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2014年12月21日 (日)

「かくべついうべきことをもたない。」…『全文芸時評 上巻 昭和33年~46年』平成1年/1989年11月・新潮社刊 江藤淳

■今週の文献

『全文芸時評 上巻 昭和33年~46年』平成1年/1989年11月・新潮社刊

江藤淳

 いよいよ待ちに待った第152回(平成26年/2014年下半期)直木賞の候補作が発表! ……されましたが、最新の直木賞しか気にならない普通の人は、うちのブログには来ないはずですので、今週も平常どおり、「過去にあった直木賞批判」のテーマで行きます。

 江藤淳さんです。昭和62年/1987年に三島由紀夫賞ができた当時の一件(数件?)でもわかるように、文壇を活性化させる文学賞の役割について、大変理解のある方でした。芥川賞系統への発言は(「赤頭巾ちゃん気をつけて」や「限りなく透明に近いブルー」に対する評言を代表として)相当たくさんあります。

 いっぽう直木賞のほうはどうかと言いますと、当然ですが、江藤さんは「文芸」には興味あるけど直木賞には関心が薄いです。薄いどころか「まったくなし」と言ってもいいでしょう。その点では、古今どの時代にも何十人(何百人?)かいた文芸評論家スジと変わりないありふれた感覚の持ち主でしたが、たまたま昭和34年/1959年~昭和38年/1963年という時期に、定期的に文芸時評を発表して、しかもそれが本になっちゃっているのが運のツキ。うちみたいな直木賞専門ブログでも取り上げざるを得なくなってしまったわけです。

 昭和34年/1959年~昭和38年/1963年、とは何の時期か。

 と言えば、直木賞史にとっては重要な時代で(って、そんなのばっかりだけど)、つまり受賞作が『オール讀物』じゃなく『文藝春秋』に、芥川賞受賞作といっしょに載っていた、直木賞史80年のなかでも稀少な4年間だったんですね。前に平野謙さんのエントリーでも触れました。

 選評は『オール讀物』に掲載、だけど受賞作は『文藝春秋』に掲載、という。戦前戦中、直木賞の選評が『文藝春秋』に発表されていた時代だって、直木賞の受賞作が『文藝春秋』に再録されたことなど一度もありません。

 昭和34年/1959年(第40回 昭和33年/1958年下半期)、いったいどうしてそんなムチャクチャなことやろうと思ったのか、よくわからないんですが、ともかく城山三郎「総会屋錦城」&多岐川恭「ある脅迫」(『落ちる』より)を始めに、文春本誌の読者は、選評が出ていないのでどういう理由で選ばれたのかわからないまま、直木賞の受賞作を目にすることになりました。

 直木賞に対して、「芥川賞受賞作と並べて掲載してもらえるんだから、ほらほら、うれしいだろ?」……とは、誰も言っちゃいません。でも、扱われ方の乱暴さがよくわかるエピソードです。しかも、こういう異常事態が、ほとんど無視されたまま語られる直木賞の、物悲しさも同時に感じてしまうんですが、それはそれとして。

 江藤さんです。いまもそうでしょうが、新聞に掲載されるような「文芸時評」の対象は、基本、文芸誌に載った小説、それから総合誌掲載のそれ、が中心です。『小説新潮』『別冊文藝春秋』程度なら、少し取り上げてもらえる機会もありました(文芸誌にもよく書いている作家のものなら)。『オール讀物』あたりの読物小説誌は、およそ対象外でした。

 それで『オール讀物』のための文学賞(といっても過言ではない)直木賞など、江藤さんが取り上げるわけがなかったのですが、急に世界がねじくり回り、『文藝春秋』に直木賞受賞作が載るようになってしまいます。江藤さんがこれらの作品にどう対処したか。江藤vs.直木賞受賞作、大スペクタクル活劇の開幕です。

 まずは初回、第40回(昭和33年/1958年下半期)が発表された『文藝春秋』昭和34年/1959年3月号について。

「今月ほど文芸雑誌が創作欄をなげている月もめずらしい。まともなのは「群像」だけで、「新潮」にいたっては連載以外に菊村到氏の「捕虜をいじめたか」一篇があるにすぎず、「文學界」も低調をきわめている。「文藝春秋」は芥川賞候補作品として吉村昭「鉄橋」、林青梧「ふりむくな奇蹟は」の二篇をのせているが、双方とも読物の域をでていない。不振もいいところである。」(『江藤淳全文芸時評 上巻』より ―初出は『図書新聞』昭和34年/1959年2月21日号)

 「総会屋錦城」と「ある脅迫」はガン無視です。

 つづく第41回(昭和34年/1959年上半期)。とうとう直木賞受賞作ごときに、原稿用紙のマス目を無駄づかいせざるを得ない日がやってきます。

「芥川賞と直木賞が決定して、受賞作が「文藝春秋」に発表された。渡辺喜恵子氏の「末のまつやま」は長編「馬淵川」の一節らしく、製糸工場に女中奉公した東北の貧農の娘が、主人にひそかな愛情をいだき、川のそばで結ばれるまでを重厚な文体できめこまやかに書いている。この抜粋からおしても「馬淵川」はおそらく力感にみちた秀作であろうと思われる。平岩弓枝氏「鏨師」については、もう一人の達者な物語作者が登場したという以外に、かくべついうべきことをもたない。」(同書より ―初出は『山陽新聞』昭和34年/1959年8月24日)

