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2014年12月 7日 (日)

「直木賞の第一の罪、それは賞をショー化させてきたことだ。」…『現代文学解体新書――売れる作家と作品の秘密』平成1年/1989年12月・オール出版刊所収「芥川賞直木賞の功罪」藤田昌司

■今週の文献

『現代文学解体新書――売れる作家と作品の秘密』平成1年/1989年12月・オール出版刊

「芥川賞直木賞の功罪」

藤田昌司

 直木賞に対して、あまりいい印象を持っていない人は、けっこういるみたいです。昭和10年/1935年から現在まで、直木賞は約80年間つづいてきていますが、最も多く抱かれてきた印象は、おそらく圧倒的に「どうでもいい」とか「興味がない」でしょうけれど(←これはほぼ確実)、オレ直木賞に興味があるんだ、という変わり者たちも、ごく少数ですが、います。彼らの印象が、好悪どちらに寄っているか……、どうでしょうか、半々ぐらいか、若干、悪感情のほうが上回っている感じでしょうか。

 ただ、直木賞にもっている悪感情を、具体的に論じてきた人は、ほんとうに少ないです。筒井康隆作品にカブレた連中が『大いなる助走』を読んでキャッキャうれしがり「直木賞は悪だ!」と批判する程度の、変なものに洗脳されたような人びとが世に跋扈(?)しているぐらいで、それはそれで楽しいんですけど、直木賞ってほんと、注視されることの少ないさみしい存在なんだな、と悲しくなること、しばしばです。

 藤田昌司さんは、時事通信社の文芸記者あがりの文芸ジャーナリストで、その平成1年/1989年の著書に『現代文学解体新書――売れる作家と作品の秘密』があります。むろん、その職歴からして立場からして、単なるイメージだけで直木賞をワルモノ呼ばわりしたりはしない、正常な人間として当然の感覚をお持ちの方なのでした。

「さて、芥川賞直木賞百回の歩みを振り返って、その功罪を考えてみよう。」(『現代文学解体新書――売れる作家と作品の秘密』所収「芥川賞直木賞の功罪」より)

 と、「功」と「罪」なんちゅう、すべてこの世の万物が持っているはずの、基本的な性質をあえて、ワルモノ扱いされることの多い両賞で考えてみよう、というのですから、まともな頭をお持ちであることがわかります。

 ワルモノ扱いされることの多い、と言いました。ええ、藤田さんがその次でさらっと紹介してくれている、こんなエピソードを読むにつけ、直木賞(+芥川賞)の一般的な立ち位置、というか、求められている性格が、よくわかるってもんです。

「罪より功の方が遙かに大きいことは、だれしも認めるところだろう。NHKテレビが百回を迎えた芥川賞直木賞を特集番組として今春とりあげた。私のところにも取材に見えたので、そのことを話すと、担当プロデューサーは少し失望したような顔をした。

「じつは埴谷雄高さんのところへも行ってきたのですが、『罪は何もない、功だけだ』と言われまして……

と当惑している様子であった。企画意図としては芥川賞直木賞批判を徹底的にやってもらいたかったらしいが、多くの文学関係者は、ライバル出版社も含めて、この両賞の意義を高く評価しているといってよい。」(同)

 少し失望したような顔、とか、芥川賞直木賞批判を徹底的にやってもらいたかったらしい、とか。ヒール役としての直木賞(いや、とくに芥川賞)のほうが、番組で取り上げるには面白い、ウケる、と制作サイド側は見抜いていたというわけですね。うん、そこは同感します。

 偉そうなものがブチのめされるカタルシス、あるいは自分の手でブっ叩く爽快感。こういう欲求は多くの人が持ち合わせています。きっと。少なくとも、直木賞のことを詳しく知ろうとするよりも、そっちのほうが手軽で簡単ですしね。なので、大した論拠なく浅ーいイメージだけを頼りに、力いっぱい(もしくは、ニヒルにカッコつけて)直木賞を悪しざまに言う人が、いつの時代もわんさか生まれるのは、自然なことなのかもしれません。

 それで藤田さんの文章に戻りますが、「功罪」というタイトルをつけつつ、前半(どころかおハナシの最終盤まで)藤田さんは、この二つの賞の「功」をめんめんと紹介しつづけます。

 いちばんの功績は、「その歴史を通じて、文学というものに対する一般の関心を高めさせた、という点」だそうで、文学に対する関心が、一般的に高まることがなぜ「功」なのだ、それこそ「罪」じゃないか、という異論もありそうなものだと想像するんですが、藤田さんはそこまで深くは掘り下げません。何かを世間に広く伝えることがご商売の方ですから、「一般的な関心が高まる」=「善」、って思いを貫かれているんでしょうか。

