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2015年5月の5件の記事

2015年5月31日 (日)

「選考委員が一致して推せないのなら、受賞させるな。」…『読売新聞』昭和58年/1983年8月27日「直木賞作家を安易に作るな」松島芳石

■今週の文献

『読売新聞』昭和58年/1983年8月27日

「直木賞作家を安易に作るな」

松島芳石

 「直木賞に対する批判」を取り上げつづけたら、文献は半永久的に尽きません。きりがないので、今日でいちおう、このテーマも終わりにしますけど、掉尾を飾るにふさわしい批判者に登場していただくことにしました。

 東京都品川区にお住まいの57歳の公務員(昭和58年/1983年当時)、松島芳石さんです。国会図書館のデジタルコレクションで検索すると、同名の人がずらずらと検索にひっかりりますが、同一人物かどうかはわかりません。

 新聞には各紙、読者からの投稿を載せるコーナーが用意されています。街で見かけたちょっといいハナシとか、ヒステリックママの社会への提言とか、じいさんばあさんの繰り言とか、そういうものが載って、恰好のひまつぶしの読み物として長年親しまれてきたアレですが、こういうところで直木賞批判をやっちゃう人も、ポツポツと見受けられます。書いてあることは、SNSとか2ちゃんとかでよく見かける直木賞批判の文章と、だいたい似たようなものです。

 けっこうな人生経験を重ねたはずの松島さんも、昭和58年/1983年に、直木賞に対して何か言いたくてしかたない病に襲われたらしく、「まあ。あのひと、いい年して、直木賞の動向なんかを気にしている……、近寄らないようにしなきゃ」と、近所に住む良識人たちから冷たい視線を浴びることを認識したうえで、それでも『読売新聞』に送ってしまった痛恨の一通。これが採用されてしまい、おそらく松島さんは周囲から変人扱いされたことだろうと思いますが、そんな状況にもめげず、幸せな人生を送られたことを、同病の人間としては祈るばかりです。

 さて、松島さんが投稿しようと思ったきっかけは、昭和58年/1983年の直木賞で、新聞ネタになるほどのニュースが巻き起こったことにありました。例の、城山三郎、直木賞の生ぬるい選考会の空気に失望し、委員を辞任する、の件です。

 このニュースにピピンと反応してしまった松島さん。本来なら、それまでの直木賞がどうであったか、などを調べてから意見を言うのがスジでしょうが、そんなもの面倒だと(たぶん)思って、こんな感じで考えを進めてしまいました。

「選考の経過では、城山氏のみならず反対意見や受賞に難色を示した委員が多く、決定までかなり難航したようである。

 ということは、選考委員が一致して推せるような作品が、今回はなかったということになろう。八人の選考委員に異論の多い作品を無理して受賞に結びつけたところに大きな問題がある。」(『読売新聞』昭和58年/1983年8月27日 「気流 直木賞作家を安易に作るな」より)

 ここにある相当な飛躍こそが、この投稿文のキモ(キモい、ではない)だと思います。

 選考委員のあいだで(いくらかの)異論の出た作品を受賞させることが、なぜ「大きな問題」なんでしょうか。ワタクシもよくよく考えてみましたが、どうしても理解できませんでした。

 ただ、直木賞の素顔や実態から目をそらしていいのであれば、別です。たとえば仮に「X賞」という文学賞があるとします。この賞は、明確な授賞基準が決まっています。しかも、見る人によって違いが出るような性質の基準ではなく、論理的、科学的に検証が可能で、そこから外れるような作品が選出されることは絶対にあり得ない。この「X賞」であれば、異論が出た作品を受賞させるのは、(大きいかどうかはともかく)問題視していいかもしれません。……だけど、そんな賞、直木賞以外に目を向けたって、どこにもありません。

 異論も出るし、賛成する人もいる。そのなかで、毎回毎回ぐらぐらと揺れる、それぞれの委員の基準のなかで、授賞したり、落選させたりして決められていくのが、直木賞じゃないですか。そこに「問題」があるというなら、直木賞そのものが生まれたときから問題です。いや、人間が決める、という意味においてすべての文学賞が問題です。もはやそれは問題と呼ぶにはふさわしくなく、文学賞に絶対に備わっている基本的な性質といってもいいし、カッコよく言えば「文化」であるかもしれません。

