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2013年5月 5日 (日)

豊田健次(『別冊文藝春秋』編集長→『オール讀物』編集長) 文芸編集者として直木賞を最大限に活用するとともに、「文芸編集者のための直木賞」をつくり上げる。

豊田健次(とよだ・けんじ)

  • 昭和11年/1936年生まれ(現在76歳)。
  • 昭和34年/1959年(23歳)文藝春秋新社入社。『週刊文春』、出版部を経て『文學界』『別冊文藝春秋』編集部員(昭和41年/1966年~昭和43年/1968年、昭和46年/1971年に復帰)となる。
  • 昭和51年/1976年(40歳)より『文學界』『別冊文藝春秋』編集長を務める。
  • 昭和54年/1979年(43歳)より『オール讀物』編集長を務める。その後は文春文庫部長や出版局長、取締役出版総局長、日本文学振興会担当などを歴任。
  • 平成11年/1999年(63歳)文藝春秋を退社。

 この人選は、日本全国民、文句ないでしょう。「直木賞(裏)人物事典」のなかでも、他の追随を許さない、ぶっちぎりの、抜きん出た功績者。豊田健次さん、略してトヨケン、またの名を「ミスター直木賞」、「直木賞中興の祖」、ひところは豊田さんのことを「豊田ナオキショウさん」と呼ぶ人が現われたり、また直木賞が「トヨダ賞」と呼びならわされていた、などという逸話すら……あるわけないです。

 いや、でも、昭和の時代、何人の日本人が生きてきたかは知りませんけど、豊田さんの直木賞に対する功績は、尋常の域をはるかに超えています。いつも芥川賞の陰に隠れてくすぶっていたこの賞に、文芸編集者の視点から、「職業作家のケツを叩くための賞」という役割をしっかりと設定して、「商業主義にすぎる」なんちゅう外野の批判に臆することなく、直木賞の活性化に尽力し、ときに「中のひと」となっては、心ない非難に反論しながら、直木賞文化を盛り立ててきた、という。

 豊田さんの、直木賞に対する業績はきっと語り尽くせないほどでしょう。公にされていないこともゴマンとありましょうし。ここでは、ざっと目ぼしいところだけ挙げてみます。

  • 五木寛之さん(第56回 昭和41年/1966年下半期受賞)、野坂昭如さん(第58回 昭和42年/1967年下半期受賞)と『別冊文藝春秋』に小説を書いてもらい、直木賞受賞を御膳立てした。友人の大村彦次郎さんと語らっての連携プレーのたまものだった。

  • 『別冊文藝春秋』を、文藝春秋が直木賞をとらせたい作家のための媒体として確立させた。

  • 直木賞に遠い存在だった田中小実昌さんの、『香具師の旅』所収の作品を第81回(昭和54年/1979年上半期)の予選委員会で強く推薦し、最終候補にまで残した(そして結果受賞となった)。

  • 第83回(昭和55年/1980年上半期)選考会で分が悪かった向田邦子さんの作品を、無事受賞に着地させた。

  • 直木賞をとりたがっていた胡桃沢耕史さんに、直木賞がとれると囁き、本意ではない私小説もの『黒パン俘虜記』を書かせた。そして第89回(昭和58年/1983年上半期)受賞へと導いた。

  • 『別冊文藝春秋』編集長として、筒井康隆さんの「大いなる助走」を連載(昭和52年/1977年9月~昭和53年/1978年12月)し、直木賞の権威を神格化したい面々から投げつけられる攻撃の矢面に立たされた。

  • 『文學界』編集長として、永井龍男さん「回想の芥川・直木賞」(昭和53年/1978年1月号~12月号)の担当となり、同作を完成させた。

  • 退社後、山口瞳さん・向田邦子さんと直木賞にまつわるエピソードなどを入れた『それぞれの芥川賞 直木賞』(平成16年/2004年2月・文藝春秋/文春新書)を上梓した。

 どれをとっても、直木賞を語るうえでは欠かせない事項でしょうよ。以前に拙ブログで触れたものがほとんどですけど、豊田さんの功績はいつまで経っても色褪せない、って意味もこめて、上に挙げた事象それぞれにおける、豊田さんの存在感を再確認しておきます。

 まずは、『小説現代』との連携プレー。

豊田 例えば、五木寛之さんが「さらばモスクワ愚連隊」で小説現代新人賞を受賞されたとき、「大型新人、現わる」と各社の編集者が殺到して原稿依頼をしました。当然僕も依頼してお引き受けいただいたんですが、『別册文藝春秋』に発表すれば直木賞に近いと『小説現代』の編集者が五木さんにささやいてくれるわけです。

(引用者中略)

 野坂昭如さんのときは、講談社の大村彦次郎さんとそういう話をして、「野坂さんに直木賞を取らせたい。『小説現代』のほうは待っているから、君のところで頼むよ」と言われて、「アメリカひじき」が『別册』に、「火垂るの墓」が『オール讀物』に掲載になってこの二作品で受賞されました(第五八回)。こんなふうに賞を取っていただけるように作戦を巡らしたことは何回かありましたね。」(『文蔵』平成20年/2008年1月号 「対談 直木賞のウチとソト」より ―対談相手:中村彰彦)

