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2016年1月24日 (日)

松野大介は言われた、「ペン芸人の系譜は、圓朝、青島幸男、高田文夫、そしてお前」。(平成22年/2010年6月)

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(←書影は平成20年/2008年1月・富士見書房/Style-F 松野大介・著『マイホーム・ソング――ひばりちゃんとうたうかあちゃん』)


 第154回直木賞の決定も、空気のように過ぎ去りました。これから半年間、直木賞に注目する人が急速に減っていくことは確定しているわけですが、うちのブログもいったん小休止。ほぼ直木賞とは関係ないけど、「芸能人と小説」の歴史では、だれひとり目をそむけることのできない確固たる存在感を占める人、松野大介さんのことでいきたいと思います。

 まあ、かなりのこじつけです。しかしワタクシが、松野さんという作家を、つい直木賞とからめて見てしまうのは、直木賞はこういう人をこそ候補に挙げればいいのになあ、と日ごろ思っているからかもしれません。

 ひとつには、松野さんが「中間小説」界、いまでは「エンタメ文芸」界と言ったほうがいいんでしょうが、そういう「商売っ気たっぷりの読み物小説なんすけど、文芸なんすよ、えへっ」みたいな世界とは、まるっきり別のところで物書き業を営んできた人だからです。

 かつて松野さん自身も、自分の書くものは、文芸方面からはあまり相手にされていない、みたいなことを言っていました。

「俺が文芸のほうから出したのは、『芸人失格』の幻冬舎が初めて。だから、あんまり相手にされてないんだね。相手にされていないっていうのはヒドイ話だけど、軽く流されているところはあるかもね。俺が出してきたのは、ベストセラーズとかからだからさ。」(平成10年/1998年10月・ビレッジセンター出版局刊『性愛を書く!』所収「松野大介 書くことで、自分の輪郭をはっきりさせる」より ―インタビュー:色川奈緒)

 それで、「まわりのみんな、だれもこの人が〈大衆文芸〉(……って何だ?)の作家だなんて、思っちゃいねえよ」といった世間の空気を、まったく読まずに、賞をあげちゃうのが、かつて直木賞の得意としたお家芸です。ごぞんじのとおりです。

 古くは、井伏鱒二さんの受賞なんてものがありまして、「井伏鱒二に直木賞なんて、全然おかしい」などと、知ったふうな口をきく、既成概念にガリガリに縛られた人たちが、さんざん直木賞にケチをつけてきました。コピーライター山口瞳さんの、エッセイふう読み物が選ばれたときも、あれこれ言われました。これ大衆小説じゃなくてノンフィクション系じゃん、と佐木隆三さんのときにも、にぎわいました。

 「直木賞の乱心」と呼ばれる、こういった受賞のあることが、じつは直木賞のなかで最も意義がある性質じゃないの? と思うんですよねえ。しばらく、ご乱心から遠ざかってしまっていますけど、ここはやはり直木賞に、日ごろ馴染んでいるぬるま湯テリトリーから、少し足を踏み出し、あるいは踏み外すことで、しっかりとその働きをみせてくれることを期待したいです。

 ええと、松野さんのことにハナシを戻します。

 松野さんに、直木賞との親近性を感じる理由は、ほかにもあります。たとえば、書いている作品は、「これぞエンタメだ」と自信をもって誰かに勧めるのは躊躇しちゃうけど、十分に小説の面白みが詰まっていて、カテゴライズに、つい迷ってしまうところ。

 あと、小説を書きはじめるにいたった過程や、その後の小説との関わり合いが、相当ドロ沼なところなども、そうです。ぐちゃぐちゃしています。直木賞が顕彰するのに、ほんとふさわしいと思います。

「27歳ぐらいの頃(引用者注:平成3年/1991年ごろ)は一番つらかったね。そして唯一、一緒にやってるレギュラー番組から俺だけ降ろされて、それから1年ぐらいが地獄だったよ。金がないことよりも、やることがないっていうのがつらいんだよね。(引用者中略)

そのとき別にやることもないから小説を書こうと思ったのが良かったですよね。自分のことを書くことには自己再生というか、癒しの効果もあるから。酒を飲んでるのがもったいなくなっちゃって。」(平成19年/2007年11月・コアマガジン刊 吉田豪・著『続・人間コク宝 ドトウの濃縮人生インタビュー集』所収「松野大介 向いてないんじゃないかと思うんだよ、書くことに。書きたいことがあってもね。」より)

 このあと、コンビ時代に担当編集者だった人から声をかけてもらって『Hanako』にエッセイの連載を開始。つづけて平成7年/1995年には処女エッセイ集『ひとり暮らしボーイズの欲望』(マガジンハウス刊)が出ることが決まり、いよいよ文筆家として単行本デビュー。ということになるんですが、そんな時期になっても、まだ松野さんは、発表されない小説をずっと書きつづけていました。小説への思い入れ、というか思いは、かなり強かったんだと思います。

 それで、いくつも新人賞に応募しました。なかなか結果が出ずに、それでもあきらめ切れなかったらしく、平成6年/1994年に最後の最後に応募した文學界新人賞で、最終候補に残り、このことが出版界隈でもちょっぴり話題に。これが縁となって、松野さんは小説家としても、『野性時代』に「コールタールみたいな海」を発表してデビューすることになります。

大槻(引用者注:大槻ケンヂ) 松野さんは何か賞をとられたんですよね。

松野 いえ、とってないですよ。文學界新人賞に応募したんです。他にも応募はしたけど、最終選考に残ったのは文學界新人賞だけで。

大槻 他には何に出したんですか。

松野 オレの年代だと、「辻仁成」「大鶴義丹」という受賞者がいたから……。

大槻 すばる文学賞!

