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2016年1月 3日 (日)

山田邦子は言った、「毎回、直木賞を狙っている。けど私の作品はムリかなあ」。(平成6年/1994年9月)

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(←書影は平成9年/1997年6月・幻冬舎/幻冬舎文庫 山田邦子・著『結婚式』)


 基本、直木賞は大した作品を選び出してきたわけじゃありません。まわりの人たちが過剰に話題にしてくれるおかげで、知名度を維持してきました。

 「まわりの人」のなかでも、とくにありがたいのは、トップクラスの人気タレント(とそれを取り巻く記者やライター)です。推奨、批判にかかわらず、何度も何度も「直木賞」と口に出してくれる。それだけで世間に拡散し、「直木賞は大したものらしい」みたいな思い込みがすり込まれ、直木賞の寿命がまた延びる、っつう仕組みになっています。

 1980年代後半に、積極的に直木賞ネタを繰り出してくれたのが、ビートたけしさんです。それで場もあったまった1990年代初頭、「芸能人×直木賞」の世界を牽引してくれたのは、明らかにこのひと、山田邦子さんでしょう。

 はじまりは平成1年/1989年。じっさいに山田さんが初の小説を出すより前のことです。この年1月に発表されたNHK「好きなタレント調査」女性部門で、山田さんははじめて第1位に躍り出たんですが、この段階ですでに「次代の〈直木賞〉ネタを背負って立つ芸能人」として、期待がかけられていたことがよくわかります(わかるのか?)。『週刊女性』の記事です。

「「もっと多くの人に親しまれるタレントになりたい。そのためにはどうすればいいか。いろいろ考えてるんですが、実はずっと以前から小説を書くのが夢だったの。それをこの機会に、いよいよとりかかろうかと思ってるんです」

(引用者中略)

来年は、デビュー10周年の記念の年になる。

その記念の年に、タレントとしてさらに大きくはばたくために、来春には、ぜひ処女小説を出版したいと思っているのだ。

同じ事務所の先輩だったビートたけしも小説を書き、好評をはくしているから、クニちゃんの小説も楽しみ。たけしと、どっちが早く直木賞に手が届くか……。」(『週刊女性』平成1年/1989年2月14日号「「好感度」女性No.1に選ばれたクニちゃん。長年の夢だった小説執筆を」より)

 そりゃ、この記事を書いたライターだって、山田さんの小説を読んだわけじゃありません。単に景気づけのノリで「直木賞」のワードを使っただけ、だとは思います。

 しかし、翌年、現実に『あっかんベーゼ』(平成2年/1990年6月・太田出版刊)が刊行されますと、以降は、周囲がどうこう言うのにまかせず、山田さん自身が、直木賞のことをどんどん(?)発言しはじめるのです。愉快な時間のはじまりです。

「タレントの山田邦子は、この13日に誕生日を迎える。タレントとしても10周年になる。その記念にナ、ナ、ナント恋愛小説まで書きおろしちゃった! 短編7本からなる小説集『あっかんベーゼ』(太田出版刊、千円)がそれ。

(引用者中略)

「あと、2、3作書いて、直木賞をねらうわ」

と目標も大きい。」(『週刊女性』平成2年/1990年6月19日号「山田邦子(29歳)が書きおろし恋愛小説発表「直木賞をねらってるよ」」より)

 もちろん、書下ろしで太田出版から1冊出したって、直木賞の現実味などゼロです。だからなのか、いきなりの直木賞ねらい宣言ではなく、2作、3作と書いていくうちに直木賞を。……と、先を見据えているところが、堅実といいますか、並の「小説出してみました」芸能人とは、言うことがちがいます。「芸能人×直木賞」ニュースをリードしていくにふさわしい貫禄すら、すでに感じ取れるところです。

 もしもこれで、全然売れなかったとか、お手軽な芸能人エッセイだね、みたいに評価されていたら、ハナシは終わっていたかもしれません。しかし刊行直後から、おお山田邦子、意外とやるじゃん、といった意見が続出。山田さんのタレントとしてのパワーが、のぼり調子だったことも手伝って、だいたい1年間で刊行20万部ぐらいにまで達してしまいました。

 よし、このまま小説を書き続けても大丈夫だ。と、山田さん自身もやる気をふくらませたことでしょう。と同時に、直木賞ネタのほうもひきつづき継続することが許されたようなもんです。ここから数年は、太田出版から出される新刊の話題とともに、山田さんと直木賞のハナシが、次々と湧いて出てくることになります。

 第二小説集の『結婚式』(平成3年/1991年9月・太田出版刊)のときには、

「「結婚式」三十四万部、「あっかんベーゼ」二十万部。好感度ナンバーワンタレント山田邦子の小説が、いま若い女性を中心に、やまだかつてない売れ行きをみせている。

(引用者中略)

