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2013年5月19日 (日)

平野謙(文芸評論家) 「純文学の変質」を語っていたら、ちょうど直木賞・芥川賞の受賞作の境界があいまいになったので大喜び。

平野謙(ひらの・けん)

  • 明治40年/1907年10月30日生まれ、昭和53年/1978年4月3日没(70歳)。
  • 昭和7年/1932年(25歳)東京帝国大学在学中に、プロレタリア科学研究所に入る。昭和10年/1935年頃から本格的な文芸評論活動を展開。昭和15年/1940年に大学卒。
  • 昭和30年/1955年(48歳)『毎日新聞』にて文芸時評を担当(昭和43年/1968年まで)。
  • 昭和34年/1959年(52歳)『小説新潮』にて「文壇クローズアップ」を担当(昭和35年/1960年まで。昭和43年/1968年に再担当)。

 そろそろ「直木賞(裏)人物事典」も残りわずか。タネ切れ感は否めないところではありますが、いちおう今週も書きます。誰でも知っている(はずの)ビッグネーム、平野謙さんです。

 ミステリー大好き、文壇事情大好き。……平野さんのどうしても隠しきれない、いや、本人も隠そうとはしていないこれらの好みが、直木賞のことに触れざるを得ないかたちで、平野さんの文業のなかに登場するのは、もう当たり前のことです。しかも自身、純文学の変質だどうだ、といったテーマで派手に名を売るぐらいの方です。芥川賞と直木賞、という恰好の材料を巧みに使って、そこから現在の文芸状況を語る芸を身につけるほどの才人でした。

 たとえば、平野さんの有名な「直木賞記事」……有名というか、ワタクシが勝手にこれまで何度も引用しているだけかもしれませんけど、第46回(昭和36年/1961年・下半期)の伊藤桂一「螢の河」受賞について。これなど、直木賞を扱うときの平野さんの手ぎわを代表する文章だと思います。

「今月は芥川賞と直木賞の授賞作発表の月であり、雑誌《文藝》復刊の月である。すでに新聞の報道したように、芥川賞は宇能鴻一郎に、直木賞は伊藤桂一に授賞されたが、宇能鴻一郎の『鯨神』と伊藤桂一の『螢の河』とを読みくらべると、芥川賞と直木賞が逆になったのじゃないかと錯覚するのは、私ひとりではあるまい。芥川賞と直木賞は、よく知られているように、菊池寛が新人奨励のために、亡友芥川龍之介と直木三十五の名にちなんで設けた文学賞である。芥川賞がいわゆる純文学的な新人のために、直木賞がいわゆる大衆文学的な新人のために設定されたのは、おそらく当時としては自明のことだったろう。(引用者中略)以来、星うつり年かわって、宇能鴻一郎と伊藤桂一という二新人にめでたく授賞されたわけだが、その受賞作を読みくらべると、もはや純文学的な芥川賞と大衆文学的な直木賞との境界線が名実ともに崩壊しさっている事実は、何人といえどもこれを疑うことはできまい。」(「文藝時評 昭和三十七年三月」より)

 何といっても一番重要なのは、名実ともに崩壊しさっているのが事実かどうかではない点です。昭和36年/1961年9月に平野さんが『朝日新聞』に「文芸雑誌の役割」(9月13日)を、『週刊読書人』に「『群像』15年の足跡」(9月18日)を書き、いまの文学は中間小説化が甚だしく、「純文学概念」が崩壊する過程にある、みたいなハナシをしたところ、伊藤整さんだの大岡昇平さんだのが反応した、いわゆる「純文学論争」の渦中に、上記の文章が書かれていることこそが、重要です。

 要は、直木賞と芥川賞の受賞作を引き合いに出すことで、ほら見なさい、もうそんな概念は崩壊してるって言ってんだろッ、と平野さんは自説を補強しようとしているわけですね。

 ほかに寄稿した文章では、そのことを、もう少しはっきり文章にしていたりします。

「芥川賞などがはなばなしいマスコミの脚光を浴びて、授賞と同時に受賞者の家にテレビやラジオの報道関係者がワッと押しかける、というような現象は、石原慎太郎の有名な『太陽の季節』以来のことである。たとえば柴田錬三郎は昭和二十六年に直木賞を授賞されたが、当時純文学を志していた柴田錬三郎は、芥川賞ではなくて直木賞を授賞されたことに悲観したそうである。事実、直木賞を授賞された当座、原稿注文はさっぱりなかったという思い出を、柴田錬三郎はどこかに書いていた。ここにも私のいわゆる純文学変質説のひとつの現象がある。