松野 オレもいけると思ったんですよね(笑)。二十八歳のときだったかな。でも一次選考通過の百人にも残らなかった。全然ダメ。その後、短編を小説現代新人賞に送ったり。文學界に応募した頃はもう三十一歳で、初めてのエッセイ集がマガジンハウスから出る予定になっていたんです。本が出たらもう応募できないから、「これが最後だ。もうどうでもいいや」と思って老舗の文學界に送ったんですよ。」(『新刊展望』平成20年/2008年3月号 大槻ケンヂ、松野大介「対談 われらのモノ書き業を語る」より)

 ちなみに松野さんが最終候補になった第80回の文學界新人賞というのは、のちに芥川賞をとる青来有一さんが「ジェロニモの十字架」を受賞してデビューした回です。

 この文學界新人賞との関わり具合。松野さんのまわりに、ほんわり直木賞オーラが見えてきてしまうんですよね。

           ○

 文學界新人賞は、芥川賞(候補)への道に通じている。……というのは、言わずとも知れたことですが、ひっそりと、直木賞のほうとの親和性も無視できない存在で、ここがこの新人賞のユニークさを物語っています(いや、直木賞のほうがユニークなだけかもしれません)。

 『オール讀物』の新人賞を受賞した人、最終候補に残った人のなかから、のちに芥川賞を受賞したのは、この新人賞60ン年の長い歴史で、ひとりしかいません。というか、そのひとりも松本清張さんで、オール新人杯の佳作になった選考会の、わずか半月後に、すぐに芥川賞を受賞しているので、実質的にはゼロ人と言っていいと思います。

 逆に、文學界新人賞の受賞者や最終候補者からは、直木賞受賞者が8人も誕生しています(城山三郎、三好徹、陳舜臣、三好京三、深田祐介、阿部牧郎、古川薫、中村彰彦)。

 直木賞というのは、候補になるだけでも大きな意味をもつのだよ、っていう伝からすれば、文學界新人賞(候補を含む)→直木賞候補へのラインは、さらに倍増してプラス11人。ここ最近に候補になった、大島真寿美さんや宮下奈都さんなどは、記憶に新しいところですが、あれは要するに、直木賞の伝統のひとつでもあったわけですね。

 『文學界』で注目されて、そこに何篇も小説を発表した経歴をもつ人だから、芥川賞系なのか。というと、それは違います。さっきも書いたとおり、(芥川賞はともかく)直木賞は、そういう「既成概念の持ち主たち」を蹴っ飛ばすのが、ひとつの持ち技なんですから。仮に芥川賞系、だったとしたところで、それだから決して直木賞系ではない、ということにはなりません。

 むしろ、自分を立て直すために、これまで手をつけたこともなかった小説を、やむにやまれず書きはじめ、それが早い段階で文芸として評価された。というところで、ワタクシは松野さんに、直木賞の匂いを感じちゃうのです。

 松野さんの才能を認めて、これまでずっと支えてきたひとりに、放送作家の高田文夫さんがいます。もちろん高田さんは、基本的に、人を笑わせよう、世間を笑おう、ってことをベースに物を語る人ですから、冗談は冗談なんでしょうが、松野さんに対する評価(またはエール)として、こんな表現をしていました。

 二つ挙げます。

 まずは松野さんが、作家としてデビューしたころ。

「芸人としての松野は、作家の文体(フレーズ)を模写する“文体模写”のネタなんか、知的だよ。漫談風の、スタンダップコメディーは希少価値ありだよ。かつてのコンビ、秀ちゃんは芸能界でも石原裕次郎フリークとして有名だから、松野はペンを武器に芸能界の石原慎太郎を目指してほしいね。」(『日刊スポーツ』平成7年/1995年5月28日「楽屋のつづき 松野大介は「芸能の石原慎太郎」目指せ」より ―署名:立川藤志楼、別名・高田文夫)

 次は、それから15年ほど経った、松野さんによるインタビューでの場面です。

「――今日はペン芸人に歴史があることがよくわかりました。オレも後追いとして頑張ります。

「ペン芸人の元祖は圓朝だから。しゃべるのも書くのも両方やった。だから近代史的に言うと、圓朝がいて、青島幸男がいて、オレがいて、お前なんだよ!(笑)」

――オレの上3人が大きすぎじゃないですか!

「お前も大きくなりゃいいんだよ」」(『アサヒ芸能』平成22年/2010年6月17日号「仕事なんか笑っちまえッ お笑い芸人「俺の逆境突破術」」より ―聞き手・文:松野大介)

 石原慎太郎よりも、やっぱ青島幸男のほうが似合うでしょ、松野さんには。青島幸男のほうが似合うってことは、それはつまり、直木賞が似合うってことで……と、これもまたこじつけなんですが、最初からそのつもりで書いているので、気にせず最後の締めに突入します。

 事情はなあーんも知りません。どうも背水の陣で挑んだ『マイホーム・ソング』(平成20年/2008年・富士見書房刊)が、まあ期待どおりには売れなかったらしく、小説ではなくコラム、インタビュー記事の構成などなどの仕事に突き進んでいるらしいんですが、いつかまた、松野さんが小説に戻ってきた折りには、今度はしっかりと受け止める文学賞が現われてほしいよなあ、と思います。青山文平さんだって、しばらく小説執筆から離れて、ライター業で生計を立てて、やがて戻ってきたときに文学賞に受け止められたんですもんね。ええ、最後までしつこく、直木賞とこじつけてみました。

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