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2012年6月10日 (日)

井上ひさし(第67回 昭和47年/1972年上半期受賞) 半年前だったら受賞できていなかったよね、と言う人あり。相当レベルの高いもの、と言う人あり。いろいろ。

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井上ひさし。「手鎖心中」(『別冊文藝春秋』119号[昭和47年/1972年3月])で初候補、そのまま受賞。『ブンとフン』での小説家デビューから2年半。37歳。

 昨年平成23年/2011年6月、司馬遼太郎さんから始めまして、今日の井上ひさしさんで50人目です。

 どんなに偉くなろうが、周囲から祀り上げられようが、井上さんもまた、初候補で直木賞を受賞した人です。取り上げないわけにはいきません。

 昭和40年代。新橋遊吉千葉治平のエントリーでも確認したように、当時の直木賞は「いかに中間小説誌で活躍できそうな作家か」がひとつの受賞予想基準になっていました。ご注意ください。「受賞基準」ではありません。「受賞予想基準」です。

 つまり、まわりで好き勝手なことを言い立てる直木賞ファンたちが、好き勝手に設けた基準です。彼らは中間小説誌の発展(要は部数右肩上がり)のなかで生きてきました。

 そういう人たちにとって、井上ひさしの存在はどう見えていたか。『小説現代』でモッキンポット・シリーズつう大変ユニークな小説を書いて評判をとり、それよりもちょっと出来は落ちるけど、『別冊文藝春秋』に新作を発表したことで、まあ無難に直木賞路線だね。……って感じでしたでしょうか。

 井上さんも「モッキンポット」ものみたいなのが(引用者注:直木賞の)候補作だったら、もらえる感じが薄くなると思うよ。おかしいのは、受賞が決まったあとの記者会見で、松本清張が、「第二の野坂 (引用者注:昭如)」とかいっているでしょう。井上さんは、こんど初めて小説を書いたわけじゃないし、そんなに才能があるんだったら、この前のときに候補にもならなかったということがおかしいわけですよ。(引用者中略)今回も、いままでの「モッキンポット」風のものだったら取れなかったかもしれない。

 そうだろうな。推せんする人だって、なんとなく落ちそうだというのはわかるわね(笑い)。

 だけど、井上さんの場合、受賞作の「手鎖心中」だけの評価ではないと思う。いままでの実績とか力量みたいなものをふくめて評価されているんじゃないかな。野坂昭如の再来といういい方は、それからきているんじゃないかな。

 あれ一作だけの評価とは考えられないからね。

 考えられない。ぼくは、「手鎖心中」は井上さんの作品としてはあまり買わない。

 井上さんの作品としては、やや直木賞向けという感じはあるよね。」(『噂』昭和47年/1972年9月号「直木賞作家誕生!編集者匿名座談会 三度目の正直で生まれた受賞作」より)

 このころの井上作品の代名詞でもあった「ナンセンス」と、少しの「諷刺」。プラス、高齢の選考委員にも配慮した「時代もの」。何より、候補にしてもらうための強力な援軍を得ることができる「文春の雑誌に掲載」と。これらを掛け合わせたうえで「手鎖心中」は生まれ、直木賞をとるべくして書かれた、と言っても過言ではありませんでした。

 ここら辺のこと、どこまで信用していいかわからない書き手、としておなじみの、西舘好子さんの回想文から引いておきます。

(引用者注:「手鎖心中」の)担当は中井勝さん、(引用者注:『別冊文藝春秋』の)編集長は西永達夫さんだった。担当の中井さんは穏和な洞察力のある人で、井上さんの文体で江戸を書かせたいと考え、「戯作者」というテーマを持って来た。時代物を井上さんにぶつけてきたのだ。

 当時の直木賞の選考委員には高齢者が多く、そのことも考慮に入れたのかもしれない。

 いくら文学とはいえ、話題性と部数が勝負の世界だ。

 心ある編集者は優秀な作家の発掘と、賞を受賞させるための作品に命を削っていた。」(平成23年/2011年9月・牧野出版刊 西舘好子・著『表裏井上ひさし協奏曲』「第四章 あっという間に直木賞」より)

 一瞬目を疑いましたが、誤植ではありませんよね? 「賞を受賞させるための作品に命を削」る編集者のことを、はっきり「心ある編集者」と言っちゃっています。

 そのあとの文章を読んでも、西舘さん、ずいぶんと直木賞の威力を見せつけられたというか、直木賞から多大なる恩恵を蒙ったそうですからねえ。たいてい、賞に狂奔する作家や編集者は、心ある人たちから馬鹿にされる対象だとばかり思っていましたよ。西舘さんのチョー肯定的な文学賞観に出会って、ワタクシはホッとしています。

