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2012年8月26日 (日)

山本容朗(文芸評論家) 1970年代、批判を受けつつ、それでも直木賞の予想や下馬評記事を書きつづけた。

山本容朗(やまもと・ようろう)

  • 昭和5年/1930年4月20日生まれ(現在82歳)。
  • 昭和29年/1954年(23歳)國學院大學文学部国文科卒。前年秋ごろから編集業を始め、角川書店入社。
  • 昭和38年/1963年(33歳)『週刊朝日』ゴシップページ「カクテル・パーティ」を、十返肇の代理で執筆。
  • 昭和40年/1965年(34歳)角川書店退社。文筆業に就く。
  • 昭和45年/1970年(39歳)ごろから約10年間、『報知新聞』で直木賞・芥川賞の予想を担当。

 山本容朗さんのことを「文芸評論家」などと呼ぶのは、背中がこそばゆくて仕方ないのです。ワタクシにとっての容朗さんは、そんなジャンルの人ではありません。

 はっきり言いましょう。容朗さんにいちばんピッタリくる肩書きは「文壇ゴシップライター」だと思います。そして、70年代から80年代には、直木賞・芥川賞を語らせるならこの人、っていうぐらいの圧倒的な地位を築き上げました。

「この十年来、いつの間にか私は芥川・直木賞の前になると、この賞の予想をすることになってしまった。不断から小説は、わりと愉しみとして読んでいるが、「オール讀物」で『雨やどり』を読んだ時「今度の(引用者注:第72回 昭和49年/1974年下半期)直木賞はこれで決まり」と、確信した。毎回、文藝春秋からくるアンケートにはもちろん、「雨やどり」と書いたし、予想もその通り書いた。」(昭和57年/1982年9月・文化出版局刊 山本容朗・著『作家の人名簿』所収「半村良」より)

 編集者時代からの人脈を生かして、作家たちの裏バナシを蒐集。フリーとなってからも、酒飲み仲間を中心に、広い交友関係を保つ。文壇内の話題、といえば当然「文学賞」のことは外せず、直木賞・芥川賞の選考会が近づいてくれば、誰が受賞しそうかの下馬評を聞き集め、メディアを通じて発表し、当日には会場の新喜楽まで足を運んで結果を見届ける。……

 直木賞史において、直木賞騒ぎを焚き付けてきた、この人の偉業を忘れるわけにはいかんのです。

 まずは「予想」。1970年代から10年ほど『報知新聞』の予想記事を担当して、直木賞予想文化の発展に尽力してくれました。

「昔、僕は報知新聞で10年くらい芥川賞と直木賞の予想をやってたんだよ。競馬みたいに本命、対抗、穴と並べてね。一部で神聖な文学を競馬みたいにやりおって、と文句がきたけど(笑)。けっこう当たったよ。」(『自由時間』平成8年/1996年7月4日号「直木賞は職業作家としてやっていくための免許状だ。」より ―取材・文:岡崎武志)

 印をつけるだけでなく、予想インタビューなんかも。

第八十二回、私は、候補作を新聞発表で見た時何故か体の力が抜けて淋しい気分になった。それでも、この十年間ほど、この二つの文学賞(引用者注:直木賞と芥川賞)の予想をすることが年の初めの仕事の一つになってしまったので、候補作品を読んだ。そして、ごらんになった方もいると思うけれど、『報知新聞』(一月十四日)にしゃべった。(引用者中略)

『報知新聞』は、私へのインタビューに、

「花も実もある……とはいかぬ」

 と、まことに言いえて妙のタイトルをつけていた。「直木賞は、芸能畑の人たちが進出してきて、話題性、つまり花はあるけれど、実がない。一方、芥川賞。こちらは、花がないし、小ツブだが、実があり」といったようなことをしゃべった。」(昭和55年/1980年11月・潮出版社刊 山本容朗・著『新宿交遊学』所収「芥川賞・直木賞受賞作家点描」より ―初出『週刊小説』昭和55年/1980年2月22日号)

 あるいは、昭和50年/1975年ごろから『週刊読書人』の「文壇レポート」欄で、「芥川・直木賞の季節になると、いつも私の感想をふくめて、下馬評を紹介している」そうです。目にした方はぜひ容朗さんの予想屋ぶりに注目してみてください。

 それと、容朗さんは結果が出た後のフォローも綿密です。

 自分は、誰のどの作品をとると思っていたか、なあんてことも付け加えながら記事を書いたりします。本来は、その作品が実際に受賞したあとだと、いかにもみずからの慧眼ぶりを自慢しているかのようで、ちょっとイヤミです。

 しかし我らが容朗さんは、そんなことは気にしません。直木賞大好き精神が、他人にどう思われるかなどという心配を上まわって、どんどん直木賞バナシを繰り出してくれます。嬉しいぞ。

「『斬』の連載は昭和四十六年の二月号から一年間だった。私は当時、吉岡(引用者注:吉岡達夫)とよく会う機会があって、一、二回を読んだ時、彼に「ツナさん(引用者注:綱淵謙錠はこれで直木賞をとれるでしょう」と言ったことがあった。」(前掲『作家の人名簿』所収「綱淵謙錠」より)

