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2015年2月の4件の記事

2015年2月22日 (日)

「これが日本の文学のすべて、であるかのような錯覚を世間にもたらしている。」…『週刊時事』平成4年/1992年2月8日号「芥川賞 日本の文学をゆがめた?半世紀」荒野一狼

■今週の文献

『週刊時事』平成4年/1992年2月8日号

「芥川賞 日本の文学をゆがめた?半世紀
いま、問われるその功罪」

荒野一狼

 先週は、第106回(平成3年/1991年下半期)直後に『噂の眞相』が載せた100%カンペキ原稿を取り上げました。そして今週。しつこいながらもう一発、第106回関係を続けてみたいと思います。

 先週も書きましたとおり、直木賞(と芥川賞)は、「話題にならなかった回」に面白いものがあります。面白い、っつうか、特異、と表現すべきでしょうか。日本に何百とある文学賞のうち、「話題にもならない」ということが記事になるのは、直木賞と芥川賞ぐらいしか思い当たりません。

 ね。異常でしょ。わざわざ「話題にもならない」ことを、貴重な誌面を割いてまで載せようという、奇特な編集部があるんですよ。ワタクシも奇特さの面では、負けられんぞ、と闘争心を燃やしたりするんですが、でも、こっちは誰にも迷惑をかけずひとりでやっていることですから気が楽です。あちらは、カネが動いたり、他の人を動かしたり、なかなか大がかりでしょ。なのに、「話題にもならない」と言いながら、大したことのない直木賞(と芥川賞)を、強引にでも話題の舞台に引っ張りあげようとしている。ほんと、かないません。

 第106回が発表された直後、『週刊時事』が「芥川賞 日本の文学をゆがめた?半世紀」と題する記事を載せました。

 なかを覗いてみますと、

「芥川賞と直木賞とでは性格に多少の違いがあり、ひとまとめに語るわけにはいかないので、ここでは新人賞の性格がより濃い芥川賞について考えてみたい。」(『週刊時事』平成4年/1992年2月8日号「芥川賞 日本の文学をゆがめた?半世紀」より)

 などと言い訳して、直木賞をすっ飛ばし、聞き飽きた感もある「芥川賞ってこんなにダメ!」のおハナシを、つらつらと綴っています。

 しかしこの記事もまた、模範解答として先週ご紹介した『噂の眞相』とそっくり同じ。ときどき文中で「芥川賞・直木賞」と、二つの賞を同列にして語ってしまい、「ひとまとめに語れない」などという強い意思があるわけではなく、単に直木賞に対して興味がないだけ、っていうことを露見させているのでした。記事タイトルでは「芥川賞」だけを掲げ、あえて直木賞の文字を外すことで、正確性を期しているのに……。その慎重さが、まったくの台無し。悲しいです。

 まあ、このくらいで悲しがってちゃ、直木賞ファンは続けていられません。気を取り直して行きますが、この『週刊時事』の記事、じつはそうとうキュートです。何がキュートなのか。あたかも「芥川賞が日本の文学をゆがめた!」と指摘しているかのように見えるんですが、よーく読むと、「報道人、ジャーナリスト、マスコミ人たちが日本の文学をゆがめた」と言っている(あるいは、それしか言っていない)からです。その張本人でもある、時事通信社の発行する『週刊時事』が。

 記事の筆者は荒野一狼さん、っていう方です。時事通信の人なのか、雇われライターなのか、ワタクシは知りません。ともかく、原稿の内容はすべて、日本の文学をゆがめた主犯としてマスコミ、を指しているのに、そこから目を逸らそうとあれやこれやと言葉を連ねていきます。

「芥川賞からは第一回受賞の石川達三以来、八木義徳、井上靖、安部公房、松本清張、遠藤周作、石原慎太郎、大江健三郎といった日本文学の巨峰が輩出している。この顔触れを見る限り、芥川賞が果たしてきた役割は大きいと言わなければなるまい。同時に、あるいはそれだけに、とも言わなければならないのだが、芥川賞が日本の文学のすべてだとの錯覚を世間にもたらしているという面もある。」(同)

 いや、あのう……。「錯覚を世間にもたらしている」っつうのはいいです。同感です。でも、その主語って「芥川賞」なんですか? 違うでしょ。どう考えても。「誰が」世間に対して錯覚をもたらしてきたか。犯人は、明白です。

 「ふふ。そう。犯人は、この雑誌を出している時事通信社(を代表とするマスコミ陣)だ!」と名指ししてくれたらカッコよかったんですけど。腰が引けたものか、荒野さんったら、他のところに責任をなすりつけようとします。日本の文学をゆがめている(って、この認識もどうなのか、とは思いますが)のは、ボクじゃないよ、ほら、あそこにいるアイツだよ! ……と荒野さんが、読者の目を向けさせようとしたのは、文藝春秋を筆頭とする大手出版社、なのでした。

