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2015年11月の5件の記事

2015年11月29日 (日)

劇団ひとりは言った、「直木賞にノミネートされるかも、なんていう噂に、迷惑しています」。(平成18年/2006年7月)

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(←書影は平成18年/2006年1月・幻冬舎刊 劇団ひとり・著『陰日向に咲く』)


 9割ぐらい斎藤美奈子さんの責任なんじゃないかと思います。

 劇団ひとりさんは、文才もあってお話づくりもうまく、まだまだ小説の書ける人だと思います。『陰日向に咲く』は、最終的に(約)百万部の売上に達してしまい、芸人の「非ネタ本」(……って、かなりダサいネーミングですけど)界に明るい未来をきりひらいて、その後の、芸人による小説の流行を喚起した記念すべき作品として、後世にまで語り継がれて何の遜色もない出来なのは、たしかです。

 しかし、そこでどうして直木賞などという、少数の仲間しか相手にしない、しみったれた行事の話題と結びつけられてしまったのか。といえば、斎藤美奈子さんが『週刊朝日』の書評「文芸予報」でやらかした、なにげない一言のせいです。

「知名度ゆえのアドバンテージがあると考えるか、ハンディ戦だと考えるかは微妙なところ。が、結論からいうと、これはなかなかの掘り出し物である。」(『週刊朝日』平成18年/2006年3月3日号より ―引用原文は平成20年/2008年11月・朝日新聞出版刊『文芸誤報』)

 と、それこそ「微妙な」褒め方をしたうえで、最後にこうしめくくりました。

「全作品にオチというか種明かしがあり「どうだ」という感じが多少鼻につくものの、ふつうに直木賞をねらえるレベルでしょう。」(同)

 日本(の出版・編集界)には、とにかく「直木賞」という三文字が大好きな人たちがたくさんいるのは、日ごろみなさんも実感していると思いますが、この斎藤さんの一言で、俄然、劇団ひとりが直木賞だって!? と息を荒くして興奮した人が急増。『スポーツニッポン』3月1日付の記事「劇団ひとりの処女小説「陰日向に咲く」、映像化権“争奪戦”」ではさっそく、「ふつうに直木賞を狙えるレベルでしょう」の一節が引かれ、わあ直木賞だあ直木賞だあ、と元気に庭をかけまわります。

 当時、ワタクシもその一端を目のあたりにしました。たまたまこの時期、直木賞(ともうひとつの賞)の特集を組むというので、『ダカーポ』のライターの方と直接お話しする機会があったんですが、とにかくその方の「劇団ひとり×直木賞ニュース」に対する熱がすさまじく、「まだ候補は発表されてないですけど、候補を決める予選の20、30冊ぐらいまでには、残っているみたいなんですよ!」「ほんとうに候補になるかもしれませんよ!」と、何か世界がひっくり返るんじゃないかといった勢いで話されていたことを思い出します。

 その『ダカーポ』誌の特集には、劇団ひとりさん本人まで駆り出され、直木賞に臨む(?)思いを語らされてしまう始末。

「「褒めてもらったのはいいんですけどね。誰がそんなことを言い出したのか知らないけど、直木賞にノミネートされるかも、なんていう噂を耳にして、なんか変な下心が出てきちゃって。ほとほと迷惑しています。ふたを開けてみたら、相手は何とも思ってなかったりしてね」

(引用者中略)

果たして、直木賞へのノミネートは実現するのだろうか。」(『ダカーポ』平成18年/2006年7月19日号「劇団ひとりの挑戦――直木賞ノミネートはあるのか? なんか変な下心が出てきちゃって……」より)

 どう読んでも、『ダカーポ』さん、あなたたちみたいに噂だけで煽り立てる人たちに迷惑してるんですよ、と言っているんですが、それを含めて記事にする『ダカーポ』は、さすが度量が広いといいますか、ツラの皮が厚いです。

 第135回(平成18年/2006年・上半期)の直木賞は、いつもどおりに中間大衆誌にこつこつ小説を書き、本を何冊も出しているような候補者をずらりと並べて、世界はひっくり返らずに平穏なまま過ぎ去ります。こんなものに手を借りなくたってウチは売りまっせ、と胸を張って生きる幻冬舎の見城徹さんは、こう言いました。

