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2015年11月 1日 (日)

水嶋ヒロは言われた、「作家が選考委員だったら、疑われずに済んだのに」。(平成23年/2011年1月)

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(←書影は平成22年/2010年12月・ポプラ社刊 齋藤智裕・著『KAGEROU』)


 どうも近ごろこの書名、よく聞きます。ちょうど直木賞シーズンの谷間で、時間もあることだし、読んでみようかなと、近所の本屋を3軒ほどまわりました。なのに、どこにも置いていない。さすが話題の本っていうのは売り切れちゃうんだなあ、となかばあきらめながら、3軒めの書店員に在庫を確認したところ、客商売のくせして、こちらをバカにしたようなうすら笑みを浮かべて、「版元に注文するかたちになりますが……。いや、まだ注文できるのかどうか、問い合わせてみないとわからないんですが……」と歯切れの悪い答えが返ってきました。何なんだよ。やたら世間では「読みたい本は、買え買え」と言うから、正直に買おうと思っていたのに、そもそも売ってないの? 善良な読者を軽視しているんじゃないのか出版界は。しかたないので、書店からの帰り道に図書館に寄ってみたら、こちらは予約数ゼロで、あっさりと本棚に差さっていたので、喜び勇んで借りてきました。

 と、「5年ぐらい前のことでも最近の話題、と認識しちゃうジジイの感覚」ネタはこれぐらいにしまして、齋藤智裕さん、芸名水嶋ヒロさんの『KAGEROU』と、ポプラ社小説大賞のことです。平成22年/2010年の年末から平成23年/2011年にかけて、広く世間の人たちに、文学賞の楽しさを波及させた大ニュースとして、もうみなさんの記憶に沁み込んでいることと思います。

 いまさら付け加えるハナシは何もないんですけど、たとえば直木賞がなぜ楽しいのか、と考えたときに、(1)いろんな経緯と理由と思惑のなかで受賞作が決められる→(2)その結果に対して、関係のないまわりの人たちが、共感・批判・悲嘆・分析などを発表しあう→(3)これらを見て、もっと関係のない(とくに小説を読んだりしない)人たちが、トンチンカンすれすれな文学賞論を言い始める→という流れがあって、じつは文学賞ちゅうものは、(1)ではなく、(2)とか(3)の部分を、読んだり聞いたりできるのが最も面白いところなんだぜ! ってことを、『KAGEROU』の盛り上がりは、多くの人たちに印象づけてくれました。

 その面でまっとうなとらえ方をしていたのが大塚英志さんです。

「それにしても水嶋ヒロを嘲笑することで、自分の方はまだまともな「文学」や「書物」に関わっているって無理矢理に主張しているように思える出版界周りの人たちが、今回すごく多いが、(引用者後略)(『週刊ポスト』平成23年/2011年2月11日号 大塚英志「「今の小説のあり方」を無防備に投げ出した人畜無害な作品」より)

 小説の内容がどうこうではなく、(2)あたりの発言(べつに当事者じゃない人びとの言葉)こそが、『KAGEROU』を取り巻くおハナシの、いちばんの注目点ですよね、と指摘しているわけです。ほんと、そう思います。

 あまりに楽しいので、ワタクシも『KAGEROU』とポプラ社小説大賞に群がる、まわりの人たちのお祭り騒ぎ記事、いろいろと読みました。まあ、みなさん、ほんとうに楽しそうに、「問題視」「疑問視」「追及」「罵倒」しているのですよ。ご承知のとおり。

 なかでも異常に目につくのはやはり、水嶋ヒロであることを隠して一般応募、作品の内容だけで選考会を勝ち上がり、最終的に大賞まで射止めた、っていうポプラ社側の説明が大ウソで、最初から仕組まれたデキレースだったんだぞ! と糾弾口調で囃し立てる人たちの姿でしょう。『KAGEROU』ニュースで最も有名なのはたぶん、『週刊ポスト』平成23年/2011年1月1・7日号の記事「水嶋ヒロ ベストセラー処女小説68万部の「八百長美談」全内幕」でしょうが、これなど「「ペンネームの一般応募で大賞受賞」は大嘘だった」と見出しを躍らせて、とにかくウマいことやっている奴は叩いておかないといかん、の情熱に満ちあふれています。

 この記事でも指摘されたのが、ポプラ社小説大賞の選考過程について、でした。

「多くの文学賞では作家や評論家などが選考委員をつとめるため、主催する出版社の意向が選考に入り込む余地は少ない。しかし「ポプラ社小説大賞」の場合、社内の13人の編集者が選考する仕組みになっている。

ポプラ社関係者の話。

「13人全員が応募作品の下読みをするが、『KAGEROU』への評価は賛否両論で、正直なところ否定的な意見も多かった。世に出すクオリティに達していないというのがその理由。しかし社内で発言力のある人物が強く後押ししたこともあり大賞に選出された」」(『週刊ポスト』平成23年/2011年1月1・7日号「水嶋ヒロ ベストセラー処女小説68万部の「八百長美談」全内幕」より)

