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2015年4月の4件の記事

2015年4月26日 (日)

「受賞者がタレントのように持てはやされてきたので、その軌道修正、か。」…『読売新聞』昭和63年/1988年1月16日「軌道修正?した芥川賞 熟年ずらり、水準高かった候補作」(草)

■今週の文献

『読売新聞』昭和63年/1988年1月16日

「軌道修正?した芥川賞
熟年ずらり、水準高かった候補作」

(草)

 直木賞や芥川賞の解説文などには、ひんぱんに使われる言葉があります。たとえば「顔みせ」(=とくに直木賞。受賞には遠いけど、選考委員たちにその候補者の存在を印象づけるために、予選会が初候補として選ぶこと)とか。「文春枠」(=候補選びの際に、他社のものとの比較ではなく、文藝春秋の刊行物が優先的に選ばれることを指す)とか。こういう言葉を使うと、いかにも直木賞・芥川賞にくわしそうに思われて、多少の優越感にひたれるかもしれないんですけど、たいてい周囲からはウンザリした目で見られるので、ご注意ください。

 それから、こんな直木賞・芥川賞用語もあります。「軌道修正」。

 ときどき、マスコミ受けする派手な経歴、容貌、言動などで強烈な光を浴びるような受賞者が誕生します。そういう話題性を快く思わない「〈文学〉病の患者」は全国各地にいますので、そのあたりからワーワー批判の声が上がり、いっそう話題にはずみがつくわけですが、次の回で、話題性の乏しい、昔ながらの地味ーな受賞作が選ばれたりすると、だいたい「軌道修正」といった言葉を使う文壇ライターが出てきます。

 芥川賞のほうで言いますと、第75回に村上龍さんが受賞、第76回は受賞作がなく、第77回に三田誠広さん・池田満寿夫さん、ときまして、みんなの芥川賞愛が炎をあげて最高潮に達します。そのあとに選ばれたのが、第78回の宮本輝さんと高城修三さん。代表的な「軌道修正」として(「軌道修正」っつう言葉がいろんな人に多用された例として)よく知られています。

 まあ、そのときは、いつものように芥川賞偏重の取り上げられ方でしたし、直木賞といえば、そもそも軌道もレールも見当りませんから、特段気にするハナシじゃありません。その直木賞が、「軌道修正」なる言葉を使ってもらえたのが、第98回(昭和62年/1987年・下半期)のときでした。

 何つっても、これまで調子こいて注目の的になってきた芥川賞のほうは、受賞作なしを繰り返す暗黒のトンネルのなか。話題になるような受賞者も出せず、きらびやかさが大嫌いな文学通たちは、いい気味だとほくそ笑んでいました(……たぶん)。

 対して直木賞は、第93回山口洋子さん、第94回林真理子さん(+地味なおじさん森田誠吾さん)、第95回は三期連続女性の皆川博子さん、とんで第97回には、タレントの記者会見かというぐらいに会見場をカメラの山で埋め尽くした山田詠美さん(+地味なおじさん白石一郎さん)ときました。話題になるものを叩きたくてウズウズしている人たちの、攻撃の矛先が、にわかに直木賞に向けられたわけです。

 と、この流れのなかで第98回がやってきます。受賞結果が発表されて、その経過を伝えますのは、読売新聞記者の(草)さんです。ここに及んでも直木賞の話題としてではなく、芥川賞の話題として書いちゃっているのは、もはや失望とともに笑うしかないんですが、こう書き出しました。

「今期の芥川賞は、池沢夏樹氏「スティル・ライフ」と三浦清宏氏「長男の出家」の二作受賞に決まった。このところ女性作家に押されぎみだった同賞だが、男性のダブル受賞は第七十九回以来、ほぼ十年ぶり。芥川・直木賞の候補そのものが全員男性というのもちょっと異例だった。

 もう一つ目立ったのは、候補者の年齢の高さ。芥川賞七人の候補の中に戦後生まれはいなかった。」(『読売新聞』昭和63年/1988年1月16日「軌道修正?した芥川賞 熟年ずらり、水準高かった候補作」より)

 絶対に直木賞中心の記事など書くもんか、という気概のような意志が、強烈に感じられる文章です。おそらく直木賞のほうには、8人の候補者のうち、たったひとりだけ戦後生まれの小杉健治さん(昭和22年/1947年生まれ)が入っていたので、(草)さんに無視されたんでしょう。

