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2013年6月16日 (日)

川口松太郎〔選考委員〕VS 野坂昭如〔候補者〕…作品のみならず人物までも評してしまう伝統の継承。

直木賞選考委員 川口松太郎

●在任期間:30年
 第21回(昭和24年/1949年上半期)~第80回(昭和53年/1978年下半期)

●在任回数:60回
- うち出席回数:37回(出席率:62%)

●対象候補者数(延べ):462名
- うち選評言及候補者数(延べ):160名(言及率:35%)

 川口松太郎さんといえば、直木賞の申し子です。なにしろ第1回(昭和10年/1935年・上半期)の受賞者。であるだけでなく、戦後復活第1回(通算第21回)には、選考委員をまかされるほどに、大衆文壇の顔であり、その後30年の長きにわたって委員の座にありました。

 選考委員としての川口さんを、ひと言で表してしまうと、「あふれ出る重鎮感」です。

 任にあった期間は、川口さんが50歳を迎えるころから80歳手前まで。生来の毒舌、というか、歯に衣着せぬ物言い、というか。候補者たちに対して「精進を望む」「叱り置く」「決定打に欠ける」「出直せ」などなど、短い言葉でバシッと刺す。そのくせ、自分は選考会を欠席、また欠席。その出席率の低さは当時から群を抜いており、川口さんを叱り置けるような人は、まわりに誰もいなかったのかな、と思わせるほどでした。年くったおじさんが、言いたい放題好き放題、候補作に讒言を投げて、平気な面して生きている……みたいな、直木賞に対する悪印象を助長するひとりとなったわけです。

 川口さんの直木賞観は、いろいろ変化しました。その点、他の選考委員と同様です。基本的には、直木賞を与えることでその作家が商業舞台に躍り出ることが理想、との思いを持っていましたが、佐藤得二さんのような、後があまりないような人の作品も推薦したりしています。いわゆる大衆小説の畑以外にも視野を広げたい、なんてことを主張した時期もありました。

 ただ、ひとつ川口さんが異常に気にしていたことがあります。「直木賞の権威を守ること」です。就任中、二度も「直木賞の権威」と題した選評を書いているぐらいです。

「直木賞受賞作家が成功しないという非難を聞く。

 四十二回に司馬遼太郎、四十四回には黒岩重吾、四十五回が水上勉で、水上は早くも直木賞委員になるほどの大作家になったが、彼を最後にしてその後の作家は受賞後の活動がぱっとしない。残念でもあるし直木賞の権威にもかかわる。」(『オール讀物』昭和41年/1966年10月号 第55回選評「直木賞の権威」より)

「残念ながら私は旅行中で書面回答をしたため委員会に居合せなかったので議論をつくす事も出来なかった。然し近年の世評には直木賞の審査が甘すぎるという批判があるので、委員の目も辛くなったのかも知れない。それはそれでいいと思うし、審査が甘すぎて若い作家達から安易に思われるのも不愉快だ。この辺でぴりっとして置くのも賞の権威を高める意味にも必要であろうし、心淋しくはあるが、次回にいい作品が出るように期待する。」(『オール讀物』昭和49年/1974年4月号 第70回選評「直木賞の権威」より)

 こんなふうに〈権威〉を気にする姿勢が、よけいに川口さんを、旧弊で旧体制派に属する、と思わせることにもなりました。読者のために書かれた小説を評する場で、〈権威〉なんてハナシを持ち出すんですから。昔から続く伝統なり、蓄積なり、つまりは自分が安定して立っていられる世界を確保・堅守したいんだな、と思われてもしかたがありません。

 この流れのなかで、野坂昭如さんが直木賞に登場します。権威なんて糞食らえ、みたいな言動でぶいぶい言わせていた人です。たとえば、昭和37年/1962年にテレビ番組で放たれた「女は人類ではない」発言。じっさいの野坂さんの言葉は、

