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2014年11月 9日 (日)

「ただ「直木賞受賞者」であることが、多くの人に先入観を与えてしまう。」…『別冊文藝春秋』70号[昭和34年/1959年12月]「小説芥川賞」江崎誠致

■今週の文献

『別冊文藝春秋』70号[昭和34年/1959年12月]

「小説芥川賞」

江崎誠致

 江崎誠致さんは「小説芥川賞」を書くに当たっても、いつもの江崎ブシ炸裂、といった感じで、別に直木賞を批判しているわけではありません。ただ、自分が直木賞の受賞者だったせいで、「ぎくりとする」経験をしたと吐露しています。

 ……と今週の文献は「小説芥川賞」なんですが、題名どおり、お話の主は芥川賞のことなので、直木賞はほんのつけたしにすぎません。しかしそもそも、なんで『別冊文藝春秋』編集部が江崎さんに、こういう原稿を発注したんでしょう。謎です。

 もちろん江崎さんも、その辺に少し触れようとはしています。でも、「小説直木賞」ではなくて「小説芥川賞」を書く理由は、ここからはわかりません。

「私は、かつて、チャタレイ裁判の小山書店に勤務していたことがあるので、いろいろの出版社の内部をのぞく機会をもったが、文藝春秋社ほど、几帳面さと自由さが融合している社はめずらしいように思われる。(引用者中略)文春が稀に見る強心臓のジャーナリズムであることを否定しているわけではない。これはもう大変なものだ。

 早い話が、芥川賞について語る資格のない私に、芥川賞に関する執筆を余儀なくさせるという一事を見ても明瞭であろう。もっとも私がつとめていた小山書店で、第六回芥川賞となった火野葦平の「糞尿譚」をはじめ、第七回中山義秀の「厚物咲」第八回中里恒子の「乗合馬車」第九回半田義之の「鶏騒動」第十回寒川光太郎の「密猟者」と、受賞作品を次々に単行本にして出版していたので、その辺の裏話なら、少しばかり見聞きしたことがある。しかし、文壇消息なるものにはあまり関心がなかった私には、それも朝靄の中の木立みたいなものだった。」(『別冊文藝春秋』70号[昭和34年/1959年12月] 江崎誠致「小説芥川賞」より)

 小山書店時代に体験した江崎さんの芥川賞バナシ、その一例を挙げると、火野葦平さんの受賞作『糞尿譚』は初版3000部、はじめのころは返品もあったけど、まもなく『麦の兵隊』がバカ売れしたおかげで、とりあえず4版までは増えた(程度だった)、ということだったらしいです。

 そういった小ネタを挟みながらも、「小説芥川賞」のストーリーは、自分の才能を世間に知ってほしいのに才能がないからか運に恵まれないからか無名のまま鬱々と暮らす人たちがいて、たった一本の小説でいきなり有名・チヤホヤ・金持ち(?)になると巷間思われている「芥川賞」っつうジャパニーズ・ドリームの匂いに誘われてしまい、狂人ギリギリの(いや、完全アウトな)いわゆる芥川賞亡者になった二、三人の姿を例にとりながら、ふくれ上がった虚像「芥川賞」を描くという、橋爪健さんの「文壇残酷物語」みたいな流れになっています。いやすみません、発表されたのはこちらの江崎さんのほうが先でした。

 かように「芥川賞亡者」という人種はよく知られています。比較して「直木賞亡者」はそうでもありません。ここら辺が「文学賞の残酷さ」をテーマに書くなら断然芥川賞! になってしまう原因でありましょうし、また言葉を換えていうと、原稿(読み物もしくは小説)として成立するのは芥川賞のこと、つまり絵になるのは直木賞よりも芥川賞ですよね、という、直木賞ファンにとっては受け入れたくないけど認めざるを得ない現実がそこにはあるのでした。

 江崎さんは、こう表現しています。

「芥川直木賞は、これまですでに四十一回という回数を重ね、近年になるほど賑やかな感じを添えているが、それとは別に、諸種の事情から社会的反響を呼んだ回がある。直木賞はそれほどでもないが、芥川賞にはそれがある。主なものをひろいあげると、第一回は当然として、第六回の火野葦平、第二十二回の井上靖、第三十四回の石原慎太郎であろう。