 ということで、心ある編集者、中井勝さんの証言を。

「「井上さんに書いてもらおうと思ったのは、はっきりいえば直木賞ねらいですね。最短距離にいる人だと考えていました。(引用者中略)別冊のお願いをしたい、と言いますと、井上さんはこうおっしゃったんです。

『いろんな人からいろんなものを書けと言われてますけれど、もし別冊文春から注文があったら書きたいと思っていたテーマが二つあるのです。これは誰に言われても書かなかったテーマです』と。

 それが『手鎖心中』と『江戸の夕立』だったと思います。(引用者後略)」」(平成13年/2001年6月・白水社刊 桐原良光・著『井上ひさし伝』「第五章 芝居が、舞台がぼくの先生だった」より)

 なんか微妙に西舘さんのハナシと違っている気がしますが、どうなんでしょう。『別冊文春』=直木賞狙い=江戸もの、の方程式を考え出したのが井上さん本人だったのか、中井さんだったのか。よくわかりません。

 当時の『別冊文藝春秋』は、「直木賞第二の機関誌」の名に恥じず、直木賞候補になりそうな作家に中篇を書く場を、積極的に提供していました。じっさいに力のこもった数多くの掲載作が、直木賞候補作になりました。

 なぜ直木賞候補が「モッキンポット師」でなくて「手鎖心中」になったのか。といえば、そりゃあなた、候補作を決める立場の近くに、『別冊文春』の編集者がいたからです。先の『噂』誌匿名座談会でも語られていたとおりに。いや、社内事情にくわしくない人の証言だけじゃありません。当の中井勝さんも認めています。

「社内で、直木賞に『モッキンポット師』を推す人もいたのですが、デスクの豊田健次とぼくが、いま、すごいのができるから待ってくれ、と説得したのです。それには相当レベルの高いものが必要だったのですが、それ以上のものができたということですね」(同)

 担当編集者ですからね、心ある編集者として賞を狙い、「レベル以上のものができた」と胸を張るのは当然でしょう。いや、ワタクシも一読者として井上ひさしさんが「手鎖心中」で受賞したこと、嬉しいですよ。好きな小説ですし。

 ただ、ほんとうに「手鎖心中」が「モッキンポット師」を超える一大傑作なのか、もし回がズレていたら受賞できていなかったんじゃないか、と指摘する人たちがいたことも、併せてご紹介しておきます。

 例の匿名編集者の面々です。直木賞は前々回の第65回、前回の第66回は「受賞作なし」でした。2回連続見送りの次だから、綱淵謙錠『斬』と「手鎖心中」とが受賞圏内にすべり込めたのではないか、みたいな見解を繰り広げています。

 今回受賞した二人でも前回だったらどうかといえば、どうもわからない。

 競馬のワク順有利みたいなところがあるな(笑い)。

 綱淵さんの「斬」も、出版されるタイミングがズレて前回に候補になったら、危なかったと思う。井上さんだってそうだね。

 前回なら“二回連続受賞作なし”でもおかしくないんだ、二人とも“処女候補”であれば、見送られた可能性のほうが強いな。」(前掲『噂』編集者匿名座談会より)

 ふうむ。そうかもしれません。さすがに『斬』は前回候補でも受賞できていたと思いたいですけど。

 まあ、決まっちゃったあとなので、どうとでも言えるんですけどね。少なくとも、「直木賞に選ばれたから」っていう理由で、賞の権威に知らず知らず心を動かされて、その小説を名作扱いしたり、評判作などと煽ったりするのは、バカっぽいことだよなあ、と思わされました。

          ○

 ……っていうハナシは、きっと井上ひさしさんならわかってくれるでしょう。当時の井上さんなら。

 なにしろ井上さんといえば、反・権威、反・体制、反・常識、みたいなところがウリでしたし、それによって彼の人気は支えられていたんですもの。

「自宅にくるファンレターのなかには、

「あの腐敗しきった江戸の田沼意次時代に氾濫した落首のように、ピリッとした風刺を、私たちに代って日本の金権政治にたたきつけて下さい」

 というのもある。

 読者は、この当代の才人のダジャレや語呂合せに拍手し、戯作者の有力な武器であった言語遊戯術を駆使した、井上氏の強烈な社会批判を期待しているのである。」(『週刊朝日』昭和48年/1973年1月5日号「'73年の男・井上ひさし一家における笑いの研究」より)