「編集者としてつかこうへい氏の「蒲田行進曲」など5作の直木賞を担当した幻冬舎の見城徹社長は、ひとりの成功はお笑いブームに左右されたものではなく、質の高さによるものだと指摘する。「切なくて、ちょっと笑えて、普段は気が付かない悲しみややさしさに気付かされる。芸人が余技で書いた小説ではない。ノミネートこそされなかったが、直木賞のレベルにある作品です」。」(『日刊スポーツ』平成18年/2006年8月9日「お笑いタレント劇団ひとりの小説が50万部突破」より)

 って、わざわざ候補にならなかった直木賞の名を挙げて、レベルの話をしているってことは、直木賞の手を借りているんでは? ……と思いたくもなりますが、まあ見城さんですから、そんな意識は全然ないでしょう(たぶん)。

 お笑い芸人と直木賞、といえば、本人みずからが話題性ねらいの意図をぷんぷんに匂わせ(いや、全面に押し出し)、直木賞直木賞と口にするのが世の主流。だと思っていたところに、まるでそういったそぶりも見せず、

「芸能人たるもの、普通なら自らせっせとプロモーションするものだが、「いわゆるタレント本として見られたくない」という理由で目立った宣伝活動はほとんどしなかった。」(『中央公論』平成18年/2006年7月号「人物交差点」より)

 と、発売に際しての姿勢に加え、小説はオファーがあったから書いただけですと言い切り、もうこんなことは二度とやりたくないですね、と小説参入に二の足を踏む劇団ひとりさんには、すがすがしさを覚えます。だからこそ、本人は別にどうとも思っていないのに、やたら周囲が浮足立ってキャーキャー騒ぐ、いかにも直木賞らしい光景を見せてくれた、とも言えます。

 だいたい、「直木賞レベル」って何すか。えっ、そんなところにレベルなんてあったの? 全然気づかなかったよ。と、直木賞ファンのワタクシですら混乱してしまう不可解きわまりない単語です。どうやら一人ひとりの頭のなかで、思い思いの勝手なイメージだけをもとに設定された「直木賞レベル」があるらしいんですが。……幻か、妄想のようなものです。

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2015年11月22日 (日)

北原リエは言われた、「新人賞受賞の記事が、渋澤龍彦の訃報より大きいなんて、世の中狂っている」。(昭和62年/1987年8月)

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(←書影は平成1年/1989年10月・中央公論社刊 北原リエ・著『青い傷』)


 北原リエさんには、直木賞に関するエピソードなんてありません。

 ないんですけど、「芸能人×文学賞」の話題となれば、どうしたって触れなくてはいけない超重要作家です。そりゃ無視できないですよね。と思って、かなり強引に直木賞と結びつけてみます。

 まずはデビューの経緯です。北原さんが原稿を送った新人賞には、最終選考委員が3人いました。これが、べつに大衆読み物系の雑誌でもないのに、3人とも直木賞の受賞者。以下、『別冊婦人公論』昭和62年/1987年秋号[10月]に掲載された、それぞれの北原作品評です。

「描かれている世界とそこで生きている人間が、比較的わかりやすいという点が評価されて、受賞作となりました。(引用者中略)表現に強引なところがあるのが気になりましたが、受賞が一つのきっかけとなって、大きく飛躍して下さることを期待しています。」(平岩弓枝)

「文章が全体に生硬で荒く、とくにラストの意識を失ってからの部分は蛇足で、全体の調子を崩してしまった。しかし女主人公がポルノ女優であることに、恥じらいや悔いをもたず、むしろあっけらかんとしているところが、ともすればべとつくところを救い、新鮮でもあった。」(渡辺淳一)

「審査の段階では、名前だけしか知らされていないので、北原さんがどういう経歴の方なのか一切判らないし、よしんば判っていたとしても、作品の出来具合にはあまり関わりはないのではなかろうか。

 つまり、北原さんがこの作品を、ご自身の経験に基づいて書いたものか、或いはこういう世界に深い関心を持って取材しながら書いたものかは、読む者にとってどっちでもいいことである。ただ私は、ポルノの内幕やディレクターの生活など、全く未知の世界なので、この作品はひどく新鮮だった。」(宮尾登美子)

 宮尾さんの評は、まったくまともです。しかし当然、文学賞作品のよしあし、などに興味があるひとはごく稀ですから、受賞者が発表されてからの展開は、言わずもがなの想像されたとおりでした。

 女流新人賞、当時は『別冊婦人公論』が機関雑誌でしたけど、これをとったところで、すぐに満足できる機会が与えられるわけでもない、ゴマンとある並の新人賞のひとつだったんですが、「にっかつロマンポルノ」の威光はダテではなく、一躍、注目の光を集めてしまいます。

