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2014年6月の6件の記事

2014年6月29日 (日)

「賞を出すものの間接の利益心に、警戒せよ」…『政界往来』昭和12年/1937年1月号「文藝時評 文学賞時代について」青野季吉

■今週の文献

『政界往来』昭和12年/1937年1月号

「文藝時評
文学賞時代について」

青野季吉

 直木賞に対する批評の系譜、このテーマでやりはじめてまだ日が浅いんですが、早くも、今日は「まったく注目されていない直木賞」の姿を取り上げることになってしまうので、ワタクシは、たいへん悲しいです。

 直木賞(文献)ファンなら誰でも、こんな苦い経験を味わったことがありますよね? お、文学賞ネタの文章があるぞ、とワクワクして読み始めたものの、けっきょく直木賞に関するハナシは、ほとんど書かれていなくて、話題の対象は、芥川賞・芥川賞・芥川賞、のオンパレード。読み終わり、暗ーい徒労感を抱えて、うつむきがちにそっと本を棚に戻す、あの苦々しい時間。……人生のつらさを、ワタクシは直木賞(の注目のされなさ)から学びました。

 今日の文献もそうです。青野季吉、なんちゅうビッグネームが、直木賞がはじまって間もない昭和12年/1937年に、文学賞のハナシを書いている! っつうそこにテンションが上がらない人など、この世に存在するんでしょうか。しかも、青野さんの出だし、快調(?)です。

「文壇の近年の流行の一つは、諸種の文学賞の設置である。既に芥川、直木両賞があり、文藝懇話会賞があり、その他文學界賞三田文学賞の如き内部的の文学賞があり、さらにその上池谷信三郎賞が設けられ、新らたにまた新潮社賞の設置が発表された。この上とも続々として文学賞が設けられそうな模様である。まことに文学賞は文壇の流行中の流行と云つてよからう。

(引用者中略)数年前のこと、渡辺文学賞なるものが設けられたが、ほとんど反響らしい反響がないので、ついに姿を消してしまつた。それを思ふと、この頃の文学界の流行は、まことに珍現象と云はなければならない。」(青野季吉「文藝時評 文學賞時代について」より)

 珍現象。ええ、ええ、青野さん、ほんとそうですよね。それが80年近くたった今もって、文学賞時代は続き、直木賞やら芥川賞やらが文芸出版界隈の、最大イベントであり続けているこの珍現象っぷり。どうぞ笑ってやってください。

 と、ここまではよかったんですが、青野さんの筆は徐々に雲行きがあやしくなっていきまして、あやしくなるというより、青野さんの本領が発揮されているだけなんでしょうが、政府が文学作品・文学者に対して賞や勲章を贈ろうという動きまで出てきていて、それを文壇の一部は歓迎しているらしいけど、手放しで喜んでいる場合じゃないだろ、みたいな「官製文学賞」の話題が縷々語られていきます。

 そりゃ、それも心躍るネタだけど、じらさないでよ、青野さん、直木賞のハナシを早くー。っていうこちらからの声に敏感に反応するさすがは青野さん、

「官設の文藝賞論で少し手間どつたけれどこれまでの私設の文藝賞について、少し観察しておかう。」(同)

 と軌道修正をはかってくれまして、やんややんやの大喝采。

 ここで、「まず芥川賞がある。」と言って、えんえん芥川賞の、第1回、とんで第3回授賞の石川達三「蒼氓」、鶴田知也「コシャマイン記」、小田嶽夫「城外」の感想を述べているのは、ぐっとこらえます。当時の時評家に、いきなり直木賞から先に述べることを期待するほど、ワタクシも世間知らずのわがままではありません。

 ちなみに青野さんが、芥川賞をまずはよし、と認めたのは、こんな理由からでした。

「芥川賞委員は「コシャマイン記」を決してプロレタリア作品と認めて選抜した訳でなく、優れた文藝作品として見出したのであるが、その結果がプロレタリア作家を世に出す結果なつても、何等の躊躇を示さなかつたところに、よき文藝の表彰にたいする芥川賞委員のシンセリチイを観取しなければならない。

 この態度、このシンセリチイは、現在の文学賞、及び将来設けられるであらう諸文学賞が、とつて以つて範とすべきものであつて、もし文学賞なるものがそれの発起者及び委員に於いて、何等かの「私心」が挟まれ、意識的、無意識的に偏破に陥ることがあれば、その時は文学賞の権威が地に堕ちる時でなければならない。文学賞の権威は、一にかかつて文藝にたいするシンセリチイに存することを銘記すべきである。」(同)

 なんで「誠実さ」「真摯さ」といわず、いい年こいて「シンセリチイ」とか横文字つかってカッコつけたがるのか、イラッとする部分ではありますが、これもスルーしましょう(といいながら、全然スルーしてないですけど)。正直イラッとするのは、そこからなんです。芥川賞のハナシが終わったから当然次は直木賞っ! と舌だして餌を求めるこちらを無視して、文藝懇話会賞の「シンセリチイ」のあり方に釘を指し、つづいて新潮社文藝賞などというどーでもいいサルマネ文学賞について筆を費やし、