「直木賞でも狙おうか」

最近、そんなことをスタッフや編集者に話しているそうだが、今後も年一冊のペースで小説を出していく予定だというから、あながちそれも夢ではないかもしれない。」(『週刊読売』平成3年/1991年9月8日号「小説バカ売れ マジで直木賞を…… 山田邦子」より)

 『結婚式』はとにかく売れたおかげで、注目もされました。文学賞に関しても、山田さん本人の言葉だけでなく、

「文壇関係者の間で、

「村上春樹、吉本ばななに続く恋愛小説作家の旗手」

として注目を集め小説の有力な賞の受賞も可能性が大きいといわれている。」(『週刊女性』平成3年/1991年9月3日号「書きおろし小説『結婚式』が29万部の週間ベストセラー 「恋愛小説作家の旗手」の評判」より)

 と、誰がどういう責任でしゃべったウワサなのか、有力な賞を受賞する可能性が大きかったんだそうです。売れると、まあ、ほんとにいろんなこと言い出す人がいるもんですね。最終的に50万部を突破した、と言われるほどに売れたんですが、けっきょく現実には、何も受賞しませんでした。

 三冊目は初の長篇、『セミダブル』(平成4年/1992年7月・太田出版刊)。山田さんが、芸能界隈お得意の、色恋ゴシップにまき込まれていた時期でもあったので、「ぬひひひひ、この小説にはどこまで本人の実体験が入っているの!?」みたいな、これまたおなじみの出歯亀チックな取り上げられ方で盛り上がりをみせます。しかもこの小説のときは、小説が完成する前から週刊誌に登場。

 しっかり文学賞のハナシも出てきます。

「なぜそう“小説家”にこだわるのか。

ある芸能レポーターが語る。

「2作目の恋愛小説『結婚式』が30万部も売れたのに味をしめたんでしょう。もともと作詞や小説執筆などロマンチックな仕事にあこがれていて、いまでは、賞を取りたいなんていってるそうだよ」

作家活動に時間をとられるおかげで、テレビ局での評判はいまひとつ。

(引用者中略)

評論家の桑原稲敏氏は、

「知名度によりかかった芸能人の小説なんて、キャラクター商品と同じ。いい悪いをいっても始まりませんが、なんの価値もない」

というが、さて、いったいどんな“小説”が出来ることやら。」(『週刊現代』平成4年/1992年4月4日号「書き始めた途端にダウン “小説家”山田邦子の前途」より)

 要するに、人気絶頂で売れている人を、どうにか馬鹿にしてやろう。という、この世に空気のように存在する単純な感情を、そのまま文章にしたわけですね。それはそれで、週刊誌臭が強烈に出ていて、いいと思います。

 ただ、山田さんが直木賞に言及していたのは、『結婚式』が売れる前からです。「味をしめた」なんて見方しかできない何某さんには申し訳ないですけど、山田さんのほうがスジは通っています。

 そして、誰かひとりにとっては無価値でも、これに価値を見出す人はたくさんいました。1作目、2作目、3作目とセールスは好調に推移。いずれも話題になって、小説家・山田邦子の名はひろがるいっぽうでした。……とともに、山田さんと直木賞がからんだハナシも拡散しつつ、進化を遂げていくことになります。

           ○

 何冊か実績を挙げて、そのうち直木賞を。と山田さんは言っていました。宣言どおりに、やめずに小説を書きつづけ、一年に一冊ずつ着実に新作を発表。ここで直木賞が、もっと開明的だったり、話題性だけを売りにする賞だったりしたら、山田さんの小説が候補になっていてもおかしくなかったと思います。そしたらその後の展開も大きく変わっていたはずです。

 4冊目の『一家ランラン』(平成5年/1993年7月・太田出版刊)のときは、ビートたけしさんの『漫才病棟』(平成5年/1993年5月・文藝春秋刊)とセットで、直木賞関連記事に仕立て上げられました。たけしと邦子、どちらかが候補になっても不思議じゃない、という空想以外のことは何も語っていない(に等しい)、いわゆる飛ばし記事です。

「「邦子がタッチ!」(テレビ朝日)から。(引用者中略)ゲストで出演していた直木賞作家の志茂田景樹さんに向かって、(引用者注:山田邦子が)照れながらこう尋ねたのだ。

「直木賞って、どうやったら取れるの?」

(引用者中略)

(引用者注:山田邦子の担当編集者いわく)今回の小説は四作目ですが『いままでとは違ったものが書きたい。自分のルーツを探る意味で、家族をテーマにしようと思う』と、本人は特別、力を入れてました。(直木賞は)本気でほしいみたいですよ」

(引用者中略)

たけしさんや邦子さんのような超弩級のお笑いタレントが、もしめでたく受賞したなら、いままでにないケースとなるだろう。

そうでなくても、最近のお笑いパワーは、キャスターに映画監督にと、周りの職域を侵食しつつある。

受賞は大いに楽しみだが、実現したならしたで、直木賞お前もかと、ちょっと寂しい気もするが。」(『サンデー毎日』平成5年/1993年7月4日号「直木賞を狙う「たけしと邦子」の本気とシャレ」より ―署名:本誌・安藤美樹)

