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2014年2月 2日 (日)

池波正太郎〔選考委員〕VS 落合恵子〔候補者〕…臆せずに迎合せずに、賛成か反対かをはっきり言う。選考委員として当然のこと。

直木賞選考委員 池波正太郎

●在任期間:通算5年半
 第86回(昭和56年/1981年下半期)~第96回(昭和61年/1986年下半期)

●在任回数:11回
- うち出席回数:11回(出席率:100%)

●対象候補者数(延べ):80名
- うち選評言及候補者数(延べ):38名(言及率:48%)

 在任期間わずか5年と半。それなのに選考委員としての池波正太郎さんには、とかく多くのエピソードが残されています。さすが池波さんです。その作家的ネームバリューはハンパありません。

 なかでも、ゴシップマニアがまず喰いつくのは、もちろん、池波さんが授賞に猛反対したことで物議をかもした、いくつかのハナシでしょう。

 有名なものには、昔の仲間・胡桃沢耕史さんを認めず、しかも胡桃沢さんが調子に乗ってアレコレとマスコミに語るもんだから、その姿に激怒したこと。あるいは隆慶一郎さんに反対票を投じたために、ほとんど池波さんのせいで落とされた、みたいに尾ひれはひれが付いて言いふらされたこと。……この二大エピソードについては、うちのブログでも何度か取り上げました。よって割愛します。

 池波さんのような、すぐにカッとする怒りんぼで、好き嫌いがハッキリしていて、しかもそれを隠しておけない人は、どうしても目立ちます。しかも有名作家、と来てますから、ゴシップネタになるのも自然なことです。

 ええと、「割愛します」と言っておいて何なんですが、胡桃沢さんとの因縁について、ひとつだけ触れます。この事件は胡桃沢さん本人をはじめ、いろんな人が証言しているんですが、池波さんのことを語らせたら日本で1000位以内に入る(はずの)重金敦之さんの解釈が、なかなか面白いのでぜひ紹介させてください。

「ちょっとした言葉の行き違いからだろうが、(引用者注:第89回の胡桃沢耕史への)授賞式の壇上で挨拶をする胡桃沢氏の真下で、池波さんは拳を握り締め、仁王立ちになって睨み続けていた。後日、「余計なことを言ったら殴りかかろうと思っていた」と私に語ってくれた。不測の事態が起こったら、池波さんを後ろから抱きかかえて止めなくては、と文藝春秋の菊池夏樹さんがぴったり張り付き、当時の藤野健一「オール讀物」編集長も張り込みの刑事のように傍らで見張っていた、という。話が逸れた。どうも池波さん自身も、そんな「騒動」を楽しんでいたところがあったのかもしれない。(平成21年/2009年12月・朝日新聞出版刊 重金敦之・著『小説仕事人・池波正太郎』より ―太字下線部は引用者によるもの)

 ほほう。もしも、ほんとに楽しんでやった部分があったのだとしたら、まったく池波さんも人が悪いですね。……いや、旺盛なサービス精神と言うべきでしょうか。このあたり、第150回までで役目を終えた渡辺淳一さんにも似通ったものを感じてしまいます。

 渡辺さんといえば、30年以上選考委員をやっていた方ですから、池波さんとも選考会でいっしょだった時期があります。池波さんとはどんな委員だったのか。渡辺さんが証言してくれている文章がありますので、うかがっておきましょう。

「昭和五十八年、わたしが直木賞の選考委員になって選考会場でご一緒することになったが、池波さんはあまり口数の多いほうではなかった。ことさらに論理的ではないが、思ったことを短く、さらりと触れる。

 誰の作品であったか、いささかどぎつくて池波さんは反対されたが、そのときも一言、「品がないねえ……」と、つぶやかれただけだった。

 論客ではないが、短い言葉のなかに存分の思いをこめられて、そっと告げる。」(平成10年/1998年5月・講談社刊『完本池波正太郎大成』「第四巻 月報」所収 渡辺淳一「横向きのポーズ」より)

 要するに、さまざまな直木賞選考委員のことを「小説を批評できない連中」と言いたくてウズウズしている、直木賞に対して過剰な期待を寄せる人たちにとっては、池波さんなど、かっこうの攻撃対象なんでしょうね。「論理的に批評できないやつが、偉そうに」とか何とか。ちなみにワタクシは、直木賞の場にカンペキな小説評論など必要ないと思っていますので、好悪の感情で推したり反対したりする委員がいても、べつにいいと思います。

 池波さんって、おれの意向どおりに当落が決まらないのは許さん! みたいなこと言ってエバりくさっていた人でもなかったようですし。気に食わないものは気に食わないと言う、好みの作家・作品は強力にプッシュする。でも、そのとおりに結果が出なくても、そこは受け止める。そのぐらいの節度はわきまえた委員でした。大のオトナですから、当たり前っちゃあ当たり前のことですけど。

「本音を言えばね、選考委員にはなりたくなかったんだよ。責任が重すぎるからね。でも引きうけたからには一所懸命やる。

(引用者中略)