「現在発表されてゐる所で見ると、その「特色」がいづくに在るのか、極めて漠然としており、芥川賞と何等区別がないやうに思はれる。これは実際に当つて、大きな問題でなければならない。私は新潮社が新らたに文学賞を設けると聞いて、それは芥川賞とも衝突せず、必ずや文学賞として何等か一歩を踏み出したものであらうと想像してゐたので、多少の失望を感じた次第である。」(同)

 と、現代を生きるワタクシのようなクサレ文学賞マニアが、山本周五郎賞や山田風太郎賞に対して抱くのと変わらない感想を述べたりしています。

 そして最後まで、直木賞のナの字も出さず、そのまま青野さんの原稿は終了。まるで歯牙にもかけられていない直木賞の、あわれで、悲惨なありようが、くっきりとこちらの胸にひびくのでした。青野さんのイジワル。

 最後の最後で、青野さんはこんなことを言って、未来の(つまりは現代の)文学賞に対して警鐘を鳴らしています。これをもって、(直木賞に対してのみ言っているわけじゃないでしょうが)、昭和12年/1937年からの直木賞に対するメッセージ、と受け取り、何か無視された感を忘れることにしたいと思います。

「これからまだまだ多くの文学賞が設けられるに相違ないが、それらの文学賞は、その賞を出すものの何等かの間接の利益心がそこに加はつたならば、それは最初の時期には現はれなくとも長い時期には必らず現はれるに相違ない。これは自他共に警戒す可きことである。」(同 ―太字下線は引用者による)

 ね。ほぼ(戦後から現在までの)直木賞のことを言っている、と読んでも間違いじゃないでしょ。

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2014年6月22日 (日)

「文学はフィクション、という考え方にこだわるな」…『自由』昭和37年/1962年9月号「芥川賞と直木賞の間」無署名

■今週の文献

『自由』昭和37年/1962年9月号

「芥川賞と直木賞の間」

無署名

 直木賞に関する話題には、いくつかのテッパンネタがあります。そのひとつ、創設のころから現在まで、ずーっと変わらず多くの人が語りたがるのが、「直木賞と芥川賞のちがい」ってやつです。

 はっきり言っちゃえば、たった二つの賞の授賞傾向の違い、などから見えるものなど限られています。その違いが日本の文学全般に及ぼす影響も、皆無に近いでしょう。つまり、どうでもいいこと甚だしい話題なわけですが、「直木賞=大衆文芸、芥川賞=純文芸」の図式を、勝手に(いや、文藝春秋が規定で書いたことを、ほいほいと信用して鵜呑みにして)当てはめ、この二つの賞を語りつつ、ついつい、「大衆文芸と純文芸はどう違うのか(違わないのか)」みたいな別次元のことを語ってしまう人が後を絶たない麻薬のような話題ではあります。

 直木賞は「大衆文芸の賞」を謳っている、それはワタクシも認めます。でも、じっさいにこの賞が選ぼうとしてきたモノが「大衆文芸」なのか、と言われれば相当な違和感をもちます。そりゃ持つでしょ。持たないほうがおかしいです。

 「看板に偽りあり」と言いますか。幅広い大衆文芸分野のなかの、ごくごく一部にしかスポットを当ててこなかったニッチな賞と言いますか。「直木賞は日本の(大衆 or エンターテインメント)小説を代表する賞」っつう表現がありますけど、あれって基本、みんなからのツッコみを引き出そうとするギャグですもんね。そんなに笑えませんけど。

 で、これまで膨大に書かれてきた「直木賞と芥川賞の違い」論のなかのひとつが、『自由』誌のコラム「自由の眼」に載った「芥川賞と直木賞の間」です。一度、うちのブログでは海音寺潮五郎選考委員のエントリーのときに、取り上げました。

 『自由』といえば、第47回(昭和37年/1962年・上半期)直木賞を受賞した杉森久英『天才と狂人の間』という地味な読み物をこつこつ連載していた雑誌として、直木賞界隈に一躍その名を知らしめた(?)雑誌です。この作品が受賞した直後、その好機を生かすべく、「何何と何何の間」というタイトルをもじって、コラム記事が掲載されました。

 この記事はイイですよ。主張していることはけっこう明確でして、『天才と狂人の間』なんちゅう、「どこが大衆文芸だ!」とさんざん批判を浴びせられる評伝に与えられたことを受け、うるせえぞトウシロめが、直木賞はその調子で、もっともっと枠を広げていけ、という。ワタクシはうなずいてしまいました。

 しかも面白いのは、第47回といったら、いまから見ればまだ直木賞は三分の一も終わっていない時代です。そのころすでに、現在と大して変わらない直木賞批判が巷に跋扈しており、そのことに筆者がイラ立って、反論しているからなんですね。

