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2015年7月の5件の記事

2015年7月26日 (日)

冨士真奈美は言われた、「直木賞の候補作ぐらいにはなるんじゃないの」。(昭和46年/1971年4月)

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(←書影は昭和60年/1985年5月・中央公論社刊 冨士真奈美・著『恋よ、恋唄』)


 直木賞をついにとれなかった大物作家のひとり、笹沢左保さんは、芸能ゴシップ方面では「女優キラー」として有名なんだそうです。そういう浮ついた私生活を含めて、当時の選考委員たちに(嫉妬まじりに)嫌われたため、賞をとらせてもらえなかった……みたいな、文壇ゴシップ好きならヨダレを垂らしてハァハァ喜びそうなハナシが、校條剛『ザ・流行作家』(平成25年/2013年1月・講談社刊)には書かれています。ハァハァ喜びたい人は、ぜひ読んでみてください。

 笹沢さんの「愛人」となった女優のなかで、よく知られているのが冨士真奈美さんです。昭和38年/1963年には、笹沢さんは離婚したあと冨士さんと結婚する(らしい)! との記事が出たため、そんなもの根も葉もないウワサ、と冨士さんは手記を書いて反論しました。じっさい肉体関係のあるお付き合いだったらしいんですが、その付き合いが終わって約4年後。今度は冨士さん、「中間小説誌界きってのエロ雑誌」と名高かった(?)『小説宝石』に小説「密通」を発表します。編集部の付けたくくりが「内幕小説」。ってことで、これが芸能週刊誌をはじめ、いろいろと記事になりました。

「女優の小説、なんていうと「そりゃ名前だけで、誰が書いたもんだかね?」と眉ツバでいわれる。だが富士真奈美はその例外、もともと文学少女で文章の筆が立つことは、一部でよく知られている。先頃その真奈美のところへ、月刊誌『小説宝石』かられっきとした小説原稿の注文がきた。

「そのときの条件は2つ、必ず女優を主人公にすることと、ベッドシーンがあることだったの。

 ほんとは10年くらい前から書きたかったんだけど、当時は“清純女優”なんていわれて、書きたいことを書く勇気がなかったのよ。それが今の年齢になって、仕事も『細うで繁盛記』(NTV系放送中の評判ドラマ)の汚れ役なんかできるようになったから、じゃ書きましょうって返事したわけ…」」(『週刊明星』昭和46年/1971年4月4日号「特別取材 女優のショッキング内幕小説を書いた 富士真奈美の赤裸々な告白」より)

 「密通」は、『小説宝石』昭和46年/1971年5月号に載ったきりで、単行本には収められていないみたいなので、簡単にあらすじを紹介します。主人公は、女優になって10年ほどの女。妻子ある著名な文芸評論家と付き合っていて、そのセックスシーンなども描かれるのですが、知り合いの女性デザイナーの夫から、夫婦喧嘩の仲裁役を頼まれたり、ドラマで共演した男優から誘いの電話がかかってきたり。しかし女には、心からわかり合える友人もいない。文芸評論家とは、いくら「情事」を重ねたところで、いつ別れがきてもおかしくない不安定な関係。女は、ひとり暮らしのマンションに帰ると、切なさのなかでひとり酒を飲み、涙が止まらずあふれて出てくるのでした。

 このハナシにモデルなんかいませんよ、と冨士さんはきっぱり明言。また、モデルだとウワサされた笹沢さんのほうも、断じてこれは俺がモデルではない、と言い張りました。しかし、まわりは真相などどうでもよくキャッキャとあおり立て、テレビでよく見る冨士真奈美が「エロ小説」&「笹沢左保との関係をネタにした小説」を書いたぞ、みんな集まれー、みたいな記事に仕立てあげられてしまいます。んもう、不本意だわ、と冨士さん相当ガッカリしたらしいんですが、この過程のなかで登場するのが、はい、薄汚れた文壇ネタにはぴったりお似合い、われらが直木賞なわけです。

(引用者中:某文芸評論家による「密通」評は)「文芸評論家に遠慮してか、まだ自分をさらけ出してないところがあるんだ。やはり、男とのことを書くなら、フリ××コ(フリチンの対語)で書かんといかんですよ。瀬戸内(引用者注:瀬戸内晴美)さんを見てごらんなさい」

