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2014年7月27日 (日)

「発表されたすべての小説のなかから選んでいるわけじゃないし、大騒ぎするほどの賞じゃない。」…『現代の眼』昭和54年/1979年5月号「芥川賞に群らがる若者たちの「老醜」」柳田邦夫×板坂剛

■今週の文献

『現代の眼』昭和54年/1979年5月号

「芥川賞に群らがる若者たちの「老醜」」

柳田邦夫×板坂剛(対談)

 直木賞に対する批判が、いろいろな方面で花開いたのは、およそ昭和50年代(1970年代後半)、と言われています。

 いや、言われちゃいません。でも、どうしたって、そう見えますよね。たとえば昭和50年/1975年1月に決まった第72回(昭和49年/1974年・下半期)の授賞者が、半村良さんと井出孫六さん。半村さんはSF文壇界隈ににぎわい(と、直木賞に対する猛反感)をもたらし、井出さんは井出さんで、当時の三木内閣の官房長官・井出一太郎の実弟だった! ってことから、家柄やら何やらで記事にされる……、ということもあったんですが、その程度の(いまいちパッとしない)取り上げられ方はいつものことです。直木賞批判が花開いたきっかけは、当然そんなことではありません。

 きっかけは、常に芥川賞のほうからやってきます。いっつもそうです。

 直木賞にしてみれば、おこぼれです。あるいは、とばっちりです。直木賞に向けられた批判、というよりも、「文学賞」制度を批判したい人たちが、まず真っ先に思いつく存在(のひとつ)だったため、ついつい名前が挙げられちゃう、という。何といっても、かたわれの芥川賞のほうが、昭和50年/1975年ごろから、そりゃもう、世間のみなさま方から、もてあそばれ、ツッつかれ、どんなに批判しても一向に減る心配のないウサ晴らしに最適なサンドバッグと化していましたんで、その影響から、直木賞もなぜか「権威=どんどん叩いても平気な攻撃対象」として(のみ)、ああだこうだ言われることになりました。

 今日取り上げる対談も、この例に洩れません。基本的には芥川賞をあらゆる側面から批判する、って内容なはずなのに、端ばしで「直木賞」の名称が出てくるのでした。

 のっけから、柳田邦夫さん(当時47歳頃)、こう切り出します。

柳田 ぼくらからすると、若い人が、芥川賞とか直木賞とかというものは意味がない、ということを主張するというのは面白いわけですよ。われわれの感覚だと、ああいうものはあっても、べつにどうということない、というのが率直なところだと思うんです。なれてしまっているしね。

 ただ、ぼくはここ二、三年前からちょっと感じていたのは、芥川賞とか直木賞をとるというのは、昔風に言えば、文壇の登竜門というか「中央文壇」に入る一種の免許証を得たという形じゃなくて、とることが自己目的化していることです。結果じゃなくて、何か目的になってきたような気がするね。」(「芥川賞に群らがる若者たちの「老醜」」より)

 「ここ二、三年前」というと、直木賞では、第74回佐木隆三、第75回なし、第76回三好京三、第77回なし、第78回なし、第79回色川武大・津本陽、第80回宮尾登美子・有明夏夫、って流れでした。とることが自己目的化、の権化といってもいい三好京三さんの受賞を見て(しかも、受賞作『子育てごっこ』はけっこう売れたし)、そう感じちゃったのかもしれません。

 のっけから、と言いました。じつは、のっけどころの騒ぎじゃありません。この対談中、柳田さんは終始、ことあるごとに「芥川賞や直木賞」と、この二つを同一のものとして議論の俎上に乗せようとするのです。

 いっぽう対談相手の板坂剛さん(当時31歳頃)はどうか、というと、柳田さんとは好対照をなしていて、ほとんど芥川賞のことしか語りません(直木賞なんて、文学の話題ですらないと無視していたんでしょうか)。芥川賞の問題点とか、芥川賞を頂点と見なして有名になりがたる or カネを稼ぎたがる連中の、心根の醜さとか。柳田さんと板坂さん、この二人の目に見えているものの違い、が、当対談の最大の読みどころかもしれません。