 しかしまた、なぜ松島さんは、直木賞なんちゅうものの「問題」を指摘しようとするんでしょうか。それは、続く次の文章で明らかにされているのでした。

「このことは、芥川賞とともに権威のある直木賞の価値を著しく低下させることになるであろう。」(同)

 えっ。マジで言っているんですか。

 直木賞には権威がある、という。ええ、それはいいでしょう。だけど、直木賞の権威性は、かつての選考委員たちが一致した見解によって作品を受賞させてきたから、なんかじゃないですよ。異論百出の受賞作が誕生することが、「権威ある直木賞の価値」を低下させるわけありません。なぜ直木賞には権威があると見なされてきたのか。それは、直木賞がどんなことをやらかしても、どんなにバカバカしい話題を振りまいても、かならずそれを「権威ある直木賞」っていう視点から(のみ)見てしまう、松島さんのような方が、昔からたくさんいたせい、なんじゃないですか。

 要するに、直木賞を批判する行為は、ほぼ直木賞のほうに問題があるのではなく、批判する側の、個人の問題なんじゃないですか。

 だって、最後に、このような締めくくり方をしてしまう松島さんに、ワタクシは、どこか偏った、不自然な姿勢を感じないわけにはいきませんもん。感じますよね?

「候補作品の評価が分かれるような場合は、安易に直木賞作家を作らないようにしてほしい。」(同)

 どう考えたって、おかしいでしょ。安易に作られた直木賞受賞作家が、そこかしこにあふれて、何の問題があるんです? というか、われわれが見ている直木賞は、何十年間も、安易に受賞作家をつくりつづけた末の姿なんですよ。別に問題ないじゃないですか。

 もしも、「そんなことをしていたら、直木賞の権威が下がる」とか、「力のない作家が持てはやされるばかりで、不愉快」とか思うのだとしたら、それは「直木賞は、自分を楽しませてくれる作家を生み出す象徴」であってほしい、あるべきだ、みたいな観念に脳内を汚染された病気です。で、松島さんまでも罹ってしまった病気が、いまの日本にもまだまだ蔓延しています。直木賞がいつも楽しいのは、じっさい、そういう病人たちがいるおかげです。ほんとにありがたいかぎりですね。

          ○

 来週からはテーマを変えて、懲りずに直木賞についてのハナシを続けていきたいと思います。ワタクシの直木賞病が完治する日は、まだまだ先みたいです。

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2015年5月24日 (日)

「『オール讀物』に書かなきゃ直木賞はもらえない、という非難は根強い。」…『読切読物倶楽部』昭和28年/1953年新春増刊号[1月]「直木賞のこと」北島真

■今週の文献

『読切読物倶楽部』昭和28年/1953年新春増刊号[1月]

「直木賞のこと」

北島真

 「直木賞に対する批判」をテーマにして、そろそろ1年。いいかげん、別のテーマに変えたいなあと思うんですが、どうしてもこの文献は取り上げておきたいので、ねじ込みました。北島真さんの「直木賞のこと」です。

 北島真、とは何者か。ワタクシは全然知りません。

 しかし、はるか昔の60年以上まえ、石原慎太郎さんが芥川賞を受賞する第34回(昭和30年/1955年下半期)を、まだ迎えていない時代――要は「当時の直木賞・芥川賞は文壇内の出来事でしかなく、一般的に話題になることはなかった」などと、のちにえんえんと言われることになる昭和20年代後半。たぶん「文壇」からは外れた存在と見なされるはずの、一般大衆向けの〈倶楽部雑誌〉の一コラムで、ポロッとこんなことを書いてしまっているスーパー・ライターとして、記憶されるべき人物にちがいない……というのは言いすぎでしょうが、まあお聞きください。

 もう一回くりかえしますが、昭和28年/1953年1月に刊行された、つまりは直木賞では第27回に藤原審爾が受賞、芥川賞は第26回堀田善衛さんに贈られ第27回該当者なし、と決まったあとぐらいに、文学亡者たちの読む文芸誌ではなく、娯楽をもとめる人たちのための読物雑誌に載った文章です。