「昔、ギリシア人は演説のとき、“人類諸君および女類諸君”と呼びかけたそうです。女は男のアバラ骨一本からできあがったもので、男より一級下の物です。それをおだてるなんてどうかと思います」(昭和43年/1968年12月・文研出版刊 植田康夫・著『現代マスコミ・スター』より)

 といったものだったそうですが、テレビ局に女性から抗議の電話が鳴りひびき、週刊誌も書き立てるといった騒動に。目にあまる行動が放送作家協会で問題視されもします。このときは永六輔さんや野末陳平さんなどのほうが問題の中心だったみたいですが、野坂さんも合わせて議論の対象になりました。そこで野坂さん、開き直りまして、協会とは訣別、除名処分を受けました。

 『エロ事師たち』(昭和38年/1963年)以降、すでに野坂さんは小説家としての顔も知られていました。第57回(昭和42年/1967年上半期)「受胎旅行」ではじめて候補になったときも、石坂洋次郎さんから「この人などいまさら直木賞でもあるまいと思って、点を入れなかった。」と言われるぐらいの著名人でした。野坂さんの書く小説全般が、古い頭をした選考委員から猛反発を食らって受け入れられなかった、というわけではありません。

 ところがここに川口松太郎さんがいました。読み手をイラッとさせる選評を書かせたら、天下一品の腕です。川口さんは、この回「受賞作なし」を主張したひとりでしたが、野坂作品にはかなり好意的で、このように書きました。

「私は霙(引用者注:渡辺淳一の候補作)と受胎旅行を面白いと思ったが霙の作家は医者だからあの世界が書けるので、他の材料を扱った時にどうだろうという意見があった。この一作を受賞作に推すほどのものでもないので次回作に期待する事にした。受胎旅行は文体が新鮮でイキがいい。他の作品は何処かで一度お目にかかったような模倣性を感ずるが、受胎旅行はこの作家だけの独自の文章を持っている。新人作家は誰かに似ている。似ていてそこからぬけ出していたら立派だが、似ているだけに終ってはつまらない。受胎旅行はその意味で魅力的だが、あまりにも小品にすぎるのと幾分は安手でもある。」(『オール讀物』昭和42年/1967年10月号)

 ここで終わっていたら、おそらくワタクシが辺境ブログで取り上げることもなかったでしょう。ワタクシだけじゃなく、野坂昭如さんの直木賞受賞周辺の話題に、たいてい川口松太郎さんがセットで付いてくる、なんて事態は起こらなかったでしょう。川口さんの放言は、次のように続いたのです。

「この作家は作家として大成する意気をもって取り組んでいるかどうか疑わしいような悪名声がある。テレビタレントの真似であったり、プレイボーイを自称してひんしゅくさせる言動があったり、人生を茶化している態度に真実が感じられない。真剣に取り組めばいい作家になる素質を持っているだけに次回作を期待する。」(同)

 上記の発言が引き起こしたインパクト、おびただしいものがありました。何といっても効果を上げたのは、野坂さん自身が、即刻これをネタにしたことでした。「おれは太宰二世だ」と。

          ○

 まずは文藝春秋の社史から。

「野坂昭如の(引用者注:第58回での)満場一致による登場もエピソードに満ちている。

 前回(引用者注:第57回)の直木賞候補で徹底的に選考委員に批判されていたからである。(引用者中略)

 野坂自身も、川口の選評を読んで「ああ、おれは太宰二世だ」と天を仰いだ。太宰治川端康成に「作者目下の生活に厭な雲ありて」と選評できびしく批判された事実を、野坂は想いだしたのである。

 それが今回の全委員の満場一致による受賞である。一世がついにとれなかった栄誉を二世がとった。マスコミが大きくとりあげるのは当然のこと。」(平成3年/1991年12月・文藝春秋刊『文藝春秋七十年史 本篇』より)