 単に芸能人が小説を書いたからといって騒ぐ時代は、あっと言う間に過ぎ去り、もっとヒトメを引くような履歴でなければジャーナリズムは飛びつかない。などと言われたのが、1980年代後半です。ここで北原さんも、数か月前に直木賞をとった例の人物が引き合いに出され、

「幸いにして女流作家への道が開かれれば、これまでの普通でない体験がすべて強力な武器として活用される。塀の中とか、六本木ぶらさがりとか、異常体験が持てはやされる時代。ポルノ女優から作家への転進は大いに話題を呼ぶことだろう。」(『週刊サンケイ』昭和62年/1987年9月10日号「内藤国夫の取材現場」より)

 ベストセラーをぶっぱなした安部譲二さん、何やかにやで直木賞に大量のマスコミを呼び集めてくれた山田詠美さん。っていうビッグな二人と並び称されてしまい、北原さん、まだ一つ賞をとっただけで本が売れたわけでもないのに、過剰とも言えるほどの期待を(好奇の視線を)受けることになりました。とくに北原さんのデビューした昭和62年/1987年は、〈女子大生〉鷺沢萠さんがかすむほどに(いや、かすんじゃいないか)、〈吉本隆明の娘〉吉本ばななさん、〈福永武彦の息子〉池澤夏樹さん、〈お天気キャスター〉松本侑子さん、〈銅版画家〉服部まゆみさん(……ってこれはちょっと違うか)などなどが新人賞をとって登場。百花繚乱、というのは言いすぎでしょうが、テレビから週刊誌、ゴシップ誌まで、絵となり記事となる人材たちがわんさか生まれて、まんまと盛り上がってしまいます。

 ここで北原さんが特異だったのは、話題性バツグンというのに加えて、「出版界の斜陽産業」と野次られる中間小説読物誌から、多大な望みをかけられ、ビシッとはまったことです。

 まず最初に、猛烈アタックしてきたのが、角川書店の石原正康さん。いきなり『月刊カドカワ』に短編連載が始まります。角川では、その後も『野性時代』に連載を持ちました。

 直木賞のおひざもと『オール讀物』も、手をこまねてはいません。「'88エンタテインメント大フェア」と称して、各種文学賞を受賞した人たちの新作短編を並べた折りには、吉川英治文学賞・永井路子、直木賞・阿部牧郎、日本推理作家協会賞・小杉健治、江戸川乱歩賞・石井敏弘、サントリーミステリー大賞・笹倉明、吉川英治文学新人賞・清水義範、オール讀物推理小説新人賞・宮部みゆきといった、エンタメ誌に載ってて違和感のない受賞者たちと肩を並べて、女流新人賞受賞者として、北原さんを堂々(?)起用します。

 いいや、北原さんの舞台はそれだけにとどまりません。『小説すばる』にも書いちゃう、『小説現代』にも登場しちゃう、『小説新潮』にも迎え入れられちゃう。と、直木賞はだいたいここら辺に書いている人が候補になる、と言われた雑誌群に、軒並み小説を発表することになります。北原さん、昭和62年/1987年秋にデビューしてから平成2年/1990年、わずか3年足らずのあいだのことでした。

 恵まれたデビューと、恵まれた環境のなかで、「ふん、たぶん一発屋だろう」と見られた状況から脱却し、にわかに有力新人として存在感を発揮。この時期の北原さんは、「ポルノ女優の書いたもの」っていう読者の先入観を、逆に利用してやろうじゃないのふふふふふ、という強さを見せているのがイイところで、

「自分の体験でも、すべてありのままでは、小説としてリアリティが無くなります。フィクションの部分も当然入ってきます。ただ、私の経歴がロマンポルノから始まっていますので、そういう私を世間の人たちが見る目がありますし、それを想像する私がいる。書く立場では、そういう世間のイメージ――アバズレみたいな女――を逆に利用し、私の行動をふくらませて、魅きつける材料に使っているところもありますね。」(『週刊現代』平成3年/1991年9月14日号「げんだいライブラリー 著者インタビュー 『あのひとの行方』」より)

 まったくエロチックでも官能的でもないのに、作者の名前で官能性をにおわせる、北原作品の独自性がきわ立つ仕掛けです。

 はっきり言って、このまま書き続けていても、何かの文学賞をとったりしたでしょうし、作家としてさらに華を咲かせただろうな、と思います。

 デビューに立ち合った渡辺淳一さんも言っていました。

「北原さんの作品はこれ以後、何作か読んできたが、いつも思うことは、埋蔵量は豊富な作家であるということである。その多くは体験によるのかもしれないが、それを単なるストーリーとせず、自らの「意識」という内的なものに包みこみ、そこからもう一歩深いところへ踏みこもうとする態度が、とくに注目される。」(平成4年/1992年8月・中央公論社/中公文庫『青い傷』所収 渡辺淳一「輝く鉱脈」より)

