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2014年11月 2日 (日)

「賞を与える側に嫉視をおぼえさせ、脅威を感じさせる出来映えのものは、受賞できない。」…『作家論』昭和52年/1977年7月・永田書房刊所収「立原正秋」久保田正文

■今週の文献

『作家論』昭和52年/1977年7月・永田書房刊

「立原正秋」

久保田正文

 文壇ゴシップばかり追っていないで、ちょっとはまともな日本現代文学史を勉強しようかなと思って、そういった本を読み進めてはみたものの、まともな本は、だいたい「直木賞・芥川賞混同症」に冒されていることが多く、途中で怒りが抑えきれずに壁に本を投げつけ、勉強が嫌いになる。……というイヤな経験は、もう何十回も味わってきましたが、他の直木賞オタクの人たちはこのムカツきを、どのように乗り越えながら生きているんでしょうか。教えてほしいです。

 まともな文学史家(というか文芸評論家)の代表として、久保田正文さんを引き合いに出すのは、正なのか誤なのか、よくわかりませんけど、たぶん久保田さんは(奇をてらわない、調子に乗ってハシャいだりしない、という意味で)まともな論者なのだと思います。だからこそ、久保田さんのような人が、淡々と(しれっと)芥川賞のことだけ語れば済むのに、そこに直木賞を混ぜ込んで語っている場に遭遇すると、もうこっちとしては、ガッカリ感がハンパないというか、起き上がるのもツラくなるほどの脱力感に見舞われてしまうわけです。

 たとえば、

「昭和十年代文学をかんがえるばあいに、(引用者中略)芥川龍之介賞と直木三十五賞との存在を見おとすわけにはゆかないだろう。

(引用者中略)

 ジャーナリズムが拡大されれば、新人作家の求められるのも当然のいきおいである。しかし 、明治から大正を通じて、新人発掘の機構は、文藝雑誌の投稿欄程度のもので、組織的に整備されることがほとんどなかった。(引用者中略、懸賞募集に対して)新しく設定された芥川賞・直木賞は、選考委員を公表し、同人雑誌を中心にして、こちらから積極的にさがし、えらぶという方法をとったところにも新機軸がみられた。」(久保田正文・著『昭和文学史論』「もうひとつの昭和十年代」より)

 などなどと言いながら、昭和10年代前後の「文藝復興」の動きや、『改造』『中央公論』の懸賞募集を背景に据え、直木賞と芥川賞、「両賞の設定は時宜にかなったものであったとみることができる」とさえ筆を滑らせちゃっているのですよ。

 久保田さん。それって全部「芥川賞」に関する分析じゃないですか。どう見ても。

 そんな解説をされて、「なるほど!直木賞が昭和10年にできたのは時宜にかなっていたんだ」みたいに納得する人が、いったいどこにいるんでしょう。芥川賞が昭和10年に創設されたことの必然性は見出せるかもしれないけれど、直木賞は、直木三十五が死んだからできた、ということ以外、別に深い背景などありゃしない、直木賞なんかなくても大衆文芸も通俗小説も発展・発達しただろうし、川口松太郎とか木々高太郎とか、受賞をカサにエバりくさる連中を生んでしまった点で害のほうが大きかった、……と考えるのがふつうなんじゃないでしょうか。

 ただ、ながらく直木賞の歴史を支えてきたのは、大衆文芸の人たちじゃなくて、純文芸の人たちの手すさび的な関心のおかげだった。っていう面は否定できません(できませんよね)。

 久保田さんのような、文学と対峙して人生を送るまともな人たちが、完全に大衆文芸・大衆文壇の状況を埒外に置いて、なぜか「文学のなかの(主流ではない)ひとつ」として直木賞のことを、たまに気にかけては語る。そのおかげで、とりあえず直木賞も、ジャーナリズムの目が文学賞に届くようになる昭和30年代まで、そして中間小説が未来の文学の中核を担うとまで言われた(言われたのかな)昭和50年代まで、いちおう「権威」と言われて(しかし実態は不明)チヤホヤされつづけたのでした。

 で、今日取り上げる久保田さんの文献です。なにしろ純文学メインの方の語る直木賞バナシですから、当然、田岡典夫とか山田克郎とか、そういう外道読み物作家(……じょ、冗談ですよ)についてではありません。お話の対象は、立原正秋さんです。