「既に誰知らぬ者もないことなのだが、芥川賞と同じく直木賞は故菊池寛氏が亡友の名を冠した文学賞の制定によつて、文運の興隆を計り友の名を長く伝えようとしたものである。また芥川賞は純文学を志す無名の新人に、直木賞は相当の労作を発表して来た大衆文学の作家に受賞されるという説がある。

 何れも制定の趣旨をこえて、一箇の社会的事実にすらなつているのだから、これは承認していゝことだろう。」(『読切読物倶楽部』昭和28年/1953年新春増刊号[1月] 北島真「直木賞のこと」より)

 ほんとうに、「すでに誰知らぬ者もなかった」のか。真偽は確かめようもありません。ただ、芥川賞と直木賞のそれぞれの受賞傾向を解説するにあたって、わざわざ「という説がある」と言っています。自分の見聞や感覚にすぎないことを、あたかも事実であるかのように断言しちゃう文壇ライターとは違って、相当に信頼感がもてるところです。そして、あえて「説がある」と言いながら、でも「一箇の社会的事実にすらなっている」から、その説は認めていい、と言っています。

 この「社会的事実」っつうのは、なかなかキワドい表現です。芥川賞(プラス直木賞)が「社会的ニュース」「社会的な話題」として見られるようになったのは、昭和31年/1956年1月の石原慎太郎さんの第34回芥川賞受賞以後だ、という定説があります。ワタクシもニュースとか話題とかは好きなので、どうしてもそこに引きずられてしまうんですが、しかしそれ以前の両賞はどうだったんでしょう。

 北島さんの文章を読むと、やはり「直木賞・芥川賞は一般に知られていなかった」とするのは正しくなさそうです。ニュースや話題とまでは行かないまでも、社会的事実、と言えるほどには一般に流布していたのではないか。そして、パーッと盛り上がったり受賞直後はマスコミに引っ張りダコ、なんて状況がないのにもかかわらず、直木賞と芥川賞が(何となくでも)一般に知られていたのだとしたら、これは文学賞として、すでにかなり異常な存在感です。

 そもそも、読み捨ての最たる媒体、といってもいい倶楽部雑誌が、昭和20年代に、直木賞を中心に据えた「大衆文芸受賞作品選集」なんて増刊号を出していることからして、読者に対して文学賞がどれだけ強いアピール性をもっていたのか、わかろうってもんです。

 ちなみにこの号の内容を紹介しておきますと、受賞作品ではない作品を寄せている作家が3人。井上友一郎「夫と恋人」、田宮虎彦「流転の剣客」、小山いと子「原罪」、あわせて「新春特選三人集」のくくりです。

 そして「特集大衆文芸受賞作品選集」と題されて11作品が掲載されています。

 「女流文学賞」から第4回「鬼火」吉屋信子(……これが「大衆文芸受賞作」のひとつに数えられているのはどうかと思うんですけど)。

 「サンデー毎日賞」(正確には『サンデー毎日』大衆文芸懸賞)から第17回「泣くなルヴィニア」村雨退二郎、第23回「約束」山岡荘八、第32回「ねずみ娘」宇井無愁。

 そして「直木賞」の受賞作から選ばれたのは、第3回「天正女合戦」海音寺潮五郎、第12回「上総風土記」村上元三、第13回「雲南守備兵」木村荘十、第21回「面」富田常雄、第24回「長恨歌」檀一雄、第25回「英語屋さん」源氏鶏太、第27回「罪な女」藤原審爾という布陣です。

 さらにこの特集がエラいのは、吉屋、村雨、山岡、海音寺、木村、富田、檀の7名の「受賞作品の思い出」っていう囲みコラムを載せているところ。木村さんの「雲南守備兵」は、現地取材から成り立ったものなのではなく、アメリカの新聞記者の旅行見聞記を参考にして、雲南地方の世相、実話、風俗を調べ、ありそうなこと、起こりそうなことを想像で書き上げたものだとか。海音寺さんの「天正女合戦」は、『オール讀物』編集長の菅忠雄さんの勧めで書き始めたところ、なかなかの好評を獲得。菅さんからは「受ければ(連載を)延ばす」とも言われていたため、長く書こうかと思っていた矢先、編集長が永井龍男さんに変わり、「三回で書き切ってほしい」(実際は4回で完結)と要求されてしまったので、最後はかなり端折ったかたちになった。そのことから後年、同じ材料で長篇小説「茶道太閤記」を書くことにつながったのだとか。