 ちなみに「徹底的に選考委員に批判されていた」なんてことは、ありません。かなり脚色が入っています。

 野坂さんが受賞した直後の、藤本義一さんの戯文。『エロ事師たち』のスブに、野坂のことを語らせる、という趣向の文章です。

「第五十七回(昭和42年度上半期)の直木三十五賞に「受胎旅行」が候補作となったわけでっけども、その中の一人の審査の先生は、

「この作家は作家として大成する意気をもって取り組んでいるかどうか疑わしいような悪名声がある。テレビタレントの真似であったり、プレイボーイを自称してひんしゅくさせる言動があったり、人生を茶化している態度に真実がない(ママ)

 という指摘をうけはったんでおます。わいは、野坂先生の顔がヒクッと歪んだのをみました。ほんまの話。さて、ここで昔、自らを巷の道化師においたダザイハンやったら「如是我聞!!」と匕首を出しはんのやないかいなあ。」(平成22年/2010年11月・幻戯書房刊『20世紀断層 野坂昭如単行本未収録小説集成 補巻』所収 藤本義一「黒メガネに隠された野坂昭如の仮面」―初出『アサヒ芸能』昭和43年/1968年2月11日号)

 あるいは、龍谷大学の越前谷宏さんも。

「「受胎旅行」選考の際、川口松太郎は「文体が新鮮でイキがいい。」と褒めつつも、「作家として大成する意気をもって取り組んでいるかどうか疑わしいような悪名声がある。」と眉をひそめ、「人生を茶化している態度に真実が感じられない。」と苦言を呈した。はるか昔の、太宰治に向けられた川端康成評のようでもあるが、奇しくも、この川口の苦言に応えるかのように、同号「選評」の一〇〇頁ほど後に「火垂るの墓」が掲載されているのである。」(『日本文学』54号[平成17年/2005年4月] 越前谷宏「野坂昭如「火垂るの墓」と高畑勲『火垂るの墓』」より)

 どうしたって、川口さんの選評に食いつかざるを得ない、という状況です。

 さらに踏み込んだ解釈をしているのが大月隆寛さんです。

(引用者注:「受胎旅行」は)一九六七年上半期の直木賞候補作品となったが、落選。当時の記録その他から推測すると、選考委員のうち、水上勉松本清張が強く支持したのに対し、川口松太郎が野坂の受賞に強く反対。作品そのものよりも、「作家として大成する意気をもって取り組んでいるかどうか疑わしいような悪名声がある」ことを理由にしてのことだった。すでに「雑文の王者」の異名をとり、テレビでも「女性は人類ではない」発言で非難囂々、物議を醸すなど、メディアの寵児となっていた野坂に対する、当時これは確実にあり得た見方だった。

(引用者中略)

 ちなみに、同年下半期の直木賞受賞作となった「アメリカひじき」「火垂るの墓」についても、川口は「君の技量は逆手だ。文章のアヤの面白さに興味があって事件人物の描写説得はこの(ママ、正しくは「二の次」)になっている」と、かなり批判的だった。大衆文学の王道を生きてきた長老とも言える川口松太郎が、禁欲的な倫理を伴った「文学」の尺度で、大衆社会化の中でメディアに育てられた書き手である野坂の作品に異を唱えたのは、この時期「文学」をめぐる情報環境とそこに宿る才能のありよう、さらにはそれら全てを支える価値観などが大きく多様化、世俗化していったことを反映している。」(平成12年/2000年9月・国書刊行会刊『野坂昭如コレクション1 ベトナム姐ちゃん』所収 大月隆寛「解題」より)

 野坂さんが受賞したときの選評と合わせて、川口さんが野坂さんに大変批判的だった、と大月さんはとらえています。

 ただ、ワタクシの目から見ると、受賞のときに川口さんが野坂さんに贈った評は、それほど批判的とは見えませんよ。だって上記、大月さんが引用した先、川口さんはこう続けて、野坂さんの文章を評価しているんですもの。

「これも一つの傾向で軽蔑すべきでなく、近年は文章に凝る作家が皆無になった。内容が面白ければ文躰なぞはどうでもいいと素人同様の文章を書く人も多く、受賞作家にもそういう形の人がいる。(引用者中略)野坂君が独特の文躰の上に、豊かな内容をもり込む作家になってくれたらそれこそ鬼に金棒だ。」(『オール讀物』昭和43年/1968年4月号)

