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2014年4月13日 (日)

桐野夏生〔選考委員〕VS 高野和明〔候補者〕…選評とは、選考経緯を書く場ではなく、作品評をするところ。

直木賞選考委員 桐野夏生

●在任期間:3年半
 第144回(平成22年/2010年下半期)~第150回(平成25年/2013年下半期)在任中

●在任回数:7回
- うち出席回数:7回(出席率:100%)

●対象候補者数(延べ):39名
- うち選評言及候補者数(延べ):38名(言及率:97%)

 恐ろしいです、桐野夏生さん。

 いや、桐野さん本人が恐ろしいのではなく、桐野さんの文学賞受賞遍歴が。平成15年/2003年泉鏡花文学賞(『グロテスク』)、平成16年/2004年柴田錬三郎賞(『残虐記』)、平成17年/2005年婦人公論文学賞(『魂萌え!』)、平成20年/2008年谷崎潤一郎賞(『東京島』)、平成21年/2009年紫式部文学賞(『女神記』)、平成22年/2010年島清恋愛文学賞&平成23年/2011年読売文学賞小説賞(『ナニカアル』)。……ワタクシだけがひとり怖がっているのかと思っていたら、桐野さん自身も、やはり、

「'03年に『グロテスク』で泉鏡花文学賞を受賞してからは、今日に至るまで、本人が「順調すぎて怖い」と言うぐらい毎年のように何らかの文学賞を手にしている。」(『週刊現代』平成23年/2011年3月19日号「The Target 桐野夏生 作家の矜持」より ―文:一志治夫)

 と言って怖がっていました。

 こうなってくると、当然、直木賞側としても放っておけません。選考委員就任の打診が桐野さんのもとに飛んでいき、平成23年/2011年1月の第144回(平成22年/2010年下半期)から、伊集院静さんとともに、新しく選考委員会に参加することになります。上記の『週刊現代』の記事は、その最初の選考会まもなくだったこともあって、「直木賞選考委員」桐野さん、の姿も少し紹介してくれています。

 「大いに議論したい」と張り切る桐野さんです。

「そんな超多忙で過酷な日々にもかかわらず、今年から直木賞の選考委員を引き受けた。

「もともと私は理屈っぽい。議論好きなんです。選考会では選考委員が大いに議論をするのだろうと思って臨んだんですけど、最初ですので、私は意見を表明するに留まりました(笑)。選考自体は、他の作家の本を読む機会が増えて嬉しいです。いまの作家の書くものの潮流や動向を常に注意しておきたいと思います。また、どういうものが、どういうふうに売れているのか、すごく興味深い」」(同)

 真剣で、まじめな感じが伝わってきます。それで現在のところ、まだ就任して4年足らずですが7度の選考会に臨んだ計算になります。選評を読むかぎりでは、おおむね桐野さんが大反対するような作品が受賞した例は見当りません。桐野さんがしっかり読み込んで(?)票を投じ、しかしそれでも「最近の直木賞受賞作は、低調の一途だ」などと語る世間の声は増すいっぽう。もうもはや、誰が選考委員になろうが、直木賞に対する悪評がなくなることなど、未来永劫ないんじゃないのか、と思ったりもします。「直木賞」というだけでクソミソにけなそうとする攻撃は、いつの時代も盛んですからね。その火の粉が、桐野さんやその作品に降りかからないよう、祈るばかりです。

 とまあ、桐野さんはどう言われようが、何も気にしちゃいけないでしょうけど。

(引用者注:平成23年/2011年の)10月に桐野は還暦を迎える。

「歳を取ることによって、体力は前より落ちますね。でも、人間て不思議。その代わり、結構冴え渡るところもあるんですね。前よりも、嫌なものを我慢しなくなりました。すぐに切り捨てられるし、自分の仕事のテンションが落ちるようなものはすべて遠ざけようと思う。ものすごく自分が強くなって、はっきりしてきている。以前よりもさらに。自分でも恐ろしいくらいですよ」」(同)

 世間の声を気にしないのが、直木賞選考委員としての鉄則でもありますからね。まったく桐野さんにはお似合いの役目・役柄だと思います。

 で、この『週刊現代』ではまったく注目もされていないんですが、桐野さんは、直木賞よりちょっと前、山田風太郎賞の選考委員も引き受けています。平成22年/2010年秋に始まった、直木賞にも似た(酷似した)角川書店の賞です。就任期間は、たったの2年間だけでした。

