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2012年8月12日 (日)

江戸川乱歩(第一次『大衆文藝』同人、『宝石』編集責任) 直木賞とは何の縁もなさそうに見えて、いや、しっかり足跡を遺す、さすが大乱歩。

江戸川乱歩(えどがわ・らんぽ)

  • 明治27年/1894年10月21日生まれ、昭和40年/1965年7月28日没(70歳)。
  • 大正12年/1923年(28歳)『新青年』掲載の「二銭銅貨」で作家デビュー。
  • 大正14年/1925年(30歳)大衆作家で結成された「二十一日会」に加わる。
  • 昭和22年/1947年(52歳)探偵作家クラブ(現・日本推理作家協会)発足、初代会長となる。
  • 昭和32年/1957年(62歳)『宝石』編集(昭和35年/1960年頃まで)に携わり、私財を投じて立て直しをはかる。

 人は誰でも一度は夢想したことがあると思います。もし若き日の江戸川乱歩が社交的でひと付き合いがよく出たがりだったら、彼の名が直木賞選考委員のなかに加わっていたのではないか、と。

 ……まあ、そんな夢想をするのは廃人寸前の重度な病気だから、早く目を覚まして将来を大事にしたほうがいいですよ。……ええ、そんなこと、言われなくてもわかっていますよ、放っといてください。

 で、江戸川乱歩さんです。大正14年/1925年、鼻息あらい白井喬二が音頭をとって大衆作家による「二十一日会」が発足しようというとき、小酒井不木さんを通じて入会を打診されたものの、ふん、探偵小説は大衆文芸なんぞの一分野じゃないぞ、と仲間に加わるのを躊躇した、あの乱歩さんです。

 小酒井さんから話がきたときに、同人となる予定として乱歩さんに伝えられたメンツは、九人でした。平山蘆江、本山荻舟、白井喬二、国枝史郎、矢田挿雲、長谷川伸、土師清二、直木三十三(のち三十五)、池内祥三……。どこからどう見ても、通俗講談上がりの(おっと失礼)時代作家陣で、そこに小酒井さんが入ってくれるにしても、えー、こんな連中と仲間と思われちゃうのー、いやだなー、と乱歩さん、ややヒいてしまいます。

「私は当時、探偵小説が大衆小説の一部分の如く取扱われることに疑問を持っていた。英米では、探偵小説は広く大衆に理解されているが、日本では、純探偵小説の愛好家というものは、純文学の読者よりももっと少ないように思われた。(引用者中略)もともと純探偵小説は、学問と芸術の混血児の如きもので、純文学でもなければ所謂大衆文学でもない、一種特別の小説形式であり、少なくとも日本ではごく少数の人々にしかわからないのだという一種の勿体付けをして、その稀少性を却って喜んでいたのである。

(引用者中略)

 探偵小説は特殊の文学ジャンルであって、その高さに於て純文学と同位のものもあれば、その面白さに於て大衆文学と同位のものもあり、一概に大衆文芸と極めてしまうことは出来ないという考えを持っていた。まして、大衆文学のほんの片隅の座席を与えられる如きは、最も快しとしないところであった。」(平成18年/2006年1月・光文社/光文社文庫 江戸川乱歩・著『江戸川乱歩全集28巻 探偵小説四十年(上)』「大正十四年」より ―定本『探偵小説四十年』昭和36年/1961年7月・桃源社刊)

 日本の探偵小説はまだ産声を上げたばかりでしたが、大衆文芸のほうだって似たようなもので、軽蔑や誤解を解消しようと、直木さんや白井さんたちが立ち上がろうとしていました。もしも、そこで乱歩さんが本気で握手をし、彼らとともに大衆文芸運動の急先鋒となっていたのなら……。『文藝春秋』の「大衆文芸」枠にももっとたくさん登場したかもしれません。昭和9年/1934年の段階で、「直木三十五と交誼あり、かつ文藝春秋社と関係深き」人リストのなかに、乱歩さんが入っていたとしても、おかしくなかったわけです。

 なにせ乱歩さんは、大正末期からずーっと、探偵小説作家の第一人者と見られていました。じっさい、文春が「権威ある賞」をつくるにあたって、探偵文壇から選考委員を誰かひとり、と考えた場合、乱歩さんを省いて他はいなかったでしょうし。

 直木賞は戦前、20回のうち、たったひとりしか探偵小説家に授賞しませんでした。むろんそれは乱歩さんだけの責任じゃありません。というか、仮にたくさんの作家が直木賞を受賞したとして、だから何なんだ、とも思います。ただ、「探偵文壇から直木賞受賞者は一人だけ」の状況が長らく続いた現実は、多少なりとも、乱歩さんに関係していたんじゃないかな、と。