 もっとこの特集がエラいことには、北島さんの「直木賞のこと」、村田芳郎さんの「サンデー毎日賞のこと」、と題された文学賞解説記事が載っているところだ、っていうのは、もう言わずもがなですね。これら文学賞てんこもりの様子に惹かれて、昭和28年/1953年に生きていた文学賞マニアたちがどどっと書店に押し寄せた……のかどうかは知りませんが、めぐりめぐって、ワタクシの手もとにやってきてくれたのですから、文学賞への興味は時を超えて生きつづけるのだ! とうれしくなるわけです。

 北島さんの記事に戻りますと、これ全篇、直木賞礼讃、と言っていいでしょう。北島さん自身は、直木賞を(それこそ社会的事実に鑑みて)好意的にとらえています。しかし当然、昭和20年代にだって、直木賞にケチをつける人はいたらしく、そのひとつが紹介されているのでした。

「両賞の推進母体は財団法人日本文学振興会であるが、それは文芸春秋社内に置かれてある。このため「オール読物に書かなけりやあ、直木賞は貰えねえじやないか」という文壇人の非難は根強いものがある。」(同)

 まだ一般には、直木賞への批判は社会的なものではなかったのか、「文壇人」による非難が挙げられています。しかも「根強い」のだそうで、たしかに直木賞は『オール讀物』のためにある賞、と見ても間違いではないでしょう。

 さあ、ここで直木賞擁護派の北島さんが、どう迎え撃つか。直木賞に対する批判、そしてその反論が見られることが、このコラムの最大の見せ場です。ガンバレ北島!

「然し、こうした批判とは別に、直木賞が今日の大衆文壇に与えた影響は激甚なものがある。極めて低俗な講談的大衆文学を、どうにかこうにか今日のものに導いて来た功績は直木賞にあるので、それ以外の何処にもありやしない。講談社の無定見さとは対蹠的なものがある。」(同)

 あはは。返す刀で思いっきりの講談社批判ときました。

 でも北島さん。無定見さでは直木賞もヒトのこと言えないんじゃないの。と、つい囁いてみたくなるところではあります。私見では、直木賞が大衆文壇に与えた影響、というよりも、「大衆文壇」なんてものがおぼろげながら形づくられていたのは、ほぼ直木賞があったからでしょう。直木賞がなきゃないで、大衆文壇なるものは消えるなりして、別のものになったでしょうが、それで一般向けの小説が「低俗な講談的大衆文学」ばかりになっていた、とは言えないのではないか。

 他に北島さんがどんなところで、どんな文章を書いていたのか、まったく知りません。大衆文学、大衆文壇、直木賞についてどのように考えていたのか、もっともっと、読んでみたい書き手です。気取ったふうに直木賞にケチつける人はたーくさんいますけど、そういった批判に真正面から反論しようとする人は、なんつっても稀少ですから。

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2015年5月17日 (日)

「近い将来、大衆小説界をリードしていくのは山周賞になるだろう。」…『本の雑誌』平成5年/1993年7月号「山周賞はエライ!」無署名

■今週の文献

『本の雑誌』平成5年/1993年7月号

「真空とびひざ蹴り
山周賞はエライ!」

無署名

 5月の半ばだというのに「このミス」のハナシをしている場合じゃありませんでした。今週は、きちんと(?)季節にマッチした直木賞批判でいきます。

 先週は、例年になく三島由紀夫賞が盛り上がりました。その陰にかくれて、ほとんどの人の目に「三島賞の前座」のように映ってしまった賞があります。創設当時「直木賞のライバルだ!」とのろしが上がったアノ勢いは夢のできごとだったんじゃないかと思うほどに、注目度のうえでは本を売る文学賞・本屋大賞に軽ーく抜かされ、いまでは存在感の薄さが特徴になってしまった、かなしき文学賞こと、山本周五郎賞。

 とかく人間には「直木賞よりも○○のほうが断然いい」と言いたがる習性があります。本屋大賞まわりの賑わいを見ればよくわかりますよね。山周賞も一時期(いや、いまでもですか)、「直木賞より……」っていう、他者との比較ばかりが看板になってしまう、つらい過去がありました。