 要するに(草)さんは、芥川賞では最近に珍しく、40歳を超えたジジイたちの小説ばかりが候補になった、と言っているわけですが、それなら芥川賞のことだけ言っていればいいのに、都合よく利用されるのが直木賞の存在です。たぶんここで、「芥川賞・直木賞」のハナシに移行しても違和感に気づく読者などいないだろう、と考えたものか、ここ数年間は芥川賞の代わりのようにマスコミに注目されてきた直木賞のことを、さらっと引きずりこんできます。

「このところ芥川・直木賞は、話題性の強い候補によって、ともすればショー的になっていた。それに比べ、いわば実力派中心の今回は地味だった。東京会館での記者会見も、いつもよりテレビライトの数が少なく、受賞者の受け答えも落ち着いて、大人の雰囲気が支配していた。

 現実の社会のなかで、文学はマイナーな存在であっていい。文学者がタレントかなにかのようにもてはやされるのは、文学にとってけして幸福なことではないのである。」(同)

 山田詠美さんを撮りたがったテレビカメラの群れが、今回はいっせいに潮が引くようにいなくなった、というのもよくわかります。阿部牧郎さんは、発表直後の東京會舘の記者会見には出てこなかったようですが、たぶん阿部さんが来ていても、けっきょくジジイ3人が並ぶだけなので、カメラ映えの点では変わりなかったことでしょう。

 ちなみに阿部さんの『それぞれの終楽章』は、それまでの直木賞史上でトップクラス、と言われるほどの、選考委員たちゲキ推しの完成度! な受賞作でしたが、そんなことに飛びつく報道陣など、いるはずもありませんでした。

「選考委員を代表して、山口瞳氏は「今回の候補作品はどれが受賞してもおかしくなかったが、阿部氏の作品は直木賞史上最高ともいえる支持を集めた。作品は氏の戦後史であり、男の友情を描いた青春小説だが、文章が非常に安定していて、さりげない描写に胸を打つ個所がいくつもある。これまでの氏の作品の傾向を方向転換し、それに見事に成功している」と高く評価した。」(『毎日新聞』昭和63年/1988年1月14日「芥川賞に三浦清宏、池沢夏樹の両氏、直木賞に阿部牧郎氏」より 太字下線は引用者によるもの)

 ふたたび(草)さんの文章に戻ります。最後のしめくくりの部分です。自分の意見としてではなく、その場にいた周囲の誰かさんの、思いつきに近い放言を紹介して、第98回の地味な直木賞・芥川賞を解説してみせました。なぜ、それまでテレビカメラも追っかけるような受賞者を出しておきながら、この回、むさくるしい男連中ばかりに授賞したのか、それは――

「この春から、芥川・直木賞に対抗して新潮社が三島由紀夫、山本周五郎賞をスタートさせる。そのインパクトが芥川・直木賞の軌道修正をもたらしたという、うがった見方もあった。」(同)

 これぞどこに出しても恥ずかしくないほどの、カンペキなヨタ! と言いたくなるほどの、まとめかた。山周賞・三島賞の、創設発表のインパクト、なるものを持ち出すところが、さすが、この創設発表を特ダネですっぱ抜いた文学賞脳集団・読売新聞だけはあるなあ、と感心しつつ、でも、マスコミ陣の目を引かない受賞者が選ばれた原因が、山周賞・三島賞の存在にあった……とか、そりゃ考えすぎでしょ。どう見ても。

 だいたい、圧倒的な候補回数を重ねた作家として、白石一郎さんの受賞から阿部牧郎さんへ。中年・老年の書き手によるノスタルジックな自伝的小説として、常盤新平さんの受賞から阿部牧郎さんへ。何だ、全然、軌道修正してないじゃん。

 ……などといっても、芥川賞にしか興味のなさそうな(草)さんには、どうでもいいことに違いありません。とりあえず芥川賞の専売特許の感があった「軌道修正」っつう用語が、直木賞のほうにも押し広げられたんですもんね。ここは素直に喜んでおきたいと思います。

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2015年4月19日 (日)

「上品すぎるもの、たくましさのないものは、直木賞的じゃない。」…『新潮』昭和32年/1957年12月号「今年の文壇――座談会――」臼井吉見、中村光夫

■今週の文献

『新潮』昭和32年/1957年12月号

「今年の文壇――座談会――」

臼井吉見、中村光夫(ほかに河上徹太郎も参加)