 これまでとはちがって、かなり直木賞に近づいている、という仮定をもとに、ライター自身が意見、感情を述べています。じっさいに山田さんが受賞したら、事前報道、事後報道でわき返り、絶対に祭りになったでしょう。なのに安藤さんのように、嬉々として直木賞にとびつくにちがいない立場の人が、「ちょっと文芸界を憂いているふりしてみました、えへっ」と反発するかたちで、直木賞と聞けば一言でも憎まれ口を叩かずにはいられない、日本の週刊誌界に伝統的に伝わる視点を引き出したあたりは、山田さんの功績でした。

 小説を書いた人が「直木賞がほしい」と言う。有名・無名にかかわらず、そういう人はたくさんいますので、山田さんがどう発言しようが、問題ありません。

 残念なことに、問題は直木賞の側にありました。「小説を書いたすべての作家たちから力のある人を選び出してくる」というシステムの賞ではなかったからです。

 どうも直木賞の運営サイドには、「文芸書を中心に出している全国的に名の知れた出版社の編集者が担当につき、そういう版元から四六判の小説を出している人だけが、将来の商業小説界を背負っていける」みたいな、いまいち理解できない文芸観があるらしく、そんなものを守って何になるのかよくわかりませんけど、時代錯誤といおうか、チャレンジ精神が希薄といおうか、かなり退行的な文学賞です(直木賞にかぎらず、出版社のからむ賞は、だいたいそういう風潮があります)。それでもまだ、90年代前半ごろまでは、文学賞になじみのない出版社の本であっても、ギリギリ候補に残る可能性がありましたが、90年代後半以降は、視野狭窄の傾向が強まり、名実ともに「ハリボテ文学賞」路線を突き進むことになります。

 ともかく、太田出版から何冊出しても、そこに直木賞への道なんてありません。小説を出すたびに、週刊誌は直木賞と結びつけ、自分でも毎年、直木賞をねらっていると話す。それでも候補にならない。……5冊目の『同窓会』(平成6年/1994年6月・太田出版刊)刊行のインタビューにいたって、山田さんが、ややあきらめ口調になってしまったのは、無理ないかもしれません。

「直木賞も、毎回狙っているけれど、私の作品は“問題作”には遠いから、ムリかなあって。みそでも醤油でも、私、他人から物をもらうの大好きなんですけどね。直木賞もいただけたらうれしいわ(笑)。」(『ダ・ヴィンチ』平成6年/1994年9月号「作家インタビュー・山田邦子 醤油でも直木賞でももらえるものは何でもほしい」より)

 いったいどのあたりの受賞作・候補作が頭にあったのか、「問題作でないと直木賞には縁遠い」……っつうのは、なかなか珍妙な直木賞観です。もはや、いろいろラブコールを送っているのに一向に反応のない、直木賞関係者方面への愚痴、といった感も漂っています。

 4~5年にわたる、長いようで短かった、山田邦子&直木賞の話題。どうやら終息の時期に差しかかったようです。

 平成6年/1994年には、山田さんは説教くさくてスタッフから嫌われているのだ、したり顔でコメントするせいで視聴者からの支持も失いつつあるのだ、と悪評が噴出し出します。

「テレビ関係者は言う。

「もう山田邦子という名前だけでは番組の枠は取れなくなってきている。

“女王”であることに間違いはないが、もはや峠は過ぎてますね」」(『週刊宝石』平成6年/1994年8月18日・25日合併号「山田邦子 書下ろし小説も評判 “バラエティの女王” 一方では好感度NO.1も好き嫌いが激しく不評が!」より)

 タレントとしての人気は下降線をたどりました。この時期『毎日グラフ・アミューズ』(平成6年/1994年10月26日号)のインタビューでは、いちばん好きな仕事の筆頭に「書くこと」を挙げ、以下順にラジオ、ライブ出演、テレビ、と答えていて、タレント業と同程度の比重で、小説執筆にもかなりの思い入れを表明。毎年、太田出版から小説を出版しつづけましたが、それも13年目、平成13年/2001年『オバサン・レディ』でストップしてしまいます。以降、小説家として活動しているというハナシは、まるで聞きません。

 果たして、執筆意欲が衰えたのか、単に売れなくなって出版してくれるところがなくなっただけなのか、よくわかりませんけど、平成15年/2003年の『邦子の「しあわせ」哲学』(平成15年/2003年9月・海竜社刊)では、舞台のこと、タレント業のこと、趣味の手芸のこと、などなどに触れる記述はあっても、「書くこと」に対する思いはまったく出てきません。

 次なる「山田邦子第2期作家活動」がスタートする日は、やってくるのでしょうか。もし、そんなことがあるのなら、「作家気取りでかっこつけやがって」などとやっかまれることもないと思うので、じっくり、みっちり、好きな小説の題材と向き合って、書きつづけていってほしいなあと祈っています。

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