 いうべきことをもたないのに、わざわざ「いうべきことをもたない」と言わなきゃならなかったのは、渡辺さんの受賞作が、取り上げておきたいと思わせる作品だったからでしょう。そう、それで、江藤さんにツレなくあしらわれた「鏨師」のほうは、いまでも現役で文庫が売られているのに、褒めてもらった『馬淵川』は流通していない、という現実。ちょっぴり悲しさを覚えさせてくれます。

 そこから先、第42回(昭和34年/1959年下半期)からは、直木賞受賞作で『文藝春秋』に再掲された戸板康二「團十郎切腹事件」も、池波正太郎「錯乱」も、寺内大吉「はぐれ念仏」もスキップ。……たぶん、マジでいうべきことをもたなかったからではないか、と推測します。

 第45回(昭和36年/1961年上半期)の「雁の寺」はちょっと変化球。受賞後に『文藝春秋』昭和36年/1961年9月号に転載されたんですが、そちらではなく、初出の『別冊文藝春秋』75号[昭和36年/1961年3月]の段階で、江藤さん、これに食いついています。大絶賛です。

「水上勉氏の「雁の寺」(別冊文藝春秋)は、今月逸することのできない秀作である。当節は推理小説ばやりでこの作品にも「長篇推理小説」という肩書がついているが、これは肩書とは無関係にすぐれた作品である。

 たまたま、アカデミックな研究雑誌「文学」の四月号が「日本の推理・探偵小説」という特集を組んでいて、それによると水上氏は松本清張氏に続く「社会派」の推理作家だということになっているが、これも実は何派でもいいので、私が水上氏の作品を読むのは、「雁の寺」がはじめてであるから、単にこの小説を書いたひとりの作家がいるということでよい。こういう分類や予備知識がどうでもいいものだということを思い知らせてくれるのが、秀作というものの力だからである。」(同書より ―初出は『朝日新聞』昭和36年/1961年4月22日)

 ええ、分類とか予備知識なんか、どうでもいいでしょうね。分類の権化みたいな「直木賞だ芥川賞だ」みたいなことだって、じっさいは、どうでもいいことです。……でも、どうでもいいはずの、そういうことを、やはり思ったり、公に向かって書いたりしちゃう人間は絶対にいます。「どうでもいい」と言っている人自身だって、どうでもいいことなら頭にも浮ばなかったはずのところ、分類や予備知識がまわりから攻めてくるのに耐えられず、「どうでもいい」と否定的な言葉を吐かざるを得なくなる。……これは、もはや「どうでもいい」事態じゃないと思います。社会のなかで生きているかぎり、しかたのないことです。

 江藤さんで言いますと、次の第46回(昭和36年/1961年下半期)、伊藤桂一「螢の河」の受賞、ここでこういうふうに取り上げて、例の「直木賞と芥川賞は逆なんじゃないか」論争(←というほどのものはなかったけど)に加担しました。

「伊藤桂一氏の作品は、以前「三田文学」などで読んだ記憶があるが、直木賞受賞作の「蛍の河」は、今度「文藝春秋」に掲載されたのをはじめて読んだ。一昔前なら、(引用者注:この回芥川賞を受賞した宇能鴻一郎の)「鯨神」が直木賞に推され、「蛍の河」が芥川賞に推されるのがむしろ常識だったであろう。こういう感想が浮ぶのは、これがまことに抒情的な私小説だからである。

 この作品では草花や風景の印象が鮮烈で人物はあまり心に残らない。「水の琴」(オール讀物)になると、やはり受賞作と同様な中国の戦地の話で、朝鮮人の娼婦との淡い交流を描いた小説であるが、作者が情感におし流されて筆がうわ滑りをしている気味がある。だが、私には今のところこういう資質の作家が大衆文学の世界でどう変貌していくかちょっと見当がつかない。」(同書より ―初出は『朝日新聞』昭和37年/1962年2月27日)

 わざわざ『オール讀物』の受賞第一作まで取り上げてもらえるなんて、直木賞、やった甲斐があったなあ。と思うんですけど、江藤さん、「昔なら「鯨神」が直木賞向き、「螢の河」が芥川賞向き」とか分類しちゃっている。それって、ほんとうはどうでもいいことです。なのに、(平野謙さんが騒ぐのは、まあわかるとして)江藤さんまで、どうでもいいこと、言っちゃう。

 前に書いたことの繰り返しですが、改めて思います。「鯨神」といっしょに「螢の河」を文芸時評に取り上げてもらえたのは、それは、直木賞受賞作も『文藝春秋』に掲載されていたから、という環境が、大きくモノを言ったんですね、と。言い換えれば、この二つの賞をツールに文壇まわりをわんわん活性化させたいと思う主催者=文春の策略がマンマと功を奏した、と言ってもいいです。

 「どうでもいいこと」を、人の口から、どうでもいいこと前提で言わせる。なかなか大変です。いろいろ企みが必要なところです。『文藝春秋』への直木賞受賞作の再録、これは第48回(昭和37年/1962年下半期)までで終わり、なぜ唐突に終わったのかもわからないんですが、日本文学振興会=文春による直木賞活性化策のひとつとして、もっと注目されていい試みだったと思います。

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