 こういうえらび方をすることは、実はあまり気がすすまない。しかし、衆目の見るところ、ここらあたりが、芥川賞の中でひときわ目だつ存在だったことは事実である。」(同)

 41回やって、社会的反響を呼んだのが、芥川賞数回に対して、直木賞(ほぼ)ゼロ。……そんな直木賞に憧れるのは、よほどのツウだけと言っていいでしょう。全体を占める分母も小さく、なので狂人=亡者として表にあらわれることもほとんどないから、傍から見ていても残酷さが足りず、ハナシとしてつまらないと、そういうわけなんでしょう(なんでしょうか)。

 まあ、芥川賞に憧れる(人生を賭ける、そして落ちぶれる)人が増えるのは、残酷というより、芥川賞が運命的に持ってしまった得がたい特徴なので、そのまわりに頭のイカれた人間が(今後も)群がるのは別にそれでいいんですけど、頭がイカれた連中……江崎さんが「小説芥川賞」のなかで紹介している、身元不詳の貝田とか、長谷川千秋(水原吉郎)が芥川賞候補になったことにショックを受け川端康成ほか大物作家を追っかけまわすようになった小山書店勤務の文学少女とか、そういう人ではなく、ごくふつう(なはず)の学生たちと江崎さんとの、なにげない会話のほうに、「直木賞」のもつ憐れさが登場してくるので見逃せません。

 ここに出てくるのは、賞と名のつくものに、たいてい付着してしまうレッテルというか、人々の思い込みです。「芥川賞」の場合は、一部の人が狂信的に恋い焦がれるほどの魅惑が、そこにありましたが、「直木賞」はこれとは少し違っています。

「私は先日同郷の学生たちと逢った折、途方もない質問を受けて面くらった。

「小説書くときどうやって調べるんですか?」

(引用者中略)彼は横の仲間にこんな私語をささやいた。

「兜とか何とかああいう名称を覚えるだけでも大変だよ。」

 私はあまり驚いたり騒いだりしないたちだが、このときはぎくりとした。彼は私を時代物作家と間ちがえているのだ。私の書くものなど、彼は何一つ読んではおらず、ただ、直木賞をもらった男だということを知っているにすぎない(引用者中略)私がぎくりとしたのは、私と彼等の間が、小説家対学生という形で向かいあっていた事実についてである。しかも私と別人の時代物作家としてだ。私はそのあと、同郷の先輩後輩という本来の立場に立って話をしようと努力してみたが、最後まで彼等の先入観を抜きとることは出来なかった

 そこは心臓強く、誰に何と思われようと屁でもないという気持も一方には持っている。だから、どうということもないが、しかし、私が直木賞を受けなければ、その学生は私を時代物作家と思うことはなかった筈だし、あるいは私の名前さえ知らなかったかもしれないわけで、ある他律的な作用が、人の姿を変える例証ではあるだろう。」(同 ―太字下線は引用者による)

 直木賞=時代物……ほんと、この図式は強靭です。

 「小説芥川賞」が書かれた頃も、時代物作家ばっかりが受賞していたわけではありません(現に江崎さんが受賞しているわけですし)。それから何十年、いろいろと直木賞もがんばって「多種多彩」アピールを繰り返してきたのに(きたんですよね?)、いまなお、直木賞では時代小説が有利、とか言っちゃう人がいるくらいです。ワタクシなんかは、そういう決めつけを「レッテル」の一種だと思うんですが、直木賞に関心のある人は歴史的にも少数ですので、それが正しいとか間違っているとか、いちいち発言する人もいないまま、直木賞はただ、そこに存在しつづけてきました。

 そして時代が移り変わっても、「直木賞を受けた人」というだけで間違った質問をしてくるような、「先入観」が抜きとれない類いの人は、いなくなったりしませんでした(時代物作家と間違われる例は減ったでしょうが、でも、「直木賞受賞者」という立場なだけで、世間の人からトンチンカンなことを言われる、というのはおそらくいまも、直木賞受賞者あるある、です)。

 要は、「直木賞」の名称は有名、だけどほとんどの人は直木賞そのものに強い関心がない、という状況。情報化時代がナンチャラと言われたって、インターネットが普及したって、全然その状況に変わりがありません。まだまだ今後も続いていくんでしょう。ほんとに直木賞って、面白いやつだなあと思います。

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