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2013年4月 7日 (日)

小川和佑(文芸評論家) まじめな文学研究界のなかに埋もれていた、磨けば輝く文学賞批評の逸材。

小川和佑(おがわ・かずすけ)

  • 昭和5年/1930年4月29日生まれ(現在82歳)。
  • 昭和26年/1951年(21歳)明治大学専門部文芸科卒。このころから中村真一郎に師事し、詩作を始める。栃木県公立高校の教諭、その後、関東短期大学、水戸短期大学などで講師。
  • 昭和48年/1973年(43歳)明治大学にて講師(平成12年/2000年まで)。その間、昭和女子大学助教授などを歴任。
  • 昭和52年/1977年(47歳)『芥川賞事典』および『直木賞事典』の原稿を一部担当。
  • 昭和56年/1981年(51歳)より『サンデー毎日』誌上にて武蔵野次郎との文壇回顧対談を担当(昭和58年/1983年まで)。

 直木賞に関する散逸した文献をあさっていると、けっこうな人数で、大学で近代日本文学を専攻している先生方が直木賞を語っている、っていう状況に出くわします。そういう文章、ほんとうに大量にあります。掃いて捨てるほど、です。

 はなから大衆文芸界では批評文化が育たず、さらに直木賞は周囲から盛り立てる援軍が少なく、注目を浴びないこと甚だしい時代が続きました。直木賞が、一般ニュースとタメを張るほどに報道価値をもったのは、昭和30年(1955年)代以降ではありますが、名のある偉い文芸評論家の方がたは、芥川賞のことは真剣に語っても、直木賞に関しては、鼻クソほじくりながら文章を書き流していた……と思わせるような散々たる有り様で、気合いを入れて向き合ってはくれませんでした。

 となると、直木賞を扱うときに狩り出されるのは、パイの少ない大衆文芸評論界から見慣れた顔ぶれ、または、向学心旺盛な大学の先生たち、と相場が決まっています(たぶん)。大学の先生が直木賞なんちゅう文壇行事の傍流中の傍流のことを語る図、なんて、いまでは考えられないでしょうが(いや、そんなことないか)、彼らが直木賞を下で支えてくれた時期もあったのです、ありがとう、若き文学研究者たちよ。

 ……若かったかどうかはともかく、小川和佑さんも、そのひとりです。専門は詩の分野でありながら、小説のほうも等しく研究対象に据えて、

「私自身の昭和期の文学への関心は常に小説と詩の二つの領域を等価値的な視野によって、思考されている。」(昭和52年/1977年12月・明治書院刊 小川和佑・著『昭和文学の一側面――詩的饗宴者の文学』「初出誌一覧」より)

 と語るぐらいの方です。とうてい、うちみたいな腐れブログで取り上げるような方ではありません。

 昭和52年/1977年、長谷川泉さんが編集責任者となって、大学の先生たちに声をかけて『直木賞事典』が作成されました。ここに小川さんも参加しているのが運のツキです。果たして、直木賞にどれほど興味を持ってくれていたか、と不安になる直木賞オタクの心配をよそに、きっちりと小川ブシを存分に発揮して、ワタクシの心を癒してくれたのでした。

 たとえば、城山三郎さん受賞に関する文章。のっけから、小川和佑ここにあり、のテイストです。

「城山三郎は最初、杉浦英一の本名で詩誌「時間」「零度」に詩を書いていた。詩人として出発した杉浦英一はその十年後に城山三郎として処女作「輸出」によって「文学界」新人賞を得て順当に作家の道を歩みはじめていた。

(引用者中略)

経済小説の書き手が詩人であったことを選考委員の誰一人知らなかった所が、大変愉快である。」(『直木賞事典』「選評と受賞作家の運命」より)