 その「社内で発言力のある人物」が、デキレースに関わっていた(はずだ)、と言うわけですね。

 記事そのものは、ええと、なにしろ週刊誌です。都合のいいコメントを使い、都合の悪いコメントはすべて地の文で、怪しいよねえ、ウソくさいよねえ、と匂わす体裁で、どこにもデキレースの証拠など載っていません。ただ、疑わしいだけでこれだけ熱狂的になれちゃうのが文学賞の楽しいところ。社内選考だけで賞を決めたことは、どうも突っつきやすい点らしく、他の雑誌でも、こう書かれました。

「水嶋ヒロが出来レースと疑われた一番の理由は、選考がポプラ社の社員のみで行われたという点。敏腕編集者と1ヵ月もかけて手直ししたので、どの程度原型をとどめているかもわからない。作家先生を交えての選考だったら、ここまで疑われずに済んだろうに。」(『週刊実話』平成23年/2011年1月6・13日号「さとうみゆきのテレビ魂 『ボクらの時代』 “作家・水嶋ヒロ”誕生に大御所たちの反応は!?」より)

 作家が関わっていたら、こんな騒動にはならなかったはず、みたいな口ぶりです。

 えっ、そうなんですか?

 別に編集者だけが内密に決めるから不正が起こりやすい、なんてことはないんじゃないですか。どんな選考委員会にも、ひとりひとり、発言力の強弱があるのは自然なことで、「作家や評論家などが選考委員をつとめる」文学賞だって、誰に発言力があるから、とれたんだ、落ちたんだ、とさんざん外部の人たちが臆測してきた(いまもされている)状況を、ワタクシたちはいつも楽しんで見ているわけですし。

 そもそものハナシ、ポプラ社の公式な選考経過が大ウソだった、としたところで、何が問題なんでしょうか。ポプラ社がポプラ社の責任のもとで賞を運営・選考しているんですから、正確な経緯を話そうが、脚色して話そうが、何を隠そうが、そこはポプラ社の勝手です。「きちんと選考して決めました」と弁明するポプラ社に、「そんなのウソだ!」と言うのだとしたら、ほとんどの文学賞はある意味ウソでしょう。ある人が見ればウソ、ある人が見れば道理にかなった説明、要は解釈次第で、どうとでも言えます。そもそも、そんなにウソが嫌なら金輪際、小説なんか読まずに過ごせばいいだけのハナシです。

 出版事業に詳しいはずの、塩澤実信さんまでもが、『週刊ポスト』の主張に乗っかって、

「“渡りに船”とばかり、ポプラ社は水嶋ヒロこと齋藤智裕に飛びついた(?)のだった。「ポプラ社小説大賞」は、他社の権威ある文学賞の高名な作家や評論家が選考委員を務めているのと異なり、社内の一三人の編集者が選考する仕組みになっている。

この選考方法では社の思惑で手加減は、巧妙に加えられる――つまり八百長は皆無とは言い難い選考になる懸念はあった。」(『BOSS』平成23年/2011年3月号「塩澤実信の「ベストセラーの風景」 仕掛けられた? 水嶋ヒロの処女小説」より)

 と言っています。しかしこれなどは、最終選考で手加減が加えられることは全然巧妙でも何でもない、むしろ予選を主催企業が(非公開で)おこない、最終候補を決める段階で、明らかにとらせたい作品(や作者)が有利になるような候補ラインナップを残すことで、「高名な作家や評論家」に、おのずとそれを選ばざるを得ないように仕組む――要するに、多くの権威ある文学賞がいつもやっている方法のほうが、どうみても巧妙な手加減ではないか。と思わせるように書いているところが、さすが塩澤さんだ!

 とにかく文学賞というのは、どの場面でも、なぜか過剰なほどの期待をかけられてしまいます。『KAGEROU』のときに一部の人がさんざんあげつらった「選考はすべて編集者が行う」という体制だって、ポプラ社文学大賞が創設されたころには、やたらに多大な期待を寄せる人がいました。って、これは永江朗さんなんですが、

「作家や評論家などの選考委員はおかず、編集部が審査する。

これは既存の文学賞に対する痛烈な批判である。(引用者中略)小説家は小説を書くプロだが、小説を読むプロではない。作家の目があてにならないことは、芥川賞の直木賞の歴史を見れば明らかだ。それに対して編集者は、作品を読むプロであり、(商品になる)作品を選ぶプロである。」(『エコノミスト』平成17年/2005年10月18日号 永江朗「永江朗の出版業界事情 もしかすると、もしかする「ポプラ社小説大賞」」より)

