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2013年11月 3日 (日)

松本清張〔選考委員〕VS 笹沢左保〔候補者〕…推理小説好きからの期待を一身に背負い、でもやっぱり、ふつうのひとりの選考委員。

直木賞選考委員 松本清張

●在任期間:19年
 第45回(昭和36年/1961年上半期)~第82回(昭和54年/1979年下半期)

●在任回数:38回
- うち出席回数:33回(出席率:87%)

●対象候補者数(延べ):296名
- うち選評言及候補者数(延べ):148名(言及率:50%)

 松本清張さんといえば、芥川賞から出てきた「文芸」派。……ではなくて、中間小説誌に盛んに時代物を書いていた新進の「時代作家」。……でもなくて、何つっても、『顔』の日本探偵作家クラブ賞受賞から『点と線』『眼の壁』の二大ベストセラーで知られるようになった「推理作家」として、直木賞の選考会で推理小説をしっかり評価してくれる立場を、期待されていたのだと思います。とくに、まわりでガーガーうるさい推理文壇の人たちからは。

 何といっても、直木賞における推理文壇の選考委員には、嫌われ者・木々高太郎さんしかいませんでしたから。小林信彦さんなどは、こう回想しています。

「一九六〇年前後のいわゆる〈推理小説ブーム〉のころ、推理小説では直木賞がとれないというのが常識であった。

 当時の関係者なら誰でも知っていることだが、戦前に直木賞を得た推理作家が選考委員にいて、推理小説を片っぱしから落とした。また、時代小説作家の選考委員は、推理小説などが幅をきかしては迷惑だというわけで目の仇にし、これでは推理作家は浮ばれない。

 記憶で書くが、佐野洋のいくつかの作品、樹下太郎の「銀と青銅の差」、笹沢左保の「人喰い」は、当然、直木賞を得てしかるべきもので、編集者だったぼくはヒフンコウガイしていた。(引用者中略)

 この〈推理小説暗黒時代〉でも、ミステリ的作品が直木賞を得ていないわけではない。ただし、多岐川恭の「落ちる」は〈奇妙な味〉小説として、黒岩重吾の「背徳のメス」は社会小説としての評価であり、戸板康二の「團十郎切腹事件」だけがパズラーだが、〈一流の劇評家の、余技とも思えぬ作〉〈歌舞伎の教養〉という付加価値が大であった。水上勉の「雁の寺」は〈文学性〉が評価された。

 広義のミステリ作家に直木賞があたえられるようになったのは、松本清張が選考委員になってからで、生島治郎(「追いつめる」)、三好徹(「聖少女」)、陳舜臣(「青玉獅子香炉」)、結城昌治(「軍旗はためく下に」)とあいつぐが、――「青玉獅子香炉」だけは読んでいない――いずれも、ミステリとしての評価ではなかったと思う。」(平成5年/1993年10月・本の雑誌社刊 小林信彦・著『小説探険』「13 ミステリが〈わからない〉ということ」より)

 あははは、相変らずの「小林信彦クオリティ」といいますか、ムチャクチャな見立てです。いかにも木々さんがいたから推理小説はとれず、松本さんが就任して以降は、そんなことはなくなかった、とでも言いたげな匂いが漂っていますけど、いやいや、そんなことはないです。「自分は当時、編集業界のなかにいたんだ」という自負だけを頼りにした人の陥るワナだと思います。

 だって松本さんは、ずいぶんと推理小説には厳しかった、と見えるんですよね。「この人には他にもっといい作品がある」と言って反対し、で、結局何度も候補になってから「当然授賞していい力量だ」などといって賛成する、別に他の委員とそう変わらない投票行動が多かった人です。もし、生島、三好、陳、結城の受賞を語るなら、それは松本さん以外の、直木賞の変化を語ったほうが、まだしもしっくり来ます。

 たとえば、こんな選評などは、多少木々さんより優しくなったように見えて、そのじつ、言っていることは大して違わないんじゃないか、という。第50回(昭和38年/1963年・下半期)戸川昌子『猟人日記』に対する松本さんの評です。

「文章的には最初の部分がいい。但し、犯人を隠しすぎたために、人物の性格が全然出てこない。」「意外性もなければいけないし、性格もはっきりと持たせなければならないところに普通の小説と違う推理小説の困難さがある。しかし、これを両立させるのが推理作家の宿命である。」(『オール讀物』昭和39年/1964年4月号より)