(引用者中略:昨今ますます顕著になってきているのは、芥川賞の候補作が)すべて大手出版社の雑誌からしか選ばれていない。

 これでは菊池(引用者注:菊池寛)が掲げた「広く各新聞雑誌(同人雑誌を含む)に発表された」作品とは言えない。もちろん当事者は「ほかにいい作品がなかった」と言い張るに違いない。しかし、そうして並べられた作品に賞を与え、それに係の意向が六分以上も通るとなると、そこには明らかに“売る”ための工作があると見られても仕方なかろう。」(同)

 ええ。そうです。芥川賞の候補選出は、ずばり掛け値なしに、まるまる文藝春秋の工作です。

 筆者の荒野さんも知っています。出版業界の人たちは当然のこと、遠くから見ているワタクシたち、無関係な外野の観客たちですら、それを知っています。文藝春秋=日本文学振興会だって、候補の選びかたが一企業である(でしかない)文藝春秋の事業の一環にあることを、隠しちゃいません(認めてもいなければ否定もしていない、といったほうがいいかも)。

 しかし、一企業が腹黒い策略をめぐらすだけで、日本の文学がゆがむのなら、そんな簡単なハナシはありません。文春だけじゃなく、新潮社も講談社も集英社も河出もKADOKAWAも筑摩も徳間も光文社も早川も創元も、みんな思い思いに謀略を繰り出して、日本の文学を左右させることでしょう。

 荒野さんは、ここからアクロバチックな論理を展開して、犯人を追い詰めようと試みます。

「全国紙が扱うような社会的な行事を少数の大手出版社が左右しているのは見逃せない。しかも、創設のころからずっと、名だたる選考委員を前面に出して、それなりに、名目を与えている罪は大きい。日本の文学をゆがめていると言ってもいい。」(同)

 見当ちがい、という言葉はまさしく、この文章のためにあるかのようです。「全国紙が扱うような社会的な行事」であること、その責任は、扱われている行事じゃなくて、扱う全国紙のほうにあるに決まっているじゃないですか。

「今日でも新人賞の頂点にあると見られているのがこの両賞(引用者注:直木賞と芥川賞)で、それだけに新聞も派手に扱うしきたりが続いている。」(同)

 と、しれっと書いているんですけど、えーっ、マスコミ陣の「しきたり」のほうは無罪放免なの!? 取り上げることは絶対的な決定事項であって、なんびとたりとも覆せない。だから取り上げられる側のほうが、取り上げる側に合わせ、マスコミを満足させなければならない。って、それって一般的には「傲慢」と表現される考えかたなんじゃないかと思います。「責任転嫁」といってもいいです。

 ……あ、マスコミ報道の傲慢さなんか、べつにいまさら言うまでもない常識でしたか。すみません。

 しかし、やはりあれなのかな。あまりにも芥川賞受賞者(=松村栄子さん)に話題性がなさすぎたのかな。中途半端なこんな時期に、「芥川賞が日本の文学をゆがめた」とか、定番のお約束記事が、埋め草のように載せられたのは。もちろん、いつ載せても大丈夫な、インパクトに欠ける内容だったこともあり、それで何かが(誰かが)反省なり猛省なり方向転換なりをするはずもありませんでした。

 今日も今日とてマスコミは(いや、ネットに棲息する個人個人までも)、いったいどうして芥川賞ばかり話題になりつづけているのか、おかしいと思いつつやめられないまま、芥川賞に文句を言いながら、話題にしつづけています。

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2015年2月15日 (日)

「ニュースの扱いが小さくなってきた。」…『噂の眞相』平成4年/1992年3月号「最近の芥川・直木賞の事情 選考委員の眼力に疑問の声 ニュースの扱いも下火傾向」無署名

■今週の文献

『噂の眞相』平成4年/1992年3月号

「最近の芥川・直木賞の事情
選考委員の眼力に疑問の声
ニュースの扱いも下火傾向」

無署名

 お待たせしました。いや、だれも待っていません。取り上げたくてウズウズしていたのはワタクシ自身です。ごぞんじ『噂の眞相』です。

 いまネットでは莫大な量の「直木賞批判」に接することができます。その8割以上はすでに、この雑誌が同じような切り口で取り上げていた。と言われるぐらいに、「直木賞批判」の系譜に確かな足跡を残し、そして「直木賞に物申す人びとは確実に、直木賞より先にこの世からいなくなる」の原則どおり、いまや跡形もなく(?)消え失せてしまった、直木賞ファンにとっての尊きオカズこと、『噂の眞相』。