いろんな雑誌の新人賞選考委員をやったけど、若い人の小説にはピンとこないこともあるね。でも、僕が全部を評価しなくてもいい。そのためにいろんなタイプの選考委員がいるんだから。」(『週刊文春』昭和56年/1981年9月3日号「ぴいぷる 選考委員 池波正太郎」より)

 そう、合議っていうことを、よくわかっていらっしゃる。

 しかも池波さんのイイところは、「みんなで決めるから」と周囲や時流になびいたりしなかった点です。推すものは推す、認めないものは認めない、とはっきり主張する。たとえば、受賞者のなかでは、光岡明『機雷』、神吉拓郎『私生活』、逢坂剛『カディスの赤い星』、常盤新平『遠いアメリカ』あたりをゲキ推し。対して、村松友視「時代屋の女房」、胡桃沢耕史『黒パン俘虜記』、林真理子「最終便に間に合えば」「京都まで」などは、まったく認めずに、選評でも酷評。とくに林真理子さんについては、池波さん自身も、自分は評価しないと〈公言〉していたそうです。

 選考会だけでコソコソ反対票を投じず、白黒はっきりとオモテに示すたあ、選考委員のカガミだ、池波さん。当然、彼が強力に推しながら、選に洩れた例もありました。赤瀬川隼さんの「捕手はまだか」「影のプレーヤー」という野球郷愁モノ、森瑤子さんの『風少女』などなど。そして、今日の「激闘史」はそのなかに属する、落合恵子さんのことで行きたいと思います。

 なにしろ池波さんも落合作品好き。落合さんも池波作品好き。相思相愛のおふたりでした。

 落合さんのことは、説明を要しますまい。作家になる以前から、言わずと知れた人気者で、昭和46年/1971年には処女小説を執筆している、っていうことが週刊誌記事になるほどでした(『週刊平凡』昭和46年/1971年9月16日号「意外!レモンたん落合恵子が初めて書いた大胆な小説」)。

 直木賞候補に挙がる前には、すでに月に250~350枚、月10本ほどの連載をもち、昭和56年/1981年から昭和57年/1982年には『氷の女』、『ザ・レイプ』と話題作を上梓して、当然、直木賞のほうからも手を出さなきゃいけない状況に。第88回(昭和57年/1982年・下半期)に『結婚以上』ではじめて予選を通過させます。

 このあと第96回(昭和61年/1986年・下半期)までの4年間で5度、候補に挙がるわけですが、そこにかならず選考委員のひとりとして待ち構えていたのが、池波さんでした。

          ○

 池波さんの選評は、すべての候補作に触れるスタイルではありません。受賞作と、そのほか自分の気になった作品にのみ感想を残す方式を採りました。なので落合さんの作品に対しても、評があったりなかったり。第88回の連作短篇集『結婚以上』には言及なし、第91回(昭和59年/1984年・上半期)短篇集『夏草の女たち』に好意的な評を書いたものの、第92回(昭和59年/1984年・下半期)短篇「聖夜の賭」ではふたたび評を省略、といった感じでした。

「落合恵子〔夏草の女たち〕も、前回の候補作にくらべると、文章の粗さも消えて落ちつき、素直に、好感のもてる短篇集となった。

 精進の結果であろう。

 落合さんの将来にも、私は期待している。」(『オール讀物』昭和59年/1984年10月号 池波正太郎「二人の女流への期待」より)

 このときの選評タイトルに注目してください。授賞した連城三紀彦さん、難波利三さんのことよりも、落合恵子さん、山口洋子さんっていう「二人の女流への期待」が、池波さんの思いとして強くあったんでしょう。マスコミに注目された“三人娘”の三人目、林真理子さんに関しては、もちろん(?)完全無視です。

 このあとです。池波さんと落合さんの二人が、はじめて直接対面する日が訪れます。ともに読売映画広告賞の審査員として、同席することになったんだそうです。

「池波先生に初めてお目にかかったのは、昭和五十九年(一九八四)の「読売映画広告賞」審査の席です。この頃、私は何年か続けて直木賞候補になっていましたが、ちょうどこの広告賞の日が、直木賞発表の翌日か翌々日。

 直木賞では池波先生が選考委員で、私は選評される側でしたので、落選直後の私に会うのを気まずく思っていらしたのでしょう。「申し訳ない」と近づいてこられ、「今度こそ頑張りなさい」と小さい声でおっしゃってくださいました。」(平成22年/2010年6月・朝日新聞出版刊『朝日ビジュアルシリーズ 週刊池波正太郎の世界24』所収 落合恵子「わたしと池波さん」より ―聞き手:角田麻子)

 さすがに、期待のまなざしをそそいでいた二人の作家のうちのひとり、ですからね。励ますのも、当然といったところでしょうか。池波さん自身、6度目の候補でようやく受賞した経験の持ち主で、落合さんは、何度も候補になりながらなかなか賞に結びつかない人。となれば、やさしく接しても、そりゃ不思議ではありません。

 そして直に面識を得てから、次の機会。第94回(昭和60年/1985年・下半期)に落合さんの『A列車で行こう』が候補になるんですが、いつものように池波さんは、自らの考える○×をキッパリと選評上に記します。自分は、林真理子さんなどよりも、落合さんの作品のほうを、明らかに賞にふさわしいものだと思う、と。