 とりあえずは自分の体験や見聞を題材とした小説をぞくぞくと書く。しかしもっといろいろと書けるはずだ、と思われていました。

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2015年11月15日 (日)

阿久悠は言った、「直木賞が欲しい、と言うべきだったかもしれない」。(平成16年/2004年5月)

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(←書影は昭和54年/1979年11月・文藝春秋刊 阿久悠・著『瀬戸内少年野球団』)


 なかにし礼さんもそうでしたけど、芸能界から直木賞の舞台にやってくる人たちは、たいてい直木賞よりも有名で、売れてて、立派すぎるほどの業績があります。阿久悠さんの場合も、とにかく阿久悠を候補にしたのだ!ってことで、直木賞のほうが注目され、俄然、直木賞の名が挙がることにつながりました。阿久さんサマサマです。

 まあ、こういう「直木賞振興策」の裏にはかならずトヨケンの影あり。と言われた定石どおり、阿久さんの直木賞候補(というか、候補になった『瀬戸内少年野球団』刊行)には、豊田健次さんが関わっていて、そりゃあ当時の『オール讀物』編集長が惚れ込んで単行本になった小説ですから、候補に選ばれて何もおかしくないですよね。

(引用者注:阿久悠の個人誌『月刊you』での)連載中に作品を読んで、すぐさま単行本化を決定した豊田健次さん(当時『オール讀物』編集長)は、阿久悠と同学年である。

(引用者中略)

「私自身は、いまでも『瀬戸内少年野球団』は直木賞に値する作品だと思っています」と言う豊田さんは、「ただ……」とつづける。

「芸能界で大成功を収めた阿久さんに対して色眼鏡で見ていた選考委員の方もおられたと思います。ある委員は『十年、二十年と文学一筋に励んでようやく候補になった人と、たまたま出したような作品が候補になった人を同列に論じていいのか』とおっしゃっていました」(重松清・著『星をつくった男 阿久悠と、その時代』「第七章 「父」なき世代」より)

 司会として同席し、選考委員たちの議論を巧みにリードして受賞作を決めている文春社員。などと外からさんざん野次られる立場でありながら、『瀬戸内少年野球団』の落選を、しっかり受け止めて選考会を仕切った豊田さん、さすが「公正」な賞は違いますね。

 ……というのはいいんですけど、でも、選考委員が色眼鏡で見るのは当たり前のことだったと思います。だって直木賞ですよ。たとえば重松清さんだって、『ビタミンF』一作の作品評価じゃなく、『定年ゴジラ』『カカシの夏休み』と以前にも候補になったものがあって、ほかでも堅実に小説を書いているじゃないか、っつう「色眼鏡」があったから、直木賞を受賞できたようなもんじゃないですか。

 作品の出来いかんで決める、という文化をかたくなに否定して、「作家のそれまでの実績も加味して選考するのだ」、なんちゅう曖昧でナアナアな基準を堅持することで、なけなしの「権威」を保ってきたような賞が、色眼鏡なしで候補を論じられるわけがありません。当たり前です。

 しかも相手は阿久悠さんです。単なる作詞家じゃありません。ときに「バケモノ」扱いされるほどの、飛ぶ鳥おとして自分が飛んじゃっている売れっ子中の売れっ子。いったい、どこのだれが色眼鏡なしでその小説に接することができるというんでしょう。

 どうせ受賞させたらさせたで、「こんな有名人にいまさら小説の賞をあげて何の意味がある」「直木賞ってけっきょくショーだよね」「本を売るためだけにやっているんだから仕方ない」などと、絶対100パー、直木賞に対する攻撃の手は増えたはずです。どっちに転んでも、いくらでもブーブーと不満の声があがる。直木賞候補になった芸能人の宿命です。

 じっさい、直木賞とは逆に、「色眼鏡」=阿久さんの有名性と話題性を利用して受賞をきめた、とも言われているのが、『瀬戸内少年野球団』の直木賞落選から2年後の、角川書店主催の横溝正史賞でした。これはこれで、悪評につぐ悪評をもたらし、「芸能人×文学賞交錯史」をいろどる代表的な汚名(?)ともなっています。