 尊いです。あがめたいです。どの時期に書かれた、どの直木賞関連記事であっても、「直木賞批判」史を語るうえでは欠かせません。ほんと、奇跡のような雑誌でした。

 今回はそのなかでも、日本人ならだれもが聞き飽きているはずの、例の直木賞批判が展開されている記事に注目します。20年以上まえの記事です。

 第106回(平成3年/1991年・下半期)。芥川賞は松村栄子さん、直木賞は高橋義夫&高橋克彦のW高橋、に決まりました。人気作家の一員だった克彦さんはともかく、他のお二人をご覧ください。そうです。克彦さんの人気度など、はるかに包み隠すぐらいに強力な〈地味オーラ〉をまき散らしていたために、「なんかイマイチだな」と、さんざん陰口を……いや公然と言われた、あの思い出の回です。

 芥川賞は知りませんが、直木賞って、こういう回こそ面白い! っつうのは直木賞ファンなら常識かもしれませんね。すみません、言わずもがなのことを言って。

 日本じゅうには、他人にスポットライトが当てられて本が売れるような事態を、心の底から嫌う種類の人びとが、数多く棲息しています。いまに限らずいつの時代も。そういう人たちは、地味(だと世間一般に思われそう)な人が賞をとると、決まって「やったあ、直木賞・芥川賞が話題になってないぞ、うれしいぜ」と嬉々としてハシャぎます。彼らの姿を、あちこちで見ることができる。これが、ワタクシには至福の光景なのです。

 第106回のときも、その例に洩れないのでした。

「第百六回芥川賞・直木賞が発表されたばかりだが、近年、文学賞(ことに新人賞)の数が多くなって賞の価値の「インフレ」化が進んでいるなかで、もっとも権威があり影響もあると言われる両賞に対する疑問も表面化してきているようだ。」(『噂の眞相』平成4年/1992年3月号「うわさの真相 最近の芥川・直木賞の事情 選考委員の眼力に疑問の声 ニュースの扱いも下火傾向」より)

 といって始まる『噂眞』の記事。まったく、例に洩れないどころか、あなた。定型を踏みすぎてて、機械が自動で生成した文章か!? と疑いたくなるような、ありふれた導入部。「直木賞批判」の模範解答、の香りがほのかに鼻腔をくすぐります。

 さらに次の段落から、この記事の優等生っぷりが一気に全開に。

「とりわけ芥川賞は、連続授賞記録(要するに〈該当作なし〉にならない記録)が五回となって、吉行淳之介、小島信夫、庄野潤三、遠藤周作ら「第三の新人」、そして石原慎太郎が相次いでデビューした時期と並んだというが、しかしここ数年の受賞者に当時のような清新さはとうてい感じられない。」(同)

 どうですか。「芥川賞・直木賞」の二つの賞を語ると思わせておきながら、全然そうではなく芥川賞のみが批判対象であることを、即座に自白するという、アクセルのベタ踏み。コース正面に陣取っている観客(=われら直木賞ファン)の目のまえを全速で横切って遠ざかる、っちゅう先達のやり口を、まるぱくりで踏襲しています。拍手をおくるひまもありません。

 芥川賞を批判する人間なら、出版界を見渡せば、だいたいすぐに見つかります。この記事で、その役割を引き受けているのは、当時やたら芥川賞批判に気炎をあげていたヤスケンさんです。

「「スタジオボイス」二月号の特集「文学へ。」では、かねてから芥川賞に批判的な編集者の安原顯が、近年の芥川賞は〈素人編集者、素人批評家らが粗選りした作品を、本物を見抜く「眼力」も「文学的センス」もない選考委員とやらが、どう転んでも才能のない新人たちを世に出し続け、その結果、真の小説フリークたちを小説から遠ざけることにしか寄与していない〉として、先に挙げたような近年の受賞者について〈この中でその後、世を震撼せしめる世界的傑作を書いた作家など、当然一人もいない。第一、彼らの名前を知っている人が何人いるだろう?〉と書いている。」(同)

 たかが芥川賞のおハナシです。そこに、なんで「世を震撼せしめる世界的傑作」みたいな大仰な価値観が出てくるんだ? 昆虫採集してる少年をみて、ふふっ、大草原で猛獣あいてに狩りをする醍醐味も知らないくせに、とせせら笑うイヤミなおじさん、みたいな? 芥川賞もたいがいかもしれないけど、芥川賞を批判する側にもイタいやつ多いよなー。……と思わせるところなんぞ、『噂眞』、まったくニクい演出です。