 その代表的な例が、平成5年/1993年に『本の雑誌』の巻頭コラム「真空とびひざ蹴り」で華々しく打ち上げられた山周賞礼讃&直木賞批判です。無署名ではありますが、書いているのはおそらく目黒考二さんです。

 当時、山周賞は第6回(平成5年/1993年度)が決まった直後。選ばれたのは、ごぞんじ宮部みゆきさんの『火車』で、はじめて「直木賞落選→山周賞受賞」の経路をたどった記念の作品となりました。小説好きは直木賞よりも山周賞に惹かれるのだ! というハナシはよく耳にしますが、そのことを多くの人に印象づける回になった、と言い換えてもいいでしょう。おそらく。

「振り返ってみると、第一回の山田太一から山周賞はそうそうたる作品・作家を選んでいる。なにしろこれまでの受賞作家が、山田太一、吉本ばなな、佐々木譲、船戸与一、宮部みゆき、なのだ。91年度に『今夜、すべてのバーで』が候補作となった中島らもに山周賞をあげていれば、これはもう完璧ではないか。その間、直木賞は十七人の受賞作家を生んでいるが、幾人か惹かれる作家はいるものの、総じて弱い。その後の活躍を比べれば、山周賞のほうが今や信頼できると言ってもいい。」(『本の雑誌』平成5年/1993年7月号「真空とびひざ蹴り 山周賞はエライ!」より)

 信頼、がうんぬんと言っております。

 いかにも、それまでに直木賞のことも「信頼」っつう観点で見てきた人たちがいた、と受け取れるような文章です。しかし、ワタクシは首をかしげてしまうのです。本気で直木賞を信じて崇めていた人などいたんですか?

 言うまでもなく、「直木賞」っていう単語は、世間に流布はしていましたよ。異常なくらいに。だけど、そのほとんどが、表層的な直木賞のことじゃないですか。権威だ何だと攻撃する人。直木賞とっても活躍せずに消えていった人も多い、とかしたり顔で言う人。直木賞受賞者だ、と聞いただけで急にあこがれのまなざしを向ける人。……もちろん、直木賞は、表層あっての存在ですから、表層的に直木賞をとらえることがおかしいわけじゃありませんが、でも、それらは「文学賞に対する信頼」の表われなんすか? ほんとに? いったい、直木賞のどこが、誰に、どういうふうに「信頼」されていたと言うのでしょう。よくわかりません。

 ただ、「とびひざ蹴り」で指摘されている、受賞者のその後の活躍だとか、商業作家としての強さ・弱さの点で、直木賞はいまいちだ、ということは、ワタクシにも納得できます。まったくそのとおりです。山周賞ができて以来に限ったハナシじゃありません。直木賞って、ずっとそんなもんでしたよね。小説を読む行為に「信頼」を求めちゃうような読書家にとって、直木賞の受賞作ラインナップが当てになるわけがありません。

 直木賞は弱い、といったことを、「とびひざ蹴り」はさらに具体的な作家名・作品名を挙げて語ります。このあたりは、さすがは(いかにも)目黒さん、といったチョイスになっています。

「直木賞は船戸与一を候補にしたこともなく、佐々木譲『ベルリン飛行指令』が89年上半期の候補になった例が見られるのみ。つまり候補作がもともと弱い。志水辰夫の『帰りなん、いざ』が90年下半期の候補になっているが、あの作品で候補にされたのでは、志水辰夫も困るだろう。」(同)

 そもそも直木賞って候補作の選択が変だ、と言っています。

 ええ、その変さこそが、直木賞を直木賞たらしめている核の部分だと言ってもいいぐらいです。なので、そこがダメだと言われちゃったら、もう交渉は決裂です。水かけ論です。ハナシは進みません。そうじゃないですか。文句なしの、力感あふれる、作家の力量が存分に発揮された、のちのち代表作と語り継がれるぐらいの小説しか候補に挙がらない、そんな文学賞の何が楽しいのか。ワタクシにはさっぱりわかりません。