 さらには、一般的に「罪」としてあげつらわれそうな点(と藤田さんが思っている)、選考委員と候補者のコネ、というか情実で決められていて公平じゃないんじゃないか、といったことを取り上げて、いや、そうとう公平と言ってよい、と(架空の敵に対し)反論。ゴシップのみを楯に直木賞・芥川賞を馬鹿にしようとする向きを、軽くいなしています。

 では、藤田さんが考える両賞の「罪」とは何なのか。お待たせしました。見せ場です。いちばん盛り上がるところです。

「第一は、賞がショー化してきたことだ。(引用者中略)芸能関係者の受賞により、文学賞の“芸能化現象”が起こったのである。

 もっとも芸能化現象は、他の文学新人賞から始まり、芥川賞直木賞に波及してきたという経過をたどっている。女優が小説のようなものを書いて受賞する。マスコミが大騒ぎする。掲載誌も売れるし、単行本も売れる。芸能化現象は出版社にとって結構いい商売になったのである。しかしその結果が、文学の衰退を招いたことも、否定できない。」(同)

 す、すいたい、ですって……。芸能関係者が文学賞をとることと、「文学の衰退」(って何なんだ?)に、因果関係があるようにはとうてい思えないんですけど、どうやら藤田さんの挙げている例が、青島幸男、つかこうへい、唐十郎、山口洋子、と3対1で直木賞の受賞のほうなので、だったらワタクシははっきり言いたい。直木賞の受賞結果なんて、「文学」の繁栄とか衰退とかに、全然影響しないっすよ。どうヒイキ目に見ても。

 なので「賞がショー化してきた」ことが、罪だとする藤田さんの考えには、まるで納得できないわけですが、おっとまだ藤田さんのおハナシには続きがあるんでした。途中で腰を折ってすみません。どうぞ続けてください。

「もう少し高い視点に立って見れば、芥川賞直木賞は、日本の文学の流れをつくってきた、と言えるかもしれない。とくに戦後の文学については、そう言える。(引用者中略)それが“功”なのか、“罪”なのかとなると、本来がジャーナリストの私には、手に負えない問題である。」(同)

 待った、待った。直木賞が、日本の文学の流れをつくってきた、ですと? ほんとかよ。まず「日本の文学の流れ」を簡単にでも説明してほしいところですが、「本来がジャーナリストの私」と言ってあきらめちゃっているし。ワタクシも日本の文学の流れなんか、全然わかりませんけど(本当に「流れ」などあるのか、っていう疑いはアリ)、直木賞がその流れに関わったのは、大手中間小説読物誌の歴史ぐらいで、「文学」どころか、商業小説出版界にすら、直木賞が流れをつくった領域などありますか? あるんですか?

 ……すみません、二度も同じ過ちをおかしました。藤田さんのご高説、まだ残りがあります。

「両賞とも、新しい実験的な作品には臆病だということである。その理由の一つとして、選考委員が主として両賞受賞者(そうでない場合もある)の既成の有名作家で構成されていることが挙げられる。もう一つ言えば、芥川賞直木賞が日本文学の主流を形成しているという意識の重みが作用して、実験的な作品や個性的な作品を避け、優等生を選び出す傾向が強まっていることも指摘できよう。だが、これでは文学の刷新は期待できない。」(同)

 そうですね。「実験的な作品や個性的な作品を避け」、ってことはあると思います、直木賞のほうにはとくに。

 そして繰り返しになりますが、全然それが「罪」とは思えないのは、直木賞が既成のものを選ぼうが、新奇なものを選ぼうが、文学の停滞にも刷新にも寄与するところ何もないなかで、半年に一回ワッと盛り上がって、サッと群衆がいなくなる、そういう企画なわけですし、直木賞をとった人がそれを励みに書きつづけることはあるでしょうが、直木賞をとらなかった人(候補にも挙がらない人)だってそれぞれの目的・目標をもって同じくらい書きつづける……というのが、80年間綿々とつづいてきた直木賞界隈の動向です。

 だいたい直木賞に(多少なりとも)「罪」がある、といっている言説は、直木賞に過大な権威性を感じすぎている、過大な期待を寄せすぎているんですよね。藤田さんの文章もまたその弊から逃れるものではありません。ただ、これだけは言えます。基本、直木賞に対してまとまった意見・考え方を書いてくれている同志はごく少数派なのに、直木賞について歴史的経緯も加味しながら書いてくれている、非常に頼もしい存在です。

 直木賞のまわりって、イメージだけで悪だ何だと言い立てる人が、たくさんいるんですもん。そして、イメージだけで「さすが直木賞だ」とか褒めちゃう人はもっと多いですから。

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