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2012年11月25日 (日)

岡崎満義(『オール讀物』編集部員→『文藝春秋』編集長) 直木賞の歴史を書いた文春マン。ワタクシ、勝手ながら縁を感じます。

岡崎満義(おかざき・みつよし)

  • 昭和11年/1936年11月8日生まれ(現在76歳)。
  • 昭和35年/1960年(23歳)京都大学文学部西洋哲学科卒。文藝春秋新社入社。『週刊文春』編集部に配属。以後、『オール讀物』など各誌編集部を経る。
  • 昭和55年/1980年(43歳)スポーツグラフィック『Number』創刊にあたり編集長就任。その後は『文藝春秋』編集長、編集局長など。
  • 平成11年/1999年(62歳)取締役として文藝春秋退社。

 先日、大森望さんが講演会で、「文藝春秋の元編集者は直木賞・芥川賞のウラバナシを書ける立場という意味で、退社後は、回想録出版の話が来やすい」、って感じのことを語っていました。ワタクシもそれを聞いて、ああ豊田健次さんとか、高橋一清さんとか……と即座に思ったのですが、さて岡崎満義さんなどはどうでしょうか。

 岡崎さんは平成22年に『人と出会う――一九六〇~八〇年代、一編集者の印象記』(平成22年/2010年5月・岩波書店刊)を上梓しました。いやいや。これは直木賞・芥川賞回想なんちゅう、オタク野郎しか興味のないような狭い範囲の本じゃなく、人選は多岐にわたり、両賞のハナシなどほとんど出てきませんよ。ただ、岡崎さんは主に二つの理由で、このブログにご登場いただくのにふさわしい方です。思い切って「(裏)人物事典」に加えさせてもらいました。

 ちなみに、『人と出会う』のなかでは、直木賞の影は薄いわけですが、芥川賞のハナシにはチラッと触れられています。たとえば、こんな一節とか。

「立原さん(引用者注:立原正秋はなかなか気性の激しい作家だった。「剣ヶ崎」という小説が惜しいところで芥川賞になりそこねた。そんな場合、受賞作とともに惜しくも受賞を逸した候補作もいっしょに、『文藝春秋』に掲載するのが長年のならわしだった。昭和四十年上半期、第五十三回の芥川賞は津村節子さんの「玩具」が受賞作となった。

 そのとき、立原さんは編集長宛に「あの『玩具』と並べられるのは嫌だ。どうしても載せるというのなら、私の小説には“候補作”ではなく“落第作”としてもらいたい」という手紙を送ってきたものだ。」(『人と出会う』「立原正秋――早春の産毛」より)

 やっとりますねえ、立原さん。「候補作」なら駄目で、なぜ「落第作」なら我慢できるのか、あまりに心理の機微すぎて、ワタクシのような凡人には理解できないところがありますけど、この利かん気の強さが立原さんの魅力(?)ですよねえ。

 『人と出会う』の「II 文壇・文士・学者あれこれ」の章では、立原正秋さんのほか、司馬遼太郎さん、黒岩重吾さん、田中小実昌さんら直木賞受賞者のエピソードが撒かれています。そのなかに堂々、喰い込んでいるひとりが有馬千代子さん。有馬頼義の夫人です。

 岡崎さんと有馬千代子さんの縁、といえば何でしょう。本文でも書かれているとおり、『オール讀物』(平成2年/1990年8月号~平成5年/1993年10月号)に連載された「想い出の作家たち」シリーズです。

 これは、亡き著名作家の遺族のもとに、岡崎さんが話を聞きに行って構成されたインタビューシリーズ。のち『想い出の作家たち』二巻本(平成5年/1993年10月、平成6年/1994年3月・文藝春秋刊)にまとめられました。奥付のうえでは「編者 文藝春秋」となっていますが、この二冊、まぎれもなく岡崎満義さんの本と言ってもいいでしょう。

 このシリーズは、『オール讀物』という媒体、あるいは最初に採り上げられているのが色川武大(語る人 色川孝子)、ってことからもわかるとおり、直木賞関連作家が次々と出てきます。直木賞そのものというより、直木賞をとった人たちの実生活での楽しい挿話満載、といった本です。