 あげく、「もしかしたら直木賞の候補作品ぐらいにはなるんじゃないの」(日本テレビ某ディレクター)という声まで出てくるにいたっては、いくら文才があるとはいえ、

「ま、芸能界のひとの書いたものはほとんどがゴーストライターの手になるものですよ。わたしも、週刊誌記者時代、芸能人の手記を百五篇代作しました。芸能人のオツムの程度なんて知れたもんですからね」(竹中労氏)

 という証言もあるし、もしかしたら、この作品、代作では?」(『週刊文春』昭和46年/1971年4月12日号「女優が書いた芸能界内幕小説「密通」の衝撃度 「直木賞をネラえ」といわれた富士真奈美の官能描写」より)

 竹中さん、あいかわらず笑い持っていくよなあ、と感じ入るのは別として、わざわざこの短篇小説一篇だけをもとに、「直木賞候補になって話題の」タレント中山千夏さんにコメントをとったり、直木賞、直木賞、と言っているのは、おそらく『週刊文春』だからなのかもしれません。いや、この小説一作だけじゃ、どう考えても直木賞なんかネラえないっしょ。

 と、芸能ゴシップがらみで、女優が女優らしからぬ内容の小説を書いた、と話題にされた冨士さん。『小説宝石』の思うツボにまんまとハメられた、という感しかありません。10年前から書きたかったという小説執筆にしては、あまり幸福な読まれ方をされたとは言えず、冨士さんが恨み節を語るのもわかります。

「当の真奈美をより当惑させたのは、男のモデルはだれかという、作品を離れたせんさくだった。

 彼女は憤慨し、いちじはモデル問題をうんぬんして暴露記事を載せた週刊誌を名誉棄損で告訴するとまでいきまいた。」(『週刊平凡』昭和46年/1971年6月3日号「『密通』でモデル問題が大話題になって2か月…冨士真奈美がまたまた大胆な小説を執筆した!」より)

 こういう、虚実いりまじりの、ゴシップ全面展開の話題のなかに、ちょこっとでも触れてもらえたのです。直木賞にとっては、幸せで甘酸っぱい思い出の一ページとなりました。

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2015年7月19日 (日)

藤本義一は言われた、「テレビに出ているから、直木賞がとれない」。(昭和46年/1971年7月)

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(←書影は昭和43年/1968年11月・三一書房/さんいちぶっくす 藤本義一・著『ちりめんじゃこ』)


 皇太子成婚が昭和34年/1959年、東京オリンピックが昭和39年/1964年。直木賞でいうと第40回台から第50回台のころに、日本でのテレビ普及が一気に進みました。なにせいま、この騒ぎです。テレビと直木賞(や芥川賞)とのあいだに築かれてきた関わりの歴史、みたいなことについては、そこら辺に詳しい方が近いうちに解説記事を発表してくれることでしょう。……どなたが書いてくれるのかわかりませんけど、期待しています。

 第50回台は、昭和38年/1963年・下半期~昭和43年/1968年・上半期に当たります。このころの直木賞の背景には、まず「中間小説誌の躍進」がありました。と同時に、テレビ業界の人たちが直木賞界をかき回しはじめた時代だった、と言ってもいいと思います。

 その両巨頭はごぞんじ、五木寛之さんと野坂昭如さん、なわけですが、五木さんは受賞の風景がひとつのテレビドキュメンタリー番組(「情熱大陸」みたいなもの)にまとめられて放映された、というぐらいの人ですし、野坂さんも「いろいろヤラかす放送作家」のひとりとしてブラウン管で大活躍。「テレビでおなじみのあの人」が直木賞で取り扱われる、そういった土壌は、すでに耕されていたわけです。

 そこに登場したのが、日本テレビ・読売テレビの深夜番組「11PM」で司会を務めていたギイッチャンこと、藤本義一さんでした。

 大学生のころから劇の脚本やラジオドラマの台本を書きはじめ、卒業後はシナリオライターの道を歩みつつ、川島雄三監督のもとで下働きとしてこき使われたりしながら、昭和36年/1961年からテレビドラマの脚本をバリバリと書き、