 すべては「芥川賞」のために書かれています。本文20字詰×69行の短い文量のうち、「直木賞」のことが出てくるのは、わずか3か所しかありません。上でご紹介した、ゆるゆるの冒頭が1か所目。2か所目は、芥川賞ってこんなイケてる作家も落選させてるんだぜ、と言っている部分で「山田詠美はその後直木賞を受賞しているが」と注釈を加えている文章。そして、最後の段落です。

「さすがに、芥川賞・直木賞がその年(年二回発表)を代表するような作品に与えられるとか、「文学」の枠をこえた「事件」であるというような幻想はなくなってきたようで、今回はテレビの報道も少なかったようだ。民放のニュース番組ではまったく触れなかった局もあったほど。」(同)

 「芥川賞・直木賞」のところを「芥川賞」と置き換えても、何の問題もなく成立します(逆に「直木賞」には、そのまますぐは置き換えられない)。主役=芥川賞、セリフなきエキストラ=直木賞、っていう相変らずのテイストです。要するに、王道です。

 この最後の段落で、無署名子は、こんなことを(したり顔で)言います。――芥川賞(と直木賞)はもう話題にもならなくなった。そりゃそうだ。大騒ぎするほうが異常だ。ようやく健全な状態に戻ってきたんだよ――。

 ワタクシも同感です。だって、百戦錬磨の『噂眞』ライターでさえ、直木賞については何ひとつ話題を記事に盛り込むことができなかったぐらいですから。その程度の賞に、ニュースの一角を担わせるなんて、そりゃあ無理です。W高橋の受賞? そんなものに食いつく人は、世間一般的にはよっぽどの変人。もしも、それまで直木賞がニュースになっていたのだとしたら、マスコミ業界で働いていた人たちが狂っていた・血迷っていた、と考えるのが妥当でしょう。

「受賞者・受賞作を考えれば、大騒ぎするほうが異常というべきか。もともと芥川賞が単なる文学賞をこえて社会的なニュースになったのは、石原慎太郎が『太陽の季節』で受賞して以来のこと。健全な状態に戻ったほうが、「文学」のほうの勘違いとやらもなくなるというものだろう。」(同)

 と、この記事が書かれてから今年で23年……。直木賞を取り上げるようなテレビ報道、とっくのとうに根絶されていなきゃおかしいです。ん? あれ、いったいどういうことだ。「健全な状態」とやらは、どこに行っちまったんだ。いかにも芥川賞・直木賞の凋落ぶりをカッコよく指摘して、世間に期待を与えておきながら、文学の枠をこえた大騒ぎ、全然なくなってないじゃないか。なんだよ。責任とってくれよ、『噂眞』!

 などと怒ってみせたところで、当の記事を書いただれかさんは、名前もわからず、すでにトンズラ。ワタクシたちの目のまえには、相変らず、いにしえの人びとがダメだ終わったと言い続けてきた例のブツ(=直木賞)が、ますます元気に我がもの顔で闊歩している。いったい何なんだ……そんな諦観を、規則どおりに期待どおりに催させる、なにひとつ新しくもなければ鋭くもない「直木賞批判」記事でした。さすがは『噂眞』、100点満点です。

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2015年2月 8日 (日)

「小説の意図が伝わらず、選評が期待はずれ」…『歴史と旅』昭和63年/1988年5月号~平成3年/1991年4月号「直木賞残念記」他 堀和久

■今週の文献

『歴史と旅』昭和63年/1988年5月号、10月号、平成1年/1989年4月号、平成3年/1991年4月号

「直木賞残念記」「再び直木賞残念記」「三たび直木賞残念記」「四たび直木賞残念記」

堀和久

 堀和久……とその名を聞いて、心おどらせる方もいるでしょう。お友だちになれそうです。そして、いままでのところ、堀和久さん(の作品)をきっかけに友だちができたことは、ワタクシ、ただの一度もありません。

 20数年前、昭和63年/1988年~平成3年/1991年ごろ。堀さんは何度か直木賞の候補に推されたことがあります。当時、堀さんはもう50歳をこえたいいオジさんで、書くものといえばシブい歴史小説ばかり。直木賞は、とにかく歴史モノにはツラく当たることで有名なほどですから、やっぱり堀さんもその攻撃を受けまくり、候補になった4度とも、低い評点ばかり突きつけられました。

 歴史小説クラスタは、血の気(ばかり)の多いミスオタ・SFオタ連中とはちがって、直木賞をいつも寛大な目で見てくれる、というのは、このブログで何度か書いたとおりです。「どうして堀和久に直木賞とらせないんだっ!」などと、熱烈な声が上がることも(たぶん)なかったでしょう。たいへん静寂ななか、そのまま直木賞をご卒業していきました。