 実際、川口さんには「批判」なんて意識は薄かったんじゃないでしょうか。思ったことを率直に口にする。口が悪いと受け止められようが、ほんとうに思っていることを、包まずそのままを言ってしまう。そして少し後悔する。うしろを振り返らない性格から、またそのことを忘れていく。

「よくしゃべる。時にはしゃべりすぎる。しゃべったあとは何も残らない。後悔する時の方が多い。(引用者中略)

 舌禍で大臣を棒に振った楽しい政治家が幾人かいる。よく調べて見ると本当の事をしゃべっている。嘘なく正直にしゃべって不幸を招いている。何時の世でも本当をいえば何かに突き当る。」(昭和48年/1973年10月・講談社刊 川口松太郎・著『人生悔いばかり』所収「おしゃべり」より ―初出『朝日新聞』昭和47年/1972年2月26日)

 それを直木賞の選考委員としてやってしまっている、という。甘えといえば甘え、稚気といえば稚気。川口さんは自作について「初期中期の作には目ぼしいものも幾つかあったが、此の頃は全くない。恥かしい。」(『オール讀物』昭和37年/1962年6月号)とか書くぐらいは、我が身にも厳しかったんですが、だからといって、人の目を気にしてやさしい選評を書くような、腰の引けたことはしませんでした。こういう人の選考が、ときに「コノヤロー」と怒りを買うのもわかる気がします。

 あ、それと思うのは、野坂さんは「太宰二世か」と言ったそうですが、どう見ても川口さんの選評は、川口さん自身が言われた第1回のときの選評をなぞっています。そのことに言及しないでは、このエントリーも締まりません。

「「鶴八」(引用者注:「鶴八鶴次郎」)が直木賞候補になった時には、委員のほとんどが先輩知人ばかりで、そのころの私は小生意気時代だったから、だれからもよく思われていなかったらしい。

「作品はともかくとして川口という人間が気に入らない」

 これもあとで聞いた話だが、そんなふんいきで作品よりも人間が論じられてしまった。(引用者中略)

 その時の私はよくよくきらわれ者であったらしく、温厚な吉川英治までが、その選評で峻厳な戒告を加えている。その後の吉川さんの愛情を想うと、汗顔にたえない。」(同書所収「「鶴八鶴次郎」」より ―初出『朝日新聞』昭和37年/1962年4月3日)

 作品はさることながら、作家個人のことを論ずる。そんな直木賞の環境に育まれた川口さんが、野坂さんに対しても同じような選評を書いてしまう、という。時代はめぐる、と言いますか、上の世代からやられたことを下の世代にやる伝統の継承、と言いますか。

 甘えといえば甘え、稚気といえば稚気です。そういうふうにしか川口さんは直木賞と接することができなかったのでしょう。その人間としてのおかしみが、直木賞そのもののおかしみを形づくってきたとも思います。

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コメント

第1回目からとてもオモシロかったです。
選評ってどうしても「悪い風に解釈されがち」「ホメた部分よりケナし気味の部分が取り上げられがち」ですよネェ。今も昔も。

内容とは関係ナイですが松太郎サンってあの川口浩サンのお父さんだったんデスか!?ビックリ。
俳優界を代表する探検家(?)にも間接的に関わっているなんて、やっぱり直木賞は奥が深いですよネ(笑)

投稿: しょう | 2013年6月17日 (月) 22時45分

しょうさん、

さっそくお読みいただいてありがとうございます。

ワタクシも「ホメた部分よりケナし気味の部分」が好きな性格なもので、
どうしても、そっちばっかり取り上げたくなります。
ただ、直木賞にはいろんな顔がありますからね、なるべく偏らないよう、目を向けていきたいと思います。

投稿: P.L.B. | 2013年6月18日 (火) 23時05分

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