 直木賞とはどんな賞か。職業作家を発掘し、あとあとまでカネの稼げる物書きとして育ちそうな作家に与えるもの。というのが、一般にいわれている定説です。

 定説どころか、おそらくそれが正しい解答だと思います。まわりから口を挟みたがる「オレ、文壇のプロ」を自負する人たちだけじゃなく、歴代の選考委員たちだって、昔からずーっとそう証言しつづけているわけですから。

 そうは言いつつ、ときどき、職業作家としてブイブイ書きまくれそうにない人材が、選ばれてしまう回もあります。何度もありました。ふつう、何度もあれば、直木賞の目的とは「職業作家として今後もやっていけそうな人を選ぶこと」だけじゃないんだな、と考えるのが自然だと思うんですけど、「直木賞=職業作家養成」の図式はそうとう強固らしく、不文律の極みのようなこの直木賞観が、いまだに頑固なまでに健在です。不思議なことです。

 周囲の人から見て直木賞にそぐわない作家の受賞。そのひとつが、第37回(昭和32年/1957年・上半期)でした。大衆文壇・大衆文学とは縁遠かった筑摩書房から、ズブの新人作家が書下ろしで出した小説、江崎誠致さんの『ルソンの谷間』が選ばれた回です。

 さあここで黙っちゃいられなかったのが、評論家の肩書きを掲げた〈筑摩のスポークスマン〉こと、臼井吉見さんです。同じ回に芥川賞を受賞した菊村到「硫黄島」とからめながら、直木賞と芥川賞の逆転現象だ、ふうのことをさんざん言い触らしまして、のちに平野謙さんなど、それを真似する追従者たちを生んだことで直木賞&芥川賞交流史に燦然と名を刻むことになったのでした。

 臼井さんは、菊村さんが明らかに中間小説・風俗小説を生み出す気質に富んでいて、芥川賞委員たちもそのことがわかっていながら、結局賞を与えたことに注目します。それを話題にするときに、比較がてらに直木賞を引き合いに出してみせました。

「直木賞のほうが、逆に芥川賞にふさわしいと思われる江崎誠致の「ルソンの谷間」をえらんだことを思い合せると、この事情(引用者注:芥川賞委員が菊村到に授賞するという日本文学の現状)はいよいよはっきりするように思われ、ぼくなど興味津々たるものを覚える。

 直木賞の永井竜男委員は、「ルソンの谷間」の一章々々に「光り」があると言い吉川(引用者注:吉川英治)委員は、人間を失った人間群を描きながら、どの人間にも「あいまいさ」がないと言い、大仏次郎委員は、この作のもたらす「素朴な感動」について語り、小島政二郎委員は、「こんな芸術的気稟をもつ人が大衆小説を書こうとも思えない」として、点を入れなかったと語っている。村上元三委員も小島委員の意見に近いようだ。芥川賞委員は現代小説に「気稟」や「光り」を求めることにあきらめてしまったのであろうか。ぼくは皮肉を言っているのではない。芥川賞委員と直木賞委員の入れ替えなどという冗談をとばすつもりなどさらさらない。これでいいのである。くどいようだが、日本文学のぶつかっている問題は、このことでかえってはっきりするのである。」(『朝日新聞』昭和32年/1957年8月21日「文芸時評」より ―引用典拠は平成20年/2008年10月・ゆまに書房刊『文藝時評大系 昭和篇II 第十二巻 昭和三十二年』)

 直木賞と芥川賞という、対峙・並立しているように見せかけて実は何の関係もない二つの賞の傾向から、日本文学のぶつかっている問題がはっきりする、などと言っちゃう、何とまあキモいおっさん。と感じた読者が、この当時どのくらいいたのか知りませんが(いなかったでしょうね……)、いずれにせよ、自分の頭のなかで「直木賞にふさわしいもの」「芥川賞にふさわしいもの」っつうイメージを抱き、それとズレる(と自分の目に映った)現象に遭遇したときに、ほんとうに自分の抱くイメージが正しいものだったのかを検証せずに「日本文学」なんかを語っちゃう姿勢。キモい部類に入れたいところではあります。

 臼井さんがキモいかどうかはさておいて、この第37回の「逆転現象」には、おなじみのアレがつきまっていることも紹介しておかなきゃなりません。直木賞の背負った悲哀、ってやつです。