 しかし、ワタクシの心はおさまりません。おさまるわけがないのです。

 堀さんは、自分の作品が直木賞で落ちるたびに、それをネタにエッセイを一本書いてしまうという、読者(直木賞ファン)サービスの精神にあふれる方でした。候補になった人が、直木賞をどのように受け止め、その選評を読んでどう思うのか。そういうことにも興味をもってしまう、異常心理の持ち主=直木賞オタクにとっては、絶対素通りすることのできない注目候補者のひとりなわけです。

 最初に候補になった第98回当時、堀さんはまだまだ小説家としてはほとんど知られていませんでした。あとでご自身が語っていることから想像するに、このときは「直木賞(のようなレッテル)が欲しい」と思っていたはずですが、1度目の落選直後、そういうことは直接的に述べず、こう書いています。

「筆者は当初から、(引用者注:自分の)受賞はないと予想していた。いわゆる文壇とのつきあいが全くない身であり、直木賞など別世界のことのように思えていたからである。内幕などを耳に入れると、真偽は別にして、興ざめの感がなくはない。

 選考発表日も、他人事のような気分であった。「残念でした……」という電話連絡にも残念な気持はなく、選考委員の人たちの評価に興味があった。」(『歴史と旅』昭和63年/1988年5月号「直木賞残念記」より)

 ともかく、選考委員の人たちが自分の作品をどう評するのかに興味があった、と。そして『オール讀物』昭和63年/1988年10月号に、待望の選評が掲載。それを読んだ堀さん、どう感じたでしょうか。

 かなりイラッときたみたいです。

「「オール讀物」に掲載された選評は、期待はずれであった。無視されるよりはましであったにせよ、多すぎる資料の使い方に批判が集まったようで、そのほかのことにはあまり言及されていなかった。むろん、主題が浮かび上がらなかったこと、長安という主人公に魅力が感じられなかった等々は、未熟のいたすところで恥じるのみである。筆者は、主人公にはかなり入れ込んだつもりであるが。」(同)

 せっかく自分が精力をそそぎ込んで書いた小説、まるで読み手(=選考委員ですね)に伝わらなかったんだな、こいつらの読解力だいじょうぶか?(とまでは言ってませんが)と、ちらっと反論する挙に出ました。

 たとえば、「大久保長安の何を書きたかったのか判然としない。」(『オール讀物』昭和63年/1988年10月号選評、以下同)と、おのれの読みの浅さを臆面もなく開陳する山口瞳さん。「作者は長安を好きなのか嫌いなのか、嫌いでも無論かまわない。作者が食指を動かしたくなる興味と情熱の、よってくるところが解明されればよいのだが、それが事蹟の解明にとどまったような所が残念であった。」と、作者から発せられる情熱を受け取る器の小ささを露呈してしまった田辺聖子さん。何より、「資料は多いほどよいが、いざ書く時には、その中のどれだけを捨てられるかが勝負だと、かつて、大先輩から教えられたことがあります。」と、資料の扱いかたを批判させたら直木賞委員随一と言われた平岩弓枝さん。

 堀さんにしてみれば、テキトーな資料だけ使って、いかにもこれが歴史でござい、と傲慢な顔をしている歴史小説よりは、全然ましで、しかも『大久保長安』では、長安の人物像に新たな光を当てた、っつう自負もある。

「徳川初期は、天下は回りもちの思想が生きており、謀叛は正当な野心であった。また、技術開発の時代であり、長安は乱世から安定時代へ移る過渡期に出現した不世出の技術者であり、テクノクラートでもあった。

 そのような大久保長安の全貌を描きたかったのであるが、やはり浅才、直木賞選考には意図は伝わらなかったようである。(同)

 と恨みぶしのように、選評に反撃したくなるのも自然でしたでしょう。

 その後、堀さんは期待の新進歴史作家!として、第99回、第100回と3期連続で候補に挙げられます。

 毎回、堀さんは『歴史と旅』誌上で「残念記」シリーズを書くこととなるわけですが、基本、自分が受賞できるだなんて全然期待していませんよー、の姿勢を崩しません。たとえば、第99回『春日局』のときは、こんな感じです。

「総合的にいって、今回の『春日局』は、前作の『大久保長安』より小説の出来は上ではないかと、これは他人も言い、本人にもひそかな矜恃はあった。

(引用者中略)

 しかしながら『春日局』は衆知のごとく、来年のNHK大河ドラマのヒロインである。本の帯にも大きくそのことを謳っている。

 もし受賞すれば、大衆に迎合し、NHKを利する、等々の悪評を巻きおこしかねない種類のものであれば、選考会で歯止めがかかるであろう、と筆者は想像し、発表の日は気楽な夜をすごしたのであった。」(『歴史と旅』昭和63年/1988年10月号「再び直木賞残念記」より)

