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2015年6月 7日 (日)

第9期のテーマは「芸能人」。80年の直木賞の歴史を語るうえでは欠かすことのできない、芸能界の面々にご登場ねがいます。

 直木賞ってやつは、どうして掘っても掘っても知らないハナシが沸いて出てくるんだ! と涙ながらに掘りつづけ、うちのブログも9年目に突入しております。

 1年ごとにテーマを変えながら、毎週毎週、懲りずに直木賞のことを書いてきました。さて、9年目はどうしようか。と考えまして、わたし、小説のあれこれを調べています、みたいな真面目な人が直木賞について書こうとするときに、きっと躊躇する(はずの)テーマでいこうと決めました。「芸能人と直木賞」です。

 もちろん、いま現在巻き起こっている又吉フィーバーにあやかって、っていう思いはあります。直木賞(やもうひとつの賞)の周辺が芸能人のおかげで賑わったことは、これまで何十回(?)もありましたが、その当時に生きていた文学賞ファンたちが感じたであろう興奮(やら冷笑)を、思い起こしたり、想像したりするには、ちょうどいいタイミングにちがいないですから。

 しかし、何といいますか、「芸能人と直木賞」なんてテーマ、いい大人がやるようなもんじゃない、っていうフシはあります(たぶん)。直木賞といえば、何かかしこまった小説(もしくは文芸)に関することでしょ。たしかに、ときどき芸能人のからんだニュースや話題は出るけど、何つってもゴシップ臭が強すぎる。文芸の行事である直木賞全体からすれば、とるに足らないイロモノ的なおハナシだし。なんで「小説」のことを語るために、芸能のネタが出てくるの。関係ないじゃないか。……と思う気持ち、よくわかります。

 ただ、直木賞は「文芸の話題」でおさまる存在ではない。というのが、いまのところのワタクシの感想です。だって、現実を見たらそう思わなきゃウソでしょう。そして現実を無視して、ほとんど自分の思い込みだけで直木賞をとらえるような人間は、正直恥ずかしいです。ゴシップなことは嫌いだからと唾棄しながら、それでも直木賞のことが気になるものだからカッコつけて、「直木賞は純粋に小説のことだけで語れ」などと偏った見方をしてしまう、何たる恥ずかしさ。

 「芸能人」という存在は、「みんなにその名が知れ渡っている」直木賞の、けっこう重要な相棒じゃないですか。ないがしろにするわけにはいきません。

 そうは言っても、ワタクシ自身は、べつに芸能界にくわしいわけでもないので、果たしてこれからの1年間を乗り切れるのか。かなり不安です。あと、直木賞に関する話題だけで、50週(+アルファ)分の芸能人がほんとにいるのか、早々にネタ切れするのではないか、っていう心配もあります。まあ、世間一般的には、直木賞も芥川賞も同じようなもの、という常識によりかかって、多少、「芸能人と芥川賞」なエントリーも書いちゃうかもしれません。稀少な直木賞ファンの方々、ごめんなさい。

 このテーマで取り上げるとなれば、現在に近い時代の人ばかりが、自然と多くなってしまいます。一週目からそれだと面白くないので、とりあえずは物故人、そうとうに早い段階で直木賞にまつわる書き手と目された俳優のハナシから始めようと思います。

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