 あるいは、松本さんの影響を受けた「推理作家」のひとり、水上勉さんが第45回を「雁の寺」で受賞したのは、たしかに小林さんの指摘どおり「文学性」が評価されたからだと思います。このとき松本さんが、他の委員と違って水上さんの推理小説性を高く見ていたら、いやあ、松本さんすさまじい推理小説愛ですね、などとほのぼのできるんですけど、全然そうじゃないんですもん。それこそ、木々さんのお株を奪うがごとき「文学性」>「推理小説性」の選評を書いています。

「もとより、些少の瑕を指摘するのは容易だが、重量感がそれを圧している。ただ、小僧が和尚を殺す経過の裏の段になると、それまでの迫力が一挙に落ちてくるのは、いわゆる推理小説の持つ宿命的な欠陥であろう。」(『オール讀物』昭和36年/1961年10月号より)

 そして、木々高太郎さん、松本清張さん、という二人の選考委員が出ましたので、当然今日の「候補者」は笹沢左保さんしかいません。直木賞をとれなかった推理文壇の代表格、といいますか、直木賞をとれなかった売れっ子人気作家の代表格、としていまだに語り継がれ、「木々高太郎、殺す」の名ゼリフでおなじみの笹沢さんです。

 笹沢さんが「招かざる客」(のち『招かれざる客』)を書いて乱歩賞に応募しようと思うにいたった理由には、さまざまあるらしいですが、そのひとつには、やっぱ清張作品を読んでいたことがあったみたいです。

「松本清張の後に出て、それぞれに個性的な仕事を続けている佐野洋、結城昌治、三好徹といった小説家たちは、松本の作品を読みこむなかで、どんな形であるにせよ、学びとったものは少なくないのではないでしょうか。

 雑誌「EQ」No.38でも、「郷原宏のミステリー調書」のゲスト笹沢左保は、新鮮な文体と小説の持つリアリティに惹かれて清張のものは全部読み、「それが自分でも推理小説を書けそうだという強い刺激になったことは確か」だと言っています。」(昭和59年/1984年12月・光文社刊 安間隆次・著『清張ミステリーの本質』「第二部 さまざまの意匠」より)

 松本さんが選考委員になる一期前、第44回(昭和35年/1960年・下半期)ではカッパノベルスの『人喰い』がはじめて候補となり、このときは寺内大吉黒岩重吾の『近代説話』二人に受賞を持っていかれます。とくに黒岩さんの『背徳のメス』は、やはり小説の構造からして「推理小説」の一冊と言ってよく、これとの比較で票は積まれなかった、っていう観は否めません。……あれですか、推理文壇の人たちは、じゃあ、寺内さんを落として黒岩、笹沢の二者授賞にすべきだった、とおっしゃるんでしょうか。だとすれば、ずいぶんと我が畑かわいさの、自己中心的な主張ですよね。「推理小説では直木賞がとれない」とか、悲劇のヒロインを気取りながら、まあ傲慢ですこと。

 さて、推理文壇の救世主(のはずの)松本さんが、はじめて笹沢作品と選考会で対峙したのは、第46回(昭和36年/1961年・下半期)となります。このときは、松本さん、笹沢さんの『空白の起点』と、陳舜臣さん『枯草の根』、二作に対して厳しく接しました。

「推理小説の候補作二篇のうち「枯草の根」は、在日華僑の生活が出て珍しい背景設置であった。しかし、犯罪の点となると、案外に古めかしいトリックなどが使われて、現実性が失われたのは惜しい。「空白の起点」もいわゆる本格派のものだが、可能性の犯罪トリックに無理がある。また、このような作品は現在の状況からみて一応のレベルに達しているというだけで、直木賞に推すには力不足とったところだ。もっとユニークなものが欲しい。」(『オール讀物』昭和37年/1962年4月号 松本清張「淡彩の佳さ」より)

 この辺りまでは、ある意味、平穏だったかもしれません。ここから二度、笹沢さんは直木賞候補になるんですが、まるで松本さん、救世主になり切れず、笹沢さんとその周辺の編集者の心に、暗ーい怨念の火をともすことになるわけです。

          ○

 第48回(昭和37年/1962年・下半期)候補の「六本木心中」。笹沢さんの作品のなかでも、相当に評価も高く、ワタクシもこれで笹沢さんが受賞していてよかったとは思います。新保博久さんなんかは、候補に挙げたことだけで直木賞を評価してくれています。