 『朝日新聞』の昭和57年/1982年5月1日「土曜の手帳」では、匿名ライター(隅)さんが、「いみじくも大藪委員が指摘したように、「応募作の中では知名度も高く話題性充分」というのが、この作を選び出した側の本音であろうことは、疑いをいれない。」と言いながら作品をくそみそにけなし、また、『週刊文春』書評欄の(風)=朝日新聞・百目鬼恭三郎さんも、「天下の愚作」と断じる、お得意の罵倒芸を披露。

「これで、横溝正史賞は、第一回の受賞作である斎藤澪『この子の七つのお祝いに』につづいて、天下の愚作に授賞するという悪名を担うことになった。こういう選考をつづける気なら、いっそ向後は(引用者注:授賞に反対した土屋隆夫以外の委員は)角川商法協賛委員と改名したほうがよろしいのではあるまいか。」(『週刊文春』昭和57年/1982年5月20日号「ブックエンド 天下の愚作 阿久悠『殺人狂時代ユリエ』」より)

 じっさい、この作品は角川側が強硬に受賞作にするようねじ込んだ、とウワサが飛び交いました。受賞がきまる前の、『週刊宝石』昭和57年/1982年1月2日号「人物日本列島」を見るところ、阿久さんはふつうに角川ノベル(カドカワノベルスのこと?)からの注文で小説『殺人狂時代ユリエ』を書き下ろしている様子が紹介されています。少なくとも、これが8月31日に締め切られた第2回横溝賞の応募原稿に入っていたはずがなく、はっきりいって、デキレースだったことでしょう。『週刊宝石』の記事タイトルは「兼業作家で多忙な売れっ子作詞家 阿久悠 作詞家No1は直木賞作家をめざす」……だったんですが、直木賞よりも横溝賞が先にきてしまいました。

 『殺人狂時代ユリエ』の場合は、そもそも作品の内容からして、直木賞をめざすも何もないダーッと読んでパパッと忘れる類のエンタメ読み物。じっさいワタクシの好みから言えば、直木賞にふさわしいとか、直木賞惜しかったよねとか言われる『瀬戸内少年野球団』よりも、『殺人狂時代ユリエ』のほうが面白くて、角川商法だ、インチキ受賞だ、と叩かれることを承知のうえでこれに賞を与えた横溝賞のほうが、勇気があって偉いと思います。

 阿久さんはとにかくスーパーマルチな人だったようなので、小説だって、多種多彩なものが書けてしまいます。郷愁を感じさせながら、ちょっぴり文学臭の漂うオトナな小説はお手のものだし、サスペンス、バイオレンス、アクションものだってイケる口。ってそんなことは阿久さんの作詞した歌の数々を見たって、よくわかりますよね。

 ここで直木賞がどう出たか。といえば、同じ阿久作品でも、『瀬戸内少年野球団』系の、要するに「ボクらが生きてきた時代を回顧する」ふうの、新鮮味も何もない、阿久さんでなくたって他に数多くの人が書いている領域のほうばかり、チヤホヤしてしまいました。やはり、惜しいと言うほかありません。

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2015年11月 8日 (日)

小泉今日子は言われた、「この人の名前がついた文学賞があったら、芥川賞より魅力的」。(平成10年/1998年2月)

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(←書影は平成27年/2015年10月・中央公論新社刊 小泉今日子・著『小泉今日子書評集』)


 世の中には、すべてにおいて直木賞を凌駕している人がゴロゴロいます。小泉今日子さんもそのひとりです。っつうか、直木賞と比較すること自体、小泉さんに失礼だ、という説もあります。

 ネームバリュー、人気、話題性、包容力、攻撃性、本への愛情、向上心、自然体……何ひとつ、直木賞のほうが勝っている点がありません。世間には、直木賞受賞作と言われても全然トキメかないけど小泉さんが勧めている本なら読んでみようかな、と思う人のほうが、ケタちがいに多いでしょう。

 何しろ小泉さんには平成1年/1989年ごろ、吉本ばなな(よしもとばなな)さんをいち早く評価して、芥川賞との勝負で圧倒的な勝利をおさめた戦績があるぐらいです。直木賞などかなうはずがないことは、いまさら言うまでもありませんね。

 その小泉さんには、何冊もの本がありますが、たいがいがオシャレでアーティスティックで、ふんだんに写真が盛り込まれている。直木賞にしか興味がない偏屈(変態)オヤジからすると、もっと小泉さんの書く文章にどっぷりひたりたいのに、この写真のウザさが邪魔なんだよなー、と思っていたものでしたが、このたび刊行された『小泉今日子書評集』(平成27年/2015年10月・中央公論新社刊)は、活字のみの構成です。心地よかったです。