 久保田さんは立原作品を高く評価していた人で、著書『作家論』でも「立原正秋」として一項立てられています。ここに立原さんが直木賞をとった直後に書かれた文章もおさめられているんですが、立原作品を高く評価するあまり、……いや、文芸評論家らしく直木賞には手すさび的に(あくまでオマケとして、お遊びとして)関心を抱いているあまり、直木賞に対してちょっかいを出してくれています。

「こんどの直木賞が立原正秋の「白い罌粟」にきまったことは、いろいろな意味で好ましいこと、ふさわしいことである。

(引用者中略)

 過去何回かの直木賞の選考に、私はずいぶん納得できぬ思いをしたことがある。こんどの「白い罌粟」はなによりも文学作品としてまっとうであるから、作者のためによろこばしいだけでなく、むしろより以上に直木賞そのもののために祝福されるに価しよう。こんどから新しい選考委員も加わったのだから、こういう方向を伸ばしてほしい。」(久保田正文・著『作家論』所収「立原正秋 「白い罌粟」I」より)

 「むしろより以上に直木賞そのもののために祝福される」って……。直木賞ファンとしては有難いお言葉として受け取ればいいのでしょうか。

 しかし要するに、これまでの直木賞は「文学作品としてまっとうで」ないものが選ばれてきた、と久保田さんの目には映っているらしいんですね。何といいましょうか、この「余計なお世話だ」感。だって直木賞は、芥川賞とはそもそもが違うのだから、べつに、まっとうな文学作品ばかり選ばれる必要は全然ないと、ワタクシは思います。

 それと「祝福されるに価しよう」などと、もってまわった言い方しかされず、立原作品を選んだ直木賞、見直したぞ、すばらしい! と素直に褒められることがない直木賞の悲しさも、ここからは漂ってきます。

 率直に褒めてもらえない直木賞の姿。……さらに直木賞は、久保田さんからこんな表現でイタぶられているんです。

「「白い罌粟」を直木賞にえらんだ委員たちの選評をみると、前作「漆の花」の方がよかったなどと書いているたよりない意見もある。そんなことはぜったいにない。「白い罌粟」は立原正秋の文学の系列でも新しい転換を予告するものであるのみならず、直木賞の歴史のうえで言っても記念すべき性格を誇っている。」(同書「立原正秋 「白い罌粟」II」より)

 と、「直木賞の歴史のうえで」みたいな、ついついマジかよと思わずにはいられないオーバーな表現を使って、直木賞委員の選評を批判したうえで、

「昭和三十九年春の「薪能」ころから立原は、にわかに小説つくりのコツを体得したようである。「剣ヶ崎」をへて「漆の花」までは一直線である。貴族的有閑性と、プレイ・ボーイ的デカタンスと、ほどよく反時代的な悲劇性と、必要に応じてエキゾチズムや民族的宿命性などをもちりばめて、直木賞委員をよろこばせるどころか、むしろ嫉視をさえも感じさせるほどのあざやかな腕前を示した。

 賞を受けるには、与える側に脅威を感じさせるほどのできばえでもだめなものらしい。委員がすこしケチをつける余裕の残る作品がちょうど良いということになろう。」(同書「立原正秋 「白い罌粟」II」より)

 どういうことでしょうか。「漆の花」は、直木賞委員に脅威を感じさせて(だからこそ)落選し、「白い罌粟」はそうでもなかった(ないと思われた)から受賞した、と言いたいんでしょうか。

 まあ、そんな簡単・単純なハナシなら面白いでしょうけど、いつも立原さんの作品だけを候補にして選考しているわけじゃなし、いちばん大きいのは他の候補作の並びで、それから委員の顔ぶれの変更(小島政二郎・木々高太郎が抜けて、柴田錬三郎・水上勉が就任)、川口松太郎の出欠(「漆の花」のときは欠席、「白い罌粟」は出席)、ということもありました。

 「選考委員の嫉視のせいで、実力作家が落とされる」というのは、文壇ゴシップ好きの常套句、大好物なわけですが、まともな久保田さんがそういうヤカラと肩を並べて論拠不確実なことを言っちゃうわけですから、よほど立原作品が気に入っていた、ということなのかもしれません。

 ところで「白い罌粟」ですが、ワタクシも直木賞歴代受賞作のなかでは、トップクラスに好きな作品です。ただ、「直木賞の歴史のうえで記念すべき性格」をもつ作品かと言われれば、うーん、受賞作はたいてい歴史のうえで記念すべき性格をもっていますし、むしろ落選した候補作のほうに、「賞」を考えるうえでは重要なものがたくさんありますので、久保田さんのようなハッタリには、同調できません。

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