 江崎誠致さんは「直木賞よりもむしろ芥川賞向きの資質」だと言われました。じゃあ「芥川賞よりも直木賞向きの資質」と言われた菊村到さんはどう反応したか。臼井さんいわく、こうでした。

「僕は、菊村氏が芥川賞作家にはなつたけれども、そのことをあまり気にかけずに、直木賞作家のような仕事へ進む方がいいのではないか、結局はそこへ進む人だろう、ということを考えて、そういうおせつかいを書いたことがある。そうしたら菊村氏が何かに、直木賞的な作家に見られるのはまことにおもしろくない、と書いていた。」(『新潮』昭和32年/1957年12月号 臼井吉見、河上徹太郎、中村光夫「今年の文壇――座談会――」臼井発言部分より)

 360度どこから見ても、カンペキに直木賞が嫌われています。かわいそうですね。

 正確にいいますと、嫌われている対象は、直木賞そのものではなく、それぞれの頭のなかにある「直木賞的なもの」っつうイメージのほうかもしれません。この座談会では、臼井さんと、芥川賞委員のひとり中村光夫さんとのあいだで、直木賞委員が『ルソンの谷間』を褒めるに当たって使った「光り」や「気稟」について、会話が交わされているんですが、そこに両人のもつ「直木賞的」なるイメージが垣間見えています。

〈臼井〉江崎氏の「ルソンの谷間」を選んだ直木賞の委員たちがどうもこれは直木賞にしては少し……

〈中村〉上品すぎる。

〈臼井〉こういうものを書いた人が直木賞的な作家としてたくましく職業作家になれるかどうか、疑問なんだね。だけれども、永井龍男さんだつたかな、「光り」もあり、気品もありと認められて出てきた。ところが一方の芥川賞の委員たちのなかには、瀧井孝作とか宇野浩二とか、もつぱら光りとか気品というものを目がけて仕事してきた人でしよう。そういう人たちが、(引用者注:菊村到に授賞させたのは)やはりそれだけじや済まないというような気持があつたんじゃないかな。

〈中村〉それはある。

(引用者中略)

〈臼井〉一方の直木賞の委員の人たちは、相変らず作品の「光り」とか気品とかをノスタルジアとして持つているわけだ。そこが僕はおもしろいと思う。」(同)

 上品すぎるものは直木賞的ではない、たくましいのが直木賞的だという。……これってもう、直木賞の不文律とか、直木賞の真の目的とか、そういうのを飛び越えて、完全に「直木賞的」に対するそれぞれが連想するイメージにすぎませんよね。臼井さんなど、直木賞委員たちが「光り」や「気品」を求めるのはノスタルジアを持っているからなぞと言い出す始末で、こやつ、勝手に芥川賞を「先進的」、直木賞を「時代おくれ」の枠におさめて考えようとしてやがるな! と感じるのは、ええ、直木賞オタクのひがみです。

 ともかく臼井さんは「直木賞委員のノスタルジア」説を唱えています。これを中村さんはどう受け止めたかというと、敢然と(?)異論を展開してみせるのでした。

〈中村〉ただ、江崎氏に関する場合は、つまりああいう言葉で婉曲に才能がないということをいつているんじやないかな。

〈臼井〉おそらく、職業作家にはなれそうもない。

〈中村〉それは氏があとで書いたものを見ればわかる。やはり直木賞の方は職業作家養成という建前がはつきりしている。だからそういうふうに婉曲に言つているということも僕はあると思う。」(同)

 婉曲。直木賞は職業作家養成の建前がある、それに反する候補作を推すのだから、あえて持って回って、「光り」「気品」なんちゅう抽象的な褒め言葉を使っている……ということでしょうか?

 ノスタルジアなのか、建前への抵抗なのか。二人の直木賞談義は尽きるところが……なかったら嬉しかったのですが、基本、お二人とも直木賞にはそれほど興味がないようです。ハナシは違うほうへ流れていき、直木賞の話題はこれで終わっています。

 ワタクシはつらつら思うのです。果たして、おおかた下品さを備えた、金かせぎのために濫作多作するたくましさのある、いわゆる「直木賞的」な作家を、そんなに直木賞はたくさん生み出してきたでしょうか。あるいは、直木賞を受賞しなかった人たちで、そういう「直木賞的」な大衆作家もいたじゃないか、と思うとき、なんでそういうダークなイメージに「直木賞」の単語が使われているんでしょうか。