 梅崎春生さんの天真爛漫さ、とか。

「『桜島』でデビューしたあと、たとえば改造社の編集の方が見えて「小説をお願いします」と言われたりすると、ほんとに小躍りして喜ぶのです(笑)。人一倍の自信と矜恃はあったと思うのですが、初めは自分はなかなか世に出ないし、一流の出版社から原稿依頼があるとは思ってなかったかもしれませんから、喜ぶのは無理はありませんが、私はもう少し泰然自若としていれば立派に見えるのに、と思う反面、あまりの喜びようを見て、無邪気で可愛い人だな、と思ったり(笑)。」(『想い出の作家たち1』所収「梅崎春生 語る人 梅崎恵津」より)

 かわいいっすね。

 山本周五郎さんの次男、清水徹さんが語る「賞嫌いのおやじ」のこととか。

早乙女貢さんが一度、仕事場の間門園に来て、ぼくもたまたまそこにいたとき、「ぼくは先生の弟子ですから」と言うと「おれは小説の弟子は持った覚えはない」とはっきり言うのをこの耳でたしかに聞いています。

 書くものというのは、その人の才能だからそれを口で教えたりして伝わるものではないと言っていました。自分で読んで、どういうふうな表現の仕方をしているかを習うわけで、弟子なんか出来るわけがない、弟子なんかとれるわけがない、と親父は口癖のように言っておりましたね。

 親父は賞と名のつくものはすべて断わったということで有名ですけど、これやっぱりらしいんじゃないですか。「魚屋が魚をいっぱい売ったからといって、誰かが表彰してくれるか」(笑)、「いっぱい安く売った魚屋は買ってくれたことだけで表彰されたようなものだ。小説は読者にいっぱい読んでもらえたら、それが賞なんだ」と言いました。(引用者中略)

『樅ノ木は残った』がNHKのテレビドラマになって、文学碑が建てられましたが、親父が生きていたら、まず絶対に建てさせなかったでしょうね。碑なんかできたら、ハンマーを持って壊しに行く、とよく言ってましたから(笑)。」(『想い出の作家たち2』所収「山本周五郎 語り手 清水徹」より)

 なある。新潮文芸振興会なんて、イの一番にハンマーもって怒りくるった周五郎さんに殴り込まれるでしょうなあ。

 ほかにも、柴田錬三郎(語る人 斎藤エイ子)、新田次郎(語る人 藤原てい)、海音寺潮五郎(語る人 末富明子)、立原正秋(語る人 立原幹)、向田邦子(語る人 向田せい)、有馬頼義(語る人 有馬千代子)、今東光(語る人 今きよ)と、みんなによーく知られた直木賞受賞者の日常が、たくさん書かれています。『想い出の作家たち』を読んだだけでお腹いっぱい。大満足。

 ……といったところで、岡崎さんを「直木賞(裏)人物事典」のひとりとして数える理由に、ようやく進みたいと思います(前置きが長すぎた……)。

          ○

 最大の理由は、岡崎さんがひとつの直木賞史を書いてくれていることです。

 直木賞制定60周年記念読物として『オール讀物』平成7年/1995年9月号に掲載された「直木賞の森――制定六〇年、それは幾多の人間のドラマを生んだ」です。

 芥川賞のほうはいざ知らず、直木賞の歴史を書いたものは非常に数が少なく、いつも直木賞ファンは涙を流しているわけですよご同輩。ときどき書かれたものがあっても短かったり、有名受賞者のことをサラッサラッとすくっただけのものがほとんどです。とくに文春関係者の書く歴史は、その傾向から逃れられません。

 岡崎さんの「直木賞の森」は、19字×25行×3段組みで17ページ。400字詰めで50枚ほど、といったところでしょうか。そうとう読みでがあります。多くのエピソードをおさえています。「有名な受賞者にばかり光を当てる」文春病の気が、にじんではいますが、それでも落選尽くしの滝口康彦さんや、『大いなる助走』の筒井康隆さんのことを盛り込んで、バランスを保っています。