(引用者注:笹沢左保の)第一の転機は、デビュー後二年の「六本木心中」(『小説中央公論』昭和三十七年五月)である。枚数の少ない短篇で推理小説の結構を整えるのに限界を感じ始めていた氏は、風俗小説的な方向に活路を見出そうとした。「六本木心中」が『人喰い』『空白の起点』に続いて三度目の直木賞候補になったことからも察せられるように、その試みは成功したが、(引用者後略)(平成8年/1996年3月・河出書房新社刊 新保博久・著『日本ミステリ解読術』所収「笹沢左保小論」より)

 この作品は、まわりの人もまず受賞するだろうと思っていたらしいです。青山光二さんは、木々高太郎さんや小島政二郎さんへの怨みも込めて、

「僕はいまでも『六本木心中』が候補作のなかでは突出していたと思うし、受賞しなかったのが不思議でしょうがない。逆に言うと、あんなうまい小説をよく落とせたなあと思いますよ」(大川渉・著『文士風狂録 青山光二が語る昭和の作家たち』より)

 と語り、あるいは文藝春秋新社の編集者たちもそう噂していた、と講談社の三木章さんは言います。

(引用者注:昭和37年/1962年)笹沢さんと鳥取へいったころには、新本格ミステリーの旗手、笹沢左保といわれていたが、めずらしく現代風俗小説を書いている。この作品は『六本木心中』で、好評をはくし、風俗小説を文学にしたともいわれた。直木賞候補になり、主催の出版社の編集者は直木賞まちがいなし、と断言していた。」(三木章・著『わがこころの作家』「入院中に推理を読みあさる 江戸川乱歩賞が欲しかった笹沢左保氏」より)

 つまり第48回山口瞳杉本苑子、どちらかを落とせ、っていう選択肢になるわけですね。ワタクシは「江分利満氏の優雅な生活」も『孤愁の岸』も、直木賞としてはなかなか面白い授賞ですから、どちらか一作をよけてまで「六本木心中」に、とは思いません。そもそも「六本木心中」が何で、初出時の昭和37年/1962年・上半期、第47回に候補に挙がっていなかったのだ、文藝春秋新社の下読み委員よ、しっかり初出のときに予選通過させてやれよ! と思うのみです。

 このとき笹沢さんを強力に援護したのが、松本さんでした。

「私は所用で旅行したため、書面回答になったが、これには笹沢左保氏の「六本木心中」と、山口瞳氏の「江分利満氏の優雅な生活」を推しておいた。

 笹沢氏の「六本木心中」は、氏の作品の中で最優秀とは云えないが、最近の氏の活動は職業作家として将来性ある才能を感じさせるに十分である。過去の作品が候補作品よりよかったという例は度々あるが、直木賞は芥川賞と違って、新進作家のそういう過去の業績をも含めて現在を評価すべきものだと思う。いうまでもなく笹沢氏はすでに流行作家だが、だからといって、受賞対象から外す理由はないように思う。」(『オール讀物』昭和38年/1963年4月号 松本清張「文体の清新さ」より)

 「プロとして活躍している作家に、わざわざ直木賞を与えるまでもない」というのは、結構この当時、直木賞の基本的な考え方としてありまして、それはそれで別に文句を言う筋合いでもないと思います。世の小説はすべて商業世界のなかで回っていて、そこに与えないのはおかしい、などと考えるほうが、それこそ傲慢ってもんです。ただ、プロ作家の人たちも、候補になっちゃったのなら、とりたい、と思うのが心情でしょう。ここら辺、落とした選考委員の責任というより、予選を担当する文藝春秋新社にもてあそばれている観がかなり強いです。

 以降、8年半。笹沢さんは一度も候補になることはありませんでした。このまま、そっとしておいてあげれば、直木賞をとれなかった推理作家、のお仲間で終わっていたに違いありません。ところが笹沢さん、「第二の転機」を切り開いてしまいまして、どうあっても直木賞に拒絶される作家の代名詞ともなってしまうのです。

 昭和45年/1970年、『小説現代』の企画で新・股旅小説を書いたところ、これが超ド級の当たりをとっちゃったんです。笹沢さんの小説だけ。

「肝腎の勝負どころは、小説の企画につきる。乏しい頭をいろいろめぐらせてみたなかに、戦前、流行した股旅小説の見直しがあった。(引用者中略)従来の股旅物でなく、ハードタッチな手法や感覚で、無法者の群れを扱ったらおもしろいのではないか、と思った。

 そこで何人かの作家に会って、こちらの意図を説明し、毎月一篇ずつ、〈新・股旅小説〉と銘打ったシリーズをはじめることにした。柴田錬三郎さんの「本邦博徒伝」を皮切りに、伊藤桂一多岐川恭結城昌治菊村到三好徹青山光二といった作家に、執筆を依頼した。(引用者中略)