「花登筐サンと対抗してましてン、月に千五百枚も書きとばした。イレブン(引用者注:テレビ番組「11PM」)をやるまでに映画五十本、テレビ・ドラマ二千五百本、舞台劇五十本、原稿用紙で十三万枚になりますわ」(『週刊文春』昭和49年/1974年8月12日号「この人と一週間 藤本義一・こんなに欲しかった直木賞」より)

 と、ドラマ作家として生計を立てます。昭和41年/1966年に「11PM」が始まりますと、読売テレビ制作の回の司会者に抜擢されて、いよいよ「テレビでおなじみ」のレールの上を走り始めました。

「ヌードが登場する夜のワイドショーは、低俗番組のレッテルを張られ、NHKをはじめとして、シナリオの註文はぱたりと途絶えてしまった。

《月に千枚以上書いていたのが、年に一本か二本ぐらいしか注文が来ないんです。手持ちぶさたになりましてね。そんなら昔の懸賞の時代に戻ってやれっていうんで、小説を書きはじめたんです》

「小説エース」に発表した「ちんぴらレモン」が五木寛之氏と三一書房の竹村一社長の目にとまり、小説をもっと書くように勧められる。」(『週刊朝日』昭和49年/1974年8月2日号「直木賞受賞藤本義一“永すぎた春”の喜怒哀楽」より)

 テレビに出はじめたことが影響して、本業の仕事が減ってしまい、それが理由(のひとつ)となって小説を書きはじめた、っていう流れです。

 藤本さんはすでに顔が売れていた有名人でしたから、小説を書きだして間もないころにも、いろいろ雑誌などから取材されました。となると、いまでも、有名人が小説を書いて取材を受けたとき、数多くの場面で使われるおなじみのフレーズ、例のアレが早くも誌面を飾ります。

 「直木賞をとりたい」ってやつです。

「昨秋の『残酷な童話』、ごく最近の『ちりめんじゃこ』と、続けて出版した小説、さらに構想中のものなど、三十代後半に、小説に燃やす意欲に、確かにテレビ・タレントはじゃまのようだ。そして「正直いって直木賞がほしいですね」」(『サンデー毎日』昭和44年/1969年4月13日号「ある日のプライバシー 放送作家藤本義一」より)

 たいていは、こんな発言、芸能ニュースのにぎやかしでしかなく、あっという間に時が流れて忘れ去られてしまうものです。しかし藤本さんの場合は、特異でした。このあと『ちりめんじゃこ』が、マジで第61回(昭和44年/1969年上半期)の直木賞候補に挙げられてしまった、という。

 小説を出しても、まるで直木賞には無視される芸能関係者は、数多いです。そのなかで藤本さんは、一度候補になってしまったために、これは脈がある!と感じたからか、直木賞に賭ける、胡桃沢耕史ばりの妄執をどんどんふくらませていきます。いっぽう、芸能ネタを掘りつづけるメディア陣にとっても、こういう人物の姿は面白いので、「直木賞」とからませて、つい取り上げちゃう。……直木賞の候補になるたびに藤本さんは「直木賞を欲しがる、テレビでおなじみの人」役を務めつづけることになりました。

 第62回(昭和44年/1969年下半期)に、連続して二度目の候補になったときは、選考会前に週刊誌で「「今度はワイや」藤本義一直木賞への執心」(『週刊ポスト』昭和45年/1970年1月7日号)としてネタにされ、選考日当日は、多くの報道陣が藤本邸に押しかける始末。

「当日(一月十九日)八時すぎ「今回は受賞作ナシ」の電話が入るまでの堺市浜寺、藤本邸の大混乱ぶりは、まさに“ショー”なみ。「ただの有力候補者としては、前代未聞」(ある記者)であったらしい。」(『週刊文春』昭和45年/1970年2月9日号「“幻の直木賞”に踊った 藤本義一のいちばん長い日」より)

 「いまや直木賞は直木ショーになり果てた」的な、これまで五十万回ぐらい聞かされたので、いまではクスリとも笑えない語呂遊びが、当時は新鮮だったのかどうなのか。顔が売れている直木賞候補者、大人気の図です。

 結局、二度目も落選します。すると今度は、これも、直木賞界隈では「落選理由あるある」のひとつとして殿堂入りしている(?)、「テレビ界と直木賞」といえばよく登場する名物表現が、藤本さんのまわりにうごめきはじめました。

