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2015年10月18日 (日)

中島らもは言った、「直木賞の選評を読んで、渡辺淳一はなんてバカなヤツだと思った」。(平成16年/2004年6月)

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(←書影は平成3年/1991年11月・集英社刊 中島らも・著『人体模型の夜』)


 テーマが「芸能人と直木賞」だっていうのに、どうして中島らもを取り上げるのだ? スジ違いにもほどがある。ったく、これだから、直木賞オタクってのは底が浅くてキラいなんだよ。と、全国にン千人以上はいるはずの「中島らもを神と崇める信奉者」たちに怒られるはずですが、そもそも、小説を書いているだけの小説家ではない、職種分類不能な多才ぶり(ムチャクチャぶり、ともいう)が、ワタクシが中島らもさんを好きな理由ですから仕方ありません。

 テレビにもちょくちょく出たり、劇団をつくったり、バンドを組んだり、芸能の人であると言えないことはない! と強弁しながら、「芸能人」の枠組みで語るにはまるでそぐわないことを十分承知のうえで、今週は中島らもさんです。

 ここ数十年のあいだで、エンタメ小説を書いてきた人は何千、何万(何十万かも)もいます。彼らの書く作品のほとんどは、いわゆる文壇的な小説とは何の関係もないまま、生み出されて読み捨てられてきました。その構造(っていうか状況)は、直木賞ができた昭和初期からいままで、大して変わっちゃいません。そのなかで、中島さんの小説は相当に文壇的にも評価され、賞までもらうことのできた数少ない部類に属します。どう考えたって、そうです。

 しかし、そんなまともな解釈をしたってつまらないわけですね。少なくとも、中島さんを介して「体制」だの「権威」だのを見る第三者としては、権威から弾かれてしまう中島らも、反体制的な中島らも、であってほしい! とどうしても強く願ってしまうじゃないですか。

 中島さん自身が、

「やっぱり権力に噛みついていくタイプの人が好きやったね。

その頃の中年のおっさんでいえば、竹中労さん、野坂昭如さんとかね。寺山修司も好きだったけど、なんでよその家を覗いてたんや。

(引用者中略)

今東光も好きだった。」(平成16年/2004年6月・KKベストセラーズ刊 中島らも・著『異人伝 中島らものやり口』「第三章 社会と家族」「反権力、反体制の男たち」より ―構成:小堀純)

 と語っているけれど、いや、こちらにとっちゃ中島さんだって「権力に噛みついていくタイプの人」の代表的なひとり。その書くもの、話すこと、やることなすことに、大いに惹かれたものです。とにかくわけがわからない、わからないけど、ムチャクチャで面白いおっさん。

 となれば、今東光さんや野坂昭如さんのように、直木賞をとりながら、まるで権威然とせずにアレやコレやと楽しませてくれる、っていう道もアリですけど、文学賞に落とされて、何だあんなもん、と攻撃しつづける「反主流」な役が、すんなりと似合います。

 吉川新人賞や推理作家協会賞をとっただけでなく、山周賞や直木賞の候補に挙げられた人に対して「反主流」もクソもないんですが、最終の選考会で落とされることは「反主流」派の勲章みたいなもんです。中島さんといえば直木賞をとれなかった(だけど直木賞とかいうバカらしい尺度で計ることのできない)偉大な作家じゃないか! ということになって、ああほんとに、直木賞ってどうしようもない愚か者だよなあ、って思いを深くさせてくれるのでした。

 その意味で(どの意味でだ)中島さんが、「直木賞? そんなもの気にしてませんよ」みたいな、もののわかる人ふうの態度をとらず、機会があれば、直木賞攻撃をしつづけてくれた、その効果は大きかったと思うんです。夢枕獏さんのインタビューで、聞き手の浅野智哉さんも、こう言ってくれています。

「――(引用者中略)らもさんの意外な面として、実はコンプレックスの強い人だったと思うんですよ。山本賞・直木賞などメジャーの賞に続けて落とされて、エッセイなどでその悔しさと恨みをしっかり書かれている。好きなことばっかりやってる無頼なイメージがあるけど、どこか中心の存在になりきれない後ろめたさがあるというか、俗人くさい劣等感を感じてます。

夢枕(引用者注:夢枕獏) なるほど、それはわかる気がする。文学賞って、作家は濃いか薄いかはあるだろうけど、どこかに何がしかの思いはあるんですよ。僕も含めて、何にも気にしてない作家はいないと思うんだよね。でもらもさんはもし直木賞を獲れてたとしても、たぶんあのまんまのスタンスだったはずですよ。権威のある場所とか文壇の中心になんて絶対に行かない人ですよ。」(『文藝別冊 総特集中島らも』所収 夢枕獏「インタビュー 飄々として芯がある作家」より ―ききて:浅野智哉)

 中島さんの、直木賞に対する恨みの発言。じっさいには、直木賞がどうだこうだ、というものではありません。ほとんどが、「権威なるもの」への反骨と反発で彩られていました。

 そして、権威の代表格としてつるし上げの対象とされたのが、ええ、ごぞんじ渡辺淳一さんです。中島さんを落とした選考委員は数々いたのに、ただただ、渡辺さんただひとりを攻撃しつづけました。

らも 俺も直木賞は3回候補になったんですけど、渡辺淳一が毎回アホなこと言うもんやから、3回とも落っこっちゃって。ホントに馬鹿なこと言うんですよ。怪奇小説を書いたら、「私は医者なので笑ってしまった」とかね。ホラーに医者もヘチマもないじゃない。