 たとえば、『手鎖心中』の「あとがき」。次の一文は、けっこういろんなところで井上ひさしを表わすものとして引用されているんですが、うちも尻馬に乗らせてください。

「年をとり、生活もやや落ち着いてくると、偉大なものをその座から引ずり落すことは、たいへんな力業となるが、彼等(引用者注:『手鎖心中』所収の小説の主人公たち)につきあって、わたしも終生、偉大なものをできるだけ小さく見ようとする努力を忘れまいと思う。」(昭和47年/1972年10月・文藝春秋刊 井上ひさし・著『手鎖心中』「あとがき」より)

 現に井上作品の一部は、権威を小さく見て、ひっくり返してみせて笑いを生んでいます。井上さんの書くもの(小説に限らず戯曲を含め)が魅力を放ったのは、「笑い」があるからでしたが、彼がデビューした当時、読者・観客は、やはりそこに、既成のものや常識的なものに反逆する姿勢、ってものを感じ、拍手していた面もあったと思います。

「固定観念をメタメタにぶちこわし、常識をデングリ返すところに現代人の“笑い”を呼び、笑いをまきおこすキーがあることを、彼は知っているのだ。

 知っているだけでなく舞台の上から、“キミたち、たのむから固定観念をぶち破ってくれ”と、祈っているのではないか。」(『平凡パンチ』昭和48年/1973年1月29日号「《井上ひさし》が内蔵する底知れぬ“シタタカサ”と“勁さ”」より)

 彼こと井上ひさしさんが、意識して反・常識でいたかどうかはわかりませんが、この『平凡パンチ』の記事を書いている人は、明らかに井上さんをそのような人として描きたがっています。直木賞の選考委員のようなそれまでの小説家とは違う、新しいタイプの作家として。

「一説によると、彼は直木賞授賞式(昭和四十七年、第六十七回、受賞作『手鎖心中』)のときも、例の調子でセーター姿で会場に出現し、居ならぶ大先生方のドギモを抜いたというのだ。(引用者中略)

 彼は、ちっとも作家らしくないのだ。

 ひっくり返していえば、まったく新しいタイプの作家が『手鎖心中』を小わきにかかえ、文壇にサッソウと、ではなく、ヒョイヒョイと立ち現われたのだ。堂々と“戯作者”と名のって。」(同)

 そうでしょう、そうでしょう。井上ひさしは、権威や体制の大嫌いなボクラ若者の代弁者だ!と叫びたくのもわかります。既成の文壇なんて糞くらえ、権威の象徴である直木賞・芥川賞のことも、しっかりと処女小説で、おちょくって笑いに変えてくれていた人です。そんな井上さん、ステキ。

「山形東作といえば数年前、マスコミを大いににぎわせた人物である。(引用者中略)

 夏休みにちょこちょこと書きあげた三編の小説が「文学界新人賞」「小説現代新人賞」そして「群像新人賞」と三つの文学賞をとってしまったばかりか、三編の中の二編がそれぞれ、その年の下半期の芥川賞と直木賞を受けることになってしまったのである。

 彼の作品集は(なにしろ作品といっても短編が三編しかない。それでは薄っぺらな本しかできない。そこで編集者は東作くんの小学時代の綴方まで集めてきて載せた)六か月間、ベストセラーのトップを独走し、三つの小説はそれぞれ映画化され、芝居になり、大当りをとった。が、東作くんの運もそこまでだった。出版社に舞いこんだ一通の匿名の投書が、東作くんのすべてを暴露したのである。その投書によれば東作くんの三編の小説は、古今東西の三百以上の小説を糊とはさみで切ったり貼ったりしてつなぎ合わせた盗作であるというのだった。」(昭和45年/1970年1月・朝日ソノラマ社刊 井上ひさし・著『ブンとフン』より ―引用文は昭和49年/1974年5月・新潮社/新潮文庫)

 んもう。巧妙な盗作に気づかずに賞を送ってしまうようなフシ穴の直木賞・芥川賞を笑い、受賞作というだけで食いつくマスコミと大衆を笑い、あるいは、受賞作だけで無理やり薄っぺらな単行本をつくって売ってしまう、現実の出版社をも笑ってしまう、という。

 これほどの方ですからね。時が流れ、自身が直木賞の選考委員を務める時代がやってきたとき、どうしたか。昭和40年代にくらべて「直木賞は権威がなくなった」と、数多くの人びとが認識し、直木賞が低く小さく見られるような状況を、つくり出すのに精いっぱい努力しました。そして、井上さんの尽力により、まさにそういった現実が築かれました。すばらしいことです。……って、あれ。ちがいますか。

