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2015年8月 9日 (日)

戸川昌子は言った、「直木賞候補になりましたのでよく売れました」。(平成3年/1991年7月)

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(←書影は平成5年/1993年7月・出版芸術社/ミステリ名作館 戸川昌子・著『猟人日記』)


 ついこのあいだ、江戸川乱歩賞の受賞作、呉勝浩『道徳の時間』が発売されました。乱歩賞の受賞者は(公募制になって)67人目。呉さんもまた、何だかんだとまわりから褒められたりケナされたりしながら、力強く書き続けていってほしいと願います。

 乱歩賞というと、受賞したら一年ぐらいのあいだには、次の受賞第一作を書下ろしで出すのが通例だそうです。そして受賞作よりも、受賞第一作のほうが、はるかに直木賞の候補にはなりづらい、とも言われていまして(言われているのか?)、じっさいその偉業を成し遂げたのは、これまで二人しかいません。『亡国のイージス』の福井晴敏さんと、本日の主役、『猟人日記』の戸川昌子さんです(ちなみに『猟人日記』も講談社文庫の新装版が、今月発売ですってよ!)。

 公募が始まったころ、乱歩賞は「異色の経歴でデビューする人びと」の宝庫と言われ(だから、言われているのか?っつうの)、そりゃマスコミ飛びついちゃうよね、とうなずける受賞者がたくさんいました。何しろ公募しょっぱなに巻き起こった仁木悦子さんの『猫は知っていた』ベストセラー化現象とか、そのうちの何割かはマスコミのおかげ、だったはずです。

 第8回(昭和37年/1962年度)受賞の戸川昌子さんもまた、相当に「経歴」先行で紹介された人でした。

「乱歩賞を受賞した時点では、彼女は現役のシャンソン歌手であったのだ。それだけにマスコミには、恰好の話題の主となったのだった。英文タイピストからシャンソン歌手へ、さらにはそこから作家へと変身した女性。おそらく現在でも、そういう経歴の持ち主ならばマスコミはこぞって話題とするだろう。それが四十年近く前のことだと思うと、いかに世を賑わしたか想像に難くない。」(平成10年/1998年9月・講談社/講談社文庫『江戸川乱歩賞全集第四巻 大いなる幻影 華やかな死体』所収 関口苑生「解説」より)

 当時、戸川さんがこれまでどんな人生を歩んできたか、いまどんな歌手生活を送っているか、なぜ小説を書こうと思ったか、などの記事が、週刊誌や女性誌にずらりと登場。受賞が発表されたのが昭和37年/1962年8月1日で、当然まだそのときには、彼女の受賞作を読んだことがあるのは内々のごくわずかしかいなかったのに、いきなり取材やら座談会やらの仕事がどっと入って大忙し。……というところが、直木賞の受賞風景とは違う、公募系ならではの異常さです。

 いちおう一誌だけ、その記事の様子を引いてみますと、こんな感じでした。

「BG、バーの女給、舞台女優、シャンソン歌手……とさまざまな人生経験のすえ書いた推理小説『大いなる幻影』で、第八回江戸川乱歩賞を受賞した戸川昌子さん(29歳)は、異色女流作家として一躍ジャーナリズムから注目されるようになった。

(引用者中略)

「もう二か月以上うたわないので、うたいたくてたまりません。ひにくなことに、うたわないで、座談会などでラジオやテレビにでる機会がおおくなりました」

 こういって苦笑する彼女だ。

(引用者中略)

 彼女のもとにきた投書のほかには、小説の読者からでなく、シャンソン・ファンのものがおおかったという。

「芸能人である私が受賞したことで、よろこんでくれてました。あなたの努力がみのったことで、私も勇気がでたといってくれた人もありました。みんな、シャンソン喫茶などで、私の歌をきいていてくれた人たちでしょう」」(『週刊平凡』昭和37年/1962年10月18日号「特集 江戸川乱歩賞を受賞した才女戸川昌子の私生活 私はシャンソン歌手で推理小説の作家です」より)

 書いた本人のことはドバーッとマスコミに露出、数多く紹介されたのに、肝心の書いた本はそれほど売れない、っていうのは、とくに芸能人の本には「あるある」な状況です。戸川さんの『大いなる幻影』もまた、その例に洩れず、大して売れなかったといいます。何だよ推理小説ブームも大したことなかったんだな。と、つい浅い感想を抱いてしまう自分を戒めつつ、いやあさすが戸川さんだ、受賞してなお「苦難の道」を歩む姿、堂に入ってますね、とホレボレしてしまいます(←いや、それも十分、浅い感想だ)。

 「歌手の書いた小説」みたいな偏見もあった、と回想するのは戸川さん本人です。

「今でこそ、若い子でもちょこちょこと歌って食べられるし、小説だって新人賞なんかをとると、女性誌が宣伝してくれるし、早速テレビのCFに顔を出したりできる時代です。

私たちの時代は賞を一つとったところで、すぐに書かせてくれるところなんてありません。雑誌の数も出版社の数も今に比べるとずっと少なかったのですから当然です。『大いなる幻影』は江戸川先生が押してくださっての受賞でしたから、とてもうれしかったけれど、それほどには売れませんでした。

(引用者中略)

受賞してから二、三年は苦労話みたいなものばかり書かされていました。今やマルチ人間ばやりの時代ですが、あの頃は「歌手の書く小説なんて!」という雰囲気があって、私の肩書きはいつも「歌手兼推理作家」でした。」(平成3年/1991年7月・海竜社刊 戸川昌子・著『今を自分らしく生きる』「誰でも自分の中に輝く宝石を持っている」より)

