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2015年7月 5日 (日)

ビートたけしは言われた、「現在の直木賞系の作家と並べても遜色のない水準だ」。(平成10年/1998年2月)

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(←書影は平成6年/1994年2月・新潮社/新潮文庫 ビートたけし・著『あのひと』)


 昨年、平成26年/2014年8月のエントリーでも触れたんですけど、ビートたけしさんは、直木賞界において随一の存在です。何の随一か。「候補にもなったことがないのに、長年にわたって直木賞の話題を世間に提供してきた」ことにかけては、トップクラスでしょう。もし将来、〈決定版 直木賞(裏)人物事典〉が編まれる折りには、芸能人として一項が立てられる数少ないひとりになることは間違いありません。

 たけしさんと直木賞、といえば事のはじまりは、何といっても昭和60年/1985年9月に飛鳥新社から刊行された『あのひと』です。

 このころは直木賞史でいうと、「直木賞の芸能化」とさんざんイジくられた第80回台が終わって、山口洋子・落合恵子・林真理子の「マスコミが飛びついた三人娘」が候補になっている時代。どどーっと著名な人たちに小説を書かせて儲けちゃおうぜ、と出版界隈が浮き足立っていたときでもあり、そこにMANZAIブームから「オレたちひょうきん族」「オールナイトニッポン」で一気に人気者になり、映画にも出演、テレビのレギュラー番組を週7本かかえるノリにノッた状態のたけしさんにも声がかかった……と見るのが自然だと思います。

 そのころのことを、たけしさんはこう回想しました。

「小説の処女作『あのひと』(85年作品)ねえ。たぶん事務所が少しは売れると思って書かしたんじゃない(笑)。

(引用者中略)

 小説を書くという行為で自分の文芸コンプレックスに復讐していた要素はあるかもしれない。なんかね、あいつらが書けるんだったら俺でもできるみたいな(笑)。べーつに、っていう感じはあったよ。だから当時は作家たちにとっては、一番不遇な時代だったんじゃないかな。いろんな奴が小説に手を出して、いろんな人がそれぞれの感覚でいいんだとか言っちゃってさ。

(引用者中略)

 この世界を壊して違う方法の小説を書いて有名になってみせるっていう自信はあったね。もし時間さえあれば。でもそれは大したことじゃないなっていうかね。評価はあってもこれ儲かんない(笑)。感覚的には付属品だからね。テレビタレントとしてのポジションが安定しちゃったときだから、それを追い越すのは小説では可能性がなかったし。」(平成19年/2007年5月・ロッキング・オン刊 北野武・著『生きる』所収「北野武、処女作を語る」より)

 大したことじゃない、と思っていることを、一発目の小説集で成し遂げたり、さらに「直木賞」っつう、多くの人が目で見てわかるひとつの評価に結びつけられたら、カッコよかったんでしょうが、あえなく失敗します。

 ただここで、転んでもただでは起きない、と言いますか、芸能人が直木賞候補入りして熱を帯びた騒ぎになる土壌が、すでに直木賞には出来上がっていたからなのか、『あのひと』と直木賞とをリンクさせる言説を、たけしさんみずからしゃべります。以前のエントリーで紹介した『週刊ポスト』(昭和60年/1985年9月6日号)の「オイラが直木賞をとったら、文壇の権威も崩れるだろうな」というのも、その一環でしょうし、『文藝春秋』(昭和60年/1985年12月号)では「この人の月間日記」に登場。「これ(引用者注:『あのひと』)が思いの外に評判がよくて、直木賞の候補になるかもしれない、なんていってくれる人もいてね」などと、話題に出しました。

 「直木賞」っていう存在が、ネタにするにはちょうどいい、と気づいたたけしさん、さすがのセンスだ! と感動を覚えてしまうわけでして、なにしろ、直木賞は名称は世間一般に知れ渡っているけど、実状はほとんど知られていない、「偉そうにしているだけの権威」と言っておけば、そうだよな、とうなずく人がたくさんいる、いかにも巨悪、でもじっさい接するとどうでもいいぐらいチッポケなシロモノです。