 笹沢左保さんがこの一連のシリーズのなかで、「見かえり峠の落日」を書いたのは、昭和四十五年の四月号であった。まだここでは木枯し紋次郎は登場していない。だが、スピーディな文体、ニヒルな主人公、どんでん返しのある推理仕立てに、読者からの反響はすばやかった。全国から電話やら葉書が舞い込んだ。」(大村彦次郎・著『文壇うたかた物語』「第7章」より)

 もとより時代小説に進出したいと意欲をもっていた笹沢さんに、でもこの企画が持ち込まれた一因には、松本清張さんの助言があったからだ、というのですから縁も縁です。

扇谷(引用者注:扇谷正造) 〈紋次郎〉を書く動機はどうだったんですか、編集部から言ってきたんですか。

笹沢 そうです。わたしはとにかく、時代ものが書きたいと言っていたんですよ。ところが、書かせてくれないんです。時代ものなんていうと、いやな顔をされるのが関の山です。そんなことを言いていたところへ、ちょうど『小説現代』が、しばらく股旅ものがないから、新しい股旅という企画で松本清張さんのところへ相談をしに行ったら、笹沢に書かせてみろ、あれだったら股旅ものが書けるかもわからないと、おっしゃったんだそうです。

扇谷 なるほど、作家は作家を見てるんですね。」(『放送文化』昭和47年/1972年6月号「扇谷正造 マイクはなれて」より)

 こうやって生まれた笹沢さんの股旅物から『別冊小説現代』初出(そして単行本に収められた)「中山峠に地獄をみた」と、『オール讀物』の「雪に花散る奥州路」の二篇が第65回(昭和46年/1971年・上半期)の候補になります。まあ、本人のまわりでも今度こそ間違いなし、とか言って盛り上がったそうです。

 ええ。この回は、他に強力なライバル作もさしてなく、ここで授賞しておかなきゃダメじゃないか直木賞。と思うんですけど、「作家は作家を見てる」の片割れ、松本清張さんが、どうやら授賞反対しちゃうんですよね、ここにいたって。

「笹沢佐保(原文ママ)氏の二作は、イタリア西部劇を股旅ものに移したような筋立てで、虚無的な一匹狼の主人公が多勢の敵を相手に闘うといった物語。どれにも後半にどんでん返しがつくられてある。文章は、かなりキメのこまかい箇所があり、筆力も十分。しかし、あまりに意外性を狙いすぎてか、前半に伏線が足りず、読後はどんでん返しでヤミ打ちに遇ったような気がする。その意外性に納得がいかず、後味が悪い。

 客観体の文章でかかれている以上は作者にもう少し用意をのぞみたい。こんなことは推理小説でも練達な氏には十分に分っているはずだが、どうしたのだろう。そのために「意外性」がウス手になって、類型的に陥り、作品ぜんたいの印象を稀薄にしている。主人公の虚無的な性格も型にはまっている。笹沢氏は今回の顔ぶれのなかでは最も将来の期待がもてるだけに、次の候補作に望みをかけたい。長谷川伸の股旅ものに拮抗するには、それ以上の厚みも要求されよう。」(『オール讀物』昭和46年/1971年10月号 松本清張「後作に期待」より)

 人気作家の人気作品が直木賞候補になる、そして落とされる。……っていうのは、いまもそうですけど、周囲に興奮と刺激を与えるものです。

 校條剛さんは、松本さんが笹沢さんを支持しないはずがないじゃないか、と松本さんの「直木賞選考能力」を高く買っているらしく、こう書きます。

「笹沢は、「誰が一番反対したんだ?」と選考会の模様を尋ねた。中澤(引用者注:講談社の編集者、中澤義彦)は「どうも清張さんのようです。源氏さんは二重丸だったということですけど」と答えた。

 松本清張は、選評ではかなり好意的な評価を下している。紙数のほとんどを笹沢の作品に費やしているほどだ。(引用者中略)このなか(引用者注:選考委員のなか)で、笹沢の作品をちゃんと読んで、公正な評価をしていると思えるのは、水上(引用者注:水上勉、源氏(引用者注:源氏鶏太、村上(引用者注:村上元三、松本の四人のみである。(引用者中略)手放しの絶賛は源氏だけであるが、松本、水上、村上の評価は、決して悪くはない。あと一人強力に引っ張る委員がいれば、受賞に賛成したのではないだろうか。」(校條剛・著『ザ・流行作家』「第八章 不安と空虚感」より)

 「紙数のほとんど」? いや、4割ぐらいは藤本義一「生きいそぎの記」に費やされているんですけど……。そして、そっちも(そっちのほうが)ずいぶん好意的に評されてませんか?

