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2012年9月23日 (日)

高橋一清(日本文学振興会理事) 直木賞は勝手に決まるのではなく、舵取りしている裏方がいるわけです。

高橋一清(たかはし・かずきよ)

  • 昭和19年/1944年8月5日生まれ(現在68歳)。
  • 昭和42年/1967年(22歳)早稲田大学第一文学部卒。文藝春秋入社。『文學界』+『別冊文藝春秋』編集部に配属。以後、各誌編集部を経る。
  • 平成2年/1990年(45歳)出版部長、『別冊文藝春秋』編集長に就く。平成6年/1994年には文春文庫部長に。
  • 平成8年/1996年(51歳)文藝振興部長に就任し、日本文学振興会事務局担当。平成9年/1997年に同振興会理事となる。
  • 平成17年/2005年(60歳)文藝春秋退社。松江観光協会の観光文化プロデューサーになる。

 いま、直木賞裏方話の第一人者といえば、この方でしょう。松江の観光文化プロデューサーっていう重要なお役目もさることながら、文春退社後の高橋一清さんの働きぶりに、ワタクシはぜひ、「直木賞大使」の肩書きも差し上げたいくらいです。

 『あなたも作家になれる』(平成20年/2008年6月・KKベストセラーズ刊)なんちゅうキワモノめいた著書を出したときには、直木賞に関するエピソードを差し挟んであったものの、一発屋で終わるかと不安がありました。ところが、『編集者魂』(平成20年/2008年12月・青志社刊)、『作家魂に触れた』(平成24年/2012年6月・青志社刊)と、たてつづけの作家交流記。もとい。直木賞裏バナシ。

 シビれました。拍手喝采ものです。直木賞まわりよりも芥川賞関連のことに割かれている量のほうが多いのは悲しいですが、その悲哀感を蹴散らしてくれる高橋さんの語りに、どれだけ直木賞ファンが喜んだことか。おそらく。

 かつて高橋さんは日本文学振興会の事務局で働いていました。第115回(平成8年/1996年上半期)から第124回(平成12年/2000年下半期)までは、振興会を代表して、直木賞の(ついでに芥川賞も)受賞者に、電話で受賞を報せる役目にあったそうです。

 直木賞史からいえば、そんなに長期間ではありません。ただ、直木賞の裏方として、ここまでのぼり詰めるまで大変だったことでしょう。組織人として調和を乱さず、かといって迎合主義に陥らず、サラリーマンとして出世する影には、並々ならぬ努力があったことでしょう。

 たとえば、落選してグズる作家をなだめすかす努力とか。

「一人だけが美味しい酒を飲む。他の候補者たちは落胆するばかり。それが嫌さに、一度落ちると、再びは候補になることを拒否する作家もいた。

「そうは言わずに、もう一度、もう一度だけやりましょう。ここまで来たんですから」

 毎回、説得を続け、最後には私は声が出なくなった。風邪を引いていたので、筆談で説得したのだ。そうして、また候補を承諾してもらい、四回目でやっと受賞に至らせたこともある。」(『あなたも作家になれる』「第一章 芥川賞と直木賞で作家デビュー」より)

 先に紹介したように、高橋さんの『編集者魂』や『作家魂に触れた』は、さまざまな作家に気に入られ、有能であった高橋さん自身の働きを、感じさせずにはいられない本になっています。有能というのは、つまり策士であった、ってことです。

 意地悪くいえば「計算高い」と表現したくなりますが、作家にいいものを書かせる→それをできるだけ多くの読者に読ませる→そのおかげで作家がもっといいものを書ける、みたいな循環を常に意識して、事に当たっていた人でした。

 直木賞・芥川賞授賞式について、高橋さんのこんな言葉があります。

「授賞式の夜、私の心中は複雑であった。苦労をともにした人が、檀上で脚光を浴びている。それを遠くから眺めながら、良かった、と思う一面、これでひとつが終わった、という感じになる。

 編集者は無名を有名にするのが仕事である。世に受け容れられ、それまで誰も知らなかった者が、多くの人の知る者となった時、仕事の大半が終わる。」(『編集者魂』「「芥川賞・直木賞」物語」より)

 高橋さんの場合、「有名になった」とたやすく判断できる恰好の行事が、自分の勤める会社で行われていたことは、幸運だったと思います。たとえば講談社の文芸編集者が、自分の担当する作家が吉川新人賞をとったのを見て「終わった」と感じるのか、それとも「次は直木賞を」と考えるのか、ワタクシにはわかりませんが、少なくとも「有名」の証しである報道の量は段違いです。そんな華やかな受賞光景に、半年に一度、間近に接していた高橋さんの脳内に、「やっぱり直木賞と芥川賞は、話題になってナンボだよね!」という感覚が焼き付けられていったのは、当然のことでしょう。

 まさに。いさぎよい直木賞観だと思います。

「世の中に暗く、心を寒くする事件、出来事が多くなり、新聞も週刊誌もテレビも、明るいニュースを求めている。そのような時、新しい作家の誕生は絶好の話題である。また、話題性に富む受賞も続き、ニュースの扱いも大きく、そしてセンセーショナルなものとなっていく。そうなるような仕掛けを目立たないように画策するのが、事務局長としての私の仕事のひとつでもあった。」(前掲『あなたも作家になれる』より)