 自分が「小説を書いた」ことをもとにして、ネタにする話題としては、これほど観衆にわかりやすく、イジり倒しても減らないものは、そうそうありません(たぶん)。『あのひと』が新潮文庫に入るさい、これはもちろんたけしさんが書いたわけじゃありませんが、その裏表紙の紹介文に、

「小説家たけしが直木賞をねらった(!)短編5編。」(平成6年/1994年2月・新潮社/新潮文庫『あのひと』裏表紙より)

 という、完全にネタと化した文章が書かれているのは、明らかに刊行当時からたけしさん自身が、直木賞、直木賞と言っていたことの効果の表れでしょう。

 たけしさんに近い存在として「直木賞希望作家・井上ひさしぶり」なるライターが登場したのも、おそらく昭和60年/1985年前後のこのころのことでした。『浅草キッド』(昭和63年/1988年1月・太田出版刊)の構成(……つまり、たけしさんがしゃべったものを文章化する役)を担当した井上雅義さんのことらしいんですが、要するにこれも、直木賞をネタ化したものの一種ですね。

 本気でたけしさんが直木賞をとりたがっていたのか、といえば、そうはとうてい思えない。とくに『あのひと』などは、完全に「漫才師・たけし」という実在の素材に頼りきった作品集ですので、いくら表現がどうだ、ストーリーがどうだ、と言っても、直木賞とは無縁だと思います。

 だけど、直木賞に対して、どこまで本気なのか、あるいは冗談なのか、わざわざ明言してみせないのが、たけしさんの「ネタとしてイジる直木賞」のありようです。そりゃそうです。いちいち、それは冗談です、などと言いおいて直木賞をイジることほど、野暮なものはないです。直木賞はとにかく(世間一般には)「作家としての最高の誉れ」みたいに勘違いされている存在ですから、その前提に立って、あんなもの大したことない、芸人のほうが偉い、(でもそんなこと言って、たけし、ほんとうは直木賞ほしいんじゃないの、と世間の人たちがツッコめるようにしておく)。というかたちで、直木賞を手玉にして遊んでいるわけですね。

 このあたりの「おいらの小説と直木賞」のネタに、後年、忠実な対応をしてみせたひとりが、福田和也さんです。たけしさんの「文章による作品」を評論する、という無謀な試みのなかで、こう書きました。

「『あのひと』『少年』『草野球の神様』などに収められた短編は、日本的な短編小説、特に菊池寛から向田邦子までの伝統に忠実な小品としてよく出来ている。その水準は、おそらく現在の直木賞系の作家と並べても――特に『草野球の神様』は、今日の短編小説の水準を抜きん出ている――、まったく遜色のないものであり、その手堅い仕上がりとともに、きわめてヒューマンな感慨を素地とした味わいは、氏の作品のなかで、もっともポピュラリティがあるものだと言えるかもしれない。」(『新潮45』別冊「コマネチ!」平成10年/1998年2月所収 福田和也「出口のない絶望感」より)

 わざわざ「現在の直木賞系の作家」と並べようとするとか、もう。ほんとに福田さん、忠実なんだから。

 たけしさんの小説が、直木賞受賞者の生み出す作品の水準にあるのかどうか。それは興味をもった人が、じっさいにたけし作品を読めばいいので、ことさらその部分を深く掘り下げはしませんけど、ただ、ワタクシ自身は、(もう機会を逸しましたけど)たけしさんの小説、どこかで直木賞の候補に挙げられていたらよかったのになあ、とは思っています。もちろん、それで直木賞が盛り上がるから、というのも大きな理由です。でも、それだけじゃありません。たけしさんが、ほとんど自分で文章を書かずに「小説家」の肩書きをもっている人、だからです。

           ○

 〈糸+圭〉秀実さんは呼びました。ビートたけしは「小説を書かない小説家」だと。

「短編集『あのひと』に収められた作品「新宿ブラインドコンサート」に関わる質問を受けたビートたけしは、しばらく考えあぐねてから、「おれ、自分で字を書いたことないから、できちゃって読んで終わりだから(笑)」と言った(引用者中略)(『文藝』一九九七年冬号)。(引用者中略)これ以前にも、たけしは『ギャグ狂殺人事件』を自分で書いたものではない旨の発言をしたことはあるが、かくも自作全般にわたって「自分で字を書いたことない」と言ったのは、このインタヴューが初めてだと思われる(「書いたことない」のは、単に小説だけではないのだろう)。しかしそれは、たけしの名を冠した小説作品が全て(?)ゴーストライターの手になっていること以上の意味を帯びている。それらの作品は、単にたけしが素材提供者であること以上に、たけし的なのだ。