 文学賞に対して過大な期待を寄せてしまう、まじめな読者家にとっては、そういう文学賞が理想なんでしょうか。そして、そういう人は直木賞よりも山周賞を好きになる。まあだから、いつまでたっても山周賞は、一部の好事家にしか顧みられない、かなしい地点から一歩も脱け出せないままで、ごにょごにょごにょ……。

 「とびひざ蹴り」に戻ります。つづいて、自分の好きな『火車』を選んだ山周賞をほめ、いっぽうで落とした直木賞を批判する段になりまして、ここでおなじみ(?)、楽しき個人攻撃を繰り出してきます。

「特に渡辺淳一と黒岩重吾の選評を読まれたい。はっきり書くがこの人たちの小説観はもう古いのではないか。直木賞がこういう作家に選考をまかせているかぎり、この賞は読者の実感からどんどん遠のいていくような気がする。」(同)

 そうです、そうです。直木賞は読者の実感から遠いです。まさに。

 だいたい、読者の実感は、読者それぞれが感じればいいことです。そんなものを文学賞が代弁する必要はありません。むしろ、読者の実感とは切り離された、新たな価値観が提示されてこそ、わざわざ何十人・何百人もの社畜……じゃなくて出版社に勤める有能な編集者たちがよってたかって運営するだけの意味があるってもんじゃないですか。遠のいたっていいんです。

 で、こういうハナシになると、「受賞作だから、って理由で手にとる人たちは多いんだぞ。そういう人たちの気に入るような小説を選べない直木賞、クソ」とか言い募る連中がいたりするんですけど、なにを甘えたこと吐かしているんでしょうかね。非があるのは文学賞じゃないでしょ。そんな理由で本を選ぼうとする読者のほうが100%悪いです。

 といって、さすがに『本の雑誌』で読者批判・文学賞擁護、などするわけはなく、当然「とびひざ蹴り」は終始、直木賞を叱り倒しまして、最後の最後、スバラシキ山周賞に関するある予言をもって、締めくくります。はっきりいいまして、大風呂敷です。いまから22年前にここまで言われた山周賞が、その後にどのような旅路を経ていまワタクシたちのまえにあるのか、思いを馳せながら読みますと、哀愁・諦観・憐憫・苦悶……などなど、さまざまな感情がからだじゅうを駆けめぐる仕掛けになっているのでした。

「大衆小説界を山周賞がリードしていくのはそう遠い未来ではない。今回の『火車』事件はそういう時代の変わり目を象徴しているのだ。」(同)

 ……この22年間、大衆小説界を山周賞がリードしたとは、とうてい言えないとワタクシは思います。と同時に、もちろん直木賞がリードしたことだってありませんでした。だって、そりゃそうでしょう。「大衆小説界」なんてフトコロの深い世界、たったひとつの文学賞ごときがリードできるはず、あるわけないです。

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2015年5月10日 (日)

「直木賞の選考委員は、入れ替えるべきだ。」…『このミステリーがすごい!2000年版』平成11年/1999年12月・宝島社刊「狂犬三兄弟がいく!」茶木則雄

■今週の文献

『このミステリーがすごい!2000年版』平成11年/1999年12月・宝島社刊

「実名(+匿名)座談会
狂犬三兄弟がいく!」

茶木則雄(ほかに池上冬樹、関口苑生、T=豊崎由美なども参加)

 季節はこれから暑い夏に向かおうとしていますが、いかがお過ごしでしょうか。今週の話題は、年末の風物詩『このミステリーがすごい!』です。全然、季節と関係ないです。すみません。

 『このミス』の名物企画といえば〈匿名座談会〉ですが、これは2年目の'89年版から始まりました(この年まで'89年版といえば'89年度の作品が対象、翌年からは'91年版が'90年度を対象とするようになり1年ずれる)。最初の記事タイトルは「いろいろあった……'89年大回顧座談会」と、かなりおとなしめ。しかしその後、作品をけなす、作家の発言を嘲笑する、『産経新聞』匿名コラムとケンカする、などなど威勢のいいことをやらかすうちに、〈匿名座談会〉の株は徐々に上がりまして(?)、こういうところで悪ノリするのが宝島社の風土(なのか)、座談会のタイトルも「暴言かましてすみません」だの「覆面4匹 地雷原を行く!」だの「覆面5匹、地雷を人に踏ませる」だのと、アオリの方向に発展していき、'99年度版で「終わっちゃっていいんですか?いいんです!」として、ひとまずの区切りをつけました。