 江崎誠致さんだって、(建前を度外視してまで)授賞されたぐらいの人ですから、立派な直木賞受賞者じゃないですか。それが例外扱いされてしまうとは。やはり何をやっても、ひとりひとりの心に棲む「直木賞的」なイメージを覆すことのできない、直木賞本体の悲哀が、ああやっぱり身にしみます。

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2015年4月12日 (日)

「菊池寛は「直木賞をやめてしまおう、とときどき思う」と言っていた。」…『別冊文藝春秋』49号[昭和30年/1955年12月]「苦と楽の思ひ出」宇野浩二

■今週の文献

『別冊文藝春秋』49号[昭和30年/1955年12月]

「苦と楽の思ひ出
――芥川賞、直木賞詮衡委員としての思ひ出――

宇野浩二

 宇野浩二じいさんが、芥川賞ファンのみならず直木賞ファンからも慕われているのは、何といっても、選評や回想文で見せるアノ異様な記録癖を、直木賞に対しても発揮してくれているからだと思います。

 あ、「じいさん」とか言ってすみません。宇野さんが直木賞の選考委員を兼任でやらされたのは、昭和14年/1939年下半期からの2年間。宇野さん、まだ50歳になるかならないか、ぐらいでした。いまの直木賞の委員のだれよりも若い、ピッチピチのお年ごろ。そのたった2年のことを、他の戦前期の(直木賞専任も含めた)委員に劣らないぐらいの長文で、克明に、熱く語っちゃっている。日ごろ脇におかれることの多い直木賞資料のファンが、宇野さんのことを神認定するのも当然でしょう。

 昭和20年代後半から昭和30年代にかけて、直木賞・芥川賞が世間の話題になった(と言われる)石原慎太郎さんの登場をまたずして、『別冊文藝春秋』がにわかに、選考委員だの関係者だのの、両賞にまつわる回想録をこつこつと掲載しはじめました。「文学の鬼」にして「芥川賞の鬼」こと宇野さんも、この流行に狩り出されまして、「回想の芥川賞」を同誌29号(昭和27年/1952年8月)と30号(同年10月)に発表します。

 それじゃまだまだ足りないっすよ、宇野先生! と文春の編集者が思ったのかどうかは知りませんが、昭和30年/1955年には、

「芥川賞の詮衡委員として苦しいと思つたことと楽しいと思つたことの思ひ出を述べてほしい、といふのが、編輯者の註文である。」(『別冊文藝春秋』49号[昭和30年/1955年12月]宇野浩二「苦と楽の思ひ出――芥川賞、直木賞詮衡委員としての思ひ出――」より)

 という新たな発注を受けて、宇野さん、また新たに第6回(昭和12年/1937年・下半期)に委員に就任してからの各回の思い出を、じっとりと書き下ろすにいたりました。

 書き下ろすことにはなったんですが、資料として記録されていない(裏話のような)ことを記憶を頼りに書くわけですから、これが全部、じっさいに起こった事実かどうかは疑うべきところではあります。宇野さんも、言い訳しています。

「ここで断つておくが、これまで述べた事は、(これから書く事も、)何分十七八年も前の事を殆んど記憶だけで述べるのであるから、マチガヒがところどころにあるかもしれない事を、お断りしておく。」(同)

 たとえば、第6回の直木賞で、井伏鱒二『ジョン萬次郎漂流記』と橘外男「ナリン殿下への回想」が最後まで争った、と紹介しているところ。

 井伏さんのほうが受賞と決まったが「『ナリン殿下への回想』は、落とし兼ねるから、つぎの回で、当選させよう、といふ事になった」というんですが、えっ、そうなんですか。そういえば、「ナリン~」は『文春』2月号に掲載ですから、選考会のときに委員たちが読んでいたかもしれないし、話題にはなったかもしれません。でも、第6回の対象期間から外れているのはわかり切ったことです。それが、どちらを取ろうか最後まで議論されるもんでしょうか、どうでしょうか。

 あと、こういったとっておきの(?)思い出バナシもあります。直木賞委員たちの欠席率があまりに高かったために、芥川賞委員だった宇野さんたちに、直木賞のほうにも参加してほしいとの話があったころのことです。……ただし、こちらも宇野さんが繰り返して、又聞きの又聞きだから間違いかもしれないよ、と機先を制してから紹介しているので、要注意ではあります。