 テレビになんか出ていると選考委員に嫌われる。だから直木賞がとれないんだ、と。

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2015年7月17日 (金)

第153回直木賞(平成27年/2015年上半期)決定の夜に

 今日は(昨日の7月16日は)、夜、外出していました。帰りの電車は、仕事でくたびれ果てた、直木賞とか芥川賞になど全然関心のなさそうな(と、勝手にこちらが思っている)大多数の人々と一緒の車両。それでも、車両の奥のほうから会話が聞こえてきて、サラリーマン風の男性と後輩OL風の女性が、「直木賞、東山彰良だって。知ってる?」みたいなことを小さな声でしゃべっていたのが、ワタクシには何よりの救いでした。

 以上、ソラ耳以外のなにものでもない妄想は、これまでにしましょう。今回は、事前には激戦だと思っていたんですけど、じっさいは一作だけ飛び抜けて票が集まり、他はほとんど受賞の可能性がなかったそうです。

 え? 何でそうなるんだ直木賞。他の候補作だって、おもしろいの、たくさんあったじゃないか! との思いがおさえきれません。今日も今日とて、直木賞候補の5作品には、このタイミングでやはり、お礼を申し上げたいところです。

 『永い言い訳』の、あの出てくる人物・出てくる人物の、メンドくさい感じに、ワタクシは心つかまれましたよ。専業作家みたいに、常に平均そこそこの作品を読物誌に発表しつづけながら生計を立てるのではなく、西川美和さんのような方が、忘れたころにポツリポツリと小説を出して、それで直木賞を盛り上げてくれる。心づよいです。また忘れたころに、新作を出して、こちらを仰天させてください。

 柚木麻子さんの、直木賞候補になる作品が、どんどんと(いや、今回はとくに)ぶっとんできて、素晴らしいよなあ。何でそうなるんだ、の展開。笑い&ドキドキのまぶしかたとか、もう、直木賞っぽくなくて好き! そのうち直木賞選考委員のほうが、疲れ果てて折れるまで、ぐいぐいと変な方向へと突っ走っていただけると、ワタクシは個人的にうれしいです。

 『東京帝大叡古教授』。直木賞といえば、経年劣化も甚だしく、ほとんど惰性でやっている、いつも変わり映えのしない賞として知られていますが、その直木賞の世界に、これほど背を向けたような孤高の候補作が、近年あったでしょうか! 門井慶喜さんのこの作品がとったら、(予想屋たちがバンバン直木賞に文句を言い始める、という意味でも)今回の直木賞はいちばん面白くなる、と本気で思っていました。これに贈れないとは。直木賞もけっきょく、まだまだ精進が足りず、といったところでしょうか。

 澤田瞳子さんは、ワタクシ個人的に大変思い入れのある作家です。騒ぎだけしか大きくないこんなヤクザな直木賞のお誘いに、このたび候補入りの打診を受けてくださったことが、まずうれしい。実直に一歩一歩高みへとのぼっていく澤田さんには、もうちょっと落ち着いた回で受賞していただくのが、ふさわしいかと。まあ、すでに『若冲』、ものすごく売れているようですので、賞などどうでもよく、慶賀です。

 よし。平成の白石一郎、もしくは古川薫の座には、馳星周さんに座っていただきたい。いまはまだ、選考委員の多くが、馳さんよりも前から直木賞と縁のある先輩作家ですけど、そういったメンツすら退任して、全員が馳さんのデビュー以降に登場した委員ばかりになったころ。願わくばワタクシの生きているあいだに、馳さんの受賞を見てから、あの世に旅立ちたいです。『アンタッチャブル』、さすがの技が各所にちりばめられた楽しい作品でした。

          ○

 しびれますよね。東山彰良さんのカッコよさには。『流』は全篇に重厚さが漂っていて、敷居が高そうなのに、でも軽妙さも散りばめてくれている。小説内世界は広く、真剣なのに、ちょっぴりのおかしみが混ざっている。このバランスのよさ、カッコいいよなあ。記者会見でも、まったくオチャラケることなく、しかし余裕をもって悠然と質問に答える姿に、しびれました。

 なによりしびれたのが、アレです。「今回、芥川賞のほうの取り上げられ方が華々しくなっていること」について問われたのに対し、芥川賞が盛り上がってくれれば、直木賞もその余勢で大きく取り上げてもらえるのでよかったです、といったような回答をされたところです。