 その翌年からは代わりに「狂犬三兄弟がいく!」のタイトルで、池上冬樹さん、関口苑生さん、茶木則雄さんの3人に、ゲストを加えて座談会が行われます。続いたのは2年間だけでしたが、〈匿名座談会〉は当然のこと、この企画もまた、直木賞ファンにとって忘れられない企画なのでした。

 といいますのも、やはりアレです。やがて直木賞批判者として大々的に知られることになる〈文学賞メッタ斬り!〉の二人、大森望さんと豊崎由美さんがここに関わっているからです。大森さんは〈匿名座談会〉のころに〈O〉として参加経験がありましたが、「狂犬」企画になりますと豊崎さんまでもがゲストとして登場。ミステリーの案内本だっつうのに直木賞に対する批判・非難の声が掲載されまして、直木賞批判天国時代の到来を予感させる企画となった、と言ってもいいでしょう(よくないぞ、たぶん)。

 たとえば、〈匿名座談会〉末期の'97年版で、ゲスト参加した〈O森某さん〉こと、〈O〉こと、大森さん。AさんBさんDさんSさん(=関口苑生)といっしょに、直木賞のダメさ加減の話題でひとしきり盛り上がってみせました。

 どう考えても納得できないのは直木賞。『蒼穹の昴』が受賞しないとは。『火車』が落ちたときにも言ったけど、バカだね。選考委員の、とくに……。

 今回の直木賞は、すでに候補作からしてまちがっている(笑)。宮部みゆきが『人質カノン』、篠田節子が『カノン』、鈴木光司が『仄暗い水の底から』でしょ。作家の名前だけでそろえたとしか思えない……。

 篠田の『カノン』は、まだわかるけど。受賞した乃南アサが『凍える牙』というのも変です。『風紋』とか、ああいった作風が本線の作家だから。

 作者のいいところがいちばん出ているのは、浅田次郎でしょうが。

 該当作なしだったら、まだしもってとこかな。

 『凍える牙』もダメな作品とまで言わないけど、これで直木賞だったら、ミステリー界から、ぞろぞろ取ってていい。

 だから、ぞろぞろ取ってるじゃないですか(笑)。

 直木賞選考委員には文壇の将棋大会で活躍してればいいような人もいるし。」(平成8年/1996年12月・宝島社刊『このミステリーがすごい!'97年版』所収「匿名座談会国内編 絶賛帯はホントに信じていいのか」より)

 がんがん熱くなる批判者の輪のなかにいながら、「だから、ぞろぞろ取ってるじゃないですか」とサラッとツッコんでみせるところなど、もう〈メッタ斬り!〉でよく見る光景ではないですか。ねえ。

 いずれにしても、床屋談義といいますか、飲み屋で交わされる放言、みたいなことの楽しさを、ミステリーファンだけじゃなく直木賞ファンにも味わわせてくれる、大変ありがたい座談会だったものと思います。ワタクシは当時リアルタイムで読んだわけじゃありませんけど、いま読み返すと、ああ、そうだよなあ、かならずしも作家の本流でない作品、ベスト級とも思われない作品を候補作に挙げてみたり、渾身と思われた大作を落としてみたり、直木賞ってシブいよなあ、とますます直木賞が好きになったりします。

 それで3年後に『このミス』の座談会は「リニューアルオープン」して「狂犬三兄弟がいく!」になりました。2000年版、この年のゲストはみなイニシャルなんですが、豊崎さんは〈T(豊崎由美=フリーライター)〉と名前を明らかにして、ミステリーに関するお話に参加しています。

 この当時は、世間では「ミステリーと直木賞の蜜月」と言われていました。となればやはり、直木賞ごときが、年間ミステリー回顧のハナシに登場させられるわけですけど、ここで豊崎さんがどのようにからんでくるかと言いますと、例によって例のごとく、と言いますか、これがなきゃ豊崎由美じゃない!とまで言われる例の観点で、直木賞を批判するのです。

茶木 (引用者中略)今回の直木賞、『永遠の仔』落選の最大の理由は長さにあった。長いこともあって落ちたんじゃなくて、長いから落ちたとしか、選評を読むと思えない。もちろん、ほかにもいろいろあるようですけど。みなさんどうですか?