 目立たないように仕掛けを画策。……運営の担当者だった人が臆面もなくこういう発言をするようになった、ってところにワタクシは直木賞の成長を見てしまいます。うんうん、そうだよね。高橋さんはもうその任にはありませんけど、いまも、その直木賞観は多かれ少なかれ、振興会のなかに息づいていることでしょう。

 だいじょうぶ。受賞というニュースで小説を買うような人たちは、『あなたも作家になれる』なんか読まないでしょうし、このブログも読みはしないでしょうから。まだしばらく、目立たない仕掛けは有効かと思います。

 仕掛けの例として、高橋さんのお仕事の一端を、少しだけ引用しておきます。

「「予選通過作」が、数にして、芥川賞なら六、七作、直木賞なら七、八作。このとき、私たちはある仕掛けをしていく。

 私は、できるだけ違う彩りをもった作品を選び、豊かな候補作群の中から選ばれるようにしていった。(引用者中略)

 「この次の回には、もう少し違う傾向のものを入れていこう」と、作品を選ぶ段階から、読者や選考委員の声を意識した絞り込みを、ほとんど自然の摂理に従うようにしていくことになる。こうした外からの声の取り込みを怠ると、たとえば三、四人くらいの狭い人間関係の中での葛藤を描いた小説が受賞した場合、次は二人で葛藤するような作品が受賞し、その次は一人で葛藤する、ほとんど精神病理学のテキストのような小説が受賞するといった、ある傾向に拍車がかかったような文学の流れが誕生してしまうのだ。(引用者中略)

 つまり、その受賞作とそれへの評価は、次の芥川賞・直木賞の選び方に影響を与える。」(前掲『あなたも作家になれる』より)

 表に出ている選考委員のために、いろいろ考えて候補作品を選ぶ文春編集者たちあってこその、直木賞なわけですね。

          ○

 で、高橋さんが仕掛けた「話題の受賞」には、直木賞では浅田次郎車谷長吉金城一紀など、芥川賞では柳美里辻仁成花村萬月平野啓一郎などといったものがありました。

 高橋さんが振興会の中枢の仕事に携わるようになったこの時期、1990年代後半以降、果たして直木賞・芥川賞の株が上がったのか下がったのか。まあ、見方はいろいろあるでしょう。

 え? 上がったなんて意見あるの? と即座にツッコみが入るのを流しつつ。ええと、高橋さんの直木賞観は、「無名を有名にする」うんぬんのハナシからおわかりのとおり、やや古風です。直木賞や芥川賞が、無名から有名へのステップだとか、いつのハナシだよ、と思います。

 おそらく数十年後の日本文学振興会の人は、また違った直木賞観をもっているに違いありません。いや、もっていてほしい。ぜひ高橋さんらの世代が培ってきた「話題づくりが役目のひとつ」の感覚を乗り越えていってほしいものです。

 ……乗り越えるもクソもないですか。高橋さんの引いた後、もはや彼の知る直木賞・芥川賞の影は薄くなっている、と高橋さん自身、語ったそうです。

「最近の芥川賞の選考には疑問を感じている、という。「タレント性を優先し、若手作家が受賞する傾向が強まっている。しかし、ほかにも地道に苦労して書いた良い作品もある。このままでは小説を買って読まない時代になって、小説は信頼を失ってしまう」と危惧(きぐ)する。」(『中国新聞』平成20年/2008年6月29日「著者に聞く 「あなたも作家になれる」 高橋一清さん」より)

 いいですね。一線をしりぞいた老人の、責任なき疑義。おれの時代はこんなにスゴかった、あのころの直木賞・芥川賞はずいぶんよかった、ともっともっと言い放ってやってください。あなたが直木賞運営に携わっていた頃に、さんざん言われたようなことを。

 高橋さんは、編集者のことを「名を隠して、人の役に立つ」と書きます。とくに編集者のなかでも、直木賞・芥川賞の運営者は、まず自らの存在をアピールせず、表立った意見を開陳せず、静かに息をひそめたふりをしながら、目立たないように仕掛けを画策してきました。

 しかし、じつは両賞にとって、いかに重要な人たちであることか。直木賞・芥川賞といって、ほぼ作家のことだけが語られ、運営者の営みに筆を及ぼす人が少ないことを、ワタクシは口惜しく思うひとりです。

「「編集者の生きた証」といったら、作品発表の場を係った媒体に創り、後に続く者たちが、それを活用していることではなかろうか。それによって発表者としての喜びを知り、稿料を得る執筆者が生まれ、編集者は新しい才能を世に送り出し、出版社も利益にありつける。それほど役に立つものであるのに、それは誰が創ったか、ことごとく忘れ去られている。編集者は、決して名を出さない。名を隠して、人の役に立つ。これが「粋」というものである。」(『作家魂に触れた』「編集者冥利」より)

 ワタクシが心強く思うのは、そう書きながらも、高橋さんがつづいて野暮を承知で、自分の創った『文學界』巻頭「扉の詩」のことを綴ってくれているところです。

 きっと、高橋さんのなかには、おのれの関わった直木賞・芥川賞運営に関わる小ネタは、まだまだ蔵ってあるはずです。それを今後も、惜しむことなく、ひるむことなく、教えてほしいと切に願います。

 そしていずれは、『芥川賞魂』ではなく『直木賞魂』みたいな本、出してください。って、言うと思いました? ええ、言っちゃいました。

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