 あはははは。そんなところを愉快がる人、小川さん以外にいないんじゃないの? っつう点が愉快です。

 それから第41回、渡辺喜恵子平岩弓枝の二人受賞についてにも、「オレは詩には詳しいんだぞ」の顔をチラッと覗かせつつ、根拠なきゴシップを放り込んできます。

「この頃、文学、詩壇を問わず、女流ブーム、才女ブームの時代であり、女流二名の受賞に村上元三も気がとがめたと見えて「偶然、こんどの直木賞は二人とも女性になったが、委員たちは何も才女ブームを煽り立てようという気はない。」とわざわざ断わりを書いているのは、中間読み物は買い手市場の動向が芥川賞よりも敏感なだけに、暗黙裡に、文春の出版部の意向を受け取ってしまった後めたさか。」(同)

 いいっすねえ。あの村上さんの選評を読んで「気がとがめたと見え」てしまう目をもっている、という。「われわれ選考委員は、文藝春秋編集者の意向を意識的に無視して、今後いっさい受賞作は出さないことに決めた」ぐらい言わないと、どんな選評が書かれようが、裏の意図を読もうとするのでしょう。

 いや、小川さんがこのように書くのには、理由がありました。あとの文でこんなハナシが明かされています。

「この回(引用者注:第41回)の選評は各委員ともどうも歯切れが悪いことは既に書いた。仄聞するところによれば、当時の噂では、該当者なしと決まりかけたが、一転受賞者を作りあげたという風聞がしきりに流れた由である。但し、風聞である。」(同)

 つまり、無理やり女性二人の受賞者をつくり出した、っていう「風聞」を重要視して、村上さんの選評を解釈しているわけです。素晴らしい。どうしても風聞は風聞として、こんな場所に書くのを控えたがるものだと思いますが、小川さんの、直木賞観戦者たる資質の十分なことが、非常によくわかる文章だと思います。

 こういう文学賞を文学賞として楽しむ姿勢は、同書に集った他の先生たちに比べても抜きん出たものがあり、だからこそワタクシも『芥川賞物語』では小川さんの発言を、つい引き合いに出してしまったわけです。同志臭がぷんぷん臭うのです。

 『芥川賞事典』のほうでも、小川さんの全開な様子が楽しめます。

「ともあれ今回(引用者注:第58回)は明治学院大助教授・柏原兵三と国学院大学教授丸谷才一という講壇派作家によって、賞が争われたところに芥川賞史を枠組にして考えた場合の面白さがある。」(『芥川賞事典』「選評と受賞作家の運命」より)

(引用者注:第60回で)注目すべきは石川達三の候補作決定までの過程に対する不信と疑問である。この石川説には筆者も全面的に共感している。芥川賞をつまらぬものにしているのは文春社内の一次選考であろう。芥川賞の質低下の責任は彼らの文学観の矮小さにあること石川達三の指摘通りであろう。この回の選評は芥川賞史の注目に価するものである。」(同)

 まったく、小川さんに、きちんとまとまった芥川賞史、書いておいてほしかったっす……。いまから突如、小川史観による芥川賞史が、書かれる可能性はなくはないんでしょうが、おそらく、ないでしょう。心から悔まれます(これは裏の文意なんかありません、ワタクシの本心です)。

          ○

 『直木賞事典』『芥川賞事典』における、小川和佑、衝撃の(?)文学賞病患者ぶり披露から数年。熱く文学賞のことを語る姿が、『サンデー毎日』誌上にてふたたび展開されることになりました。よっ、待ってました!