「“西国三人衆”(引用者注:古川薫白石一郎、滝口康彦)の一人滝口康彦についていえば、たしか第68回(昭和47年下)の選考委員会では滝口の作品「仲秋十五日」が最後の最後まで残り、委員の間で長く議論がつづいた。殆ど受賞がきまったかに見えたが、結局、わずかの差で受賞にいたらず、惜しいところで「受賞作ナシ」となった。このとき、滝口作品を最後まで強く推した選考委員大佛次郎が、選考会が終わるや憤然と席を蹴って帰っていったのが筆者の印象に残っている。こうなると、運としか言いようがない。賞というものがもつ残酷さの一面を垣間見る思いがした。」(岡崎満義「直木賞の森」より)

 もちろん、「ほとんど受賞がきまったかに見えた」候補者は過去、滝口さんひとりではなかったはずですが、こういうところにお名前が駆り出されるのが、「西国三人衆」と呼ばれるほどの地位を築き、今も読み継がれている滝口康彦さんの存在感の大きさ、なのかもしれません。

 岡崎さんの抱く直木賞観は、どうやら以下の箇所からもうかがえます。

「どんな時代になっても、人間の本質は変わらない、というのは事実である。同時に、社会そのものは猛烈なスピードで変化変質しているのも事実である。その二つの事実のハザマで、「多産」を宿命づけられた直木賞作家たちは、マラソンランナーとしてペース配分をまちがえないように走りきらなければならないのである。」(同)

 こういう直木賞観を持っているからこそ、たとえば穂積驚さんを、直木賞の闇っぽく紹介してしまっているんでしょう。

「樋口進は昭和三十九年にはじめてひらいた「芥川・直木賞展」のために、受賞作家の家を訪ね、展示できるモノを集めて回った。第36回(昭和31年下)の直木賞を今東光と同時受賞した穂積驚を訪ねた。書斎の机の上に「穂積専用」という自分でケイをひいてつくった原稿用紙が厚く重ねられていた。字は埋まっていなかった。「原稿用紙は自分でつくるのが趣味なんです」と穂積は静かに言った。樋口は「直木賞をとるとみんな流行作家になるような気がしていたが……。直木賞にも功罪があって、罪の方を見たような気持だった」と述懐した。」(同)

 ほほう。1960年代のことですか。流行作家を生み出すのが「功」で、自分なりにじっくり作品をつむぎ同人誌で修業に励みつづける人の姿をみると「罪」と感じ取る、そういう感覚を出版関係者に持たせてしまったっていう、何ともイヤな記述です。

 「功」のほうはイイとしても、あなた。なぜ、商業出版の世界で成功しない直木賞受賞者をつくることが「罪」なんですか。ぷんぷん。

 ……などと60年代の人に噛みついても仕方ありません。ただ、いまでも林真理子さんのように、その面にこだわって直木賞に接している人が現存しています。直木賞に執拗にへばりつく「商業出版で売れ続けなければいけない幻想」は、直木賞という事象を形づくる強力な柱なんですよねえ。直木賞って全然、そんな売れ続けるのがどうだ、流行がどうだ、の面だけで語れる賞じゃないんだよ、と逆に思いが募るばかりです。

 ええと、岡崎さんを「(裏)人物事典」で取り上げる理由。二つ目は、非常に個人的なことです。

 ワタクシ、直木賞を強烈に愛好する者でありながら、その総本山ともいうべき文藝春秋に勤める方には、ほとんどお会いしたことがありません。そのなかで、岡崎さんはワタクシが肉眼で間近に姿を見た最初の文春マンなんです。

 岡崎さんは当然、覚えていないでしょう。ワタクシも遠い昔のことで、あまり記憶に残っていません。まだサイト「直木賞のすべて」をつくる前のころです。それでも、ああ、こういう方が直木賞・芥川賞に携わっているんだ、とうっすら思った。……ような気がします。

 岡崎さんの「直木賞の森」には「直木賞が結ぶ縁」と見出しの付けられた項があります。まったくです。直木賞がなければ、お目にかかってン十年、こんなエントリーを書くこともありませんでした。チッポケで細ーいですけど、これもまた直木賞の縁です。

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