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2012年7月22日 (日)

大森望(SF翻訳家) いつのまにやら、直木賞・芥川賞の性質をそのまま体現したかのような人に。

大森望(おおもり・のぞみ)

  • 昭和36年/1961年2月2日生まれ(現在51歳)。
  • 昭和58年/1983年(22歳)京都大学文学部卒。新潮社に入社。在職中よりSF小説の翻訳や、映画・書籍の紹介を行う。
  • 平成3年/1991年(30歳)新潮社を退社。
  • 平成15年/2003年(42歳)エキサイトブックス内に「文学賞メッタ斬り!」対談(対談相手は豊崎由美)が掲載される。

 平成16年/2004年3月以来、『文学賞メッタ斬り!』シリーズは4冊が刊行されてきました(いずれも大森望・豊崎由美・共著、パルコ刊)。まもなく8月には5冊目、「ファイナル」が発売されるそうです。とりあえず、書籍のかたちではそれが一区切りのようで、お疲れさまでした、と言いたい気分です。

 この8年間、直木賞を盛り上げてきた事象として、「文学賞メッタ斬り!」を挙げない人はおりますまい。うちのブログでも、やはり何度か取り上げてきました。

 今日の主役は、コンビのお一人、大森望さんです。

 と言いますのも、アレです。大森さんの「文学賞との関わり方」、あるいは「関わられ方」こそ、ある意味、文学賞(とくに直木賞・芥川賞)そのものを体現している、と言えるからです。

 昔から文学賞は、だいたい「文学の一事象」だととらえられてきました。文学賞に対して物をいう資格があるのは、作家であり文芸評論家であり、または文芸記者、文芸編集者あたりだ、と思われてきたフシがあります。

 しかし、当然だれだって気づいていたはずです。文学賞が文学? んな馬鹿な。

 石原慎太郎が話題になったり、村上龍の風貌が世間に知れ渡ったり、三好京三がボッコボコにされたり、高村薫の発言にミステリー厨が激怒したり。文学賞は、文学なんて別にどーでもよく暮らしているそこらの人たちが、「文学賞は何だかスゴいもの、っていう幻想」を前提に、その場その場で騒ぎに目を向けてきたことで、生き永らえてきた興行ではないか、と。

 つまり、文学賞って、文学専門でない人たちの力で支えられてきたんじゃないのか、と。

 斎藤美奈子さんも、一冊目の『文学賞メッタ斬り!』を書評したときに、こんな感想を述べていました。

「この本は文学賞そのものを俎上にのせ、裁く側である選考委員も裁いてしまえという大胆不敵な試みである。(引用者中略)

 もっとも、このレベルなら文学に多少興味のある人ならだれもが居酒屋談義の話題にしていたような内容ともいえる。」(『週刊朝日』平成16年/2004年4月16日号 齋藤美奈子「本のひとやすみ 巷の騒ぎに背をむけて」より)

 はい。そこ、重要だと思います。この本に付けられた両者の肩書きでいうなら「SF翻訳家」と「ライター」による、居酒屋談義がじつは、文学賞の現状を楽しく見させてくれる、という。

 もちろん、それは二人の芸達者さゆえなんですが、「文学賞」は、文学における既成の主流派でないところで語られても、十分面白い、っていう現実を、まざまざ示してくれました。とくにワタクシ、文学とは無縁な環境で直木賞が大好きになってしまった人間なものですから、もう嬉しいことこのうえない企画でした。

 それだけではありません。そこから「文学賞メッタ斬り!」&大森さんがたどった道のりが道のりでした。いかにも文学賞そのものがたどりそうな道すじを歩んだのです。

 まずは「文学賞メッタ斬り!」の歩みを見てみます。

 この企画はブレイクするや否や、まわりからは「文学賞に対抗するカウンターカルチャー」、「文学賞の裏を暴く、反権力」と見られてしまったのです。本人たちの思惑とは裏腹に。