 新聞の書評(しかも、読売新聞)とくれば、一般読者界にほとんど効果を及ぼさないことで、よく知られています。しかし、なにしろ小泉さんのパワーは尋常じゃないらしいので、書評で取り上げられた本が、たちまち売れて売れて売れまくった、なんちゅうことも、しばしばあったことでしょう。

 とにかく、地味でクラい出版(とくに小説)界にとっては、これほどとてつもなく影響力のある芸能人がいれば、もうひれ伏すしかありません。太宰治、吉本ばなな、『モモ』、『ライ麦畑でつかまえて』、『ノルウェイの森』等々の売れ行き急上昇事件があった折には、

「アイドルの中でも読書家として有名な小泉今日子(24)。

(引用者中略)

書籍の取次店では、“需要喚起型水先案内人”という名目でなんとかキョンキョンを表彰したいらしい。」(『週刊文春』平成2年/1990年4月19日号「Tea Time 読書家 小泉今日子」より)

 などと、やたら持ち上げられそうになります(っていうか現に持ち上げられました)。

 みんなから注目を浴び、わっしょいわっしょいと祀り上げられる。そうなったときに、気負ったりふんぞり返ったりしないところが、直木賞(受賞した人たちじゃなくて、賞そのもの)とは違って小泉さんの尊敬されるゆえん、なんだと思います。読売新聞の村田雅幸記者も、言っています。

「「アイドルだった私は、『この程度やれば十分』と言われることが多く、悔しかったんです。本当はもっと頑張れるはずなのにって。だから今回は、村田さんがいいと言うまで、何度でも原稿を書き直します」。驚きました。同世代の私から見れば「あの小泉今日子が」と。偉ぶっても全くおかしくないのに、なんて謙虚で真摯な人なんだろうって。」(『小泉今日子書評集』所収「特別インタビュー 読書委員の十年間を振り返って」より)

 まあ、村田さんが直木賞を賞として尊敬していないかどうかは、知らないんですが、村田さんはまっとうな感覚の持ち主ですので、たぶん尊敬していないんじゃないかと思います。

 ともかく、小泉さんのことです。小説も漫画もそれ以外のジャンルも、面白そうだったら読む、という自然な読書を貫いているので、文学賞、とくに直木賞についてヘンテコ発言をしたり嫌悪し切ったりするはずがありません。書き手としても(今後はどうかわかりませんが)、自分の経験、体験、見聞を、小説にして発表したりはしないので、ワタシ直木賞ねらっています! という浮かれ記事の主役になったりもしません。

 『書評集』が出たのがつい嬉しくて、こんなエントリーを書き出しましたが、小泉さんと直木賞の交差は、そこまで深くありません。このまま、今日は終わっちゃおうか。

 ……とも思いましたが、やはり直木賞(とおまけに芥川賞)よりも小泉さんは断然勝っている、と思われてきた二つの事例を紹介しまして、直木賞、偉ぶってないで謙虚に精進していこうぜ、と(直木賞に)エールを送ることにします。

 登場していただくのは、豊崎由美さんと阿部和重さんです。

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2015年11月 1日 (日)

水嶋ヒロは言われた、「作家が選考委員だったら、疑われずに済んだのに」。(平成23年/2011年1月)

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(←書影は平成22年/2010年12月・ポプラ社刊 齋藤智裕・著『KAGEROU』)


 どうも近ごろこの書名、よく聞きます。ちょうど直木賞シーズンの谷間で、時間もあることだし、読んでみようかなと、近所の本屋を3軒ほどまわりました。なのに、どこにも置いていない。さすが話題の本っていうのは売り切れちゃうんだなあ、となかばあきらめながら、3軒めの書店員に在庫を確認したところ、客商売のくせして、こちらをバカにしたようなうすら笑みを浮かべて、「版元に注文するかたちになりますが……。いや、まだ注文できるのかどうか、問い合わせてみないとわからないんですが……」と歯切れの悪い答えが返ってきました。何なんだよ。やたら世間では「読みたい本は、買え買え」と言うから、正直に買おうと思っていたのに、そもそも売ってないの? 善良な読者を軽視しているんじゃないのか出版界は。しかたないので、書店からの帰り道に図書館に寄ってみたら、こちらは予約数ゼロで、あっさりと本棚に差さっていたので、喜び勇んで借りてきました。