「五月中旬になると、文藝春秋のなかの日本文学振興会から「芥川賞・直木賞」のアンケートの封書がとどく。選考会は七月のはずだ。直木賞には迷うことなく、この向田(引用者注:向田邦子さんの「あ・うん」に一票を投じた。」(同書所収「向田邦子」より)

「今回(引用者注:第80回の直木賞は、虫明亜呂無『シャガールの馬』と、宮尾登美子が、巷の噂で、有力だった。私は、その有力説に少し水をさし、有明夏夫が面白かったと、書いた。だが、これとて確信はないとつづけた。

 受賞前に、下馬評を書くことについて批判的な声もないではないが、私は、これも仕事のひとつだと心得ている。

 有明夏夫の下馬評は、上々のものではなかった。私は、聞かれると個人的な趣味だけれどと、前置きして、『大浪花諸人往来』をあげていた。だが、否定する声の方が多かった。」(『文壇百話 続・ここだけの話』「芥川・直木賞」より)

 そうですか。昭和54年/1979年の段階で、賞のまえに予想や下馬評なんぞを書いて、「なーに、文学賞をネタにして〈評論家〉ヅラしてるあのオジサン、気持ちわるーい」と白い眼で見られていたのですね、容朗さん。同情申し上げます。しかし、そんな良識派の視線を気にしつつ、直木賞スポークスマンの姿を守りつづけた、あなたの姿に、ワタクシは感動すら覚えてしまうのです。

          ○

 容朗さんは、文藝春秋とも大の仲良しでした。先にもいろいろ引用しましたが、直木賞・芥川賞推薦アンケートに回答する権利を有していた、なあんてところからも、それはわかります。

 『別冊文藝春秋』や『オール讀物』にもさまざまな原稿を書きました。とくに、これらの媒体に直木賞(や芥川賞)について書くときの容朗さんは、あまりにお似合いの場所というか、ハマリ役というか。

 過去のエピソードをまじえて、直木賞観を一席ぶってくれます。発表当時はたぶん新鮮な売り物だったでしょうし、いまとなっては貴重な直木賞資料です。

「回からいうと十七回に史上、稀有な山本周五郎の直木賞辞退がおこる。

 この事件は名だけ知られているが、意外と内容は案外知られていない。」(前掲『新宿交遊学』所収「選後評にみる芥川賞・直木賞」より ―初出『別冊文藝春秋』132号[昭和50年/1975年6月])

 へえ、40年ぐらい前には、まだ山本周五郎さんの直木賞辞退のハナシは、そんなに流布していなかったんだあ。

 この「選後評にみる芥川賞・直木賞」は、かなりの割合を芥川賞に費やしていて、その点直木賞ファンをイラッとさせるシロモノなんですけど、最後の最後で容朗さんの、直木賞観が表明されています。世のわからず屋たちに、バシッと言ってやってください、先輩。

「芥川・直木賞は、簡単に言えば、めぐり合いの厳しく、心優しい舞台ともいっていいのではないか。この間、いろいろな作家と作家が出逢う。新しい作家の誕生と同様にこれも、亦、愉しみなのである。」(同)

 選評を追うたのしみは、作家(候補作家)と作家(選考委員)の出逢いのさまにもある、という。さすがスーパー文壇ゴシップライターは言うことが違いますね。

 ちなみに容朗さん、さすがに半年ごとに両賞に付き合って併走することの馬鹿バカしさに気づいたか、あるいは容朗さんといえども「良識」を持っていたものか、次第に直木賞騒ぎからは離れていったようです。

 その離れていく過程のなかで、昭和61年/1986年に直木賞・芥川賞改革案、ってやつを提示しました。

「この両賞を、戦後復活した昭和二十四年夏から、注意深く見守ってきた一人として、現状を肯定することはできない。

 芥川賞は、直木賞はどうなるのだろう、という危機感がつのるばかりである。

 芥川賞は、直木賞は、この国の文学の問題ともかかわりあっているのである。」(『kakushin』昭和61年/1986年9月号 山本容朗「直木B賞設立のススメ」より)

 わあ。そうですか。容朗さんも直木賞から文学を語ろうとしちゃいますか。

 ……とゲンナリしつつも、せっかくなので容朗さんの改革案4つをご紹介しまして、今日は締めたいと思います。

「①選考委員は、現在、両賞の受賞者のなかから選ばれているが、これを一考出来ないか。(引用者中略)例えば、小説好きな歴史学者とか、科学者などを選考委員に入れられないか。それから、すぐれた読み手と目されているジャーナリストを一人。」

「②両賞ともに年に一回。これは、なにも私ばかりの提案ではない。」

「③直木B賞を設立したら、どうか。(引用者中略)面白さの追求、それだけだって賞を与えればいいじゃないか、というのが直木B賞の設立提案だが、すると、隆慶一郎、夢枕獏、菊池秀行なんて、生きのいい作家が候補にあがってくるだろう。(引用者中略)直木賞は、文学の匂いを消してはならない。なくて面白いものは直木B賞へ廻ればいい。」

「④受賞者は、二年間、講演を節シ、原稿を書くべし。」(同記事より)

 以上4つ。30年前に容朗さんが危機感をもって提案してくれた項目、どれひとつ実行されたものはありません。ああ。いったい、ワタクシたちがいま目の前にして、半年ごとにワーワー言っている直木賞って、何なんでしょう?

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