「前田さん(引用者注:前田塁+)の話を聞いていると、「『文学賞メッタ斬り!』は文学賞の欺瞞を暴いた、だから書評の欺瞞も暴け」というように、汚い大人社会の嘘を暴く役割を期待されている感じがしたんですが、べつにそういうつもりはなくてですね。豊崎さん(引用者注:豊崎由美)の言でいえば、「大相撲も八百長あるけど、八百長叩きも楽しいじゃん」みたいな感じで、もうちょっと別の見方をしましょうと。「いろんなことがあるけれど、それもコミでおもしろければいいじゃないか」という立場なので。もちろん個々のケースとしては、「いくらなんでもこの選考はひどい」みたいなことはありますけれど、必ずしもその嘘を暴こうとしているわけではない。少なくともぼくは社会正義の側に立っているつもりはないんですよ。」(『早稲田文学』2号[平成20年/2008年12月] 「早稲田文学十時間連続シンポジウム ポッド4読者と小説 批評と書評、文学賞」より)

 しかし、本人がどう思おうが、判断するのは読者や世間。つうのは、直木賞や芥川賞がさんざん受けてきた試練です。いや、直木賞・芥川賞に限らず、世にさらされたものは、たいがいそういうもんですけど。

「文学賞や文壇という権威にたてつくカウンター的存在として生まれ、それゆえに衆生の喝采を受けるに至ったにもかかわらず、気づけばおのれ自身が権威と化している。年度版になってからの「メッタ斬り!」シリーズからはそんな腐臭がぷんぷん臭うのだ。」(『週刊現代』平成20年/2008年6月14日号「ナナ氏の書評 反権威のはずがいつの間にか権威に変貌!?」より)

 権威と言いましょうか、スタンダード化してしまったと言いましょうか。新たに文学賞に接する人たち、あるいはそこまで文学賞に興味のなかった人たちが、いまの直木賞を見るときに、どうしても大森・豊崎フィルターから逃れられない、っていう現象は発生したと思います。

 最近、ネットを見ていたら「直木賞・芥川賞候補に、本命・対抗・大穴をつけて予想するのって、メッタ斬り!が発明したものでしょ」みたいな見方があって、感慨深いものがありました。あ、あのう、それってさんざん昔からスポーツ紙とかで行われてきた伝統なんですけども……。

 いやいや。何を言ってけつかる直木賞オタク。誰がどこで発明したかなんて、どーでもいいのさ。何となく聞きかじった知識と、想像・妄想・願望をミックスして語るなんて、文学賞の世界では当たり前ではないか。……ごもっとも。とくに、いま語られている直木賞が面白いのは、おおかた、そのような直木賞観が跋扈しているからであることは、ワタクシも認めざるを得ないのです。

 「文学賞メッタ斬り!」もまた、大森さんや豊崎さん自身の手を離れ、まわりから好き勝手放題に言われる。まさに本家・文学賞の姿を見ているかのようです。ワクワクします。

 ちなみにワタクシは、この企画の大ファンです。じつは、直木賞を権威と見なす人間が一定数いることで直木賞が面白く見えるのと同じように、「文学賞メッタ斬り!」を権威と感じる人がいてくれるほうが面白いよなあ、とこっそり思っています。

 時も時、本日7月22日24時から、第147回の結果編が放送されます。書籍は「ファイナル」だそうですが、お二人の直木賞談義は、ずーっと先まで続けてほしいと願っています。

          ○

 〈権威〉ってことで言うなら、大森さんの「メッタ斬り!」以降の〈権威〉化ぶりは、もうハンパありません。

 何の権威か、といえば、当然〈文学賞の権威〉です。

 大森さんといえば、SFを愛し、SFに生涯を捧げ、すべての興味はSFに集約されるほどの方です。いわずもがな、ですが。

「見境なくいろんな仕事を引き受けてきたおかげで、ここ十年ばかり、なにが本業なのかさっぱりわからない状態が続いてますが、自分ではあくまでSFがホームグラウンドだと思っている。というか、個人的には、高校生の頃からずっと、「SF読者であること」が第一のアイデンティティなのである。