「芥川賞が川村晃の「美談の出発」に、直木賞が杉森久英の「天才と狂人の間」に、それぞれ決定した。どの新聞を見ても、受賞作は二つとも地味である、と書いてある。(引用者中略)

 芥川賞と直木賞とのあいだに、実質的な区別がなくなったということは、数年まえからいくども指摘されてきたことなのである。(引用者中略)

 (引用者注:『天才と狂人の間』は)小説というよりは評伝であり、これが直木賞をうけたことには、意外の感をもつ読者もあるはずだと思う。二つの賞のうち、芥川賞は新人に、直木賞は二、三冊本を出している中堅に、あたえられる傾向があるようだが、しかしこれも傾向だけで、必ずしもそのとおりにはなっていない。いっそ賞を一本にまとめてしまえとか、賞の性格をはっきりせよとかいう意見も、出てくるゆえんなのである。」(「芥川賞と直木賞の間」より ―太字下線は引用者によるもの)

 直木賞と芥川賞について「実質的な区別がなくなった」。……ほんとよく聞きます。いまも聞きます。賞は二つも要らない、っていうのも、ちらほら見かけます。

 まったくもって意味不明ですよね。この記事の筆者がイラつくのもわかります。だってそうでしょう。何十も何百もある文学賞のうちの、直木賞と芥川賞の実質的な(←この言葉もスゲーあいまいで、まくらことばみたいなモンですね)区別がなくなったととらえて、これを一つにまとめる。はあ。それで何がどうなるんでしょう。個人的には、半年に一度更新しなきゃいけないサイトが一本にまとまるので楽になりますが、別に二つあっても、いや三つ、四つ、五十個、百個あっても、変わらないんじゃないですか。だって世間は、文学賞になんか、大して興味をもっていませんもん。

 さて、昭和37年/1962年のころのハナシに戻ります。

 コラムを書く無署名さんは、こう書きます。「直木賞の性格がアイマイなのは、そもそも大衆文学というものの概念規定がアイマイだからなのである」と。まったく、そうだよなと思わされると同時に、そのうえさらに、選考委員の人たちは、一般的な「大衆文芸」らしさのある作品にやたら手厳しいからな、もういったい、何を選んでいるのか混乱してて、はたから見ててよくわからんよな、とも思います。

 そして無署名さんは、いまはルポルタージュ、ノン・フィクションの流行時代だ、ととらえ、直木賞の未来に対し、このような提案(期待)を投げかけました。

「とにかくノン・フィクションの流行には、それなりの理由があるのであって、この流行はまだまだ当分はつづきそうに見える。「変質」しつつあるのは、純文学よりも、大衆読物の方なのだ。ノン・フィクションにたいする賞としては、エッセイスト賞があるが、直木賞もそういう要素を、もっと汲みいれていいのではないか。

 文学はフィクションという考え方に、こだわっている必要は少しもない。それが直木賞の性格を、生かしてゆくみちと思うが、いかがなものか。」(「芥川賞と直木賞の間」より ―太字下線は引用者によるもの)

 はい、その至言を受け取った未来のワタクシは、嘆いてしまうのです。選考がどうこうの以前に、そもそも、候補作を決める文春の人たちからして、直木賞を読物小説誌(に「小説」として載るやつ)界隈から外に広げる気はまずなさそうだし。それで直木賞は、どうにかやっていけちゃうし。

 冒険心と挑戦心を失った事業を見つづけるのはツラいことです。嘆きたくなります。でも、直木賞がどうなろうが何の興味もない日本人が大半、という現実を考えれば、それも無理のないことなのかもしれません。失敗を恐れ、昨日やっていたことを今日もやる。それもまた賢い文学賞の生き方なんでしょう。

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2014年6月15日 (日)

「「大人の文学」など意識しないでほしい」…『國文學 臨時増刊 大衆文学のすべて』昭和40年/1965年1月「直木賞の功罪」保昌正夫

■今週の文献

『國文學 臨時増刊 大衆文学のすべて』昭和40年/1965年1月

「直木賞の功罪」

保昌正夫

 さあ、みんなのアイドルにして、別名、直木賞ファンの天敵こと、保昌正夫さんです。

 ほんとにアレです。いまワタクシの目から見ると、保昌さんの語っていた直木賞バナシは、保昌さんらしくもなく事実の積み上げが不十分な、つまみ食いの類いでしかありません。そこからにじみ出るのは、直木賞に関心を抱く層がいかに薄かったか、あるいは、いわゆる文学畑の人たちは常に芥川賞との比較でしか語ろうとしないのね、っつう哀しみです。直木賞ファンとしては、とくに保昌さんの直木賞関連文章を読んでいると、さびしさばかりが募ります。