 たとえば、以下は柳田さんの、芥川賞直木賞セット語録です。

(引用者注:昭和初年ごろ)だいたい作家なんていうのは人間のクズだ、といわれる時期(引用者中略)そんな時に、芥川賞とか直木賞なんてもらって、なんかほめられたそうだよあの変わり者が――という形で、賞金も入ったりすれば大助かりだった。尾崎一雄は代表みたいなもんだ。」(同)

 ……ええと、戦前の直木賞では、たぶん、すでに文筆で稼いでいた派(川口松太郎、海音寺潮五郎、木々高太郎、橘外男などなど)と、貧乏派(鷲尾雨工、井伏鱒二、河内仙介などなど)は、数として拮抗していたと思います。柳田さんのイメージって、おそらく芥川賞を想定したものじゃないんですか。

「ぼくの尊敬する小松伸六先生が書いておられましたけど、地方在住の文学者というのは非常に優秀な人がいるんで、この人たちは芥川賞とか直木賞というのは相手にしないそうですね。」(同)

 ……たしかに。ただ、直木賞は「賞」だから相手にされていなかったんでしょうか。「大衆相手に売る気まんまんの、文学の名を借りた読み物」ジャンルの行事だから相手にされていなかった、のじゃないかと思いますが。芥川賞と違って。

「たとえばいま現実に芥川賞とか直木賞を選考する人たちは、それこそ極端にいうと、関係者は二〇人ぐらいじゃないかな。だからカバーできるはずがないわけですよ。」(同)

 ……まったくです。カバーできるはずがありません。すべてをカバーできる機構なりシステムが実現できてしまう、夢のような社会は、たぶんあと2000年ぐらいすれば到来するんでしょう。

 などなど。

 これに対する板坂さん。マジで、芥川賞の話題しか繰り広げていません。うちのブログで取り上げる筋合いのことはお話しされていませんので、ザクッと割愛いたします。芥川賞好きな方に、そっくりお預けしたいと思います。

 お預けしたいんですが、先の柳田さんの発言、――直木賞も芥川賞もけっきょく選考関係者が少なく、極めて狭い範囲の賞にすぎない、――つうハナシに関連して、板坂さんが芥川賞を解説している箇所がありました。一般的な「直木賞に対する批判」にも通ずる、たいへんよくできた箇所なので、たまらず引用させてもらいます。

板坂 芥川賞自体は三つか四つの雑誌のお手盛りの賞に過ぎないわけなのに、一応自費出版に至るまであらゆる新人の作品を候補の対象として受けつけているようなタテマエをとってるんですね。これはペテンですよ。実際には大手出版社の文芸誌に掲載されたものという資格を必要としているわけだから。しかしそれらの雑誌も別に大した部数が出ているわけではないし、一般的にそれほど関心を持たれているわけでもない。だから大騒ぎすることは何にもないんですよ。芥川賞なんて。」(同)

 どうですか。昭和54年/1979年、つまり35年前になされた指摘です。板坂さん、正しいことを言っていると思います。芥川賞の選考委員のなかにも、川端康成さんや遠藤周作さんなど、芥川賞は大騒ぎするほどのものではない、と何度も選評を使って訴えていた人がいました。

 要するに、誰がどこで、正しいことを言っても、何ら賞そのものの是正につながることなく、いつまで経っても、芥川賞で騒ぐ人は後を絶たないという、なにか徒労感にも似た現実。いまもワタクシたちはその現実のなかで生きています。

 直木賞もまた、その点では芥川賞と同じです。直木賞と芥川賞はちがうものなのだから、いっしょくたで語らないでくれ、といくら言ったって、絶対に、両賞を同一視する人はなくなりません。絶対に。この賞にまつわるギャップと勘違いは減少するどころか、ますます増幅していっていると感じます。

 そんななかで、毎週ブログで直木賞のことを取り上げる、この無力感。……これが、直木賞のことを飽きずに見続けられる最大の魅力、と言ってもいいでしょう(←って、これもまた、共感する人は皆無でしょうけども)。

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