞家という“マルチ人間”」ととらえ、作詞家・山口洋子についてもきちんと言及しています。なのに、けっきょくタイトルを「「姫」のママ」にしてしまうあたりが、どうやら人をコケにする手法の王道、なんでしょう。たぶん。

           ○

 これが山口さんの、2度目の候補のときです。『週刊新潮』は堂々5ページ、落選をネタに煽り立てていましたが、じっさいには直木賞の選考会ではすでに、「もう山口洋子いつとってもおかしくないモード」に入っていました。

 そして3度目の第93回(昭和60年/1985年上半期)で、直木賞を受賞。マスコミ陣の張りつくなか、待機場所から受賞会見、祝賀会と、バチバチとカメラのフラッシュが焚かれ、ちょうどこの回、芥川賞には授賞者がいなかったこともあって、注目をひとり占め。その後も大量の取材攻勢と原稿依頼で、一気に時のひととなります。当然のように、その年の紅白歌合戦の審査員にもなりました。

 「有名人に書かせた小説に賞をやって売ろう」という目的のほうも、みごと成就します。例の某文芸評論家など、きっとイヤな思いをしたことでしょう。いや、絶えず何かを批判することがアイデンティティな人もいますので、この方も、批判のタネが増えて逆に喜んだかもしれませんね。わかりません。

 ともかく、受賞した後にも、週刊誌では、

「口さがない文壇関係者の一部批判者にも「たかがバー経営者。読む気がしない」と酷評する向きがある。」(『週刊サンケイ』昭和60年/1985年9月5日号「内藤国夫の取材現場」より)

 なあんてことが書かれます。「80年代直木賞の芸能化に、眉をしかめる文学関係者」役を務めた人のいる様子がうかがえるところです。いつの時代も、騒がれる受賞には絶対に「眉をしかめる文学関係者」ってのが出てくるので、とくに大した役じゃないんですけど。

 しかしこのときは、(それこそ、どこぞの文壇バーで)先輩作家や評論家が気炎をあげてゴシップ的に人々を楽しませる、といった状況ではおさまらなかったようです。筒井康隆さんによれば、

「そういえば、山口洋子が直木賞を取った時も、クラブのママを(引用者中:日本文芸家協会に)入会させることに難色を示した委員がいた。当時の入会審議委員長で副理事長だった野口冨士男は「いったい連中、自分をなに様だと思っているんだ」と憤っていたという。山口洋子は結局入会できたわけだが、こういう気骨のある老大家も今の理事の中にはいなくなってしまった。」(平成6年/1994年5月・新潮社刊 筒井康隆・著『笑犬樓よりの眺望』所収「文芸家協会を脱退した」より)

 と、文芸家協会の入会でもひと揉めあったんだとか何とか。

 先に引用したように林真理子さんが、多少は追悼の意もあったでしょうが、山口さんのことを立てて、私よりもっと風あたりが強かっただろう、と言い、「私は勝手に親近感と尊敬を持っていた」と書くのも、わかる気がします。ここで紹介したのなんて氷山のナントヤラで、じっさいは山口さん、もっと変な中傷とかも投げつけられてたんだろうなあ。

 中傷はともかくとしても、直木賞もとったことだし、山口さんの書く小説って、文学方面からどういうふうに評価されたんだろう。と思いまして、受賞してしばらくたってから出た本を、2冊ばかり見てみました。

 平成2年/1990年10月の『現代女性文学辞典』(東京堂出版刊)。タイトルどおり、女性に限定して文学者を紹介した辞典です。当時までに誕生した直木賞受賞者、女性は17名いたんですが、ほぼ全員載っています。だけど、山口洋子さんだけ、ただひとり立項されていないんですよ。……とほほ。

 もうひとつ、平成9年/1997年5月の『時代別日本文学史事典 現代編』(東京堂出版刊)には、「第二部昭和後期 第3章 解体する状況」のなかに、尾形明子さんが「2 女性作家の進出」という文章を書いています。最後のところだけ挙げてみます。

「こうした(引用者注:有吉佐和子、曽野綾子、田辺聖子、瀬戸内晴美=寂聴、三浦綾子、宮尾登美子、山崎豊子、森崎和江、山崎朋子、岡部伊都子、澤地久枝、石牟礼道子などの)作家たちの活躍と平行して、新たな世紀に向って自らの文学を模索し書き続ける林真理子、山田詠美、吉本ばなな、加藤幸子、木崎さと子、落合恵子等々の中堅、若手作家の活躍が期待される。」(『時代別日本文学史事典 現代編』より)

 林さんにも、落合さんにさえ触れられている。なのに、山口さんの名前がない。ガーン。(←驚き方の表現が古いぞ、っていうツッコみはご遠慮ください)

 それでも山口さんは、途中、からだを壊して休んだり、膨大な借金を抱えたりしながらも、直木賞受賞者として十分な働きを見せてくれた作家……でしたよね。そう思いたいです。

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