 以前、保昌さんのさびしい文章については、完全に芥川賞メイン・直木賞オマケ、の本心が横溢してしまった例として、「文学賞物語」のことに触れました。今日取り上げる「直木賞の功罪」は、それよりはかなりフランクなエッセイ、といった風合いが強いんですが、そこは何といっても保昌さんの直木賞観ですから、期待から外れることなく、読んでいるこちらをムッとさせてくれる、あるいは頭の上にハテナマークを上げさせてくれる、さびしさに彩られた好読物、となっています。

 いちおうタイトルに「功罪」とあるので、功と罪を書くつもりではあったのでしょう。しかし何といっても、媒体は高尚なる(?)研究誌『國文學』の臨増、きっぱり断言しすぎると、各所でカドが立つと考慮したものか、はたまた、わずか1ページの読み切りエッセイで意見など述べても、どうせだーれも見ちゃいないし、本気を出すまでもないと手を抜いたものか、何が功で何が罪だと明確には論じず、芥川賞メイン主義者の直木賞に対する感想が、つらつら語られている、という。

 ええ、のっけから、保昌さんの、直木賞を見くだす(?)筆が冴えています。じつは保昌さん、文藝春秋新社から依頼されて、過去の直木賞の選考経緯を洗う、というお仕事を依頼されたのだそうですが、こう言っちゃうのです。芥川賞とはちがって(←ココ重要)直木賞は一種の愉しさがある、と。

「二日、三日、社屋の資料室に通つて、いくぶん古い『文芸春秋』から、さきごろまでの『オール読物』の選評記などに目を通して愉しい印象をもつた。

 愉しいと言つたりしては、たとえば「四年間に、六回、候補に」挙げられ、「万年候補」とか、「棚ざらし」とかいう声を聞きながら、その六回目に授賞されたという池波正太郎などに対してははなはだ失敬な表現になるだろうが、芥川賞とははつきり異なる直木賞全般の雰囲気としてやはり一種の愉しさ――たのしめるところがある。これをいきなり功の、罪のということでなく、よかれ、あしかれ、直木賞については認めてかかる必要があろう。(引用者中略)芥川賞ではこうはゆくまい。」(「直木賞の功罪」より ―太字下線は引用者によるもの)

 スゴくないですか? この感覚。「芥川賞ではこうはゆくまい」のところで、一気に直木賞ファンの感情を逆撫でにする、冴えわたった筆さばき。

 一種の愉しさがある、ってことには、たしかにワタクシも同意はします。でも、それって芥川賞にだって備わっている愉しさじゃないですか。人が人の小説を褒めたりけなしたりして、「純文芸」とか「大衆文芸」とか枠を設けて、なかから一つだけを選び出そうとする、そこにまわりの人たちがイチャモンをつける、愉しさ。

 それが、何だか芥川賞は文学に対する丁々発止の真剣な空気があるけれど、直木賞はそうではなく、もっと砕けた、ゆとりのなかで、選考からなごやさを発している……みたいなことを、保昌さんはそうは表現していませんが、もし感じるのなら、あんまりにも狭視的でヒドすぎます。

 要するに自分に興味のある「文学」なる、エラくお高くとまった分野なら真剣に向き合えるが、そうじゃないものは対岸の火事、自分に関係ないから遠目で見て、ははあ、面白いねえ、と悠然と構えていられる。……って、ただそれだけなんじゃないか、と思うんですけど。

 で、そういう対岸の人、保昌さんから見ての、直木賞の「罪」(と読める部分)は、おそらく下記のところだと思います。

「芥川賞選考にあたつて一時横光利一がおかしたような役わりを吉川英治が背負つてしまつているふうの例がないではない。直接委員には連ならなかつたが、長谷川伸といつた存在の光背には、こんど受賞者のことばなどをたどつてみて、あらためて感じ入つた。しかし、おいおいそうした威光的選考は影をひそめてゆこう。」(同)

 ひとりの偉い委員が、他の委員に対して陰に陽に威圧感を発して、その一人の意向どおりに授賞が決められていく、みたいな見立てですね。ワタクシもこれまでけっこう、直木賞の選評やその周辺の授賞ウラバナシみたいなのをたくさん読んできました。だけど、吉川英治さんだの長谷川伸さんだのの威光が選考を左右した例がある、とはとうてい思えず(文春の司会者による議事進行の加減が、選考を左右した例は――選考委員たちがうまいこと操られた例はあったとは思いますが)、保昌さんの感覚は、どうも釈然としません。

 釈然としない極めつきは、このエッセイの締めの部分です。もはや直木賞のことを、まじめぶって論じつづけるのも馬鹿らしくなったか、最後の3つの文は、ほとんど意味という意味のとれない感想をたてつづけに連ねて、直木賞ファンをあざわらっているかのようでもあります。

「とにかく面白いものを、あるいは話題提供といつたところを第一義とする(――第一義とはしないまでも結果としてそうある)路線が敷かれるおそれがないではないが、ショウ的賞になつてしまつてはまずいのである。直木賞作家はつぶしがきく、などの評もありまり名誉なものではないだろう。選考する側も、される側もなまじ「大人の文学」などを意識しないでいてほしいものである。」(同)