 その唯一の受賞者、木々高太郎さんが直木賞に選ばれたとき、乱歩さんはどうしたか。純粋に喜んでいます。

「昭和八年頃から日本の探偵小説界に一つの新らしい機運が動きはじめていた。そして、それが九年、十年、十一年と加速度に醞醸されて行って、昭和十二年度には最高潮に達し、翌十三年頃からはやや下降沈滞の趣きを見せているように感じられる。(引用者中略)

 探偵小説界内部に盛り上った力は、遂に文壇全体の認める所となり、広くジャーナリズムの受け入れる所となり、(引用者中略)これら出来事のうちで、最も世間に印象を与え、探偵小説界新人の擡頭を確認せしめ、形としてこの隆盛期の頂点を示したものは、昭和十二年二月、木々高太郎君の直木賞受賞であった。(引用者中略)

 私は当時執筆をつづけていた「探偵春秋」の「蔵の中」という随筆の中に「燃え出でた焔」と「直木賞」の二小文を書いて、ささやかな祝意を表したのであるが、その小文の中に「僕は昨年の初め讀賣文芸欄に探偵文壇の新たなる情熱という一文を書いて、焔は建物の中に燃えている、ただそれが外へ吹き出すまでに至っていないばかりだと云ったが、一年の後、その焔の一つが外へ吹き出したのである」と、私の予測の的中を喜ぶ言葉を書き加えないではいられなかった。」(平成17年/2005年2月・光文社/光文社文庫 江戸川乱歩・著『江戸川乱歩全集25巻 鬼の言葉』所収「探偵小説十五年」より ―初出『江戸川乱歩選集』昭和13年/1938年9月~昭和14年/1939年8月・新潮社刊)

 探偵文壇の飛躍と、頼もしい後輩の登場を喜ぶ姿、ほほえましいですね。……と言いますか、乱歩さん。あなた自身が「外へ吹き出した焔のひとつ」に、あまり関与していないことが、ワタクシは寂しいです。

 探偵小説を一般文壇に認めさせる方法は、実作で頑張る以外にも、数々ありました。たとえば、そのひとつが「直木賞に推薦する」策です。いまでもそうらしいですが、直木賞は作家・評論家などに、推薦作品を乞うアンケートを発送しており、第1回第14回までは、誰がその回答を送り返してきたか、名簿が『文藝春秋』に掲載されています(『芥川賞全集』でも確認できます)。

 そのなかには、『新青年』編集部の水谷準もいます、横溝正史もいます。あるいは作家陣では、大下宇陀児、小栗虫太郎、木々高太郎らもいます。彼らは、文春からの求めに応じて、きちんと直木賞に推薦したい作品を答えているのです。

 で、乱歩さんが、このアンケート送付先から洩れていた、なんてことがあり得るんでしょうか。普通に考えて、乱歩さんのもとにも、回答用紙は届いていたんじゃないんですか。でも乱歩さんは、回答しなかった。推薦回答者リストのなかに、「江戸川乱歩」の文字は一回も見出せません。

「私はここ三年ほど推理小説雑誌「宝石」の編集を引き受けているが、推理小説界を盛んにすることは、それ以前からもたえず心がけてはいた。日本探偵小説クラブを作ったのも、「江戸川乱歩賞」という生意気なものを設定したのも、現在「宝石」を編集しているのも、すべてそういう気持のあらわれである。戦前の私は人ぎらいで社交をしなかったので、なにもできなかったが、戦後は人づきあいがよくなり、いろいろ作家誘い出しにもつとめたのである。」(平成18年/2006年2月・光文社/光文社文庫 江戸川乱歩・著『江戸川乱歩全集29巻 探偵小説四十年(下)』「昭和三十二年以降」より 太字・下線は引用者による)

 乱歩さんが直木賞選考委員に選ばれなかったこと。乱歩さんが直接、いわゆる一般文壇のなかに探偵小説を拡大させようとしなかったこと。……その二つが、木々さんひとりしか受賞者にならず、木々さんひとりしか選考委員にならず、戦前から昭和30年代なかばまで、探偵小説・推理小説が直木賞に選ばれなかった遠因ではないか、とそう思わずにはいられません。

 ええと、だから探偵・推理文壇にとっては不幸だった、とか言いたいわけじゃないんですけどね。誤解なきよう。

          ○

 ああ、乱歩さんがもっと古くから本気になっていれば、戦前にもあと何人か、探偵文壇から直木賞受賞者が出ていたかもしれないよなあ。と、夢想してしまうのは、アレです。実際に本気になった乱歩さんのおかげで、ポン、ポーンと受賞者が誕生した昭和30年代を、目にしてしまったからかもしれません。

 多岐川恭さん。乱歩さんいわく「『宝石』が発見し『宝石』が育てた作家」です。しかも、あなた江戸川乱歩賞まで受賞してしまっている、という。乱歩なくして多岐川なし、です。