「第八十七回芥川賞・直木賞はそれぞれ候補作、七篇・八篇。今回は直木賞候補に秀作、問題作が集中していたかに見えたが、受賞発表を見て、果たしてそうだった。

 特に深田祐介の『炎熱商人』(文芸春秋、一、四五〇円)、加堂秀三の『舞台女優』(講談社、一、〇〇〇円)、そして問題作は終戦の詔勅をめぐる航空士官学校将校の反乱を描いた長編ドキュメント飯尾憲士の「自決」(『すばる』六月号)が注目された。今回も前回の八十六回同様、二作同時受賞となる場合、『炎熱商人』は動かぬところだが、もう一作は『舞台女優』か「自決」と思われたが、村松友視の「時代屋の女房」(『野性時代』六月号)は、意外というよりも、こういう組み合わせ方もあったかと、選考委員のバランス感覚に政治家並みの鮮やかさを見せられて感心させられた。」(『サンデー毎日』昭和57年/1982年8月15日号 小川和佑「第八十七回芥川賞・直木賞の受賞作・候補作をめぐって」より)

 受賞の組み合わせ方に、「政治家並みの鮮やかさ」を見るあたりなんぞ、まったく小川さんの視界に曇りなし、です。しかも、まず芥川賞よりも先に直木賞の各候補作について、ぞんぶんに語るところなんぞ、時の直木賞関係者から何かつかまされたんじゃないか、と疑わせる大したお手並みです(真似して裏を読んでみました)。

 小川さんは出が〈純文芸〉ということもあるのか、芥川賞に対しては概して厳しく、『文學界』とかそんな決まりきった雑誌からしか予選を通過させないなんて、お手盛りが過ぎてバカバカしい、といった姿勢を堅持しました。対して直木賞は、文春傾向が強いとはいえ芥川賞ほどじゃないものですから、かなり期待をかけてくれていました。

小川 純文学志望の文学青年が非常に少なくなってしまっている。だから芥川賞候補に出てくる顔ぶれが大体決まってて、相撲でいえば、こげつきの十両力士みたいなのばかり集まって、ちっとも面白くない。

(引用者中略)

小川 ああ、いいなというのがなくて、ノミネート三回とか、五回とかいうキャリアで、いつも出てくる人間は同じ。その点では直木賞の方が救いがある。」(『サンデー毎日』昭和58年/1983年1月16日・23日合併号 小川和佑、武蔵野次郎「小説“失権の時代”83年はどうなるか 文芸対談 82年の回顧と展望」より)

 直木賞も、小川さんが期待するほど新顔ばかりじゃないんですけど……。ただ、何か妙なところから候補作を引っ張り出してくることもある、直木賞の予選選出の変な側面が、小川さんに楽しみと受け取ってもらえて、ワタクシはうれしいですよ。飯尾憲士だとか森瑤子だとか、直木賞は『すばる』の小説も候補にするけど、芥川賞は『オール讀物』の小説なんか絶対に候補にしませんからね。

 時は少し経って昭和61年/1986年。小川さんは隆慶一郎大沢在昌が活躍しはじめた状況を見て、彼らと、そして直木賞にエールを送りました。

「六十三歳の隆慶一郎と、三十歳にこの三月になったばかりの大沢在昌と(ここも対照の妙だが)、いまエンターテインメントは大型新人の出現によって新しい時代を迎えた。

 いずれ近い将来に二人が直木賞受賞を競う日が必ず来る。久々でエンターテインメントがおもしろくなった。このごろの中間小説の宣伝倒れのつまらなさに読者もうんざりしていたところでもあるから。」(『サンデー毎日』昭和61年/1986年4月27日号 小川和佑「エンターテイナーたちの江戸・東京おもしろ今昔プレーゾーン」より)

 直木賞ってやつは、ネジが一本二本外れています。小川さんの予言は、正確には当たりませんでした。エンターテインメントが面白くなったのは、当たったかもしれませんけど。直木賞は規格どおりに動かないのが、売り、っていうか特徴なものでして。

 でも小川さんのことですから、そんなとらえどころのない直木賞も、きっと楽しんでくれたことでしょう。やがて小川さんは、ヤクザな文学賞の話題にかかずらう雑文書きの仕事からは離れ、みずからの研究分野の道に帰っていってしまいました。

 その資質をもってすれば、直木賞(や芥川賞)研究界の分野でも、きっと名を残す人になったのに、と勝手ながら残念な気持ちでいっぱいです。

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