 はい、あざわらわれました。はっきり言いまして、保昌さんが何を言いたいのか、ワタクシには理解不能です。

 たいていの人たちにとっても理解不能だったため、保昌さんが最後に言った「大人の文学」など意識しないでいてほしい、っていう文言は誰からも顧みられることはありませんでした。いや逆に、その後、直木賞の選考委員になった人たちの多くは、ご存じのとおり、得意げに「直木賞は「大人の文学」に与えたい」と声高に叫び始めるようになり、完全に保昌さんの顔はつぶされることになったのでした。

 さすが、保昌正夫。「天敵」の称号に恥じないそのぶっ叩かれぶり、やっぱり、みんなのアイドルです。

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2014年6月 8日 (日)

「初めて名前を聞くような作家がとった」…『新潮』昭和18年/1943年4月号「文学賞と作品の評価」無署名

■今週の文献

『新潮』昭和18年/1943年4月号

「文藝時観

文学賞と作品の評価」

無署名

 昭和18年/1943年、というと70年ほど前。ワタクシは生まれていません。なので、当時の直木賞発表が、どのように波紋を投げかけ(もしくは無視され)、どのように受け取られていたのか。よくわかりません。

 ものの本によれば、戦争中は徐々に、出版に関する制限も多くなり、またじっさいに、戦前はずっしり&ぎっしり重みのあった『オール讀物』や『文藝春秋』も、そのころの号を比較してみれば一目瞭然、たしかにページ数は激減して薄くなっています。当然、一般に発表される小説の数も少なくなったはずです。いまのように「点数だけはたくさん小説が出ているけど、氾濫しすぎて何を読めばいいのかよくわからん」といったような、情報の洪水を浴びる多くの人たちが、なかば嬉しそうに愚痴を叩いている状況とは、全然ちがっていた。……とは思うのです。

 しかしです。『新潮』昭和18年/1943年4月号の「文藝時観」担当者が、こんなことを言っているので、ワタクシは驚きました。第16回(昭和17年/1942年・下半期)の直木賞は二つ、田岡典夫「強情いちご」、神崎武雄「寛容」、芥川賞のほうは倉光俊夫「連絡員」が選ばれた、だけど「私などコノ三篇の作品の中、一篇だつて讀んではゐないのである。」と言ったあとに、こう状況を嘆いています。

「これは必ずしも、私の不勉強のせゐばかりとは言へないやうに思ふ。つまり、現在のジヤーナリズムの機構が、發表だけは相當自由になつて來てゐるにもかかはらず、作品の價値評價といふ點になると、まつたく無關心で、放つたらかしておく有樣である。だから、眼ぼしさうな作品は、毎月毎月全部讀んで見るといふやうなことは、不可能であるし、どんな人の、どんな作品を讀んだらいいか分らない。」(無署名「文学賞と作品の評価」より)

 毎月毎月、数が多すぎて、何を読んだらいいかわからないよ、と。

 どこかに遠慮しているのか、はたまた本心か、「ジャーナリズムの機構が、発表だけは相当自由になって来ている」などと言っています。昭和18年/1943年の春に。ホントかよ、と思うんですけど、無署名氏はこう指摘するわけです。

 ――作品は続々と発表される。だけど、最近は文藝時評やらが書かれなくなってしまったので、何を手がかりに読んだらいいか途方に暮れる。何でもいいから読みたいと思ううちに、けっきょく、時が過ぎ去っていってしまう、という。

 はい、先生。質問があります。直木賞(と芥川賞)の受賞者の名前を聞いたことがなかった、作品も読んだことがなかった、といってなぜ、それが問題意識を駆り立てるんですか。いまと違って昔は、どちらも「新人賞」的な役割だったんじゃないんですか? 名前、聞いたことがなくて当たり前じゃないんですか。

 まったくです。それこそ「無名作家に与える」、っつってんですから、名前を聞いたことがないのがデフォルト、当ったりまえの自然な授賞でしょう。なのに、無署名さんは、田岡典夫の名は『博浪沙』誌上では知っている(けど、彼の大衆文学の作品などまったく読んだことはない)と言ったり、

「他の二氏(引用者注:神崎武雄と倉光俊夫)は、名前さへ私には初めてである。今までにも相當數の作品は書いて來てゐるのだらうし、どうも名前すら初めてのやうな気がするといふのは、よくないと思ふが、どうも仕方がない。」(同)

 と言ったりして、こういうことを「よくないと思う」としています。

 無署名さんの、戦争が始まるまでの読書行動がどんなものだったか、全然わからないので、推測で言いますけど、直木賞をとるような人たちの作品が、新聞の文藝時評で取り上げられるなんて、まずなかったわけですから、大池唯雄とか堤千代とか河内仙介とか木村荘十とか、受賞前に知っていたんでしょうか。つうか、昭和18年/1943年の段階に限らず、直木賞のほうには興味ないでしょ? 受賞した人が、全然自分の知らない人であったも、何の問題もないと思いますよ。

