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2015年6月 7日 (日)

池部良は言われた、「次の直木賞を目ざして精進している」。(昭和33年/1958年10月)

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(←書影は平成7年/1995年8月・中央公論社/中公文庫 池部良・著『オレとボク 戦地にて』)


 「芸能人が小説を書く」ことが注目され、またたく間に世にあふれ、日常化していったのは、昭和50年代後半の1980年代からだ、っていう説があります。

 もちろん、それ以前にも例外は見つかるんでしょうけど、「作家」と肩書きのついた人がテレビで持て囃され、逆に芸能の世界で生きている人たちが、「小説」と銘打たれた文章を書いては小銭を稼ぐ、いわゆる「小説の(もしくは文学の)芸能化」、なあんてことが、その時代に盛んに言われたのは、疑いようがありません。

 このことについて、当時、分析・考察した文章を書いたひとりに、富岡多惠子さんがいました。

「さまざまな「小説家」のなかからは、「小説家」を人気商売にするひともあらわれ、また人気商売にされるひともあらわれ、すると世間も「小説家」を人気商売として扱うようになっていく。「小説家」は「小説」の他に多芸多才を要求され、講演芸、座談芸、テレビ芸はいうに及ばず、歌舞音曲、食道楽、冒険、旅行、恋愛、子育て、スポーツ、のような私的な好みや行動まで芸として売ることを要求され、それにこたえる「小説家」もでてくる。(引用者中略)

「小説家」の芸能人化である。この芸能人化は「小説」を商品として扱う側の経済的正義によって、既成の「小説家」だけでなく意図的につくり出される場合も当然あり、人気商売のひと(世間的著名人、芸能人を含む)に「小説」を書かせるのと、入れ子になっている。この「小説家」の芸能人化、素人衆(その代表的役割を負わされた世間的著名人、芸能人等)の「小説家」化(?)が可能になったのは世間のひとびとにとどく情報のアミ目が昔とは比べものにならぬくらい複雑に多量になったからである。」(平成7年/1995年5月・岩波書店刊 富岡多惠子・著『富岡多惠子の発言5 物語からどこへ』所収「世間のなかの「小説」」より ―初出:昭和57年/1982年・岩波書店刊『叢書文化の現在一三巻 文化の活性化』)

 ですので、この時代よりあと、「直木賞」なるキーワードとゆかりのある芸能人も、一気に増えるわけです。うちのブログの第一週目をだれにするかと考えたとき、富岡さんが考察文を書くに当たって冒頭で紹介した映画スター、池部良さんこそふさわしいのではないかな、と思いまして、取り上げることにしました。

 昭和57年/1982年は、池部さんが小説誌で「初の小説」とキャッチコピーのついた小説を発表した年にあたります。

「小説家以外の職業のひとが「小説」を書く(或いは書かせられる)ことが、このごろハヤリなのか、最近(一九八二年三月)某誌の目次を見ていて、池部良氏の「小説」が出ていたのでびっくりした。池部良といえば、「青い山脈」の高校生姿を思い出してしまうが、今も「映画スター」に変わりない。某誌の目次にも、「スター初の小説」と書いてあった。」(同)

 『別冊婦人公論』昭和57年/1982年春号の「丘に続く森の中で」のことです。富岡さんは、世間で「小説」というものがどういうものだと考えられているか、そっちのほうに興味があるらしく、池部作品について深くは踏み込みません。「池部良氏の「小説」もそうだったが、素人衆の「小説」はたいていきわめて「小説」らしくつくられている」ぐらいの表現にとどめました。

 池部さんに小説を書かせた張本人、中央公論社の名(名物)編集者だった水口義朗さんに言わせますと、こうです。

「脚本家志望だった池部さんの小説は、筋立て、構成がドラマチックであり、人間心理のからみ合いも見事に張りめぐらされている。」(平成22年/2010年12月・文芸社刊 池部良・著『氷河を渡る記憶』所収 水口義朗「作品と池部さんの素顔」より)

 ただ、『別冊婦人公論』に掲載された池部作品は、そこまで面白いものでもないです。やはり池部さんの文章は、自分を含めた対象をどこか突き放して、トボけた味わいさえ見せるエッセイのほうが光っているよなあ、と思います。

 事実、エッセイのほうでは、それまでにさまざまな媒体で書いてきたものをまとめた『風が吹いたら』(昭和62年/1987年11月・文藝春秋刊)を刊行し、昭和63年/1988年9月~平成2年/1990年8月に『毎日新聞』の「日曜くらぶ」に連載した「父と子」をテーマにした随筆が、『そよ風ときにはつむじ風』(平成2年/1990年11月・毎日新聞社刊)として本になり、このあたりから一気に、池部さんの文名が上がりました。

 その後も池部さんは、文藝春秋や『オール讀物』誌とは良好な関係をつづけた(らしい)のですが、どうしても小説家としてよりエッセイストとしての力量のほうが際立ちます。だからかどうなのか、直木賞がうんぬん、といった話題が池部さんのまわりに出てくることはありません。