『ガダラの豚』というのは1400枚ぐらいの長編なんですけど、渡辺淳一は「私なら、これを300枚で書ける」とか言うわけです。量じゃないんだよ。必要があるから長くなったんだ。300枚って、そんなダイジェストみたいなもの書いたって意味ないんだもん。そんな人が審査してるんだから、賞自体の値打ちを下げてんのと一緒やねん。」(平成16年/2004年10月・イースト・プレス刊 中島らも・著『なれずもの』「中島らも×竹井正和」より)

 というのは、前に『直木賞物語』でも引用しました。とにかく、直木賞というより渡辺淳一(の偉そうにしているところ)が、中島さんの直木賞攻撃の核、と言ってもいいです。

「ところで、君(引用者注:中島らものこと)の小説『今夜、すべてのバーで』は直木賞候補になったが、作家で医者の選考委員のワタナベ・ジュンイチが頑として反対したために賞はとれなかったようだ、と君は言っていた。あいつにそんな資格や能力があったのか。納得のいかないことが世の中には多々ある。」(平成26年/2014年3月・河出書房新社/河出文庫 鈴木創士・著『ザ・中島らも らもとの三十五光年』「中島らも烈伝」より ―初出:平成17年/2005年1月・河出書房新社刊)

 といった証言(?)に対しては、いや、いくら何でも「渡辺淳一が頑として反対したために賞はとれなかった」は言いすぎでしょ、と思います。でも、おそらく中島さんは、直木賞に反感をもっているのではなく、ただ単に、渡辺淳一さんの言うことが気にくわず、渡辺さんなんかが偉そうにふんぞり返ってしまえる体制側に、ムカツいているだけらしいので、これはいいと思います。

           ○

 先に引用した鈴木さんの文章もそうですけど、中島さん周辺から発せられる文学賞関係の文章は、「文学賞とかご大層なツラしているけど、じつはどうだっていいシロモノじゃないか」っていうテイストがあふれています。そこに、つい共感してしまうのです。

 『今夜、すべてのバーで』が落ちたのは山本周五郎賞で、もちろんその選考会には渡辺淳一さんはおらず、5人の委員の採点をもとに、惜しくも3票vs2票で稲見一良『ダック・コール』に受賞をかっさらわれた、ほぼ受賞と同格と言ってもいいほどに評価された作品です。でも、そんなコマゴマとした話はどうだっていいです。文学賞そのものがくだらない行事ですから。

 それで中島さんの『異人伝』は、亡くなる直前に刊行された本で、中島美代子さんが書くところによると、

「鈴木創士は言うよ。らもは、死ぬことがちゃんとわかっていた、って。(引用者中略)『異人伝――中島らものやり口』なんて遺言のような本を書いたり。」(平成19年/2007年7月・集英社刊 中島美代子・著『らも 中島らもとの三十五年』、構成:島崎今日子)

 という役割の本でもあるんですけど、ここにいたって繰り出される中島さんの、直木賞への言及を読むと、「直木賞」そのものが目に映っているとはまず思えません。

「おれはあんまり知らないけど、宇能鴻一郎は好きやね。『鯨神』で直木賞を取ったんだけど、その前にも『魔楽』ってのがあって、これも素晴らしい小説なんですよ。

直木賞を取ったと思ったら、ころっと『私、濡れちゃったんです』に変わったんだよ。あの鮮やかな転身ぶりには驚いたね。」(前掲『異人伝』より)

 これなど直木賞を正確にとらえた言及では、とうていないわけですが、しかしです。文学賞なんてどうでもいい、っていう視界でとらえれば、直木賞も芥川賞も単なる記号だから、ごっちゃにしても問題ない、という。

 そして、おなじみの渡辺淳一個人攻撃となります。

「『人体模型の夜』、それに『ガダラの豚』『永久(原文ママ)も半ばを過ぎて』と直木賞の候補になったけど、結局三回とも落ちてしまった。自分で「これからオッチーって呼んでくれ」って言ってたくらい(笑)。選考委員の渡辺淳一が『人体模型の夜』のときは「私は医者なので笑ってしまった」、『ガダラの豚』のときは「私ならこの小説を三百枚で書ける」と言ったんよね。怪奇小説に医者かどうかいうのは関係ないやん。この歳になって、直木賞欲しさに渡辺淳一が喜ぶような小説を書く気はないからね。

小説ってのはある一定のレベルまで行くと、設定に違いがあるだけで、どっちが優れてるとかいうのはナンセンス。それをどっちが優れてるかって賞を決めるのは、ミスコンよりナンセンスやと思うね。

渡辺淳一は読んだことないね。直木賞の選評を読んで、なんてバカなヤツだと思っただけで。」(同)

 まったく、ほんとにナンセンスです。こんなことをえんえんと、いまだに続けていて、馬鹿バカしいったらありゃしません。

 そうなんですよ、この馬鹿バカしさがあるからこそ、文学賞っつうのは面白い! とワタクシには思うわけですが、中島さんが、ただこれを自分の前にある大きな敵、といった感じに見なして、面白がってくれなかったのは、非常に残念です。

 それだけ渡辺淳一さんの憎々しさがひどかった、ということかもしれません。まあ、あの方の言うことが直木賞を代表していたとは、とうてい思えないんですけど、中島らもvs渡辺淳一ってかたちになったことで、小説を読む立場からすれば、直木賞など別に大層なものでもないんだな、と知らしめてくれて、これはよかったと思います。

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