「私たちが直木賞の詮衡まで頼まれた時分の或る日、大佛次郎が、日本文学振興会の誰かに、芥川賞の詮衡委員の人たちは、詮衡をするのに、議論があまりはげしく喧まし過ぎるから、あの何人かの委員の中から、代表者として、「川端さん(引用者注:川端康成)一人にしてくれないか、」と、顔に例の笑ひをうかべながら、申し出たことがあつたさうである。」(同)

 ほんとうの話なら、むちゃくちゃ面白いんですけどね。直木賞の選考会は、芥川賞に比べて、そんなに激しい議論もなく進行されていた、と小島政二郎さんや永井龍男さんも証言していましたが、そこにいきなり熱湯がそそがれるのを懸念した大佛さん。代表者として川端さんひとりを指名したとか。ほんとかよ、と思っちゃいます。ありそうな場面ではありますけど。

 ともかく、こうして芥川賞委員が、直木賞の選考にも参加することになりました……。第10回(昭和14年/1939年・下半期)から第13回(昭和16年/1941年・上半期)。この2年間の試み、けっきょく何だったんでしょうか。2年で立ち消えになったわけですから、はっきり言って失敗だったんでしょう。たしかに、直木賞専任だけでやっていても同じ授賞結果になっていたんじゃないか、としか思えないですもん。せっかく忙しい芥川賞委員に依頼した意味、どこにあったんでしょうか。まったく見いだせません。

 宇野さんもまた、この時期のことを、「苦しみのほうの思い出」として書いている段落のなかで取り上げています。岩下俊作「富島松五郎伝」の、例の「直木賞へのスライド事件」のことです。

「直木賞といへば、第何回であつたか、芥川賞の候補作品のうちの一つになつた、岩下俊作の『富島松太郎伝』を読んだ瀧井孝作が、例の上の前歯が見えるのが愛敬になる笑ひ方をして、『富島松五郎伝』は、なかなか面白いところがあるが、直木賞の方にまはした方が……と云つた。私は、それに同感であつたから、そのやうに計らつたが、『富島松五郎伝』は、瀧井や私の目がくもつてゐたのか、直木賞を授けられなかつた。」(同)

 この一件など、もし成就していれば、戦前の直木賞を紹介するときの、有名な逸話として語り継がれていたはずで、そうなれば多少なりとも、芥川賞委員の参加も意味があった、とか言われるようになったに違いありません(たぶん)。なんでこのとき、「富島松五郎伝」に授賞しなかったのか。悔やまれます。

 さて、現在うちのブログのテーマは「直木賞に対する批判の系譜」です。何か直木賞を批判しているような文章を、紹介したいところなんです。ただ、宇野さんにとって直木賞は、あくまで一時的にお願いされて同席しただけの、他人の集まり。はっきりと、直木賞の何がダメとかは言及していません。思い出バナシ、それから人から耳にしたことの紹介、などに終始しています。

 そのなかで、直木賞批判、というよりも、直木賞の存続にも関わる発言について触れられているので、今日はここを取り上げたかったのでした。

「直木賞のことでふと思ひ出したことがあるから、書いておく。

 ある時、やはり、詮衡会の席で、菊池(引用者注:菊池寛)が、例のやうに、突然、つぎに述べるやうなことを、云つた。

「大佛(引用者注:大佛次郎)君、……僕は、『大衆』で通すつもりだけど、君は、『純文学』の方にずゐぶん色気がある、……」

 かういふ事を云つた菊池が、別の時、独り言のやうに、どういふわけか、私に、「僕は、ときどき、直木賞を止めてしまはう、と思ふことがあるよ、」といふ意味のことを、はつきり、云つた。」(同)

 菊池さん……。ときどき、ってことはけっこう頻繁に、考えていたんですね。直木賞の中止を。

 社会的な話題にまではなっていなかった、とか言われながら、いやいや戦前からちょくちょく、新聞にも雑誌にも取り上げられていた芥川賞。半年に1回ごと、作家志望者も、文壇作家たちも気にして、注目して、議論のタネになっていた芥川賞。それに比べて、選考委員もろくに出席せず、出席する少数の人間にしてからが、お茶でも飲みながら世間話をしにくる感覚で、選考にあたっていた、ぐだぐだな直木賞。いったい、これやっていて、何の意味があるのか。菊池さんが日々、疑い、不安になり、こんなもの止めちまえ、と思っていたとしても、そりゃ不思議はありません。