 奇しくもこの2年は、あれです。『悪の教典』と『ジェノサイド』という、直木賞史上でも問題作と呼べる2つの作品が、ともに山風賞(&このミス1位)をとったときです。山風賞も、いったいどんな賞になるのやら、っていうワクワク感が年々しぼみ、「受賞作だからといって売れるわけでもなし、続ける意味が見つからん」みたいな展開になって、10年ぐらいで「役割を終えた」とコメントを出して終わっちゃうんじゃないだろうな、と不安を覚えつつ、桐野さんの山風賞選評と直木賞のそれを見比べてみます。

 貴志祐介『悪の教典』に対しては、こうでした。

「栄えある初回、山田風太郎の名に相応しい大作を選ぶことができて満足している。(引用者中略)

「B級ホラー」に徹して書いた凄みが横溢している。その作業は、大変に難しいと思われるが、著者は乱暴に見えるほどの揶揄を込めた表現で、うまく外して書いている。最後までノンストップで読ませ続けるパワーは破天荒だ。ご受賞を心から喜びたい。

 ただ、主人公が共感能力が欠如している、という設定は必要だったのだろうか。この「理」が、「悪」を感じさせないのだ。説明しようのない存在である方が、よりリアル、かつ読者を震撼させる真の悪漢小説になったのではないかと思わなくもない。すると、選考会で、「悪事を書いているが、悪は書いていない」という指摘があった。なるほど。「悪事小説」なのだと思ったら、賦に落ちた。」(『小説野性時代』平成23年/2011年1月号 桐野夏生「破天荒のパワー」より)

 「理」を語る小説はつまらない、っつうおハナシが飛び出しています。桐野さんの小説観のひとつとして、おなじみです。もう、それこそ『江戸川乱歩賞と日本のミステリー』の関口苑生さんとのバトル「ミステリーと弁当箱」論争(……って論争になっていたっけ?)あたりでも垣間見えていましたけど、桐野さん自身、理の小説(ミステリー)からの脱却・脱皮という道を歩んだ方でした。

「まぁ、短編も長編も書き続けるわけですが、理に落ちるのだけはやめようかなって。こうなって、こうなって、最後、ああ、カタルシスみたいな、そういうものはやめようって。なぜやめようかって思ったかというと、私、そういう話、おもしろくないんですよ。生きてる人って、理に落ちないじゃないですか。なのにミステリでデビューして、必ず理に落ちなきゃだめだって、前は思いこんでいて、そういう反省を込めて、理に落ちない物語を書こうと思っていますね、いまは……。」(『宝石』平成10年/1998年11月号「笑ってタラタラ生きていくほうがいい ハードボイルド主婦作家 桐野夏生」より ―インタビュー・構成:山田陽一)

 このインタビューは、直木賞でいうと『OUT』で落選して、『柔らかな頬』で受賞する、ちょうど中間ぐらいの、『柔らかな頬』をせっせと書き直しているぐらいの時期のものです。あれですね、直木賞の選考委員をはじめ、いろんな読者たちから、後半のあの展開が意味わからん、とか、死体処理とか自分でできもしないことを、あんなふうに書くもんじゃないか、とか、さんざん言われて桐野さん、怒った時期ですね。「理」で説明されたものしか評価しないなんて、何と、イヤだわ、と。

 『悪の教典』に戻りますと、山風賞では授賞しましたが、ごぞんじのとおり直木賞では落選します。桐野さんですが、他の候補作に比べて、この作品を評価する言葉で貫きました。

「『悪の教典』は、あるコンセプトのもとに、強い気持ちで書かれた画期的な作品である。つまりは、文体もスピードも内容もトーンも、すべてをB級ホラーに徹しようというコンセプトに準じているのだ。「蓮実は遠い目をした」「蓮実は爽やかな弁舌をふるった」等の乱暴な描写、決まり切った台詞、滑るギャグ。できるようでできない力業であるし、好悪を超えて評価されるべき仕事だと思う。言い換えれば、この世にまったく適応できない「共感性の欠如した」主人公のサバイバル話でもある。表現の自由が狭まりつつある現在、意義ある仕事だと思う。」(『オール讀物』平成23年/2011年3月号 桐野夏生「選評」より)