 すでに有名な人がとったらとったで文句言われる。逆に、新人賞的な認識が流布していたと言われる戦前戦中でさえ、無名な人がとったら、そのことでハナシのネタにされる。直木賞や芥川賞は、ほんとに、いつのいかなる時代であっても、何かケチをつけられるというか、一言口を挟まれる性質を変わらず持っているのだな、と知れて、嬉しくなりますよね。

 で、無署名さんは、小説の数が多すぎる、どれから読んでいいのか手立てがなさぎる、と文句タラタラ(?)述べていき、最後に、文学賞への期待を語ります。これはさすがに、現在では、堂々とこんな意見を言う人はいないかもしれません。

「それにしても文學賞は、一年に一度か二度のことではあつても、一種の文藝時評的な役割もしてくれるやうだ。單に優秀作品を表彰するといふだけではない。どの作品が、どの程度の價値を持つてゐるか? その評價を一般的にも知らせてくれるのである。

 現在の如く、文藝時評が行はれなくなつた時代には、せめて文學賞でも、たくさん設定されて、これが一種の文藝時評的役割をしてくれるやうになるといい。」(同)

 ひょっとすると、最も文学賞が求められていたのは、太平洋戦争中の、新聞もページ数が少なくなり、時評としての評論・書評が乏しくなった時代ではないのか、と思いたくもなります。ただ、文学賞にそんな期待に応えられるほどの素晴らしい能力があるはずもなく、文学賞はたくさんでき、昭和18年/1943年もいろんな「受賞作」が出ましたが、それが多くの人に読まれたかといえば、そんなことはない模様。残念なことでした。

 ちなみにいまは、直木賞の候補に挙がる作家といえば、多くの読者にすでに馴染みのある名前が多い、と言われていたりします。ただ、「朝井まかて」はもちろんのこと、「姫野カオルコ」ですら、直木賞を受賞するまでは、聞いたことがなかった(あるいは小説を読んだことがなかった)っつう人もたくさんいるみたいです。たぶん、知っていた人よりその人数は多いのでは。文芸界隈にいる人たち、読書を趣味としている人たちが思っているより、大半の日本人は、小説家の名前に興味ないし、小説も読まないんでしょうから、「今度、直木賞とった人、全然聞いたことない」っていう感想は、昭和18年/1943年からひきつづき、現在も健在なわけです。

 ……いや、無署名氏のような「文藝に関心のある」人とか、直木賞サイトやっている小説好きとかに、その人の作品はいままで読んだことない、と言われるような受賞者を出すのが、直木賞の理想だと思います。

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2014年6月 1日 (日)

「受賞者のその後は死屍累々」…『THEMIS』平成20年/2008年9月号「芥川賞の社会現象化とはしゃぐマスコミを叱る」加藤英太郎

■今週の文献

『THEMIS』平成20年/2008年9月号

「メディア一針 12

芥川賞の社会現象化とはしゃぐマスコミを叱る

受賞者の大半は消えている。栄光は一瞬のものだ」

加藤英太郎

 「直木賞に対する批判の系譜」、まず一発目はかなり新しめのところから行きます。平成20年/2008年9月、つまり第139回(平成20年/2008年・上半期)の結果が出た直後に書かれた文献です。

 コラムのシリーズ名や記事タイトルを見れば、ああ、メディア批判ですね、芥川賞に関するおハナシですね、っつう感じで、ワタクシたち直木賞ファンは鼻くそをほじりながら、悠然としていられそうなものですが、そうはいかない事態が待っています。加藤英太郎さんの筆が伸びすぎていて、直木賞にまで火の粉がふりかかってきているからです。背筋をのばしましょう。

 第139回っつうのは、アレです。例の楊逸さんが「時が滲む朝」で芥川賞の候補にあがり、その段階からメディアが踊り狂いはじめ、多くの人がその喧騒に眉をひそめるなかで、楊さんが受賞。北京オリンピック間近というタイミングだったために、中国人が~、母語を日本語としない人が初の~、日本の文学も国境を越えて~、これからの日本の文学は~、などなどの元気のいい中学校の文芸サークル誌みたいな文章がいろいろなところにお目見えし、完全に、メディアの芥川賞愛のすさまじさを露呈させた、あの回のことです。記憶に新しいです。

 いっぽう直木賞のほうは、といえば、受賞者が母語を日本語とする純正・日本人、受賞作の舞台は九州の離島、夫ある女性を中心とした、派手な事件も起こらない地道で地味な物語。とくれば、井上光晴さんの長女! といったところで、光晴さんがもはや派手に取り扱われる人物でもないので、「今度の直木賞は盛り上がらない」などと、これまた、各所で声があがりました。