 こんどの『鯨神』と『螢の河』とを読み比べてみると、作品の出来ばえは二の次として、作柄としては『鯨神』が直木賞的なものであり、『螢の河』が芥川賞的なものであることは、だれの目にも明らかだろうと思う。より純文学的な芥川賞と、より大衆文学的な直木賞との境界線は、ここでもしごく曖昧になっている。」(「芥川賞と直木賞に思う」より ―太字下線は引用者による)

 とにかく平野さん、純文学変質説のことで頭がいっぱい。その自説の正しさをもっともっと言いたいがために、たまたま一回、気になる結果が出たから「崩壊しさっている事実」と、ことさらオオゴトのように取り上げたんじゃないのか、っていう匂いがぷんぷんします。

 さすが策士です。

 崩壊しさった例として、これ以上はない、っつう戦後の両賞の例、第28回(昭和27年/1952年・下半期)のときには、平野さん、まったくそんなことオクビにも出していません。それどころか、芥川賞よくやった、みたいなことを言っています。

「第二十八回の芥川賞が決定した。(引用者中略)五味康祐松本清張の二作はそれぞれイヤミのない佳作で、積極的に反対したい気はない。五味康祐の作は立川文庫めいた伝奇的な材料にもかかわらず、一応歴史小説の品格を保っているし、松本清張の作はある不幸な青年の調べ仕事を描いて、題材的にも一種の感銘を与える。(引用者中略)

 今年になってから、読売賞の阿川弘之(『春の城』)、直木賞の立野信之(『叛乱』)が決定したが、作品の内容を一応除外すれば、それぞれの賞の性格にふさわしいものとはいえまい。それにくらべれば、ほとんど海のものとも山のものともわからぬ新人に授賞した芥川賞の英断には、なにかさわやかなものがある。」(「文壇時評 昭和二十八年二月」より)

 このとき純文学変質の話をぶっ放してもよかったのに、しまっておいて、一番効果がある時期を狙って(……いや、無意識でしょうけど)両賞の境界線のハナシを持ち出すんですから。直木賞・芥川賞をしっかり我が武器として活用している、としか見えません。

 個人的な感想をいえば、純文学概念やら中間小説化やらを語るのはいいんですけど、そんなときにかぎって便利な道具のように直木賞を引っ張ってくるのは、なんか都合のいい論に見えちゃいます。戦後15年にわたって、直木賞のいう「大衆文芸」概念は、あっち行ったりこっち行ったり、揺れに揺れまくっていて、かならずしも純文学化とか中間小説化とか、そんな一方向への動きをしていたわけじゃないからです。

 第40回(昭和33年/1958年・下半期)から第48回(昭和37年/1962年・下半期)まで、直木賞の受賞作は『文藝春秋』(『オール讀物』ではない)に転載されました。つまり、この時期だったからこそ、『文藝春秋』一冊を買うだけで、両賞の受賞作を読みくらべることが可能だったわけです。これも、平野さんが文藝時評で取り上げるには、もってこいの状況でした。『文藝春秋』の掲載作品であれば、新聞の文藝時評でこれに言及して、何の不思議もないからです。

 ただ、これは平野さんも言っているんですが、直木賞(=大衆文芸)、芥川賞(=純文芸)という図式そのものが、創設のころにはハッキリしていたかというとそうでもありません。ハッキリはしていないけど、賞が現実に存在していることで、何となしに分類の概念が続いてきた。昭和10年/1935年のころも、昭和37年/1962年のころも、あるいはその後、現在にいたるまで、その茫漠とした感じは何も変わっていないのじゃないでしょうか。あくまで両賞に関するかぎりは。

 だいたい、両賞の概念の境界線が崩壊したと宣言した平野さんでさえ、そのあとも、「直木賞的なるもの」の概念から離れられなかったんですから。

「断わるまでもなく、五木寛之は最近直木賞を受賞した新人で、『さらばモスクワ愚連隊』はその第一創作集である。もっともこの本が企画され、刊行の準備が進行していたときは、まだ直木賞受賞は決定していなかったはずだ。しかし、最近この著者ほど直木賞にピッタリの感じの人はいないし、この本はいかにもそういう著者の処女創作集にふさわしい。」(『新刊時評(下)』「昭和四十二年三月」より)