 要するに、作品の内容や出来以外のことが当落に影響するらしい、見世物・出し物・直木賞。真剣にこっちの書いた作品を読み込んでくれやしないのだから、そんなものに一喜一憂するなど馬鹿バカしい。ぐらいの感じでしょうか。

 三度めの第100回のときには、もうずいぶんと、直木賞とのお付き合いに飽き飽きしてきたらしく、

「ひところは、肩書きやレッテルを欲した。何を書いても売れなかった時期である。オール読物新人賞くらいでは注文はこないし、持ちこみ原稿も大抵は返される。そのような貧乏時代、名前に商品価値がつく有名な賞を得たいと思ったものである。

 だが、『大久保長安』が世に出て以後、書き下ろしに専念できる境遇にあり、手抜きのないきちんとしたものを書けば編集者は見落さず、本は出版されて、最低生活は確保できる予測はついたので、この上、賞がらみの騒動にまきこまれたくない気持が強い。

 目立ちたがり屋がもてはやされる現今、テレビぎらい、サイン会ぎらい、講演会ぎらい、書き流しができない、という物書きがいてもいいのではないかと思う。」(『歴史と旅』平成1年/1989年4月号「三たび直木賞残念記」より)

 と、直木賞周辺のケバケバしさから、距離をおきたい宣言。賞がひとつ与えられた程度で、じっさいの小説執筆とは関係のない雑事ばかりの仕事が舞い込むクダらなさ。……直木賞がひとから嫌われる理由は、だいたいいつの時代も同じみたいです。

 そして、少し間をおいて2年後の第104回。堀さんにとって最後となった「残念記」は、『歴史と旅』平成3年/1991年4月号に載りました。このときはまだ、選評が発表される前に原稿を仕上げたらしく、その一事をもってしても、堀さんが直木賞選考委員のくだす評価やそれを文章化したという触れ込みの選評に、そうとう失望してしまったことがわかります(単に『歴史と旅』編集部にせっつかれて、早めに原稿締切がきただけかもしれません)。

 しかし、さらっと終わらすことのできない堀さん。資料を詰め込みすぎだ、人物が浮き上がってこないだ、と中学生の読書感想文レベルの選評しか書いてきてくれなかった選者たちに対して、ひと言、皮肉を言っておかなければ気のすまないご様子なのでした。資料、資料と老人たちの繰り言ばかり聞いてきたけど、あれってほとんどおれの想像、フィクションなんですよ、と。

「筆者は、政治上の敗者であるためとか本人の信念等から、その業績が抹殺、あるいは風化されている人物を、意識的にとりあげている。これらの人には、直接的な資料は、ほとんどない。したがって、九割がたはフィクションとなる。これまで直木賞候補になった、大久保長安、春日局、『夢空幻』の後藤三右衛門、そして今回の仙ガイ和尚もそうである。

 選評では、史料に頼りすぎ、題材が面白くない、という指摘が毎回なされているようだが、今回はどうであろうか。」(『歴史と旅』平成3年/1991年4月号「四たび直木賞残念記」より)

 ……ちなみに最後に選考委員の方たちを弁護しておきますと、さすがに「題材が面白くない」などと毎回指摘されていた、ってことはありません。テーマはいい、珍しい素材、と着眼点を褒めるようなことは、けっこう言われていました。

 何だかんだと温かく(?)厳しく堀作品に接してアドバイスめいたことを書く選考委員も、少なからずいたんですけどね……。それを、「頑固なまでに無理解な選者たち」ふうにエッセイで紹介しちゃう、という。この辺りに、堀さんの、直木賞委員たちへの不快感を、ワタクシは感じてしまうのでした。

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2015年2月 1日 (日)

「いまの芥川賞と直木賞はもう、フェスティバル、お祭り」…『文藝春秋』昭和54年/1979年11月号「鼎談書評 『回想の芥川・直木賞』」紀田順一郎、渡部昇一、小田島雄志

■今週の文献

『文藝春秋』昭和54年/1979年11月号

「鼎談書評
『回想の芥川・直木賞』永井龍男」

紀田順一郎、渡部昇一、小田島雄志

 永井龍男さんの『回想の芥川・直木賞』は、読んだ方も多いと思います。直木賞に関心があるなら、これを読まなきゃ始まらない、と断言する人がいてもおかしくないほどの、基礎中の基礎テキストです。