 そうそう、まさにそうじゃないですか! こんな直木賞の姿は、今回だけじゃありません。いつだって爆発的に注目を浴びるのは芥川賞。直木賞が、それより華やかに扱われたのは1970年代終盤から80年代の、数年間ぐらいしかなく、あとはずーっと、「ついで」の存在でした。そのことをしっかりと把握し、自然のこととしてサラリと口にされた東山さんに、万雷の拍手をおくります。まったく、カッチョいいぜ。

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2015年7月12日 (日)

第153回(平成27年/2015年上半期)直木賞の発表を、まじめに予想する。

 今回の第153回(平成27年/2015年・上半期)直木賞は、7月16日(木)に最終選考会が行われます。

 1週間を切りました。例によって例のごとく、いま世間の話題は、事前の直木賞予想でもちきり……といったことは、とくにないようですけど、うちのブログとすれば、いったい今度の直木賞がどうなるのか! 毎度のことながら気になってしかたありません。いつもふざけたエントリーしか書いていませんが、今回は心を入れ替え、まじめに王道の予想をしてみたいと思います。

 いちおう、可能性順に、本命・対抗・大穴、をつけてみました。こういう予想の仕方に対しては、「競馬予想みたいで馬鹿ばかしい」などと(思いっきり競馬を差別している)感想をもつ人もいたりしますが、基本、直木賞って馬鹿ばかしいものじゃないですか。それに、直木賞予想でいま一般的に使われている用語でもありますので、ここでも、そのまま踏襲することにしました。

 以下、第153回直木賞の予想、およびその理由です。


◎本命 1940

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 予想をするからには、やはり過去の直木賞の傾向を参考にしないわけにはいきません。他の予想士もみなさん、そうしていらっしゃいます。おそらく、もう見飽きた方も多いとは思うんですが、改めて過去の直木賞一覧を掲げておきます。最近の過去10回分です。

  • 第143回 19時22分(出席委員7名 受賞作:中島京子『小さいおうち』)
  • 第144回 19時28分(出席委員9名 受賞作:木内昇『漂砂のうたう』・道尾秀介『月と蟹』)
  • 第145回 19時24分(出席委員9名 受賞作:池井戸潤『下町ロケット』)
  • 第146回 18時54分(出席委員9名 受賞作:葉室麟『蜩ノ記』)
  • 第147回 19時23分(出席委員9名 受賞作:辻村深月『鍵のない夢を見る』)
  • 第148回 19時42分(出席委員9名 受賞作:朝井リョウ『何者』・安部龍太郎『等伯』)
  • 第149回 19時03分(出席委員9名 受賞作:桜木紫乃『ホテルローヤル』)
  • 第150回 19時12分(出席委員10名 受賞作:朝井まかて『恋歌』・姫野カオルコ『昭和の犬』)
  • 第151回 19時29分(出席委員9名 受賞作:黒川博行『破門』)
  • 第152回 19時33分(出席委員9名 受賞作:西加奈子『サラバ!』)

 要するに、平均的な発表時刻は、19時20分台だということです。

 人間が集中力を持続していられるのは、2時間ぐらいが限界。などと映画業界あたりで語られているのかどうなのか、ワタクシは知りませんが、選考会は17時00分に始まります。冒頭に、ちょっと司会から挨拶があったり、途中、選考委員がトイレに立って中断したり(2時間ぐらい我慢できないのか!などと責め立てないであげてください。委員のみなさん、高齢者です)の時間をさっぴき、それに終わったあとは飲みに行ったりもしなきゃいけないので(そっちが楽しみで出席する委員もいる、というのは多分デマ)、だいたい手頃なところで、2時間ちょっとで決まるのが通例なわけですね。

 ただ、今回は候補作に、読みでのある、重厚・濃厚・迫力のある作品がけっこうあります。江戸時代に実在した芸術家をめぐるアレとか、1970年代の台湾人青年の家族史・青春・恋愛を描いたアレとか。委員それぞれの評価を出し合い、意見を戦わせ、それでも決めかねて、最後にもう少し議論を深めましょう、となるのではないか。