 しかし、このあたりの校條さんの筆は、笹沢さんに賞をとらせてやりたかった、という編集者の思いがひしひし伝わってくるものとなっていて、読ませます。こういう「先輩作家には嫉妬があるせいで、候補作家のよさが見抜けない」みたいなハナシって、平成25年/2013年、選考委員みんなが真剣に候補作を読み込んできている、と言われるようになった現代の直木賞でもなお、ゴシップ風に語られ続けているんですよねえ。何なんでしょう、この既視感。

 それはともかく、笹沢さん落選の報は、「紋次郎ブーム」の勢いとともに、いろんなところで語られることになりました。みなさんの興奮ぶりが伝わってきます。いくつか挙げておきます。

「このところ笹沢左保は、もっぱら新股旅(またたび)小説の書き手として株をあげている。さきごろの直木賞選考にさいしても、「中山峠に地獄を見た」や「雪に花散る奥州路」が候補にのこり、惜しくも賞を逸したが、しかし本命とみなされ、話題をよんだものである。」(『読売新聞』昭和46年/1971年9月18日「文壇百人 笹沢左保」より ―署名:「黒頭巾」)

「辛い点をつけたついでにいわせてもらうと、実は、「見かえり峠の落日」などの新しさも、まだまだ中途半端なのだ。過去何回も直木賞をもらいそこねたことで、笹沢はよくよく悲運の作家だといわれている。が、ただ運ばかりではあるまい。彼の作品はみなもうひとつ何か足りない感じを与える。それが直木賞を逃がしている最大の原因であるようだ。」(『朝日新聞』昭和48年/1973年5月11日夕刊「作家Who's Who 笹沢左保 器用がわざわい」より ―署名:「子不語」)

「笹沢は、文壇でのつき合いをしないので有名である。(引用者中略)「紋次郎」で大当たりをとって、笹沢の直木賞受賞がほぼ動かないと噂されたとき、彼が盛んに気に病んでいたのは、授賞パーティーをどうするかということであった。他人のときには一切出ないで、自分のときだけ集まってもらうというのは、いかにも筋が通らないと考えた。(引用者中略)

 彼の短編「六本木心中」が、直木賞の候補にあげられていて、九分九厘、受賞は間違いないといわれていた。ところが、この噂が、選考委員会の空気を、にわかに硬化させた。伝統的な文士気質には、笹沢のそうした(引用者注:注文に追われて大量の原稿を書いてつらくなり、15分間だけ立って原稿を書き、編集者に許してもらおう、としたような)“芝居っ気”が、文学精神の欠落と映ったようである。彼は、前後二回“当選確実”といわれながら直木賞をのがしていることになる。文壇の一匹狼という彼の性格の決定づけと、これが無縁だとは思われない。」(『現代』昭和47年/1972年8月号 本田靖春「話題人の軌跡(8) 紋次郎に投影した笹沢左保の空白の部分」より)

 何か「文壇の一匹狼」と、「文壇のキモい仲間意識」との対比を強調することでドラマ性をもたせようとしている文章です。ほんとかよ、と思います、正直なところ。だいたい、冷静に考えれば、「当選確実」とか、まわりの人間が無責任に言い囃した見立てを、直木賞のせいにするのは筋違いじゃないですか。そりゃあなた、まわりにいる人たちが直木賞に対して過剰に期待しすぎですって。

 で、最後に松本さんのハナシに戻します。松本さんは「六本木心中」のとき、選考会に欠席しました。校條さんはこのとき松本さんが出席していたらどうなっていたかわからない、と書いています。これも、相当に過剰な期待と言っていいでしょう。松本さんひとりがいると、そんなに場の雰囲気が変わったんですか? それはそれで、編集者から見た、あるいは文壇内の人から見た松本さんの存在感が大きかった、ということを示しているんでしょうけど、松本さんだって、単なる一票ですからねえ。

 なぜ股旅物二作を、「好意的」じゃなく強く推さなかったのか。講談社の中澤さんの耳に「一番反対したのは松本清張だった」などという話が伝わるほどですから、とうてい選考会で熱心に推したとは思えません。……結局、笹沢さんに賞をあげ切れなかったことでは、やはり責を負ってもらわなきゃならない委員のひとりでしょう。

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