 仮に、戦前のどこかで直木賞が中止、消滅、雲散霧消していたとしましょう。それによって日本の文学史に何の影響も与えなかったのは確実、と思えるところが悲しくもあり、情けないおハナシなわけですが、しかし、菊池さんの「直木賞なんて止めちゃいたい」の気持ちを思いとどまらせたものは、果たして何だったのか。……文学賞制度には悪評がつきまとっていたうえ、直木賞には意義がある、続けるべきだ!みたいな強い応援の声も、聞いたことがありません(あります?)。ひとえに、こちらは強く存続の意思の感じられる芥川賞、そのついで、といった惰性感がぷんぷんと匂う、昭和10年代の直木賞なのでした。

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2015年4月 5日 (日)

「選考委員の人事だって、けっきょくは話題づくり。」…『サンデー毎日』昭和62年/1987年6月14日号「芥川・直木賞 選考委に初の女流四氏」清水靖子

■今週の文献

『サンデー毎日』昭和62年/1987年6月14日号

「芥川・直木賞 選考委に初の女流四氏」

清水靖子

 ワタクシがはじめて直木賞のことを耳にしたのは、おそらく小学生のときです。当時すでに、「直木賞なんて、もう落ち目」と言われていて、以来この年になるまで、ずっと直木賞は落ち目だと聞きながら育ちました。今日取り上げる文献は、ワタクシが子供だったころの、いまから約30年まえに発表された記事ですが、直木賞なんてもう落ち目、といったことが語られています。当然のように。

 いや。正確にいうと、「凋落傾向にあるのはとくに芥川賞だ」っていう指摘でした。直木賞のほうは、その巻き添えを喰って凋落仲間に加えられているかっこうです。そして凋落だ、凋落だ、いっているそばから、何でこんなことをデカデカと記事にするんだ! と多くの人が思うはずのテーマで、わざわざ直木賞・芥川賞のことが記事にされている。っつう意味でも、これまた空気のように、いつもボクラの身のまわりにあるようなテイストの記事になっているわけです。

 芥川賞の周辺では、昭和50年代から昭和60年代にかけて、とくに盛んに叫ばれていたことがありました。「選考委員に女性を入れるべきだ」という要望です。

 そのさなかの昭和60年/1985年、第94回(昭和60年/1985年下半期)から直木賞の選考委員に陳舜臣、藤沢周平のお二人が加わり、芥川賞には直木賞から水上勉さんが移って、さらに古井由吉、田久保英夫のお二人が就任したときには、こんな文章すら書かれるほどでした。

「芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考委員が大幅に変わり、来年一月の第九十四回選考会から新体制で実施される。

(引用者中略)

近年女性作家の候補作が増えたことから、空席には女性委員をとの声もあったが今回は見送られた。」(『読売新聞』昭和60年/1985年10月8日夕刊「芥川・直木賞 選考委員に新たに四氏」より)

 とにかく「女性を就任させろ」の声が、両賞のまわりで相当高まっていたわけですね。日本では、この二つの賞のことになると、やたらと何か注文をつけずにはいられない人種が、創設したころからずーっと存在してきたんですが、この時代の、彼らの流行のキーワードは「はやく女性選考委員を」でした。

 流行りとなると、マスコミ陣はそこを集中的に突こうとする。これは、いまのネット民たちとあまり変わりません。昭和62年/1987年、第97回(昭和62年/1987年上半期)からようやく直木賞・芥川賞ともに2人ずつ、女性が選考委員に入る、と発表されたときには、

「まあ、女性をなぜ入れないか、と雑誌が特集をしたりして責めたてている感じがあったから、その要請に(引用者注:主催者が)応えたんじゃないの」(『サンデー毎日』昭和62年/1987年6月14日号「芥川・直木賞 選考委に初の女流四氏」より 署名:清水靖子 太字下線は引用者による)

 とコメントされるぐらいに、女性を要望する声はヒートアップしていたわけです。ちなみに、このコメントをしている主は、当時、島田雅彦さんあたりからガーガー噛みつかれ、「僕はもうそろそろ辞めたいんだよね」などと弱気になっていた芥川賞委員、吉行淳之介さん。記事をまとめたのは『サンデー毎日』編集部の清水靖子さんです。