「多岐川恭君は雑誌「宝石」が発見し「宝石」が育てた作家である。探偵作家としては、木々高太郎君以来二番目の直木賞受賞者となったことは、実にうれしい。(引用者中略)

 直木賞の対象となった河出版短編集「落ちる」には七編の短編を収めているが、書おろしの一編を除いてはことごとく「宝石」に発表されたものばかりで「宝石」の作品が初めて広い世界に認められたという喜びを禁じ得ない。」(平成8年/1996年10月・河出書房新社刊『江戸川乱歩 日本探偵小説事典』所収「多岐川君の作品」より ―初出『宝石』昭和34年/1959年3月号)

 やっぱね、木々さんのときより、乱歩さんの「直接手がけた」感が圧倒的に違います。

「乱歩さんほど、新人発掘に熱意を傾けた人はないだろう。私も、運よく乱歩さんの網にひっかかった一人であった。

(引用者中略)

 「宝石」に発表したいくつかの短篇が、河出書房で本になり、直木賞をもらうことになった。だから、乱歩さんの推挽がなければ、たぶん私は賞をもらえなかったろう。」(同書所収 多岐川恭「乱歩さんの原稿用紙」より ―初出『江戸川乱歩全集月報13』昭和45年/1970年4月・講談社刊)

 いまとはちがって、「探偵小説」のレッテルの付いた小説が、まさか直木賞をとるとは、まったく意外なことだったでしょう。紀田順一郎さんも当時の書評で、

「「宝石」に載った短編を集めた一本であります。それが直木賞だということで、びっくり驚天、作者自身も意外だと言ってるほどでありますが、」(平成18年/2006年4月・松籟社刊 紀田順一郎・著『戦後創成期ミステリ日記』より ―初出『SRマンスリー』16号[昭和34年/1959年2月])

 と書いているほどで、その分、乱歩さんの喜びもひとしおだったことでしょう。

 そして、それから一年後には、戸板康二さんまで受賞してしまうのですからね。やるなあ、乱歩、このデキる男め。

「探偵小説は小説家志望青年よりも、かえって他方面で一家をなした人が、余技として書いた場合に成功率が多いという考え方があり、一昨年私が専門雑誌「宝石」の編集に当るようになってから、そういう人々を探し求め、試作を勧めているのだが、この本の著者戸板康二さんは、その勧めに応じて「宝石」誌上に処女探偵小説を発表され、非常な好評を博し、現在も隔月に同誌上に、この老優名探偵物語を書きつづけておられるのである。私の勧めで書く気になってくださったのだから、甚だ鼻が高いわけで、戸板さんには大いに感謝しているのである。」(前掲『江戸川乱歩 日本探偵小説事典』所収 江戸川乱歩「『車引殺人事件』「序」」より ―初出『車引殺人事件』昭和34年/1959年6月・河出書房新社刊 戸板康二・著)

 ここで重要なのは、乱歩さんが「勧めた」こともさることながら、その後押しを継続させたおかげで、戸板さんが「書きつづけた」ことです。処女作「車引殺人事件」一作だけでは、当然、戸板さんの直木賞受賞はあり得なかったわけですから。

「江戸川さんが、すすめ方がいかにもお上手で、毎回ルーブリックで、またあとを書かなくてはという気になるような紹介をしてくださったため、ついつい、書いたというのがほんとのところだが、こうなれば、いつやめてもいいというわけには行かなくなってしまった。

(引用者中略)

 (引用者注:昭和35年/1960年1月)二十二日の夜、江戸川さんのお宅にうかがって、(引用者注:直木賞受賞を)祝っていただいた。「宝石」に書く機縁を与えられたのも、その後たえず激励を受けたのも、みんな江戸川さんの厚意によるものである。」(同書所収 戸板康二「直木賞前後」より ―初出『宝石』昭和35年/1960年3月号 太字・下線は引用者による)

 乱歩さんが、探偵小説を大衆文芸に組み入れることに違和感を覚えてから約30年。探偵小説専門雑誌から、ひとり、ふたりと直木賞受賞者が誕生し、以降、乱歩賞作品だったり、推理小説叢書の一冊だったりが、直木賞候補作に並ぶことも、まったく不自然ではなくなっていきました。

 それだけでは終わりません。乱歩さんが植えつけた新人発掘の芽は、乱歩賞の隆盛というかたちで広く根を張り、いまなお彼の名前は、しっかりと直木賞の世界のなかで息づいています。

 直木賞ファンとしては、何と嬉しいことでしょうか。あの乱歩さんが、直木賞とは無縁の人物のままであっておかしくなかった乱歩さんが、身近な存在でいてくれるのですもん。

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