 なにしろ永井さんは、創設されるまえの準備段階から直木賞・芥川賞に関係していた、っつうだけで、このテの回想録を書く権利やら責任やらが十分あります。

 加えて、第17回まで両賞の事務作業をほぼひとりでこなしたうえ、戦後には日比谷出版社の(名目上の)トップになって、日本文学振興会の理事として直木賞選考会に顔を見せ、さして売れっ子重鎮大衆作家でもないのに第27回から直木賞の選考委員を拝命。第38回まで務めたのちに、第39回からは芥川賞委員に鞍替えして第77回まで、その座にすわり、委員を辞任するときには悶着まぎれの騒動まで起こしたという、ほとんど直木賞・芥川賞のために生まれた人物でした(←かなり言いすぎ)。

 それで、こういう人の書いた直木賞・芥川賞の文献ですから、運営に携わったことのない外部の人間が、まさか批判や文句を言うはずがないですよね。……と思うと、まったくそんなことはありません。誰がどんな立場で書いたって、かならずケチをつける野郎の湧き出てくるのが、直木賞と芥川賞の周辺世界。期待どおり、この『回想の芥川・直木賞』に対しても(この本をネタにしながら直木賞・芥川賞に対して)物申す人はおりました。

 渡部昇一さんなどは、永井本に、かなり批判的です。

渡部 永井龍男という人は、どうなんですか、かなり年配の方じゃないんですか。これだけの材料がありながら、話があっちへ飛び、こっちに飛び、年代的にのべれば楽なのにね。だから時代の流れがあんまり伝わってこないんですよ。(引用者中略)ぼくは年齢的なものというか、記憶の飛躍を感じたな。(笑)昔の記憶がはっきりしているのに、近い記憶が飛び飛びというのはどうも困るんで……。(引用者中略)

小田島 (引用者中略)渡部さんのいう通り、もっと精密にという注文はあるけどね。

渡部 なまじっかの引用より、印象だけもよかったですね。」(『文藝春秋』昭和54年/1979年11月号「鼎談書評 『回想の芥川・直木賞』」より)

 印象に残った回や作品を、印象に残ったところだけ言っている、だから両賞の位置づけを時代ごとに追うための資料としては不十分なものになっている、というわけです。

 ないものねだり、が強すぎて、非常に困ってしまいます。

 永井さんにあれだけ書いてもらえれば、ひとまず十分でしょ、どう見ても。とくに直木賞部分。芥川賞については、永井さんがことさら言い残さなくても、外部の方がたのアツーい芥川賞愛のおかげで、その歴史をつなぎ合わせることはできるでしょう(これは、べつにワタクシが直木賞偏愛者だから感じるわけじゃありませんよ。冷静に見たら、誰でもそう考えるはずです)。

 でも直木賞はどうですか。大衆文壇史の大家、大村彦次郎さんが、その直木賞に関する箇所では、多くを永井さんの記述をもとにしていることからわかるように、永井龍男なくして直木賞史なし! とワタクシは自信をもって言い切れます。永井さんに精密さを求めたって、逆に混乱を生むだけです。

 と、直木賞・芥川賞をめぐる話しあいになると、すぐに「芥川賞」に偏るのが世のならいです。じつはこの鼎談も、あやうくその弊害に陥りぎみなのでした。そらそうです。良識ある方々が、文学賞の話題で、率先して直木賞を語るわけがありません。

 しかしです。素晴らしいことに、この鼎談書評、その陥穽から微妙に逃れることができています。ひとえに、メンバーに紀田順一郎さんがいたからです。

紀田 しかし、昔の直木賞の選評なんかは、ずいぶんハッキリと人格に関わるようなことをいってますね。

渡部 第一回の川口松太郎さん……。

紀田 「加ふるに、人間的修養に多分な薄ッぺらさへも僕は君に正直に感じる」なんていわれちゃうと、貰わないほうがよかったみたいな感じになりますね。(笑)

(引用者中略)

やはりこういうのがおもしろいんで、切り結ぶ感じで、忌憚なくいう。近ごろのは少し優等生的じゃないかという感じもしましたけれども。」(同)

 などと、他の二人、渡部・小田島両氏に増して直木賞・芥川賞にくわしいからか、紀田さんはすすんで、直木賞の例も俎上に出してくれます。これが、ガリガリの「文芸評論家」みたいな人だったら、そうはいきません。サンプルは全部、芥川賞のこと、それで「芥川賞・直木賞」を語ろうとする手合いが、昔の文献にはゴロゴロいましたもの。ご承知のとおり。

 たとえば紀田さんは、『回想の芥川・直木賞』のなかで、選考委員たちの個々の発言、に注目するときに、この人の話題を持ち出してくれるのです。マジでえらい。

紀田 (引用者中略)委員の個々の発言を取ると、やはり問題がありますけれども、たとえば木々高太郎の発言なんか、どうもなにかわけがわからない。(笑)著者(引用者注:永井龍男)は、木々さんをあまり好きじゃないらしくて、とくにお米を食べると頭がバカになるという本を書いてベストセラーになった、と書いている。永井さんは、そういう本がお気に召さない……。