          ○

 井上ひさしさんのこと書いているのに、笑えないハナシばかりですみません。

 「手鎖心中」は、笑いを前面に押し出した小説として、珍しく直木賞を受賞しました。もちろん、こういう小説が候補作に挙がるのさえ珍しいわけですから、先に紹介した『別冊文藝春秋』チームの粘りと戦略あったればこそ、です。

 しかし、直木賞を過大評価する人たちの見かたは違います。たとえば、『朝日新聞』の百目鬼三郎百目鬼恭三郎さんです。大上段に構えてみせます。

「こんどの受賞でもっとも注目されるのは、おそらく井上ひさし氏の「手鎖心中」であろう。深刻な社会問題をテーマにした芥川賞の二作や、「まじめで重厚な」点を買われて直木賞を受けた綱淵謙錠氏の「斬」をさしおいて、一部の選考委員から「ふざけすぎる」という批判まで出た「手鎖心中」になぜ注目するかというと、これは、まじめ一方の日本の文壇が「ふざけた小説」を認知した、という画期的な事件だからである。」(『朝日新聞』夕刊 昭和47年/1972年7月22日「認知された「ナンセンス文学」 井上ひさし氏の直木賞受賞 「まじめさ」からの脱皮 社会風潮の変化と一致」より ―署名:(目))

 出ました。日本の文壇が直木賞・芥川賞でのみ構築されているかのような、極論中の極論。百目鬼さんのユーモアセンスには、ほんと、うっとりさせられます。

 そして、ギャグとして「カブせ」の技術を使用したのが笹沢信さんです。この朝日新聞の記事を取り上げて、一段上をいくジョークを放ってくれました。

「ひさしの受賞はさまざまな話題を呼んだ。朝日新聞(昭和47年7月22日付)は、(引用者注:ここに上記の新聞記事を引用)と書いた。忘れられていた江戸時代の戯作が、ひさしによって復権された、まさに事件といってもいい出来事だったのである。」(平成24年/2012年4月・新潮社刊 笹沢信・著『ひさし伝』「IV 手鎖心中で直木賞受賞」より)

 え。ジョークじゃないんですか? あ、それはそれは……。

 何だかみんな、しかめっ面して難しいこと言っているけど、井上ひさしの小説って馬鹿バカしくて面白い、それでいいじゃん。と言うのは曾根博義さんです。

「選評によれば、ほとんど全員がその才腕、面白さを買っているが、その底に何かがあるかないかで論が割れている。(引用者中略)推す側もたんなるユーモア小説でないことを力説しているが、なぜ直木賞作品が気の利いたユーモア小説であってはいけないのか。解せぬ。(引用者中略)井上ひさしが読まれているのは何よりも馬鹿馬鹿しくて面白いからなのに、偉い人たちはみんな難しいことをいうものだ。」(『国文学解釈と鑑賞』昭和52年/1977年6月臨時増刊号『直木賞事典』「直木賞作品事典」より ―執筆担当:曾根博義)

 すみません。反省します。直木賞に注目が集まるのは何よりも馬鹿馬鹿しくて面白いから、ですよね。なのに、毎週毎週、あっちからこっちから懲りずにツッコミを入れて、すみません。

 ええと、謝ったそばから何ですけど。当ブログ「初候補で受賞した作家列伝」は、50人目の今日でひとまず幕引きです。取り上げられなかった残りの15人の作家については、また機会があれば。来週からも、また別テーマで直木賞のこと書きます。だって馬鹿馬鹿しくて面白いんですもん。

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コメント

百目鬼三郎→百目鬼恭三郎ですね。

投稿: K | 2012年6月15日 (金) 07時16分

Kさん、

ご指摘ありがとうございます。訂正を入れました。

投稿: P.L.B. | 2012年6月15日 (金) 20時52分

久しぶりにおじゃますると「井上ひさし」の文字が目に飛び込んできて、さっそく拝読しました。
おお、そうか。あんなことや、こんなことがあったんですね。
ぼくは(たぶん並外れて)業界の内情に暗いので、ひたすら感心するばかりです。
ちなみに、小学生のとき『ブンとフン』を読んで、この道を志したのでした。

投稿: ROCKY | 2012年6月25日 (月) 17時15分

ROCKYさん、

おお。ROCKYさんの原点のひとつは『ブンとフン』なのでしたか。
私も先日ひさしぶりに読み返しましたけど、
読み手を楽しませようとするサービス精神が満載で、
初期井上ひさしのナンセンスぶりを堪能しました。

投稿: P.L.B. | 2012年6月26日 (火) 21時16分

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