 と、「5年ぐらい前のことでも最近の話題、と認識しちゃうジジイの感覚」ネタはこれぐらいにしまして、齋藤智裕さん、芸名水嶋ヒロさんの『KAGEROU』と、ポプラ社小説大賞のことです。平成22年/2010年の年末から平成23年/2011年にかけて、広く世間の人たちに、文学賞の楽しさを波及させた大ニュースとして、もうみなさんの記憶に沁み込んでいることと思います。

 いまさら付け加えるハナシは何もないんですけど、たとえば直木賞がなぜ楽しいのか、と考えたときに、(1)いろんな経緯と理由と思惑のなかで受賞作が決められる→(2)その結果に対して、関係のないまわりの人たちが、共感・批判・悲嘆・分析などを発表しあう→(3)これらを見て、もっと関係のない(とくに小説を読んだりしない)人たちが、トンチンカンすれすれな文学賞論を言い始める→という流れがあって、じつは文学賞ちゅうものは、(1)ではなく、(2)とか(3)の部分を、読んだり聞いたりできるのが最も面白いところなんだぜ! ってことを、『KAGEROU』の盛り上がりは、多くの人たちに印象づけてくれました。

 その面でまっとうなとらえ方をしていたのが大塚英志さんです。

「それにしても水嶋ヒロを嘲笑することで、自分の方はまだまともな「文学」や「書物」に関わっているって無理矢理に主張しているように思える出版界周りの人たちが、今回すごく多いが、(引用者後略)(『週刊ポスト』平成23年/2011年2月11日号 大塚英志「「今の小説のあり方」を無防備に投げ出した人畜無害な作品」より)

 小説の内容がどうこうではなく、(2)あたりの発言(べつに当事者じゃない人びとの言葉)こそが、『KAGEROU』を取り巻くおハナシの、いちばんの注目点ですよね、と指摘しているわけです。ほんと、そう思います。

 あまりに楽しいので、ワタクシも『KAGEROU』とポプラ社小説大賞に群がる、まわりの人たちのお祭り騒ぎ記事、いろいろと読みました。まあ、みなさん、ほんとうに楽しそうに、「問題視」「疑問視」「追及」「罵倒」しているのですよ。ご承知のとおり。

 なかでも異常に目につくのはやはり、水嶋ヒロであることを隠して一般応募、作品の内容だけで選考会を勝ち上がり、最終的に大賞まで射止めた、っていうポプラ社側の説明が大ウソで、最初から仕組まれたデキレースだったんだぞ! と糾弾口調で囃し立てる人たちの姿でしょう。『KAGEROU』ニュースで最も有名なのはたぶん、『週刊ポスト』平成23年/2011年1月1・7日号の記事「水嶋ヒロ ベストセラー処女小説68万部の「八百長美談」全内幕」でしょうが、これなど「「ペンネームの一般応募で大賞受賞」は大嘘だった」と見出しを躍らせて、とにかくウマいことやっている奴は叩いておかないといかん、の情熱に満ちあふれています。

 この記事でも指摘されたのが、ポプラ社小説大賞の選考過程について、でした。

「多くの文学賞では作家や評論家などが選考委員をつとめるため、主催する出版社の意向が選考に入り込む余地は少ない。しかし「ポプラ社小説大賞」の場合、社内の13人の編集者が選考する仕組みになっている。

ポプラ社関係者の話。

「13人全員が応募作品の下読みをするが、『KAGEROU』への評価は賛否両論で、正直なところ否定的な意見も多かった。世に出すクオリティに達していないというのがその理由。しかし社内で発言力のある人物が強く後押ししたこともあり大賞に選出された」」(『週刊ポスト』平成23年/2011年1月1・7日号「水嶋ヒロ ベストセラー処女小説68万部の「八百長美談」全内幕」より)

 その「社内で発言力のある人物」が、デキレースに関わっていた(はずだ)、と言うわけですね。

 記事そのものは、ええと、なにしろ週刊誌です。都合のいいコメントを使い、都合の悪いコメントはすべて地の文で、怪しいよねえ、ウソくさいよねえ、と匂わす体裁で、どこにもデキレースの証拠など載っていません。ただ、疑わしいだけでこれだけ熱狂的になれちゃうのが文学賞の楽しいところ。社内選考だけで賞を決めたことは、どうも突っつきやすい点らしく、他の雑誌でも、こう書かれました。

「水嶋ヒロが出来レースと疑われた一番の理由は、選考がポプラ社の社員のみで行われたという点。敏腕編集者と1ヵ月もかけて手直ししたので、どの程度原型をとどめているかもわからない。作家先生を交えての選考だったら、ここまで疑われずに済んだろうに。」(『週刊実話』平成23年/2011年1月6・13日号「さとうみゆきのテレビ魂 『ボクらの時代』 “作家・水嶋ヒロ”誕生に大御所たちの反応は!?」より)

 作家が関わっていたら、こんな騒動にはならなかったはず、みたいな口ぶりです。

 えっ、そうなんですか?