 「好悪を超えて評価されるべき」のあたりに、桐野さんの思いがこもっている、と読みました。『OUT』が直木賞と吉川新人賞を落選したことを「その「反社会性」とやらで、メジャーの賞から弾き出されたのだ」(「『OUT』という名の運命」より)と受け止めていた桐野さんですもんね。あれ、『OUT』が選ばれなかったのって、ほんとにそんな理由でしたっけ……? と思わないでもないですが、桐野さん自身がそう感じているのですから、いいでしょう。

 ハナシは、次の第145回(平成23年/2011年上半期)へとつづきます。

          ○

 第145回です。奇しくも桐野さんと同じ乱歩賞出身作家、高野和明さんの『ジェノサイド』が、他のどの賞より もまず先に、平成23年/2011年夏の、直木賞で候補になりました。

 『ジェノサイド』。いくつかの賞は、きっとこれを選ぶだろう、だけど、まず直木賞はこれを採るまい、などと言われました。じっさい、その通りになり、直木賞の「孤立感」甚だしい回だったわけですが、桐野さんはどう出たか。

 映像的すぎて小説っぽくない、とかそんな無粋なことは申しません。

 山風賞での選評でもそうでしたが、直木賞のときも、桐野さんは選評に、何だかんだと尾ひれはひれをつけない人です。それどころか、自分が何を推したか、みたいな、選考経緯に関するハナシすら、明確化しません。作品を読んでの、いい点、もう少しこうなったらいいのに、という点を綴って、それで終わります。選評は作品評を書く場なんだからそりゃそうでしょ、っつう正論で推し通す堅苦しいほどにまじめな方です。

「「ジェノサイド」

 力作である。テーマもディテールも面白かった。「すべての生物種の中で、人間だけが同種間の大量殺戮を行なう唯一の動物」。この定義に抗うために、物語は進んでいく。知能の優れた新種の生物の出現。難病の特効薬の発明。新種の生物を抹殺しようとする大統領。しかも、現場はこの世の地獄である。手に汗握って読んでいるうちに、物語の収束点が見え過ぎてスリルが失われる。新薬は生まれ、新種の生物は助かるだろう、と。彼らがどんな生物なのか、また日本にいる生物はどうなのか、もっと知りたかった。興味深いテーマだけに、この作にとどまるのは惜しい。是非、続編を読みたい。」(『オール讀物』平成23年/2011年9月号 桐野夏生「選評」より)

 その年の秋、第2回山風賞では、大本命として『ジェノサイド』が候補になり、選考会満場一致で授賞が決まって、そりゃとりますよね、と納得の展開になったのでした。

 ちなみに、『小説野性時代』での桐野さんの選評はこんな感じ。もちろん直木賞のときと、ほとんど同じ評価をくだしています。テーマとディテールを賞讃し、終盤のあたりを問題視し、それと欲張りな注文を出しているところ、など。

「この作品は質、量、テーマともに、他を圧していた。即ち「すべての生物の中で、人間だけが同種間の大量殺戮を行う唯一の動物」、この定義に抗うために物語は進んでいくのだが、大きなテーマであるにも拘わらず、はっとするような鮮明なディテールが随所に挟まれて、小説としての「活き」がよかった。これが、真のエンタメ魂であろう。しかし、終盤、広がった物語をうまく畳もうとするためか、そのバランスがややもすると崩れて、物語だけが突っ走る傾向にある。欲を言えば、人類を超える知能を有するヌースたちの、真の能力がどこまであるのかを知りたかった。つまり、ヌースの限界、あるいは弱みも知りたいのである。」(『小説野性時代』平成23年/2011年12月号 桐野夏生「真のエンタメ魂」より)

 「他を圧していた」と書いてあるし、また選考会では全会一致の授賞賛成だったそうで、おそらく桐野さんは山風賞では『ジェノサイド』を推したのだと思います。では、直木賞ではどのくらい、『ジェノサイド』に点をつけたのか。授賞させたいと思ったのか思わなかったのか。これは、よくわかりません。

 そんなこと、選考会に参加していない人たちにわかってもらう必要がない、ってことかもしれません。選評としては、はっきり言って面白みに欠けますよね。

 ただ、文学賞の選評に面白みなぞを求めるほうが、どうかしている狂人です。桐野さんの姿勢のほうが断然正しいと思います。

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