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2015年2月15日 (日)

「ニュースの扱いが小さくなってきた。」…『噂の眞相』平成4年/1992年3月号「最近の芥川・直木賞の事情 選考委員の眼力に疑問の声 ニュースの扱いも下火傾向」無署名

■今週の文献

『噂の眞相』平成4年/1992年3月号

「最近の芥川・直木賞の事情
選考委員の眼力に疑問の声
ニュースの扱いも下火傾向」

無署名

 お待たせしました。いや、だれも待っていません。取り上げたくてウズウズしていたのはワタクシ自身です。ごぞんじ『噂の眞相』です。

 いまネットでは莫大な量の「直木賞批判」に接することができます。その8割以上はすでに、この雑誌が同じような切り口で取り上げていた。と言われるぐらいに、「直木賞批判」の系譜に確かな足跡を残し、そして「直木賞に物申す人びとは確実に、直木賞より先にこの世からいなくなる」の原則どおり、いまや跡形もなく(?)消え失せてしまった、直木賞ファンにとっての尊きオカズこと、『噂の眞相』。

 尊いです。あがめたいです。どの時期に書かれた、どの直木賞関連記事であっても、「直木賞批判」史を語るうえでは欠かせません。ほんと、奇跡のような雑誌でした。

 今回はそのなかでも、日本人ならだれもが聞き飽きているはずの、例の直木賞批判が展開されている記事に注目します。20年以上まえの記事です。

 第106回(平成3年/1991年・下半期)。芥川賞は松村栄子さん、直木賞は高橋義夫&高橋克彦のW高橋、に決まりました。人気作家の一員だった克彦さんはともかく、他のお二人をご覧ください。そうです。克彦さんの人気度など、はるかに包み隠すぐらいに強力な〈地味オーラ〉をまき散らしていたために、「なんかイマイチだな」と、さんざん陰口を……いや公然と言われた、あの思い出の回です。

 芥川賞は知りませんが、直木賞って、こういう回こそ面白い! っつうのは直木賞ファンなら常識かもしれませんね。すみません、言わずもがなのことを言って。

 日本じゅうには、他人にスポットライトが当てられて本が売れるような事態を、心の底から嫌う種類の人びとが、数多く棲息しています。いまに限らずいつの時代も。そういう人たちは、地味(だと世間一般に思われそう)な人が賞をとると、決まって「やったあ、直木賞・芥川賞が話題になってないぞ、うれしいぜ」と嬉々としてハシャぎます。彼らの姿を、あちこちで見ることができる。これが、ワタクシには至福の光景なのです。

 第106回のときも、その例に洩れないのでした。

「第百六回芥川賞・直木賞が発表されたばかりだが、近年、文学賞(ことに新人賞)の数が多くなって賞の価値の「インフレ」化が進んでいるなかで、もっとも権威があり影響もあると言われる両賞に対する疑問も表面化してきているようだ。」(『噂の眞相』平成4年/1992年3月号「うわさの真相 最近の芥川・直木賞の事情 選考委員の眼力に疑問の声 ニュースの扱いも下火傾向」より)

 といって始まる『噂眞』の記事。まったく、例に洩れないどころか、あなた。定型を踏みすぎてて、機械が自動で生成した文章か!? と疑いたくなるような、ありふれた導入部。「直木賞批判」の模範解答、の香りがほのかに鼻腔をくすぐります。

 さらに次の段落から、この記事の優等生っぷりが一気に全開に。

「とりわけ芥川賞は、連続授賞記録(要するに〈該当作なし〉にならない記録)が五回となって、吉行淳之介、小島信夫、庄野潤三、遠藤周作ら「第三の新人」、そして石原慎太郎が相次いでデビューした時期と並んだというが、しかしここ数年の受賞者に当時のような清新さはとうてい感じられない。」(同)

 どうですか。「芥川賞・直木賞」の二つの賞を語ると思わせておきながら、全然そうではなく芥川賞のみが批判対象であることを、即座に自白するという、アクセルのベタ踏み。コース正面に陣取っている観客(=われら直木賞ファン)の目のまえを全速で横切って遠ざかる、っちゅう先達のやり口を、まるぱくりで踏襲しています。拍手をおくるひまもありません。

 芥川賞を批判する人間なら、出版界を見渡せば、だいたいすぐに見つかります。この記事で、その役割を引き受けているのは、当時やたら芥川賞批判に気炎をあげていたヤスケンさんです。