 ね。「直木賞にピッタリの感じ」とか言っちゃっている。え、そんなもの、とうになくなったんじゃないんですか、とツッコミを入れたくなるところが、平野さんの可愛げのある魅力です。また、そういう人だからこそ、文学賞のことなんか無視すればいいのに、わざわざ、ひんぱんに文学賞について熱っぽく語って、あのひと文芸評論家なの?文壇評論家なの? などと揶揄されたりするわけです。まったく、楽しい人です。

          ○

 平野さんも、これまで取り上げてきた文芸評論家と同様、文学賞についてひとつ書いてくれ、と注文を受けやすく、しかたなく書いてきた、っていう事情はあると思います。でも何といいますか、巌谷大四さんとか進藤純孝さんとか他の人に比べて、平野さんって人は、嬉々として文学賞のあれこれを書いている感じが、行間から漂ってくるんですよねえ。

「いま無名の新人が名をなそうと思ったら、推理小説の世界ほど絶好な舞台はない、といってもいいほどである。口やかましい銓衡委員のそろっている芥川賞を狙うことなどは、いまや愚の骨頂であって、ちょっと骨っぽい推理小説を一篇書きあげたら、出版社はすぐとびついてくるし、一度単行本が出たら、週刊誌、雑誌、ほかの出版社から注文が殺到すること、受けあいである。(引用者中略)名と金を確実につかみたいと思う文学青年なら、いまさらなにを苦しんで古色蒼然たる芥川賞などを狙おうか、である。すでに昨今の文学青年は芥川賞より直木賞をより実利的な文学賞として狙っているという話だが、直木賞より乱歩賞が狙われることはもはや時日の問題だろう。」(「文壇クローズアップ 昭和三十五年八月」より)

 本気も多少入っているんでしょうが、芥川賞や直木賞、乱歩賞をサカナに、皮肉めいた批評がぽんぽんと飛び出してくる感じ。いつまで読んでいても飽きません。

 まあ、狙うもくそも、平野さんは想像していたかどうか、今では文学青年が狙うにしては直木賞が一番、遠い存在になってしまいました。何つっても実績を積まないと、なかなか受賞に届かない賞になりましたからねえ。

 これ以外にも、平野さんが直木賞を自分の土俵に挙げて、掌のうえで転がしてくれた例は、まだまだあります。これまでうちのブログで取り上げたものでは、「葉山修平「日本いそっぷ噺」の選考、ほんとうに落とした理由を隠してんじゃねえよ」とか、「永井路子、安西篤子の受賞で〈主婦作家〉の時代とか言われてるんだって、時代は変わったなあ」とか、そういうものがありました。

 女性作家と文学賞、については平野さん、渡辺喜恵子平岩弓枝の二人受賞のときにも、文章を発表しています。芥川賞ならいざ知らず、直木賞で二人女性が受賞したからって何が語れるんだ!などと怒ることもなく、平野さん、律儀にお付き合いいただいています。文学賞評論家の鑑です。

「現在新しい脚光をあびた女流作家の輩出という現象も、本質的には曾野綾子有吉佐和子が登場したときの状況とかわりはない。いうならば、才女時代はまだ継続中ということなのだろう。現に、文学賞をもらったり入選したりした女流作家の作品をみれば、方法上の実験や冒険を試みたものはひとりもなく、みな既成の文学概念をなぞって、その上に安定した物語世界をくりひろげている人ばかりである。その典型的な作家は平岩弓枝だが、渡辺喜恵子の受賞第一作と銘うたれた『三面記事』(オール読物・十月)をみても、従来の風俗小説を一歩も出ていない。(引用者中略)おそらく平岩弓枝が有吉佐和子とほぼ同質の物語作家として最も安定しているようだが、彼女らを新しく文壇にむかえたことによって、現代小説はどんな新しい才質を加えたことになるかについては、私はかなり懐疑的である。」(「文壇時評 昭和三十四年九月」より)

 まっとうすぎる見解で、こわいぐらいです。芥川賞のほうがどうだかは措いておいても、直木賞は、新しい文学上の冒険と同じくらい(いや、それ以上に)作風や文章に安定感があるかどうかが、評価の対象になりますからね。ほんとうは、新しい息吹を感じさせる小説を読んでテンション上げたい平野さんのような評論家の方に、直木賞を語ってもらうのは、スジ違いだったかもしれません。

 でも、平野さんも、直木賞を自説展開の道具に使ったりしていますから。文学賞の動向には、ことのほか関心も高かったようですし。ギブ・アンド・テイク。平野さんと直木賞は、お互いを損ねることのないウィン・ウィンの関係を続け、幸せな状況を保った、と言えるんでしょう。

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