 また、2作授賞の目もありそうです。となると、第148回(平成24年/2012年・下半期)のときのように、2つの作品が最終的に残って、2作に授賞するか1作に絞るのか、といった点で軽く揉める可能性は捨てきれません。

 さらに今回は、何といってもあれです。外の報道陣が異常なほどに騒がしくなることが、すでに確定しています。「ふふん、どうせみんな芥川賞目当てに来てるんでしょ、こっちは少しぐらい遅く発表したって構う人は誰もいないよね」などと直木賞の選考委員たちがヒネくれちゃって、やたら無用な発言をしあいながら、ゆっくり採決するはずだ……などと予想する人もいるみたいです。だけど、それはいくら何でも裏を読みすぎでしょう。

 ともかく長引きそうな要素は、十分にあります。うちのブログでは思い切って、本命ジルシを「19時40分」につけることにしました。

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2015年7月 5日 (日)

ビートたけしは言われた、「現在の直木賞系の作家と並べても遜色のない水準だ」。(平成10年/1998年2月)

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(←書影は平成6年/1994年2月・新潮社/新潮文庫 ビートたけし・著『あのひと』)


 昨年、平成26年/2014年8月のエントリーでも触れたんですけど、ビートたけしさんは、直木賞界において随一の存在です。何の随一か。「候補にもなったことがないのに、長年にわたって直木賞の話題を世間に提供してきた」ことにかけては、トップクラスでしょう。もし将来、〈決定版 直木賞(裏)人物事典〉が編まれる折りには、芸能人として一項が立てられる数少ないひとりになることは間違いありません。

 たけしさんと直木賞、といえば事のはじまりは、何といっても昭和60年/1985年9月に飛鳥新社から刊行された『あのひと』です。

 このころは直木賞史でいうと、「直木賞の芸能化」とさんざんイジくられた第80回台が終わって、山口洋子・落合恵子・林真理子の「マスコミが飛びついた三人娘」が候補になっている時代。どどーっと著名な人たちに小説を書かせて儲けちゃおうぜ、と出版界隈が浮き足立っていたときでもあり、そこにMANZAIブームから「オレたちひょうきん族」「オールナイトニッポン」で一気に人気者になり、映画にも出演、テレビのレギュラー番組を週7本かかえるノリにノッた状態のたけしさんにも声がかかった……と見るのが自然だと思います。

 そのころのことを、たけしさんはこう回想しました。

「小説の処女作『あのひと』(85年作品)ねえ。たぶん事務所が少しは売れると思って書かしたんじゃない(笑)。

(引用者中略)

 小説を書くという行為で自分の文芸コンプレックスに復讐していた要素はあるかもしれない。なんかね、あいつらが書けるんだったら俺でもできるみたいな(笑)。べーつに、っていう感じはあったよ。だから当時は作家たちにとっては、一番不遇な時代だったんじゃないかな。いろんな奴が小説に手を出して、いろんな人がそれぞれの感覚でいいんだとか言っちゃってさ。

(引用者中略)

 この世界を壊して違う方法の小説を書いて有名になってみせるっていう自信はあったね。もし時間さえあれば。でもそれは大したことじゃないなっていうかね。評価はあってもこれ儲かんない(笑)。感覚的には付属品だからね。テレビタレントとしてのポジションが安定しちゃったときだから、それを追い越すのは小説では可能性がなかったし。」(平成19年/2007年5月・ロッキング・オン刊 北野武・著『生きる』所収「北野武、処女作を語る」より)

 大したことじゃない、と思っていることを、一発目の小説集で成し遂げたり、さらに「直木賞」っつう、多くの人が目で見てわかるひとつの評価に結びつけられたら、カッコよかったんでしょうが、あえなく失敗します。

 ただここで、転んでもただでは起きない、と言いますか、芸能人が直木賞候補入りして熱を帯びた騒ぎになる土壌が、すでに直木賞には出来上がっていたからなのか、『あのひと』と直木賞とをリンクさせる言説を、たけしさんみずからしゃべります。以前のエントリーで紹介した『週刊ポスト』(昭和60年/1985年9月6日号)の「オイラが直木賞をとったら、文壇の権威も崩れるだろうな」というのも、その一環でしょうし、『文藝春秋』(昭和60年/1985年12月号)では「この人の月間日記」に登場。「これ(引用者注:『あのひと』)が思いの外に評判がよくて、直木賞の候補になるかもしれない、なんていってくれる人もいてね」などと、話題に出しました。