「「スタジオボイス」二月号の特集「文学へ。」では、かねてから芥川賞に批判的な編集者の安原顯が、近年の芥川賞は〈素人編集者、素人批評家らが粗選りした作品を、本物を見抜く「眼力」も「文学的センス」もない選考委員とやらが、どう転んでも才能のない新人たちを世に出し続け、その結果、真の小説フリークたちを小説から遠ざけることにしか寄与していない〉として、先に挙げたような近年の受賞者について〈この中でその後、世を震撼せしめる世界的傑作を書いた作家など、当然一人もいない。第一、彼らの名前を知っている人が何人いるだろう?〉と書いている。」(同)

 たかが芥川賞のおハナシです。そこに、なんで「世を震撼せしめる世界的傑作」みたいな大仰な価値観が出てくるんだ? 昆虫採集してる少年をみて、ふふっ、大草原で猛獣あいてに狩りをする醍醐味も知らないくせに、とせせら笑うイヤミなおじさん、みたいな? 芥川賞もたいがいかもしれないけど、芥川賞を批判する側にもイタいやつ多いよなー。……と思わせるところなんぞ、『噂眞』、まったくニクい演出です。

 すべては「芥川賞」のために書かれています。本文20字詰×69行の短い文量のうち、「直木賞」のことが出てくるのは、わずか3か所しかありません。上でご紹介した、ゆるゆるの冒頭が1か所目。2か所目は、芥川賞ってこんなイケてる作家も落選させてるんだぜ、と言っている部分で「山田詠美はその後直木賞を受賞しているが」と注釈を加えている文章。そして、最後の段落です。

「さすがに、芥川賞・直木賞がその年(年二回発表)を代表するような作品に与えられるとか、「文学」の枠をこえた「事件」であるというような幻想はなくなってきたようで、今回はテレビの報道も少なかったようだ。民放のニュース番組ではまったく触れなかった局もあったほど。」(同)

 「芥川賞・直木賞」のところを「芥川賞」と置き換えても、何の問題もなく成立します(逆に「直木賞」には、そのまますぐは置き換えられない)。主役=芥川賞、セリフなきエキストラ=直木賞、っていう相変らずのテイストです。要するに、王道です。

 この最後の段落で、無署名子は、こんなことを(したり顔で)言います。――芥川賞(と直木賞)はもう話題にもならなくなった。そりゃそうだ。大騒ぎするほうが異常だ。ようやく健全な状態に戻ってきたんだよ――。

 ワタクシも同感です。だって、百戦錬磨の『噂眞』ライターでさえ、直木賞については何ひとつ話題を記事に盛り込むことができなかったぐらいですから。その程度の賞に、ニュースの一角を担わせるなんて、そりゃあ無理です。W高橋の受賞? そんなものに食いつく人は、世間一般的にはよっぽどの変人。もしも、それまで直木賞がニュースになっていたのだとしたら、マスコミ業界で働いていた人たちが狂っていた・血迷っていた、と考えるのが妥当でしょう。

「受賞者・受賞作を考えれば、大騒ぎするほうが異常というべきか。もともと芥川賞が単なる文学賞をこえて社会的なニュースになったのは、石原慎太郎が『太陽の季節』で受賞して以来のこと。健全な状態に戻ったほうが、「文学」のほうの勘違いとやらもなくなるというものだろう。」(同)

 と、この記事が書かれてから今年で23年……。直木賞を取り上げるようなテレビ報道、とっくのとうに根絶されていなきゃおかしいです。ん? あれ、いったいどういうことだ。「健全な状態」とやらは、どこに行っちまったんだ。いかにも芥川賞・直木賞の凋落ぶりをカッコよく指摘して、世間に期待を与えておきながら、文学の枠をこえた大騒ぎ、全然なくなってないじゃないか。なんだよ。責任とってくれよ、『噂眞』!

 などと怒ってみせたところで、当の記事を書いただれかさんは、名前もわからず、すでにトンズラ。ワタクシたちの目のまえには、相変らず、いにしえの人びとがダメだ終わったと言い続けてきた例のブツ(=直木賞)が、ますます元気に我がもの顔で闊歩している。いったい何なんだ……そんな諦観を、規則どおりに期待どおりに催させる、なにひとつ新しくもなければ鋭くもない「直木賞批判」記事でした。さすがは『噂眞』、100点満点です。

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