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2014年6月 8日 (日)

「初めて名前を聞くような作家がとった」…『新潮』昭和18年/1943年4月号「文学賞と作品の評価」無署名

■今週の文献

『新潮』昭和18年/1943年4月号

「文藝時観

文学賞と作品の評価」

無署名

 昭和18年/1943年、というと70年ほど前。ワタクシは生まれていません。なので、当時の直木賞発表が、どのように波紋を投げかけ(もしくは無視され)、どのように受け取られていたのか。よくわかりません。

 ものの本によれば、戦争中は徐々に、出版に関する制限も多くなり、またじっさいに、戦前はずっしり&ぎっしり重みのあった『オール讀物』や『文藝春秋』も、そのころの号を比較してみれば一目瞭然、たしかにページ数は激減して薄くなっています。当然、一般に発表される小説の数も少なくなったはずです。いまのように「点数だけはたくさん小説が出ているけど、氾濫しすぎて何を読めばいいのかよくわからん」といったような、情報の洪水を浴びる多くの人たちが、なかば嬉しそうに愚痴を叩いている状況とは、全然ちがっていた。……とは思うのです。

 しかしです。『新潮』昭和18年/1943年4月号の「文藝時観」担当者が、こんなことを言っているので、ワタクシは驚きました。第16回(昭和17年/1942年・下半期)の直木賞は二つ、田岡典夫「強情いちご」、神崎武雄「寛容」、芥川賞のほうは倉光俊夫「連絡員」が選ばれた、だけど「私などコノ三篇の作品の中、一篇だつて讀んではゐないのである。」と言ったあとに、こう状況を嘆いています。

「これは必ずしも、私の不勉強のせゐばかりとは言へないやうに思ふ。つまり、現在のジヤーナリズムの機構が、發表だけは相當自由になつて來てゐるにもかかはらず、作品の價値評價といふ點になると、まつたく無關心で、放つたらかしておく有樣である。だから、眼ぼしさうな作品は、毎月毎月全部讀んで見るといふやうなことは、不可能であるし、どんな人の、どんな作品を讀んだらいいか分らない。」(無署名「文学賞と作品の評価」より)

 毎月毎月、数が多すぎて、何を読んだらいいかわからないよ、と。

 どこかに遠慮しているのか、はたまた本心か、「ジャーナリズムの機構が、発表だけは相当自由になって来ている」などと言っています。昭和18年/1943年の春に。ホントかよ、と思うんですけど、無署名氏はこう指摘するわけです。

 ――作品は続々と発表される。だけど、最近は文藝時評やらが書かれなくなってしまったので、何を手がかりに読んだらいいか途方に暮れる。何でもいいから読みたいと思ううちに、けっきょく、時が過ぎ去っていってしまう、という。

 はい、先生。質問があります。直木賞(と芥川賞)の受賞者の名前を聞いたことがなかった、作品も読んだことがなかった、といってなぜ、それが問題意識を駆り立てるんですか。いまと違って昔は、どちらも「新人賞」的な役割だったんじゃないんですか? 名前、聞いたことがなくて当たり前じゃないんですか。

 まったくです。それこそ「無名作家に与える」、っつってんですから、名前を聞いたことがないのがデフォルト、当ったりまえの自然な授賞でしょう。なのに、無署名さんは、田岡典夫の名は『博浪沙』誌上では知っている(けど、彼の大衆文学の作品などまったく読んだことはない)と言ったり、

「他の二氏(引用者注:神崎武雄と倉光俊夫)は、名前さへ私には初めてである。今までにも相當數の作品は書いて來てゐるのだらうし、どうも名前すら初めてのやうな気がするといふのは、よくないと思ふが、どうも仕方がない。」(同)

 と言ったりして、こういうことを「よくないと思う」としています。

 無署名さんの、戦争が始まるまでの読書行動がどんなものだったか、全然わからないので、推測で言いますけど、直木賞をとるような人たちの作品が、新聞の文藝時評で取り上げられるなんて、まずなかったわけですから、大池唯雄とか堤千代とか河内仙介とか木村荘十とか、受賞前に知っていたんでしょうか。つうか、昭和18年/1943年の段階に限らず、直木賞のほうには興味ないでしょ? 受賞した人が、全然自分の知らない人であったも、何の問題もないと思いますよ。

 すでに有名な人がとったらとったで文句言われる。逆に、新人賞的な認識が流布していたと言われる戦前戦中でさえ、無名な人がとったら、そのことでハナシのネタにされる。直木賞や芥川賞は、ほんとに、いつのいかなる時代であっても、何かケチをつけられるというか、一言口を挟まれる性質を変わらず持っているのだな、と知れて、嬉しくなりますよね。

 で、無署名さんは、小説の数が多すぎる、どれから読んでいいのか手立てがなさぎる、と文句タラタラ(?)述べていき、最後に、文学賞への期待を語ります。これはさすがに、現在では、堂々とこんな意見を言う人はいないかもしれません。

「それにしても文學賞は、一年に一度か二度のことではあつても、一種の文藝時評的な役割もしてくれるやうだ。單に優秀作品を表彰するといふだけではない。どの作品が、どの程度の價値を持つてゐるか? その評價を一般的にも知らせてくれるのである。

 現在の如く、文藝時評が行はれなくなつた時代には、せめて文學賞でも、たくさん設定されて、これが一種の文藝時評的役割をしてくれるやうになるといい。」(同)

 ひょっとすると、最も文学賞が求められていたのは、太平洋戦争中の、新聞もページ数が少なくなり、時評としての評論・書評が乏しくなった時代ではないのか、と思いたくもなります。ただ、文学賞にそんな期待に応えられるほどの素晴らしい能力があるはずもなく、文学賞はたくさんでき、昭和18年/1943年もいろんな「受賞作」が出ましたが、それが多くの人に読まれたかといえば、そんなことはない模様。残念なことでした。

 ちなみにいまは、直木賞の候補に挙がる作家といえば、多くの読者にすでに馴染みのある名前が多い、と言われていたりします。ただ、「朝井まかて」はもちろんのこと、「姫野カオルコ」ですら、直木賞を受賞するまでは、聞いたことがなかった(あるいは小説を読んだことがなかった)っつう人もたくさんいるみたいです。たぶん、知っていた人よりその人数は多いのでは。文芸界隈にいる人たち、読書を趣味としている人たちが思っているより、大半の日本人は、小説家の名前に興味ないし、小説も読まないんでしょうから、「今度、直木賞とった人、全然聞いたことない」っていう感想は、昭和18年/1943年からひきつづき、現在も健在なわけです。

 ……いや、無署名氏のような「文藝に関心のある」人とか、直木賞サイトやっている小説好きとかに、その人の作品はいままで読んだことない、と言われるような受賞者を出すのが、直木賞の理想だと思います。

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