 「作戦を巡らしたことが何回かあった」とサラッと言っているところが、スゴイでしょ。他にどれがその作戦だったのかと、想像をめぐらせるように仕向けるとこなんぞ、さすが豊田さんです、格がちがいます。

 第81回受賞、田中小実昌さんの件は『文士のたたずまい――私の文藝手帖』(平成19年/2007年11月・ランダムハウス講談社刊)から。

「コミさん(引用者注:田中小実昌)を、ことさら推さなくとも、おそらく候補から洩れることはなかったと思うが、いささか不安にかられて、田中作品を下読み選考会の席で強く推奨したのである。むろん、その必要もなく大方の支持を得て候補となり、受賞したわけだが、(引用者後略)(豊田健次・著『文士のたたずまい』所収「ぽくぽくコミさん――田中小実昌」より)

 豊田さんの推薦が必要もないものだったのか、判ずる術はないんですが、しかし第66回(昭和46年/1971年下半期)の『自動巻時計の一日』以来、いくらでも田中さんを候補にするチャンスはあったでしょうに、なぜにあそこで、単行本に収録された二篇、なんてかたちで候補にする? 誰かの強引な推しがなきゃ、予選通過はできなかったのじゃないか、と想像するのが自然な気がします。

 向田邦子さんの件は、以前、向田さんを取り上げたエントリーで紹介しましたので割愛。

 第89回(昭和58年/1983年・上半期)の胡桃沢耕史さんの受賞のハナシは、なにせ胡桃沢さんがおしゃべりなものですから、相当有名なエピソードとなっちゃいました。

「「実は本人も、ロマンあふれる堂々としたものでとりたかったと言っていた」。「オール讀物」で「黒パン俘虜記」の編集を担当した豊田健次(五八)=現文藝春秋取締役文芸総局長=はこう打ち明ける。胡桃沢作品の持ち味は気宇壮大な冒険物語だが、「黒パン俘虜記」は捕虜体験を描いた自伝的小説だった。

 「数奇な体験をなさっているのにそれを書かない手はないですよ、と連載してもらった。本人は『私は書きたくなかった。この人に書かせられた』と話していた。でも、直木賞はぜひとりたいといつも言っていたし、その悲願成就に少しでもお手伝いができたのではないかとは思っている」」(『産経新聞』平成7年/1995年6月30日「戦後史開封 芥川賞・直木賞(4)」より)

 胡桃沢さんの『黒パン俘虜記』の件で豊田さんがエラいと思うのは、別に直木賞では私小説ものが有利、なんて傾向はまったくなかったのに、胡桃沢さんが私小説風に書けばとれる!と考えて、本人に打診した点です。しかもそれで、ほんとうに胡桃沢さん、受賞しちゃうという。トヨケンよ、おまえは神か、と言いたくもなります。

 筒井さんの「大いなる助走」騒動。これについては、まえに紹介したとおり、編集長だった豊田さん自身、だれか選考委員から直接抗議された、とは証言していないっぽいのですが、こういうかたちで当時の状況を回想しています。

「さらに、(引用者注:「大いなる助走」を)連載していたのが直木賞を制定している文藝春秋の雑誌「別册文藝春秋」だったことも話題に拍車をかけた。

 
(引用者注:筒井康隆いわく)「でも直木賞の選考委員の人たちは直接、僕には言えませんよ。ただ、文藝春秋には文句を言っていった人がいたらしい。『連載をやめさせろ』って」

 別冊の編集長だった豊田健次(五八)=現文藝春秋取締役文藝総局長=は、「最初から直木賞の選考はけしからんというのではなかった。極端な戯画化は筒井さんの一つの手法だが、次の選考会では何か言われるのでは、と冷や冷やした」と言う。」
(『産経新聞』平成7年/1995年7月1日「戦後史開封 芥川賞・直木賞(5)」より)

 つまり、あれですかね。当初の話し合いでは、豊田さんは、あんな小説になるとは聞いていなかったと。で、そのまま押し切っちゃうあたりが、直木賞の楽しみ方と盛り上げ方をよく知っている豊田さんならでは、というか、豊田さんが直木賞ファンたちから愛されるゆえんだと思います。

 だって、芥川賞の選考に怒ってオレ辞めるっつって自ら縁を切ったオコリンボ永井龍男さんに、「回想の芥川・直木賞」を書いてもらおう、と発想して実現させちゃうんですもの。まったく、直木賞ファンひとりひとりがいまも神棚に豊田さんの写真を掲げて、毎朝お参りを欠かさないのも、当然だと思わざるをえません。

          ○

 文藝春秋では、豊田さんの他、たーくさんの編集者が活躍してきました。なので、オモテ立って存在感を示していないだけで、豊田さん以上に直木賞をウラで支配し、その隆盛に貢献してきた人だって、いるのかもしれません。そのことには深く触れず、先に進みます。