 そして、ここで登場します。してしまうのです。週刊誌ネタのレギュラー回答者としておなじみの(?)「某紙文化部記者」とやらが。ふふん、何やら騒いでるようだけど、ただ単に「主催者が外部からの圧力に屈した」だけが原因だろうなどと思うのは大まちがいだよ、トウシロ君。これまで長らく直木賞・芥川賞をとりまいてきた伝統の見解を忘れたのか、と言わんばかりに、例の視点をねじ込んでくるのでした。

 なぜ、いまになって女性の選考委員を加えたか。そりゃあ、衰退するいっぽうの芥川賞に、少しでも世間の目を引きつけようとする話題づくり、に決まっているじゃないの、と。

「年に二回ずつ受賞作家を量産しているこの芥川賞と直木賞。以前ほど、一般の人々の興味をひかなくなっている。おまけに作家にとっても、かつては、この両賞のどちらかを受賞すれば、その名前で一年は仕事がくると言われたが、いまはそれがひどい場合は半年。特に芥川賞の衰退が指摘されている。

 某紙文化部記者によれば、この芥川賞の下落傾向と今回の“新人事”とは結びつくものがある、としてこう解説する。

「芥川賞は中上健次さん(50年下『岬』で第74回芥川賞)以降、文壇の勢力となるような有力な作家がほとんど育っていないんですよ。むしろ、何回目かの候補になった時、『芥川賞なんていらない』と断ったという噂がある富岡多恵子、津島佑子さんなんかが活躍している。選考委員の候補も手詰まりになってきています。今度の補充で、芥川賞を受賞していない黒井千次さんが選考委員になったのは将来への布石でしょうし、女性を入れたのも、外からの要請に応えたということと同時に、話題づくりもあったんじゃないですか」(同)

 とりあえず芥川賞についてコメントするなら、「話題づくり」の単語さえ持ってくれば、すべてが丸く収まる定番の図式、といいましょうか。受賞作が売れれば話題づくりだと言い、衰退したと見るや話題づくりにばかり身をやつしたからだと解説し、それを取り戻そうとする姿勢もまた話題づくり、ととらえる。ここから20数年たったのち、今度は島田雅彦さんが選考委員になったときにも「芥川賞の話題づくりだ」とさんざん言われたことは、記憶に新しいですよね。

 ……魔法のことば「話題づくり」。この賞がどういう状態であろうと、何をしようと、すべてそれで押し通そうとする人びと。ここまでくると、普通は笑えます。だから芥川賞関連記事っつうのは人気があるし、いつ見ても面白いんだと思わされるゆえんです。

 ただ、面白がってばかりもいられません。この匿名記者のコメントには、つづきがあるのでした。今回の女性選考委員誕生は、残念ながら、みんなの大好きな芥川賞だけの話題ではありません。ってことで、この記者が何と言ったか。書き手の清水靖子さんが、冷酷に伝えてくれています。

「直木賞のほうは男性の候補者もいるが、芥川賞とのバランス上、直木賞にも二人の女性選考委員が誕生した、というのがこの記者の推測である。」(同)

 どうですか。芥川賞の委員人事は熱ーく語ったくせに、直木賞のことになった途端に、この冷め具合。要するに、直木賞は「ついで」の存在だと言っちゃっている。

 ああ、そうですか。直木賞は、直木賞だけの理由で何か変革する、とすら見てもらえないんですか。芥川賞ほど凋落してはいない、芥川賞ほど話題づくりに躍起にはならない。そこにあってもなくても、べつにさほど心を動かされない存在、直木賞。

 でも、この1年ほど前の第95回、皆川博子さんが受賞したときには、「昭和60年代に入って、史上はじめて女性の受賞者が3回連続で選ばれた。直木賞の世界に、たしかに女性が増えはじめている」ぐらいのことを言う人もいたんですから、「芥川賞とのバランス上」なんてお手軽な表現をしなくても、もっと解説できたでしょうに。クヌー、匿名記者め、芥川賞びいきが露骨すぎるぞ、コノヤロ。

 ともかくも、当時、芥川賞大好き文芸ジャーナリストたちが、やたらと固執していた女性選考委員の就任。これで念願がかないました。さあ、こうなれば直木賞・芥川賞に対する外からの評価も、思惑どおり、第97回から徐々に回復していくはずだったのですが、果たしてどうなったのか。……直木賞・芥川賞に注文をつける人は、注文するときは威勢がいいです。でも、だいたい無責任です。今日は、そこに触れるのはやめときます。

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