 両賞、同じ日に同じ会場(の一階と二階)で決まる、同じ主催者の賞、っつうこと以外、あまりに違いすぎます。ワタクシも正直、いまここで並べて語ってしまっていることに違和感と、恥ずかしさを覚えます。

 でも、この記事を書く加藤さんの筆から、あまり恥ずかしさは感じられません。堂々とさえしています。

「芥川賞と直木賞は、日本文学に貢献した大作家を何人も生んできた。その功績はあるが、一方で受賞者の大半が無残な屍を晒しているのも事実である。受賞者は1年で最大8人だが、毎年、そんなに有望な新人や将来の大家が発掘されるわけがない。

 1作だけで消えた人、週刊誌のライターをしたり、ペンネームでポルノ小説を書きまくって糊口をしのいでいる人は何人もいる。昨年の受賞者の名前すらもう忘れられている!」(加藤英太郎「芥川賞の社会現象化とはしゃぐマスコミを叱る」より)

 と、これは、「時が滲む朝」の芥川賞受賞を、各紙があまりに褒めすぎの社説を並べていて、どう見ても騒ぎすぎだ、とした次の段落です。それまで「芥川賞報道」のことを言っていたのに、何の説明もなしに、いきなり「芥川賞と直木賞は」と、直木賞をひきずり出してきています。そして、両賞まとめて、受賞者の大半が無残な屍を晒している、というわけです。

 直木賞の受賞者の大半が無残な屍を晒している? だれのことですか。まさか、ひとつ覚えで河内仙介さんのこととか言い出すんじゃないでしょうね。

 だいたい、受賞者の名前が忘れられていること(忘れる人が多いこと)に、何の問題があるんでしょうか。「!」マークつけるところですか、そこ。

 忘れられる作家を「無残」だと思うのは、ひょっとして加藤さん自身の価値観なのかもしれず、ワタクシは全然、そうは思わないので、その点は直木賞(と芥川賞)に肩入れしたくなります。まず、ジャーナリズムで活躍できない作家を「無残」だ、っつうその感覚を、どうにかしたほうがいいんじゃないでしょうか。それは直木賞・芥川賞の問題じゃなく、賞の現象を受け取る側の問題のはずです。

 この先、コラムの文章は、「芥川賞」単独への批判を大きく外れ、文学賞全体、もしくは「芥川賞と直木賞」は、まったく厳正に決められているものじゃない、みたいなハナシになだれ込んでいきます。

 とにかく、忘れられた受賞者が多い、云々と、これが加藤さんの思いの根底に根強く張っているらしく、具体的な作家名をまったく挙げないままで、芥川賞プラスついでの直木賞、批判は続いていくのです。

「芥川賞と直木賞受賞者のその後を追うと、死屍累々である。作家の真の価値を決めるのは、受賞作がもたらした一瞬の輝きではなく、その後に生み出された作品によってである。

 受賞人気など長続きはしない。名前が売れ、少しカネが入ったからといって、酒、女、遊びにうつつを抜かして精進を怠っていると、読者も編集者もたちまち離れてゆく。バーなどで「先生っ」と呼ばれてやに下がっているうちに忘れ去られた作家は何人もいる。」(同)

 ワタクシも、直木賞受賞者のその後をけっこう追っているクチだと自負していますが、酒場で「先生」と呼ばれて、いい気になったことが原因で、そのうち小説執筆が続かなくなった受賞者など、ほとんど思いつきません。加藤さんがどれほど、直木賞について詳しいのか、このコラム一本ではわからず、受賞後に残した小説が少ないあの人やこの人(……と濁しても仕方ないので実名を挙げますが、森荘已池さんとか佐藤得二さんとか千葉治平さんとか中村正軌さんとか青島幸男さんとか森田誠吾さんとか)が、そういう理由で作品数が少なくなったのだ、と言い張るのであれば、その辺の事情をご教示願いたいものです。

 ……いや、ただ、仮にその全員がそうだったとしても、「直木賞受賞者の大半」と表現するのは、どう見たって無理があります。

 文学賞を受賞した人は、その後、商業小説の世界で忘れられずに作家活動を続けられなければならない、とくに芥川賞・直木賞は(その賞の名前はみんなが知っているので)そうだ、っつうのは、ほぼ幻想だと思います。幻想の意味は、はなっから無理なことに対して希望・期待を持ちすぎている、ってことです。

 そして、直木賞の受賞者はほとんどは、そりゃ何十年もたてば、(受賞者に限ったことじゃなく、クソもミソも)商業の世界からは忘れ去られていきますが、ビジネスを離れれば全然そんなことはありません。まず忘れ去られた直木賞受賞者など、いないと思います。