 木々さんは私の恩師なんで、いろいろつき合いがあったんですけど、ものすごい悪筆で、石原慎太郎さんといい勝負じゃないですか。だから、おそらくこの文章の意味が通らないところは、読めなかったんじゃないかと思うんです。まだ、そんなおとしじゃないころですから。」(同)

 と、「永井 in 直木賞」の最大の山場(?)であった第36回今東光授賞のところでの、木々高太郎の意味不明なアノ選評に言及。あれは木々さんが悪筆だったから、と紀田さんならではの見解を表明しました。

 アノ選評、といっても不案内な方のために、以下、一応ご紹介しておきます。

(引用者注:以下、木々高太郎の選評引用)よく聞いてみると、文壇の誰彼と喧嘩して、快く思つてゐない人が多いといふ。私にはそんなことも問題ではない。とに角、大衆文学に一新生命を拓いてゐるとみるのは、推理や考証の結果、そのテーマがきまり、歴史上の疑問をはらんでゐる作品が、大衆文学となるとは思つてゐなかつたので、私は、さうみるのである。

(引用者中略、以下、永井龍男の地の文)

そこ(引用者注:「私にはそんなことも問題ではない。」)から入る同氏の大衆文学論は何のことか解読出来ない。余計な私の発言のために、同氏の選評の文章が混乱したとすれば気の毒である。」(永井龍男・著『回想の芥川・直木賞』より)

 いまでも宮城谷昌光さんあたりは、毎回このような選評を書いている気がしますが……。いずれにせよ、木々さんの手書き原稿がいずれ精査されて解読されることを、ワタクシはただ祈るばかりです(いまさら、そんな機会が訪れるはずない、という不安を抱えつつ)。

 さて、この鼎談は、お三方が『回想の芥川・直木賞』をどう読んだかが主軸になっています。鼎談「書評」ですから当然です。同書に対する渡部さんの不満も、先にちょこっと触れました。しかし三人の話しぶりからわかることは、同書についてというよりも、それぞれが直木賞・芥川賞をどういうものとして見ているか、だったりします。じっさい、それが同鼎談のキモにちがいありません。

 要するに、直木賞・芥川賞といわれて(外部の人間が)感じる最大の特徴は何なのか? ってハナシですね。

 満場一致で、これです。

小田島 フェスティバルというか、お祭りというか、そういった高まりの中に、いや応なしに両賞が置かれているっていう感じがします。

(引用者中略)

渡部 最近、評判になった、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」とか、池田満寿夫の「エーゲ海に捧ぐ」なんかにも、少し触れてもよかったんじゃないかな。

紀田 (引用者中略)たしかにあってもよかったですね。

 結局、(引用者注:『回想の芥川・直木賞』ではあまり大きく触れられていない)「太陽の季節」が剥落しちゃったことでコンポジションが狂ってしまったわけですね。もうちょっとシャープに書くんだったら、「太陽の季節」はどうしても逃せなかったことだと思うんです。

渡部 全く同感です。ああいう節が、ハッキリ浮かび上がってこないというのは、素人からいうと大不満で、ここはゴシックでお願いします。(笑)」(同)

 有名になった(つまり、うちのかあちゃんでも知っている)マスコミ大フィーバー回。イコール、それが芥川賞(+オマケの直木賞)じゃないのかよ、と。それを抜かして何が芥川賞・直木賞だ。じじいに、てめえの思い出バナシだけ書かれたところで、ハァ? って感じだぜ。

 ……と言っているんでしょうか。そこまで吠えてはいないかもしれませんが、でも結局、マスコミに取り上げられてみんなに知れわたっている存在。その(文学賞としては極めて特異な)ことを語らないと、直木賞・芥川賞を語ったことにならない、と思われているわけです。

 逆にいえば、ニュースで話題になること以外のところでは、さして両賞には、多くの人を惹きつけるような魅力も特徴もない、ってことでもあります。ええ、ほんとにそう思います。

 直木賞・芥川賞ってさ。『回想の芥川・直木賞』みたいな辛気くさいもの出されても、どうもピンとこないんだよ。だって、これって世間一般がキャーキャー持てはやし、ワーワー人の群がる、派手できらびやかなものじゃん。……と、そういうふうに見られる両賞がイヤで、永井さんは委員を退任したはずですけど、その後も二つの賞は、お三方が指摘するとおり(というか、大半の人が言っていたとおり)、刹那刹那の盛り上がりを、えんえんと続けました。永井さんとしては、やめといて正解だったよなあと心から思います。

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