 と、ポプラ社小説大賞がどうなるか期待をこめつつも、直木賞と芥川賞を例に挙げて、作家が選考委員をやっていることの問題を語っていました。

 作家はダメ。でもやってみたら編集者も八百長。じゃあ書店員はといえば、すでに売れているものしか選べないので頼りにならない。こうなってくると、もう誰も信用できないじゃないの! ということで、文学賞、ひいてはこの世界そのものを悲観する気持ちが社会に蔓延し、その結果、自殺者が増え、凶悪犯罪が日ごと発生し、日本の経済を停滞させている要因のひとつにもなっているのかもしれません(なっているわけがない)。

           ○

 ポプラ社小説大賞は、編集者が最後まで決めること以外に、他賞と違う大きな特徴があり、みんなおカネのからむハナシは大好きですから、その面からも注目を浴びるにふさわしい存在でした。なぜ高額賞金を設定したかといえば、そうすれば注目されるから、と当時のポプラ社社長、坂井宏先さんが創設のときに言っていましたが、まったくそのとおりに事が運びます。

 2000万円の大賞受賞作じゃなかったら、ここまで酷評されただろうか(いや、そもそも書評の舞台に挙げてもらえただろうか)、と思うのが第1回大賞の方波見大志さん『削除ボーイズ0326』で、匿名の書評子「ナナ氏」からは、

「感想は、唖然呆然愕然そして黯然。つまり、二千万円の価値などまるでない、新風舎あたりから自費出版されている小説もどきに脇毛が生えた程度の出来でしかない駄作なのである。一九八〇年生まれの若い方波見くんにはかわいそうだが、賞金の高額さゆえにどうしても読む側の期待は高まる。(引用者中略)それでも、やはりこれが新人賞という登竜門をくぐれるほどの作品とは思えなかった。

(引用者中略)

このプルーフ版のまま、本作を世間に流通させるなら、幾つかの誤植も含めて、ポプラ社は大恥をかくにちがいあるまい。」(『週刊現代』平成18年/2006年10月14日号「120%本音の匿名新刊レビュー ナナ氏の書評 賞金2000万円の価値を問われる受賞作」より)

 とまで言われていたので、ワタクシも『削除ボーイズ0326』を読んでみました。たしかに買ってまで読みたい小説じゃないなあ、と感じたものの、これを大賞に選ぶのがポプラ社編集部の価値観ならばいいんじゃないか、と思いました。

 ですので、『KAGEROU』も、ワタクシの好みには合わない小説でしたけど、『削除ボーイズ0326』を大賞に推す編集部なら、本気で『KAGEROU』を選んだとしても、全然不思議なことはありません。

 たとえば『文學界』は(デキレースにかけちゃ、あんたには言われたかないよ、と言われそうな媒体のひとつですけど)、巻末の匿名コラム「鳥の眼・虫の眼」で、

「社内の編集者らによる厳正な審査のうえ選ばれた小説、と会社側は説明している。そうだとしたら出版社の眼力を疑う。小説をバカにしてはいけない。」(『文學界』平成23年/2011年2月号 相馬悠々「鳥の眼・虫の眼 「『KAGEROU』考」」より)

 と批判文を載せましたが、これなど、選ばれる作品だけじゃなく、選ぶ側の人間たちも(おおやけに)試されるのが文学賞だ、ってことを示したものだと思います。

 とくに「小説をバカにしてはいけない」などと、何の根拠もない感情的にすぎない言葉が飛び出すにいたっては(小説なんかバカにしたっていいじゃん)、ああこれだ、これが、それぞれの立場から、あれやこれやと意見が交わされる文学賞の醍醐味だよなあ、と楽しくなってしまいます。ちなみに、文藝春秋の直木賞や芥川賞にしたって同じこと、あの二つの賞が騒がれるのは、関係者が真剣に選び抜こうとしているからだ、などという、結果論も甚だしい言いぐさを吐く人もいるんですが、とうてい受け入れられるハナシじゃありません。

 なんだか、全然水嶋ヒロさんのことと関係なく、直木賞からも外れたエントリーになっちゃいましたが、文学賞がもつ、もうひとつの面白さも、水嶋さんの受賞周辺にはありました。

 文学賞というと一般的に「受賞者」(今回の場合は大賞受賞者)のことだけで語られがちです(ワタクシもよく、語ります)。だけど現実には、選考対象になった候補者たちがいてこその、文学賞です。直木賞を例に引くまでもありません。第5回ポプラ社小説大賞でいえば、特別賞の浜口倫太郎さんも古内一絵さんも、それを機にしっかりと小説家への道を歩きつづけていて、それだけでもこの賞は成功だったと言い張ったっていいくらいです。直木賞の場合には(歴史の途中から)候補になることで、それまで以上に出版業界・読書界へのお披露目を果たすことになっていて、これは創設された当初に、主催者が賞に託した思いとはまた違う、文学賞の存在意義になっています。

 受賞は華やか。でも、じっさいの文学賞は、それ以外にもっと意味がある。……この構図がもっと浸透していくように(それと、文学賞の楽しさが世間に認知されていくように)、これからも水嶋さんのように、文学賞をとる芸能人が、たびたび出てほしいなあ、と願っています。

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