 歌手とか言って雑誌に出てるけど、オレ、シャンソンなんか聞かないし、誰だよそれ。けっきょく「イロモノ受賞」の一発屋だろ。と巷間いわれていた(のか?)ツラい時を経まして、昭和38年/1963年、いよいよ書下ろし第一作として『猟人日記』を刊行。というところで、何とこれが、驚天動地の大爆発。戸川昌子、みずからの力で作家としての足場を築く記念碑的な作品となったのでした。

           ○

 もちろんワタクシの興味は、『猟人日記』の大爆発に「直木賞」がどれほどの助けをしたのか。というところにあります。戸川さんのプロフィールを見ると、『猟人日記』のところには、「映画化」とともに「直木賞候補」の記述が添えられたりしますし、先に引用した『今を自分らしく生きる』のなかには、こうも書いてあるからです。

「私は二作目にかかりました。

 推理小説はそれから二年目に『猟人日記』を書いて、これは直木賞候補になりましたのでよく売れました(引用者中略)“歌手作家”という肩書きをなんとかはねのけるためには、授賞作とはガラリと違った作品を書かなくてはならない、と考えました。(引用者中略)

この本が出版されて、やっと私は推理作家の道を歩けるようになったのです。(前掲『今を自分らしく生きる』より 太字下線は引用者による)

 ところが、どうも「直木賞の候補になったこと」って、売れたこととは関係ないんじゃないか、と思ってしまうのです。たとえば、関口苑生さんの書いた文に、講談社〈大衆文学館〉『大いなる幻影/猟人日記』の「人と作品」があります。こちらも『猟人日記』が売れたことには触れられているんですが、直木賞のナの字も出てきません。

「『猟人日記』は、刊行当時はさして注目を浴びなかったが、作中に“人工受精”や“膣痙攣”などのセックスにからんだショッキングな題材を扱われている点を『週刊新潮』が大々的に取り上げたのがきっかけで、爆発的売り上げを記録し、一躍ベストセラーとなる。さらには作者自身が映画にも出演し、話題性は否が応でも高まっていった。」(平成9年/1997年1月・講談社/大衆文学館 戸川昌子・著『大いなる幻影/猟人日記』所収 関口苑生「人と作品」より)

 たしかに! そりゃ、直木賞の候補になったことがきっかけで売れる、なんて、にわかには信じられません。

 関口さんご指摘のとおりでしょう。『週刊新潮』の、他人のプライバシーにズカズカ入り込んでくる下世話で下品な記事こそが、『猟人日記』が売れた最も大きな要因だったことは、まず間違いありません。

 下世話ですよー、この記事。「セックスにからんだショッキングな題材を扱われている」ことを紹介している、というよりも、「30歳の女性歌手の、私生活でのセックス事情をもとに書かれているんじゃないか」という興味で、読者をあおっているんですから。って、そりゃ週刊誌ですからね、そこに注目するのは当然かもしれませんけど。

「主人公の猟人ぶりの中で、随所に描写される“セックス”の場面を、読者のある人々は「こりゃ、生臭い。体験じゃないか」とつぶやく

(引用者中略)

「生臭い」というつぶやきも決してゆえなきことではなかったのだ。なぜなら彼女=作者の戸川昌子さんが長いBG生活とシャンソン歌手としてのデビューの間に、特異な恋愛経験を持っている「らしい」ことを、あらかじめ知っていた上で、『猟人日記』と重ね合わせての読後感だったのである。」(『週刊新潮』昭和38年/1963年10月14日号「『猟人日記』を書いた女性 シャンソン歌手の奇抜な着想」より)

 「特異な恋愛経験」というのは、いまだったら何ということもない「性に奔放な」(この表現も古いか)お付き合い、のことを指しているらしく、この当時はやはりショッキングだったのかもしれない。と思わないでもありません。いや、いまでもセックスネタは週刊誌の華ですから、そのあたりは変わっていないかもしれませんね。

 この記事の面白いのは、前半は『猟人日記』の(とくに閨中描写を中心とした)紹介なのに、中盤からはそれ以上の量で、戸川昌子さん自身の日記(の、とくに色恋、性交渉にかかわりそうな記述)が、えんえんと膨大に引用されているところでしょう。もちろんそれ、戸川さんが提供したわけです。どう取り上げられるか覚悟のうえで、自分をさらけ出す戸川さんの、胆の据わった応対! これこそが、『週刊新潮』の扇情記事を、そして『猟人日記』の大爆発を生み出したもとでした。

「一時は、老女の描き方があまりに意地悪だということから、五十歳、六十歳の老婆が書いたのではないかといわれてみたり、歌手だということから、いろいろとゴシップが出たり、興味的に扱われましたけれど、私自身、何をいわれても平気です。歌手時代にだって、いいたい放題のこといわれましたからね」

 というご本人は、かえって“才能の生む伝説”を楽しむふうである。」(同)

 その後、直木賞候補になって、ほぼ票が入らずに落ちて、でも話題の書として中平康監督のもと映画化されて、その主役級の人物に戸川さん本人が抜擢されて出演。ということで、映画化のさいにもまた、さまざま紹介されたんですが、このときは「作者自身の体験を書いた!?」ではなく、「今期の直木賞候補にもなった」『猟人日記』と書かれまして、はっきり言ってわき役にすぎない「直木賞」が、のうのうと、この作品を説明する語句の座におさまりました。まあ、受賞作として選ぶことができていたならまだしも、直木賞、なかなかお恥ずかしい姿です。

 この作品の売れるきっかけになったのは明らかに「セックス」部分なのに、直木賞では、そこに眉をひそめる委員がけっこういたぐらいですし。真に「大衆」にウケる小説を見つける能力にかけちゃ、週刊誌に比べたら、直木賞って、もう全然ダメなんですよ、ほんと。

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