 別に編集者だけが内密に決めるから不正が起こりやすい、なんてことはないんじゃないですか。どんな選考委員会にも、ひとりひとり、発言力の強弱があるのは自然なことで、「作家や評論家などが選考委員をつとめる」文学賞だって、誰に発言力があるから、とれたんだ、落ちたんだ、とさんざん外部の人たちが臆測してきた(いまもされている)状況を、ワタクシたちはいつも楽しんで見ているわけですし。

 そもそものハナシ、ポプラ社の公式な選考経過が大ウソだった、としたところで、何が問題なんでしょうか。ポプラ社がポプラ社の責任のもとで賞を運営・選考しているんですから、正確な経緯を話そうが、脚色して話そうが、何を隠そうが、そこはポプラ社の勝手です。「きちんと選考して決めました」と弁明するポプラ社に、「そんなのウソだ!」と言うのだとしたら、ほとんどの文学賞はある意味ウソでしょう。ある人が見ればウソ、ある人が見れば道理にかなった説明、要は解釈次第で、どうとでも言えます。そもそも、そんなにウソが嫌なら金輪際、小説なんか読まずに過ごせばいいだけのハナシです。

 出版事業に詳しいはずの、塩澤実信さんまでもが、『週刊ポスト』の主張に乗っかって、

「“渡りに船”とばかり、ポプラ社は水嶋ヒロこと齋藤智裕に飛びついた(?)のだった。「ポプラ社小説大賞」は、他社の権威ある文学賞の高名な作家や評論家が選考委員を務めているのと異なり、社内の一三人の編集者が選考する仕組みになっている。

この選考方法では社の思惑で手加減は、巧妙に加えられる――つまり八百長は皆無とは言い難い選考になる懸念はあった。」(『BOSS』平成23年/2011年3月号「塩澤実信の「ベストセラーの風景」 仕掛けられた? 水嶋ヒロの処女小説」より)

 と言っています。しかしこれなどは、最終選考で手加減が加えられることは全然巧妙でも何でもない、むしろ予選を主催企業が(非公開で)おこない、最終候補を決める段階で、明らかにとらせたい作品(や作者)が有利になるような候補ラインナップを残すことで、「高名な作家や評論家」に、おのずとそれを選ばざるを得ないように仕組む――要するに、多くの権威ある文学賞がいつもやっている方法のほうが、どうみても巧妙な手加減ではないか。と思わせるように書いているところが、さすが塩澤さんだ!

 とにかく文学賞というのは、どの場面でも、なぜか過剰なほどの期待をかけられてしまいます。『KAGEROU』のときに一部の人がさんざんあげつらった「選考はすべて編集者が行う」という体制だって、ポプラ社文学大賞が創設されたころには、やたらに多大な期待を寄せる人がいました。って、これは永江朗さんなんですが、

「作家や評論家などの選考委員はおかず、編集部が審査する。

これは既存の文学賞に対する痛烈な批判である。(引用者中略)小説家は小説を書くプロだが、小説を読むプロではない。作家の目があてにならないことは、芥川賞の直木賞の歴史を見れば明らかだ。それに対して編集者は、作品を読むプロであり、(商品になる)作品を選ぶプロである。」(『エコノミスト』平成17年/2005年10月18日号 永江朗「永江朗の出版業界事情 もしかすると、もしかする「ポプラ社小説大賞」」より)

 と、ポプラ社小説大賞がどうなるか期待をこめつつも、直木賞と芥川賞を例に挙げて、作家が選考委員をやっていることの問題を語っていました。

 作家はダメ。でもやってみたら編集者も八百長。じゃあ書店員はといえば、すでに売れているものしか選べないので頼りにならない。こうなってくると、もう誰も信用できないじゃないの! ということで、文学賞、ひいてはこの世界そのものを悲観する気持ちが社会に蔓延し、その結果、自殺者が増え、凶悪犯罪が日ごと発生し、日本の経済を停滞させている要因のひとつにもなっているのかもしれません(なっているわけがない)。

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