 じゃあ、なんでうちのブログなぞが取り上げるのか。

 ハナシの中心は「芸能人小説家」花盛りの1980年代、ではなく、さかのぼること30年近く前の、「池部良・第一次作家活動時代」(←勝手に命名しました)にあります。ここに池部さんと直木賞との、断ちがたい(?)縁があったのでした。

           ○

 池部さんって、もともと、ものを書いて生きていきたい人だったらしい。っつう件は、いろいろなところで触れられているので、よく知られています。水口さんも、こんなことを言われたのだそうです。

「ぼくは立教を出て東宝の文芸部に入ったんですよ、もともとは脚本家志望、俳優になっちゃったけれど、ほんとは物を書いていきたい」(平成18年/2006年5月・小学館刊 水口義朗・著『記憶するシュレッダー ――私の愛した昭和の文士たち』所収「第二十話 天下の二枚目、池部良さんの戦争と平和」より)

 脚本家志望、なので主にシナリオを書くほうなんですが、どうやら小説を書くことにも、昔から興味があったようなのです。じっさい、昭和57年/1982年の『別冊婦人公論』が「初」だったわけではありません。

 池部さん自身も、「昔は、大阪の新聞に、軍隊時代の話をもとにした連載小説を書いてたこともあるんです」(『週刊文春』昭和62年/1987年11月5日号「ぴーぷる」より)と言っていますし。確認できるだけでも、たとえば『面白倶楽部』昭和27年/1952年3月号には「北の国で」という小説を、ちゃっかりと発表。「素人衆」と言った富岡多恵子さんの言葉じゃありませんが、企画名はまさに「素人小説実験室」と題されたコーナーで、

「素人小説実験室として池部良さんに登場して頂きました。脚本で多少経験のあるところから自信満々、撮影の暇を旅館にとじこもって書いたのがこの作品です。」(『面白倶楽部』昭和27年/1952年3月号より)

 との説明コメントが付いています。

 それとか、池部さんの処女出版となった『オレとボク』(昭和33年/1958年10月・小山書店新社刊)。ここのあとがきでは、こう書いているわけです。

「一生懸命、書きたいと思っていた小説ともシナリオとも離れ、ふいとふり返ってみたら、もう二十数年前の出来事でした。

 何とか、かんとかやってゆけるだろうと思って今日に至ったのが俳優業です。

 それが本職になっているのにはオドロキました。」(『オレとボク』「あとがき」より ―太字下線は引用者による)

 『オレとボク』は、確実に池部さん自身と思われる語り手の、兵隊にとられてから戦地を転々として終戦を迎えて帰国するまでのお話。池部さんは当時、

「この本の中身は実録に近いのですが、殆ど小説です。」(同)

 と、「これは小説だ」宣言をしていました。

 芸能人が本を出せば、それが自伝色の強いものであろうが何だろうが、直木賞と結びつける癖は、それこそ1980年代以降に花開いた一大文化だと思います。しかし、その先駆をなしたのが(嚆矢かどうかは不明ですけど)誰あろう池部良さん、昭和33年/1958年秋ですから直木賞が第40回を迎える直前、ぐらいの時代でした。

 お待たせしました。直木賞の登場です。

「近く小山書店から『オレとボク』と題して、四百枚の書き下ろし戦記小説を出版するという。小説の筋は、映画撮影中に赤紙を受けたある男が、北支からニューギニアと転戦する間の、いろいろな人間的な悩みを描いている。これは過ぎ去った青春時代への郷愁と、陸軍中尉だった彼の経験をもとにして、ユーモアたっぷりに戦争を皮肉ったもの。

(引用者中略)

 いずれこの本が出版、発売されたあかつきは、盛大な出版記念会をやろうと彼の友人たちは張りきっており、池部自身も、次の直木賞を目ざして精進しているという。」(『週刊娯楽よみうり』昭和33年/1958年10月24日号「直木賞目ざす池部 良」より)

 出ました。ほんとうに池部さんがそんなこと言ったのかどうかはわかりません。ただ少なくとも、記者は全身全霊で(?)池部作品を直木賞と結びつけているじゃないですか!

 自分の体験をもとにした戦記物、なんて書いても、最近の直木賞ではまず相手にされないはずですが、昭和30年代・40年代ならたしかに、池部さんが候補になることも、あり得たかもしれない。というところが、この記事の楽しさで、ワタクシも池部さんのエッセイや小説を何冊か読みましたが、はっきり言ってこの『オレとボク』がいちばん面白かったです。重苦しいはずの戦場生活記を、まったく深刻ぶらずに、軽快とも読める文章で書き切っている。

 こういう「はっきりと小説というには、ちょっと抵抗のある」ものに、ウカウカと手を伸ばすのが直木賞の長所だったはずなので、そのころ、池部さんを直木賞候補にしていたらよかったのにな、と残念に思います。

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