 かつて渡辺貞夫は、「オレがメシを食ってる。それがジャズだ」という名言を吐いた(うろ覚えの孫引きですみません)。僕の場合、さすがに食事中はSFのことを忘れがちですが、あとはアニメを見てもミステリを読んでも文学賞を語っても子供を育てても、根っこのところではどうしてもSFファンの見方・読み方・語り方・育て方になってしまう。その意味では、根っから“SFの人”だし、本業は“SF業”かもしれない。」(平成17年/2005年6月・太田出版刊 大森望・著『現代SF1500冊 乱闘編1975-1995』「おわりに」より)

 え、どうですか。直木賞とさんざんバチバチやり合ってきたSF畑、そのSFをこよなく愛する人が、なぜかいまでは〈文学賞の権威〉。何の冗談かと頬をつねってみますが、現実なのです。痛快このうえなし。

 とにかく各種媒体を見ても、エンタメだろうが純文学だろうが、文学賞(新人賞含む)の話題となると、大森さんにコメントが求められてしまう、という。これを〈権威〉といわずして何と言いましょう。

 たとえば最近でいえば、日本医師会が創設し『小説新潮』がバックアップする「日本医療小説大賞」が創設されました。文学賞ネタってこともあり、大森さん、コメントしています。

「ブームともいえるこれらの動き(引用者注:医療小説が各誌で特集されている動き)が定着するには、医療小説大賞が、あまたある文学賞の中で存在感を示し続ける必要がある。前出の大森さん(引用者注:大森望)は「すでに名の知れた作者に、功労賞のように授賞するのではなく、新しいスターを発掘するような形で該当作を選ぶことができれば、さらに盛り上がっていくのでは」と指摘する。」(『中日新聞』平成24年/2012年6月13日夕刊 「本の現場から 医療小説で新たな賞 注目ジャンル定着なるか」より ―署名:中村陽子)

 ちなみに、この記事での大森さんの肩書きは「評論家」。そうかあ、もちろんSF(の本やら映画やらの)評論から出発して、その他のジャンルの書評もたくさんされてきた方なので、「評論家」でもいいんですけどね。

 過去、新聞などの媒体で、文学賞ネタのときにコメントするような人たちは(前に取り上げた小松伸六さんも含め)、たいてい「文芸評論家」筋だった流れがあります。ここでいっちょ、「いろんなところで文学賞のこと語っている人の肩書きが〈SF翻訳家〉だって。ナイス!」と言える時代に突入してほしかったんですが。まだ、そこまで期待するには、時代が早すぎたようです。

 まあ、〈文学賞の権威〉といっても、大した権威でないところが、文学賞界の(そんな界あるのか!?)悲しいところではあります。

 ……ごめんなさい。言い間違えました。大した権威じゃないことは、全然悲しむべきことじゃありませんでした。

 本家・文学賞においても、とくに直木賞・芥川賞にとって〈権威〉なんてものは、昔から、あるようなないような幻のようなものでした。両賞の第1回が始まる前、『読売新聞』の記事で「この賞は権威あるものにしようと狙っているようだが、あの選考委員の顔ぶれじゃあね。権威になるかなあ」などと揶揄られていたり。「直木賞・芥川賞はまだ権威がある」vs.「いや、型ばかりの宣伝に堕し、もう昔ほどの権威はない」の論争(?)が綿々とつづけられ、それが直木賞・芥川賞の歴史の一角を築いてきました。

 権威が、じっさいそこにあるのかどうか、はっきりした基準がないままの、人それぞれによる意見、あるいはイメージ。それもまた、文学賞とセットで語られる〈権威〉ならではの、面白さだと、ワタクシは思います。ほんと。大森望さんを傍から見ていると、直木賞・芥川賞にまつわるアレコレ全般を人格化した〈文学賞人間〉とは、まさにこの人だ!と言いたくなりますよ。

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コメント

お邪魔します。

「オレがメシを食ってる。それがジャズだ」と言ったのは、かのマイルス・デビィスです。
よろしく!!

投稿: みかん | 2012年7月23日 (月) 19時28分

愛 正義 で プログ 検索中です。最近 全く 読書ができない 私です。
文学を 私も 小説を 書きたいナァ。未来の小説は どんなストーリーかなぁ
読書同好会(名前検討中 

投稿: ウルトラ村石太&仮面ライダー村石太 | 2012年7月28日 (土) 14時19分

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