「今回の候補作七篇のすべてがそうではないが「大山鳴動して鼠一匹」というような小説が多かった。

 いかにもものものしくかまえ、サスペンスを駆使し、どんでん返しをたくらみ、その結果はどうかというと、ほとんどがコジツケになってしまい、感興を殺がれてしまう。

 落合恵子〔A列車で行こう〕は、多少の欠点はあるにしても、そうしたあざとさがなく、これまでの彼女の候補作の中では、もっともよかったと、私はおもう。ジャズ・スポットを中心にした構成もよく、ことに〔夢一夜〕の章がよかった。

 ゆえに落合さんと、森田誠吾〔魚河岸ものがたり〕を受賞作として推したが、落合さんには最後に票が足りず、実りがもたらされなかった。」(『オール讀物』昭和61年/1986年4月号 池波正太郎「大山鳴動……。」より ―太字下線部は原文傍点)

 「林さんが作家修業を経ていない、他の業界から来た人だから推さなかった」みたいな理由ではありませんので、そこんところ、林さん、よろしくご理解ください。

 いっぽう落合さんのほうは第92回、第94回、さらには第96回(昭和61年/1986年・下半期)と、3年連続で1月に開かれた選考会で候補に挙がりました。池波さんは、ベタベタと情実で動くような人ではありませんから(……たぶん)、3年目の第96回、あえて落合作品を推すことはなかったようです。

「今回は、はじめから逢坂剛〔カディスの赤い星〕と常盤新平〔遠いアメリカ〕の二作授賞と肚を決めて選考会にのぞんだ。

(引用者中略)

 落合恵子さんは、今度の〔アローン・アゲイン〕が五回目の候補作だったが、いかにせん、今回の小説はちからが弱かったと私はおもう。落合さんの場合は「これぞ」という作品を候補にしていただきたい。」(『オール讀物』昭和62年/1987年4月号 池波正太郎「バランスのよかった二作授賞」より ―太字下線部は原文傍点)

 「いや、さすがに常盤新平と落合恵子、顔見知りの作家ふたりを推したら、コネだ何だと文句が出るだろうから、ここは常盤への授賞を主張し、落合を推す力を控えたのに決まっている」などと、ゴシップ好きの人なら言い触らしそうなところではあるんですけど、根拠もなくそんなことを言ってはいけませんよ。……って、だれも、そんなこと言ってませんか。すみません、よけいなこと言いました。

 落合さんは結局、そのまま直木賞を受賞することないまま、物書きとして活躍しつづけます。のちに振り返って、落合さんがこの当時のことをどう語っているか、と言いますと、池波さんのことを語る場で、こんなふうに表現しました。あの頃は幸せだったのかもしれない、と。

「一年に一日だけのこの出会い(引用者注:読売映画広告賞の審査会)を、私もずいぶん楽しみにしていたものです。

(引用者中略)

 私が何度か直木賞のルーザーになっていた頃、「来年、いいことあるよ」と言ってくださるんですね。「確か去年も言われたけどなあ」とも思いましたが(笑)、その言葉の中に池波さんの温かい励ましの思いが隠されていて、とても大事なお守りをいただいたと思っています。敬愛する池波さんに、「よかったよ」と褒めていただきたいと思いながら小説を書いていられたあの頃は、幸せだったのかもしれません。」(平成20年/2008年5月・朝日新聞出版/朝日文庫 池波正太郎・著『ルノワールの家』所収 落合恵子×重金敦之「巻末対談 死の意識が生み出した生きる者への愛情」より)

 直木賞というと、〈受賞〉のことだと思い込んで、世の中ではその視点でばっかり言う人、ほんと多いです。だけど、直木賞がそれだけで成り立っているわけじゃないことは、いまさら言うまでもありません。落合さんが、特定の人に褒めてもらいたいと思って小説を書けていた、そんな時期をつくりだしたのが直木賞だったのだとしたら、直木賞としても幸せなことだったよなあ、と思います。

 池波さんはこの第96回でもって、委員を退任しました。上の対談では、落合さんがこんな指摘もしています。池波さんは昭和61年/1986年5月に母親を亡くしてから、いっそう自分に残された時間の少なさを意識したのかもしれない、と。たしかにそれから、読売映画広告賞の審査員も、それから吉川英治文学賞、直木賞の選考委員も辞めていきました。

 直木賞から去るときには、

藤沢周平君の読み方は間違いがないから安心して任せられる」(平成10年/1998年12月・平凡社/コロナ・ブックス『池波正太郎の世界』所収 重金敦之「池波正太郎交友録」より)

 と言い残したのだとか。

 池波さんの推したものが受賞したり、落選したり。逆に反対したものが落選したり、受賞したり。その意味で、池波さん本人は「エキセントリック」(by 胡桃沢耕史)なところがあったのかもしれませんけど、わずかな期間ながら、まっとうな選考委員人生を歩んだ人だと思います。……そう言っちゃうとツマんないですけど、でも、見るかぎり、そうとしか言いようがないんだからしかたありません。

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