(引用者中略)

小説家・ビートたけしは「書く人」ではないと自ら認めているのである。「小説の書けない小説家」といった存在は、古くから多々存在した。しかし、「小説を書かない小説家」はビートたけしを以て嚆矢とするのではあるまいか。」(平成11年/1999年1月・四谷ラウンド刊 〈糸+圭〉秀実・著『小ブル急進主義批評宣言――90年代・文学・解読』所収「小説を書かない小説家――作家ビートたけしの諸問題」より ―初出:『ユリイカ』平成10年/1998年2月臨時増刊号)

 前段で触れた福田和也さんも、この件について言及していました。たけしさんの文章作品について論考をすすめるにあたって、まず、

「――先日(引用者注:たけし本人と)会う機会があった時にも直接訊いたのだが――、テープなどに口述した文章を、編集者など専門家が文としてまとめ、それをまた氏が手直しをする、という過程を経て、文章は作成されているらしい。」(前掲 福田和也「出口のない絶望感」より)

 と前置き。そこから、「ビートたけし」名義の作品をカテゴリー分けして特徴を論説する、というなかなかの(いや、かなりの)苦しさです。

 評論家による戯れ言はさておき(って、コラ)、出版社ではこれをどう考えているのか。文藝春秋は、直木賞の実質的な運営企業であり、また『週刊文春』にたけしさん初の連載小説「漫才病棟」を載せた出版社ですが、こう言いました。

(引用者注:ビートたけしは)作家としては、どのような評価を得ているのか。

「半分ほど実話もあるでしょうが、うまくフィクションに仕立ててあります。物書きとしてお付き合いさせてもらっています。」(文芸春秋・出版部)」(『ダカーポ』平成11年/1999年6月2日号「小説家・たけしを読んだ気になるガイド」より)

 「作家」ではなく「物書き」という表現が使われているところが、何か怪しい感じがありますけど、その文章がたけしさん自身によるものではなくても、立派にたけし作品として成立している、ということかもしれません。

 自分で文章を書いていないものを小説として(いや、文学として)認めるのか。みたいな論争(?)は、それこそ松本清張さんが「タイプライター」呼ばわりされた頃からあったみたいでもありますが、口述筆記なんてことは昔からさんざん行われてきた文化なので、ワタクシ自身は、たけしさんの小説が誰か他の人の文章で書かれたものであっても、いいと思っています。それこそ「直木賞」の名のもとの、直木三十五さんにだって口述筆記で残した作品があるぐらいなので。べつにいいじゃん。

 ゴーストライターによるものや、さらにいうと、明らかな盗作などが、直木賞の候補になったり受賞したりしても、全然問題がない、とさえ思います。いや、むしろウェルカムです。そういう作品が選ばれてほしいです。きっと、そうなれば「直木賞(とか文学とか)を、無根拠に神格化している連中」が、これまで以上にわめき散らすでしょうし、他人を糾弾することが面白くてしかたないような人びとが、キャッキャと喜んで、生き生きとして吠えはじまるでしょう。直木賞になんて、たいして興味ないくせに。

 そこで日本文学振興会がどう対応するのかも見ものです。「直木賞など、じつはまったく大したことのないものだった」という明白な事実が、ようやく世間に認知される契機になるかもしれません。おお、それほどのチャンスが、他にあるでしょうか!

 だけどもう、たけしさんは、巨大になりすぎて、直木賞が手を出しにいくことはないでしょう。自分で文章を書かず、名前だけで小説が発表できる(何冊も小説本を出せる)人種となると、やはりその筆頭は芸能人です。だれか、そういう人の小説が、ポロッと直木賞候補にならないかなあ、とワタクシは夢みています。

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