 選評の中でたしかにうなずけるところもあります。子どもはこんなふうにはしゃべらない、とか。天童さんがこの小説で訴えたいことを子どもに語らせちゃってる部分がちょっと目立つんですよ。(引用者中略)ただ、ここまで長さ長さと言われるというのは……どんな恨みを天童さんは買ってるんだろう(笑)。やっぱり、ひとつには、読んでて長いと疲れちゃうと思うんですよ、お年寄りの選考委員の方たちには。しかも、このなかでも渡辺淳一は自分のコトは棚にあげるよね。たとえば『失楽園』の文章。「ボディトークという言葉を思い出す。いま、ふたりはまさしく身体と身体で語りあった」とか、こんな文章を平気で書く作家が、どうして直木賞の選考委員になってるわけ?」(平成11年/2000年12月・宝島社刊『このミステリーがすごい!2000年版』所収「狂犬三兄弟がいく!」より)

 期待どおり来ましたね。よっ。豊崎屋!

 直木賞選評の華、のひとつだった渡辺淳一さんの、読み手の神経をゆさぶらずにはおかない稚気たっぷりな選評に、豊崎さんががっつり反応するという。おそらく視聴者にアンケートをとったら、直木賞批判史の名場面ベスト10の上位に食い込むんじゃないでしょうか。「渡辺淳一選評を攻撃する豊崎由美」の図。これが『このミス』誌上で展開されていたことに、感涙にむせぶ直木賞ファンはきっと多い……のかどうかは審議の余地ありですが、ワタクシの胸はつい熱くなります。

 豊崎さんの熱に押されたか、いや、茶木則雄さんのことですから、たぶん文句を胸におさめておけなかったようです。自分の勇敢さに酔いしれながら、直木賞に対して批判の声を謳いあげるのでした。

茶木 直木賞の選考委員はね、入れ替えるべきだと声を大にしてこの座談会で言っておきたいね。誰も表立って言わないから。たしかに『永遠の仔』は、欠点のない小説じゃないけど、絶対にこれは認められないような欠点ではないでしょう。ミステリー的には、読みながら「これは甘いな」とチェックが入るところもあったけど、でも、読み終わったらそんなことはもういい。べつに欠点なんか気にならない。圧倒的な読後感を高く評価したいけどな。(引用者後略)(同)

 誰も表立って言わなかったのは、けっして、直木賞の動向程度のことに誰も興味がない、わけではなかったのですね! 半年に一度、文藝春秋の恣意が入りまくった候補作のなかで決められる、文芸の中心にあるわけでもない、一瞬騒ぎが起きるだけのあんな賞、誰が選考委員に就いてたって別にどうでもいいだろ、みたいに誰もが思っていたわけではなかったのですね。うれしいです。

 ただ、茶木さんのような方までもが、わざわざ声を大にして言ってくださっても、そんなことで直木賞は動いたりしない。これもまた、直木賞の魅力です。ミステリーが候補作に入っていなければまず直木賞に関する発言などしないような人たちから、ちょこちょこと文句を言われても、意に介さずに我が道を行く、けなげな直木賞。

 この先、〈メッタ斬り!〉の活躍もあり、ほんとに多くの人が表立って選考委員の入れ替えを言い立てる、まさに直木賞批判の天国時代が訪れます。ご承知のとおりです。そして、ますます直木賞のけなげさが際立つようになりました。直木賞ファンにとって、このうえなく幸せな時代になった、と思わないではいられません。

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2015年5月 3日 (日)

「直木賞をとると、それだけでいきなり名士扱いされて困る。」…『オール讀物』平成16年/2004年9月号「奥田英朗がドクター伊良部を訪ねたら」奥田英朗

■今週の文献

『オール讀物』平成16年/2004年9月号

「受賞記念架空対談
奥田英朗がドクター伊良部を訪ねたら」

奥田英朗

※こちらのエントリーの本文は、大幅に加筆修正したうえで、『ワタクシ、直木賞のオタクです。』(平成28年/2016年2月・バジリコ刊)に収録しました。

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