 「直木賞」っていう存在が、ネタにするにはちょうどいい、と気づいたたけしさん、さすがのセンスだ! と感動を覚えてしまうわけでして、なにしろ、直木賞は名称は世間一般に知れ渡っているけど、実状はほとんど知られていない、「偉そうにしているだけの権威」と言っておけば、そうだよな、とうなずく人がたくさんいる、いかにも巨悪、でもじっさい接するとどうでもいいぐらいチッポケなシロモノです。

 自分が「小説を書いた」ことをもとにして、ネタにする話題としては、これほど観衆にわかりやすく、イジり倒しても減らないものは、そうそうありません(たぶん)。『あのひと』が新潮文庫に入るさい、これはもちろんたけしさんが書いたわけじゃありませんが、その裏表紙の紹介文に、

「小説家たけしが直木賞をねらった(!)短編5編。」(平成6年/1994年2月・新潮社/新潮文庫『あのひと』裏表紙より)

 という、完全にネタと化した文章が書かれているのは、明らかに刊行当時からたけしさん自身が、直木賞、直木賞と言っていたことの効果の表れでしょう。

 たけしさんに近い存在として「直木賞希望作家・井上ひさしぶり」なるライターが登場したのも、おそらく昭和60年/1985年前後のこのころのことでした。『浅草キッド』(昭和63年/1988年1月・太田出版刊)の構成(……つまり、たけしさんがしゃべったものを文章化する役)を担当した井上雅義さんのことらしいんですが、要するにこれも、直木賞をネタ化したものの一種ですね。

 本気でたけしさんが直木賞をとりたがっていたのか、といえば、そうはとうてい思えない。とくに『あのひと』などは、完全に「漫才師・たけし」という実在の素材に頼りきった作品集ですので、いくら表現がどうだ、ストーリーがどうだ、と言っても、直木賞とは無縁だと思います。

 だけど、直木賞に対して、どこまで本気なのか、あるいは冗談なのか、わざわざ明言してみせないのが、たけしさんの「ネタとしてイジる直木賞」のありようです。そりゃそうです。いちいち、それは冗談です、などと言いおいて直木賞をイジることほど、野暮なものはないです。直木賞はとにかく(世間一般には)「作家としての最高の誉れ」みたいに勘違いされている存在ですから、その前提に立って、あんなもの大したことない、芸人のほうが偉い、(でもそんなこと言って、たけし、ほんとうは直木賞ほしいんじゃないの、と世間の人たちがツッコめるようにしておく)。というかたちで、直木賞を手玉にして遊んでいるわけですね。

 このあたりの「おいらの小説と直木賞」のネタに、後年、忠実な対応をしてみせたひとりが、福田和也さんです。たけしさんの「文章による作品」を評論する、という無謀な試みのなかで、こう書きました。

「『あのひと』『少年』『草野球の神様』などに収められた短編は、日本的な短編小説、特に菊池寛から向田邦子までの伝統に忠実な小品としてよく出来ている。その水準は、おそらく現在の直木賞系の作家と並べても――特に『草野球の神様』は、今日の短編小説の水準を抜きん出ている――、まったく遜色のないものであり、その手堅い仕上がりとともに、きわめてヒューマンな感慨を素地とした味わいは、氏の作品のなかで、もっともポピュラリティがあるものだと言えるかもしれない。」(『新潮45』別冊「コマネチ!」平成10年/1998年2月所収 福田和也「出口のない絶望感」より)

 わざわざ「現在の直木賞系の作家」と並べようとするとか、もう。ほんとに福田さん、忠実なんだから。

 たけしさんの小説が、直木賞受賞者の生み出す作品の水準にあるのかどうか。それは興味をもった人が、じっさいにたけし作品を読めばいいので、ことさらその部分を深く掘り下げはしませんけど、ただ、ワタクシ自身は、(もう機会を逸しましたけど)たけしさんの小説、どこかで直木賞の候補に挙げられていたらよかったのになあ、とは思っています。もちろん、それで直木賞が盛り上がるから、というのも大きな理由です。でも、それだけじゃありません。たけしさんが、ほとんど自分で文章を書かずに「小説家」の肩書きをもっている人、だからです。

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