 直木賞の最大の特徴といえば、「広く人に知られていること」です。その意味で、本来なら広報活動もけっこう重要です。なのに直木賞は、本屋大賞とは違って、主催者や関係者がムキになって自分の賞のよさをアピールするような、そういう広報はあまり根づいてきませんでした。豊田さんにしろ、無駄に言葉を重ねて直木賞のすばらしさを語ったりはしていません。

 ただ、ときにマスコミから質問を受けて、意義を語ってくれることもあります。たとえば平成6年/1994年、豊田さんが日本文学振興会担当だった頃の記事です。

「評価も、批判も様々に集める芥川賞。主催者側は、現在の姿をどう受け止めているのだろうか。

 文芸春秋取締役で、日本文学振興会担当の豊田健次氏は「賞の形で有為な新人を世に送り出すという意義は、創設以来まったく変わることはない」と話す。

 変わったのはむしろ、他の賞の急増。近い性格の賞では野間新人賞、三島賞が生まれたが、「すみ分けをこちらが意識する必要はないでしょう」。以前には、年一回化、短編・長編部門の分化などが検討されたこともあるが、今は特に議題に上っていない。

 文芸編集者として、長いキャリアを持つ。「振り返ってみて、あまり不公平なことはなかったと思う」と語る。同社の「文学界」から受賞が続くと、社員が事務局を兼ねる点を批判されるが、「逆に他誌が続いた時は、あまりそういう声は出ないものです」。

 「社内で冗談に『何やってるんだ』と冷やかされる程度。『そこが芥川賞のいいところじゃないか』と答えていますよ。『この人に取ってもらい、大きくなって欲しい』というのは、他社の編集者とも、よく語り合うテーマだが、結果は妥当だと思う」

 同社では、受賞作を文芸誌ではなく、総合誌の月刊「文芸春秋」三、九月号に掲載してきた。そこには、この賞が小説を“文壇”から社会へ紹介する場だとの認識がある。もっとも、近年では村上春樹吉本ばなな氏といった人気作家が選ばれていないのだが――。

 「それは今に始まったことではない。太宰治中島敦……、選考委員の方には真剣勝負でやって頂いているが、その時々の文学状況もあり、絶対的な評価、完全な鑑賞眼というものがない以上、見落とすことはある。過去に照らし合わせて、やむを得なかったというしかない」」(『読売新聞』平成6年/1994年2月9日夕刊「文学のポジション 第一部芥川賞(14)」より)

 ごめんなさい、これは芥川賞に対するコメントでした。

 にしても、へえ、他社の雑誌からの受賞がつづくと、やっぱり社内から冷やかし(の名を借りた圧力?)の声が出るんですね。じつは、豊田さんが直木賞・芥川賞の現場を離れてから、両賞における文藝春秋受賞率の高さは、異常なほど、跳ね上がりました。冷やかしを冷やかしと打ち捨てておけない空気が、このあと、生まれたのかもしれません。

 ええと、芥川賞だけでなく直木賞を含めた両賞(+文学賞)のことについてなら、豊田さんには、こんな発言もあります。

「作家にとっても、賞は必要だと思います。受賞者の方が、受賞のときの思い出や百回記念にちなんでといったエッセイを、よくお書きになっていますが、受賞によって自分は非常に励まされた、あるいは貧乏のどん底にあったのが、賞金をいただいて生活ができた、そしてまず何より自信を得ることができたと。もちろん、あんなもの、ほしくもないのに寄こしやがってという人もいるかもしれませんが(笑)」(『新刊展望』平成16年/2004年4月号「インタビュー豊田健次 芥川賞・直木賞と三人の作家たち」より)

 で、豊田さんの立場……つまり文芸編集者からすれば、期待する作家にいかに良作を生んでもらうか、それを考えるひとつの道具として、文学賞にはこのうえない有用性があったと。

「編集者の仕事というのは、タレントスカウトでもあり、付き人でもあり、マネージャーでもある。(引用者中略)その作家が成長し、大きくなるための、いろいろな意味での手助けをする。」(同)

 基本、小説を読んで楽しむ、みたいなワタクシのような一介のお気楽読者とは、そもそも直木賞に対する向き合い方が違います。先ざきのことまで考えた文芸編集者たちが運営する同賞について、受賞作品が直後に売れるとか売れないとか、そんなことで直木賞を攻撃してみても、通じるハナシではありません。

 あ、それと。このインタビューでは豊田さんにとっての、直木賞観が正直に語られていて、大変貴重です。ご紹介しておきます。

「編集者として、選考会の司会として、主催者側として――、様々な立場で関わってきた著者(引用者注:豊田健次)にとって、芥川賞、直木賞とはどんな存在なのだろうか。

「商売の種ってところでしょうか(笑)。骨までどっぷりつかっていますので、あまり客観的な見方はできないです。(引用者後略)」」(同)

 骨までどっぷりつかっている……。そうですか、「豊田ナオキショウ」のあだ名も、あながち冗談とは言えないかも。

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