 しかし、なぜ「直木賞受賞者は忘れ去られる」と、事実と反したようなことを言いたがるのか。

 ひとつには、受賞後にガーっとマスコミが取り上げ、名前・顔・受賞作品などがいっとき、商業の世界に大量に現われる影響が大きいんじゃないでしょうか。だから、その人たちを、商業小説界で見なくなると、(他の分野に邁進していたり、同人誌などで小説修業に打ち込んでいることには目を向けず)「忘れ去られた」とうっかり言ってしまう。……要は、受賞をことさら大量に取り上げてはしゃぐマスコミ、を批判しているようでいて、じっさいは、そのマスコミのはしゃぎ方に影響されて物事を判断しているだけじゃん、と思えちゃうわけです。

 あ、それと。多くの人にとって、芥川賞と直木賞は同じことだ、といった、これも大して根拠のない思い込みじみた観念が、しみついちゃっていることが、こういう批判を生む大前提なんでしょう。おそらくは。芥川賞受賞者は、その後活躍していない人が多い、よーし、勢いで直木賞もいっしょに語っちまえ、みたいな。まったく泣きたくなりますよ、ご同輩。

 直木賞受賞者のその後は死屍累々……ウソだと思います。

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第8期のテーマは「批判」です。直木賞に対して投げつけられてきた批判の数々――つまり、それがなくては「直木賞」たり得ない古今の発言を取り上げていきます。

 データベースサイト「直木賞のすべて」のオマケとして始めたブログ「余聞と余分」ですが、この5月で8年目に突入しました。

 こないだの第150回は記念回でしたので別だったといえ、通常、直木賞のことは1月・2月か、7月・8月ぐらいしかニュースになりません。ワタクシは、四六時中直木賞に触れていたい病気の末期患者なので、どんな季節でも直木賞のことばかり書きつづけるブログがあったっていいじゃないか(あってほしい)、と思い、やっています。

 反省点もあります。あまりに直木賞を取り巻くあれこれが面白すぎて、ついのめり込みすぎ、ほとんど毎日、このブログを書くために生活しているような時期もありました。途中、芥川賞の歴史を本にする、などという悪魔しかやらないような罪を犯して、本来、直木賞のために割くべき時間をふんだんに失ったときもあり、あるいはこういうブログを長年続けたおかげで、直木賞の歴史を本にするときには、苦もなく(……ってほどでもないけれど)原稿をつくることができた反面、ずっと、なぜかブログをおろそかにしてはいけない、と思い込み、空いた時間をすべて直木賞の本とブログに注ぎ込んだ結果、完全なる生活破綻の道を突き進んでしまいました。

 サブであるはずのそういった業務にかかずらっているあいだ、本体の「直木賞のすべて」はメンテナンスするのが精一杯でした。いかんいかん。ということで現在は、Twitterなどもお休みして、本体サイトへの情報充実のために動いており、全然、生活破綻から脱け出すところには結びついていないんですけど、まっとうな直木賞オタクを目指したいと思っています。

 で、8年目の「余聞と余分」のテーマなんですが、余聞であり余分(にすぎない)、っつう原点に立ち返りつつ、データベースサイトではなかなか表現しづらい事象に光を当てることにしました。直木賞が創設以来さまざまに受けてきた(いまも受け続けている)内部・外部からの批判・非難・悪罵・雑言について、です。

 うちのブログを読んでくださった人はおわかりかと思いますが、ワタクシは直木賞のファンです。具体的に直木賞の何に対するファンかといえば、直木賞全体であり、その中核にあるのは「直木賞の選考・存在に対して行われてきた、あらゆる人たちの発言」が大好きだ、ということです。そんなの当然でしょと思って、はしょって「直木賞ファンです」「直木賞が好きです」などと言っていると、どうやらそう受け取ってくれない人がけっこういる、ってことを、二つの本を出して実感したもので、改めて明言しておきます。

 なかでも、直木賞を糾弾するような悪口が、大好きです。なにしろ面白いからです。

 何が面白いかといえば、鋭い指摘のなかに、テキトーなイメージしか持たずマト外れに声高に批判している、そういう文章がまぎれている確率が異常に高く、その愚かさが堪らなくキュートなんですよね。芥川賞の歴史や、直木賞の歴史を本にする際を含め、いろいろと調べるなかで、そんな文章を山ほど見てきました。やむを得ず、本では紹介できなかったものもたくさんあるので、8年目は、それらのキュートな悪口を取り上げていきたいと思います。

 「直木賞に対する批判の系譜(あるいは、とばっちりの歴史)」です。……とばっちり、というのは、ほんとうは芥川賞に対して言いたい批判が、なぜか直木賞のほうにも向けられる、という構造が、そういう批判文のスタンダードと化しているからです。

 ずいぶんと昔の文献も紹介すると思いますが、ちょっとネットサーフィンしてみれば、平成26年/2014年のいま、似たような悪口がいまだに数多くやりとりされている場面に出会えるに違いありません。どうですか、この面白さ! 何と直木賞(を形成する周辺事項)は魅力的なんだ! ……ワタクシは正直、生涯、直木賞ファンをやめることができそうにありません。

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